旧暦

2005年3月2日
3月弥生。風邪を拗らせそうで、PCもお休みで一日遅れの更新。昨日を思い出し書いている。

仕事探しで、電話で夕方4時に応じてもらえた。不思議である。
すぐに夕方を返上して屋根寸とり。

なんと高鍋・新山の小倉家は新町長の最後の提督の血たる小沢家と親戚と言われる。わからぬものだ。
温情がなせるDNAを受け継がれておられる。

この3日間風呂に入ってない。限度が何日か知らないがかなりの規模で不衛生状態が進展していよう。
私にとってはまだギネスものではない。後何日かではあるが。

冒険家ならいざ知らず、営業マンとしては失格状態。よって香水で誤魔化している。
睡眠と栄養の贅沢病が風邪と信じて疑わない私は二つが欠け続けたゆえのノドの炎症、セキの症状で久しぶりを楽しんでいる。

12時頃床につき、三時のナツメロでおきることをここんとこすごしている。
湯冷めを避け、早期の万全の状態を作らんがためである。
今日は昨日に続き二回目、たまたま二回を聞いた。書きよどめねばならぬ。

ヨットでの海洋横断は堀江兼一 のリサイクルヨットで太平洋横断 ... に尽きるが世間相場。
マーメイド号にすっかりヨットの名を奪われた感であったが、こんな人も居たんである。

昭和17年生まれの松村健二けんじ大阪南太平洋協会。
阪大の大学院卒の履歴にないドラマチックな人生観を感じる。

ノルウェ−をヨットで出発し、アフリカ、カリブ、パプア・ラバウルをへてヨ;ツトのたびを終えた。

ラバウルでは戦争の10万占領軍の日本軍で不安であったが、日の丸で歓待された。

それ以降すっかりパプア・ファン

98年パプア大津波。早速現地に飛ぶ。
パプア島ヒサノラグ−ンの現地で復興に当たる。

10人で3ヵ月使える公衆便所
密封の土の穴バナナの皮推薦の便器を置く。

土のバクテリアが老廃物。大小便を自然に返す。

このパプアの経験を元に広島県安芸太田町に
21世紀方丈庵を建てる。

800年前の方丈記の作者鴨長明に学んでの生活である。
1M×3M=3.3ヘイホウメ-トル

鴨長明は牛舎2台で家屋ごと引越ししたと方丈記に記す。
松本健二は200万の組み立てハウスとしいぇ再現している。

ラジオ深夜便は二日続けてこの時間からすべてを聞いてしまっている。
中野正行アナもいい。

広島安芸太田町には太平洋国から10年で100人が田舎に来た。
加計町は戦後も先般を逃れた後に政治家としても活躍した軍人・源田実を生んだとこ。
私には鉄道新設の昭和45年ごろの加計線路である。加計町は合併し高野大和筒が村の合併。

ここにも住処を持たれる。
囲炉裏があり、自然で暖を取る。
座って半畳寝て一畳・・・21世紀方丈庵である。
キットも販売されよう。キットお約束。

その後に住まいである神戸大震災に遭う。
東灘区であった。

公園の木をみて木一本の家を建てるコアラハウス
神戸大震災でのナガタ避難所には消防団の「火を使うな!」のふれが回る。
火を使えない。1月の寒さの中である。

この地区の責任者たる校長先生にしては粋なこと
自家火を使うことを認め合う。
そのことで暖が取れた。

砂を暖め袋に詰める。砂湯たんぽは厳しき環境の中での睡眠を誘ったことであろう。
サスガ!年寄り!七輪を所持していた。

山のごとくの七輪用の薪が積み上げられ、安心を与えた。
麻に夕方の弁当が渡されパサパサ。七輪を使い葱をいれおじや。食欲を助けた。
火がなければ心は温かくならない。
ホスピタルの発祥・発展が火の発見ともあったが納得。

勾玉ヒメちゃぶ台は商品化された大震災のおかげ?
パソコンや熱燗と用途多様。

炭は2時間ぐらいの命。一酸化炭素は窓の開け閉めで解消したい。
湿度で安全は大丈夫。練炭は24時間使うので注意したい。
部屋の空気管理が必要である。
ロ−テク時代とハイテク時代の共存。

この会は資金作りとして各種の行事をやっている。
旧暦カレンダ−の作成販売は独演場。

太陰太陽暦は強制エコ暦である。
月星潮の干満の記入がある。

沖縄では今もそうである。
農リツ暦、農暦こよみの別称

時間管理は自然に限る。
西都に集金にいき、日延べ。

矢崎や○○社と回る。なんと!この会社にさえ流言蜚語は回っている。

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