けんぽう
2008年5月3日久々のジュリストを紐解いたのは
憲法9条を巡る違憲判断を新聞がおしえてくれて以来のこと。。
「砂川事件」=「伊達判決」の一審判決(1959年、東京地裁)。
米軍基地・立川飛行場の測量をめぐるトラブルの裁判で米軍の駐留を違憲とした。
裁判長の名をとって「伊達判決」
「長沼ナイキ基地訴訟」の一審判決(1973年、札幌地裁)。
北海道の国有保安林を航空自衛隊の訓練施設にするため保安林指定を解除したことを巡る
行政訴訟で自衛隊を違憲とした
両判決とも上級審で違憲判断は覆されている。
4月名古屋高裁判決。
イラク問題での国の違法訴訟の請求は不適法として原告側控訴を退けながら、
傍論でイラクでの自衛隊の活動を違憲とした。
原告は満足で上告せず
国側は勝訴で上告できない。
最高裁の判断もなしに違憲判断が残る。
職を賭した裁判官の誠意。
かつては憲法判断を回避して「肩すかし」と言われた判決の恵庭事件があったが
記憶にあったんであろうか。、
61年目の憲法。
風前の灯であったが安倍普三の改憲指向の政治が
参議院選挙結果として逆に風前の灯の憲法を守った。
世論の改憲のウエーブは一段落したが、大きく傷ついた憲法。
名古屋高裁での職を賭しての違憲判決。
20パーセントを支持率がきった福田内閣は護憲の政治姿勢。
よって衆参の憲法調査会は休眠。
政治の場での改憲への憲法論議は舞台から去ってはいる。
ガソリン国会での再決議の乱発、9条に抵触する自衛隊の暴走、
裁判員制度における無差別指名の候補者選び・・
これらは憲法に抵触することばかり。
とりわけ21条の言論表現の自由の憲法規定は日常茶飯事化している。
世界的には北京オリンピックの中国問題でも明らかになり、
国内的には「靖国」映画の上映中止でも表面化。
個レベルでは大衆化したブログの世界で悲哀を日常的に受けている。
権力や暴力による封殺は自由に物が言えない世相が
潜んでる日本の構造的精神構造を明らかにした。
では政治はねじれ国会を解消する意味からも国民に政治課題として解散総選挙を含めた
政治的問いを国民に提起するのか。
答えは「NO!」であろう。
この暑いのに永田町はガラ〜ンとした状況に冬風が吹いている。
民主党の全国候補者選びが完結していないゆえ、
解散総選挙はありえない。
宮崎では小泉刺客選挙に勝ちぬいたる
小泉内閣野党自民党ゆえとりわけ困難な状況。
東国原現象は単なる異端で保守回帰の政治風土は何ら変化ない。
民主党の砂上の政治状況の脆さがン如実に宮崎で現れている。
磐石の保守地盤。
唯一一区の候補者選びに脆弱点が見れるのみ。
一区立候補を目指してる川村秀三59が2日午前7時半橘交差点で朝の辻たちを始めた。
先の知事選の有力者の林野庁長官。
元文部大臣の中山成彬64に対峙する動きは活発化しよう。
中山自身地元は3区で自民党組織に乗ってるのみ。
まさに足腰の強い鶴頼み。
県北延岡2区は刺客の元各種大臣副官房長官上杉を下した
中曽根派を継いだ江藤隆美の息子の二世議員江藤拓47
三区も官僚出であり、有力現職を破った古川貞久42。
落選をもとに票数の少なき辺地串間で勝利の組織を作り上げたので強く脆い。
参議院選挙みたいな劇的議席変化は宮崎ではありえない。
自民党会長は川添睦は、前県議戦当選の息子の選挙違反有罪で政治生命を短じめた。
坂元祐一会長は5月24日公募制での候補者をもとめてるが単なるポーズの田舎芝居。
上杉光弘66の動きのみが波乱を呼ぶ要素。
県政界を二分する黒木VS江藤の怨念の深層心理に手打ちは行われていない。
連合宮崎を含めた野党的存在の社民党に擁立の勢いはない。
