季節のこと。

2007年11月3日
文化の日の旗日は最後の休日の認識であったが師走に旗日が無いと公平でないゆえか
民主主義国制度の君主国家は象徴天皇を12月生誕に配置したのであろうか。

昭和天皇と違いその地位の重さは少し軽佻の感を否めない。
相撲好きの昭和天皇はお好きなお相撲さんはと問われても
「意中の人はあるが言うといろりろあるといけないので・・・」と
君主の立場を十二分に矜持されていた。

平成天皇は現代的。
アルコールの飲酒はなされてますか。
「やってますよ。百年の孤独の焼酎・・」
庶民性の強調の意図であったのかどうかは知らないが焼酎ブームに火をつけた。

百年の孤独、村尾や魔王、伊佐美、需要と供給の関係でたちまち入手困難な幻の焼酎となった。
鹿児島熊本宮崎の一部地域の飲酒文化の焼酎が全国に僚原の火の如く広がった。

庶民大衆の飲み物ゆえ安い税制度が変更され値段が跳ね上がり、今では決して安くない飲み物。
一升ビン詰めが常識の世界に5合ビンが登場、お土産のも最適品となり、4合ビンも誕生。

あの独特の焼酎臭さと嫌われていた芋臭さも本格焼酎の冠をいただき、好まれる原料となっている。
運動を歩し進めた宮崎の知恵が生かされた道路周辺に植物を愛でる法制化と並び唯一の成功例かもしれない。

11月1日は焼酎の日であったようだが、飲酒運転の罰則強化取り締まりの第三者への適用などで
需要は冷え込もうとしている。

夜の経済の楽しみが本来の人間の楽しみと政治信念を吐露して市長選挙で敗北した戸敷の支持者は
飲食協会の組織に蔓延してるのも頷けることだ。
経済は大衆的影響があるほどより深刻に影響を広げていく。

取り締まり当局の飲酒運転の絶滅は一面国民的指示を得よう。
それは経済の見地から見れば悪法も法なりで経済無視の経済がわかってない
権力者の内閣府の経済政策の幼児性を露呈している。

全国津々浦々に閉鎖されていく飲食店は田舎の県だけでなく京都や名古屋の都市部さえも直撃。
テレアポで日ごとに経験することで明治維新を経済の視点で分析した労農派学者土屋喬雄を上回る体験実証をしている。
悪法への怨瑳の声は経済へのバッカスの神の怒りが列島を巻き込んでいる。
住宅産業も政治の貧困を諸に受けている。

姉歯問題で収斂された建築の耐震安全性の問題は建築基準法の厳しき改正となり、
許可に時間がかかり、家が建たず建築業界の経済熱を冷やしている。

この二つは政治貧困の象徴的である。
ようやく上え向いてきた日本経済の内需に深刻なる影響ををボクシングのボディーブロー効果のごとく影響が生じつつある。
早急なる政治の動きが求められる。

然らずんばとかか、党首会談が国会の場でなくトップ交渉で昨日も含め二度も両者があった
大連立での政治的いきずまりの打開を図らんがための福田康夫側からの提案に
小沢一郎が乗ったか如くだったようだがどうにも小沢が仕掛けたのであろう。

党内持ち帰りでも民主機関は同意を出さなかった。
しかし野党陣営に少々の疑念、疑心のきしみを与えたんではなかろうか。

政権を目指し政党は存立しているのに政権状況が変わらんとする二大政党の連立は経験の無い領域ゆえもかかわり拒否感として
成立しなかったのであろう。
自民党と社会党が村山社会党政権を作った青天の霹靂さえ経験しているというのはある。

テロ特措法の期限はこれで切れた。
政治の行くへが注目されえる状況になっている力関係。
傍観者たる国民は付託したバッジ族をただマスコミを介してみてるのみ。
指摘した若者のブログで読むにはいたっていないがブログの活用を首都圏在住者は図ってほしい。