二度目の国政の鳥飼謙二は復活できた県議のイスを二度もすてて立つのであろうか。
取り巻きの状況分析能力の低下を感じ足らずに入られない。
地元紙は民主党県連が宮崎2区に、社民党県連が同3区に公認候補を擁立する方針を固めたことが1日、分かったと報道している。
社民党は瓢箪からコマの代議士北川の柳の下のドジョウ狙いの高橋の擁立なんであろうか。
大票田は都城なのだが。
二区はかっての民社党王国延岡。
と成れば勝てるのは津村宮崎市長擁立。
スポーツの世界には重き憲法問題の如き暗雲はないが悲喜こもごもの宮崎。
井上康生30が引退を表明し県民の落胆は大きいが明るく振舞っている。
地元紙はカラー写真でごくろうさん!と称えている。
夢と希望の「一本!」にかけた内股。
00年シドニーのオール一本は母に捧げる金メダル。
遺影が世界に日本人の生き方を示した。女々しさと雄々しさの武士の魂。
ポイント柔道に一石を投じた。
不出世の大記録。
全日本01年から世界選手権は99ねんからいずれも三連勝。
栄枯盛衰はスポーツにはケガを含め劇的押し寄せる。
選手団長として望んだ・・アテネの惨敗。
翌年05年嘉納杯で優勝したが右胸の負傷で1年以上のブランク。
母、ライバルの兄の急死、父で先生の脳梗塞と身近な環境の暗雲。
4月起死回生で全日本体重別で優勝、北京に首の皮一枚残った。
沿い手ついに引退声明!
6月の実業団対抗試合が最後の雄姿。
よくやった!井上康生。日向人の鏡
35台木村庄之助内田順一61
延岡の名誉市民となった。
宮崎市内では一日遅れで開催される。
こちらは年齢が芸術的に出世をもたらせてくれる。
横浜での居場所を見つけた寺原の活躍みたいである。
これらが井上康生の与えた衝撃を同じ日にほんの少し和らげてはくれた。
快晴の連休初日・・・・
世界貧困率二番目の国の4日間。
沈黙は財産である・・ようだ・・
憲法9条を巡る違憲判断を新聞がおしえてくれて以来のこと。。
「砂川事件」=「伊達判決」の一審判決(1959年、東京地裁)。
米軍基地・立川飛行場の測量をめぐるトラブルの裁判で米軍の駐留を違憲とした。
裁判長の名をとって「伊達判決」
「長沼ナイキ基地訴訟」の一審判決(1973年、札幌地裁)。
北海道の国有保安林を航空自衛隊の訓練施設にするため保安林指定を解除したことを巡る
行政訴訟で自衛隊を違憲とした
両判決とも上級審で違憲判断は覆されている。
4月名古屋高裁判決。
イラク問題での国の違法訴訟の請求は不適法として原告側控訴を退けながら、
傍論でイラクでの自衛隊の活動を違憲とした。
原告は満足で上告せず
国側は勝訴で上告できない。
最高裁の判断もなしに違憲判断が残る。
職を賭した裁判官の誠意。
かつては憲法判断を回避して「肩すかし」と言われた判決の恵庭事件があったが
記憶にあったんであろうか。、
61年目の憲法。
風前の灯であったが安倍普三の改憲指向の政治が
参議院選挙結果として逆に風前の灯の憲法を守った。
世論の改憲のウエーブは一段落したが、大きく傷ついた憲法。
名古屋高裁での職を賭しての違憲判決。
20パーセントを支持率がきった福田内閣は護憲の政治姿勢。
よって衆参の憲法調査会は休眠。
政治の場での改憲への憲法論議は舞台から去ってはいる。
ガソリン国会での再決議の乱発、9条に抵触する自衛隊の暴走、
裁判員制度における無差別指名の候補者選び・・
これらは憲法に抵触することばかり。
とりわけ21条の言論表現の自由の憲法規定は日常茶飯事化している。
世界的には北京オリンピックの中国問題でも明らかになり、
国内的には「靖国」映画の上映中止でも表面化。
個レベルでは大衆化したブログの世界で悲哀を日常的に受けている。