ようやく上着が要るようになった朝夕の通勤時間帯。
九州一周駅伝が終わる頃は実に寒かったものだ。
そして九州場所の相撲の時期は空っ風が吹いた。

格闘技の個人競技ほど実績がものを言うものは無い。
国技の座が揺らいでる相撲界であるがお国との結びつきもあり日本人にはやはり頂点であろう。
新聞が伝える。

九州場所まえに茨城県土浦での巡業をした郷土力士の出世を披露するためでもある。。
稀勢の里身長188cm、体重156kg寛
茨城県牛久市土浦の隣。(出生地は兵庫県芦屋市萩原→稀勢の里

親方衆の変遷も会った。
11貴ノ花 健士大豪 健嗣
12若獅子 茂憲
13隆の里がつけたジコ名 俊英 稀な勢いで駆け上がる
隆ノ花(西郷 隆盛に因んだ)・

隆の里現親方。ブログから

低血糖状態で力が入らず富士櫻と立ち合い当たった瞬間に尻餅を搗いて負けたので、
若三杉が横綱・若乃花になって以降も、インタビューなどでは「隆の里は俺より強いですよ」とたびたび答えている

。当時の隆の里は「稽古場大関(横綱)」と呼ばれ、関係者の間では実力者であることが認識されていた。
若三杉や怪童と呼ばれた北の湖など、いわゆる花のニッパチ組(昭和28年生まれ)

昭和58年(1983年)秋場所は千秋楽全勝横綱同士結びの一番の対戦で千代の富士を倒して、新横綱で15戦全勝優勝を果たした。
新横綱の全勝優勝は昭和13年(1938年)1月の双葉山以来実に45年ぶり、
15日制定着後は史上初の快挙である。

昭和59年初場所では13勝2敗で4度目の優勝を果たした。
昇進時の「おしん横綱」のほか、僧帽筋が大きく盛り上がった筋骨隆々の体型から「ポパイ」というあだ名もあった。

NHKの料理番組「きょうの料理」の講師(魚料理)を務めたほか、2003年12月には著書『親方はちゃんこ番』
ポプラ社 を上梓している。    

弓取りを務めて「弓取りの板倉」として親しまれ、十枚目に昇進してからも 1場所だけ務めた。
甚句の名手としても知られた。
歌唱力を買われてレコードも出し、引退相撲では断髪後にタキシードを着て土俵上で歌を披露した。
廃業後は歌手に転向し、国分寺市で相撲料理店「相撲茶屋 大剛」を経営

「○●○●○●○●○●○●○●○」で8勝7敗とした場所があり、これは相撲歴を辿っても珍しい星取りである。
隆の里は星の取り方を見ても全体的にバラツキが目立つ方であった。

ハローキティをデザインした化粧まわしが贈られた。
「大相撲キティ」グッズの製造・販売を行っている業者の社長
が稀勢の里と同じ茨城県出身であることから贈られたものである。
琴奨菊にライバル視されている。

19歳2ヶ月での初三賞受賞は貴乃花、白鵬に次ぐ史上3位の年少記録十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9ヶ月)
、新入幕も貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3ヶ月)で番付を駆け上がったが
琴欧洲に対しては特に気魄のこもった相撲を見せ、4連勝するなど対戦成績でも上回っていたこともあった。

しかしその後は立会いで変化されるなどしており6連敗で対戦成績は4勝7敗となった。(2007年9月場所現在)。

さらに場所ごとに内容は悪化しており、このままいけば朝青龍-琴光喜戦のような成績になることが危惧されている
(琴光喜はかつて朝青龍との対戦成績でリードしていたが、現在28連敗中である
出世の早さが示すとおり、その素質は抜群である。

体躯にも恵まれており、徐々に台頭してきた期待の日本人力士豊真将、
琴奨菊、豊ノ島、豪栄道、栃煌山らの中でも才能はナンバー1である
次に出る日本人横綱であろう。

文化の日の今日、文化の始まり地点でもある日比谷公園
15の交響曲ショスタコビーコッチが演奏されるようだ。

宮崎図書館では3日15時から緑陰コンサート。
アズム=JAではタウン誌20周年のタウン宮崎のイベントをやっていた。川口社長の喜んでる顔が浮かぶ。

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