権力や暴力による封殺は自由に物が言えない世相が
潜んでる日本の構造的精神構造を明らかにした。
では政治はねじれ国会を解消する意味からも国民に政治課題として解散総選挙を含めた
政治的問いを国民に提起するのか。
答えは「NO!」であろう。
この暑いのに永田町はガラ〜ンとした状況に冬風が吹いている。
民主党の全国候補者選びが完結していないゆえ、
解散総選挙はありえない。
宮崎では小泉刺客選挙に勝ちぬいたる
小泉内閣野党自民党ゆえとりわけ困難な状況。
東国原現象は単なる異端で保守回帰の政治風土は何ら変化ない。
民主党の砂上の政治状況の脆さがン如実に宮崎で現れている。
磐石の保守地盤。
唯一一区の候補者選びに脆弱点が見れるのみ。
一区立候補を目指してる川村秀三59が2日午前7時半橘交差点で朝の辻たちを始めた。
先の知事選の有力者の林野庁長官。
元文部大臣の中山成彬64に対峙する動きは活発化しよう。
中山自身地元は3区で自民党組織に乗ってるのみ。
まさに足腰の強い鶴頼み。
県北延岡2区は刺客の元各種大臣副官房長官上杉を下した
中曽根派を継いだ江藤隆美の息子の二世議員江藤拓47
三区も官僚出であり、有力現職を破った古川貞久42。
落選をもとに票数の少なき辺地串間で勝利の組織を作り上げたので強く脆い。
参議院選挙みたいな劇的議席変化は宮崎ではありえない。
自民党会長は川添睦は、前県議戦当選の息子の選挙違反有罪で政治生命を短じめた。
坂元祐一会長は5月24日公募制での候補者をもとめてるが単なるポーズの田舎芝居。
上杉光弘66の動きのみが波乱を呼ぶ要素。
県政界を二分する黒木VS江藤の怨念の深層心理に手打ちは行われていない。
連合宮崎を含めた野党的存在の社民党に擁立の勢いはない。
二度目の国政の鳥飼謙二は復活できた県議のイスを二度もすてて立つのであろうか。
取り巻きの状況分析能力の低下を感じ足らずに入られない。
地元紙は民主党県連が宮崎2区に、社民党県連が同3区に公認候補を擁立する方針を固めたことが1日、分かったと報道している。
社民党は瓢箪からコマの代議士北川の柳の下のドジョウ狙いの高橋の擁立なんであろうか。
大票田は都城なのだが。
二区はかっての民社党王国延岡。
と成れば勝てるのは津村宮崎市長擁立。
スポーツの世界には重き憲法問題の如き暗雲はないが悲喜こもごもの宮崎。
井上康生30が引退を表明し県民の落胆は大きいが明るく振舞っている。
地元紙はカラー写真でごくろうさん!と称えている。
夢と希望の「一本!」にかけた内股。
00年シドニーのオール一本は母に捧げる金メダル。
遺影が世界に日本人の生き方を示した。女々しさと雄々しさの武士の魂。
ポイント柔道に一石を投じた。
不出世の大記録。
全日本01年から世界選手権は99ねんからいずれも三連勝。
栄枯盛衰はスポーツにはケガを含め劇的押し寄せる。
選手団長として望んだ・・アテネの惨敗。
翌年05年嘉納杯で優勝したが右胸の負傷で1年以上のブランク。
母、ライバルの兄の急死、父で先生の脳梗塞と身近な環境の暗雲。
4月起死回生で全日本体重別で優勝、北京に首の皮一枚残った。
沿い手ついに引退声明!
6月の実業団対抗試合が最後の雄姿。
よくやった!井上康生。日向人の鏡
35台木村庄之助内田順一61
延岡の名誉市民となった。
宮崎市内では一日遅れで開催される。
こちらは年齢が芸術的に出世をもたらせてくれる。
横浜での居場所を見つけた寺原の活躍みたいである。
これらが井上康生の与えた衝撃を同じ日にほんの少し和らげてはくれた。
快晴の連休初日・・・・
世界貧困率二番目の国の4日間。
沈黙は財産である・・ようだ・・