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きょうの誕生日の花は・・・・・アキチョウジ
花言葉は・・・・・・・・・・・・秘めやかな思い
秋丁子はシソ科ヤマハッカ属
日本、中国、東南アジア、ヒマラヤ、アフリカなどに100種以上が分布し、日本では7種
中部以西に自生し、関東で自生するのはセキヤノアキチョウジ=関屋の秋丁字。
どちらも花の形では区別できないほど似ているが、
ここのものは葉の幅が広い
湿気多い木陰に雑草扱いで取り除いた
手にはシソの香が残る
ひめやかに思い深める昨日今日
アキチョウジ咲くうつむきしまま
ロマンチックな
花言葉ですね
T字型の花は派手さこそありません
が
花言葉にふさわしい奥ゆかしさを感じます
鳥海昭子
NHK深夜便教えてくれるきょうの一句
火の川と なる秋冷の くらまみち
野澤節子
21日、1万2千発の花火
宮崎市のみやざき臨海公園夜空を照らした。 夜空のオリオン座には流星群ー
泉谷しげるー口蹄疫復興ライブ 今年で3回目ー
2012年10月21日20時11分
、口蹄疫被害に遭った宮崎を支援しようと野外ライブ「水平線の花火と音楽3」。
「花火を客席にぶち込むぞ。サンキュー宮崎」
と叫ぶと、会場を埋めた約1万2500人は大きく盛り上がった。
さだまさし、宮崎・井手綾香、8時間のライブ
会場では、JAグループ宮崎が、地元産の焼き肉セットを販売。
ただ、
被害補償で200億円以上せしめた創価企業安愚楽=そのまんまの蛮行は隠された闇のままー
9条の会の街宣車で・・・
気付ずいた程度ー
何故か
CIA育成の暴力団とさえつるんだ第二組合・同盟主導で権力と戦う総評色を無くした=連合に労働戦線が一つになり
反戦平和運動論は消滅させられたゆえー
かっての10.21・・・
この田舎の地宮崎でも・・・・・
宮崎の顔の「橘通り」にフランス・デモー
ほかにも
毎年10.21反戦デモを県内主要町8箇所で繰り広げた
どこにも・・・
あの当時の反戦平和のデモはないー
社会党は社民党に名を変え
戦う労働組合・総評はCIAの育成した同盟主導の連合に吸収され名をかえて潰されたー
反戦平和運動は沖縄に残るのみ
ただー
毎週金曜日
官邸をつつむ自主運動のみが
街頭運動をやってるー
先進国で世界にただ一つ
平和憲法を持つ国の風景ー
政権党自民にその三分の一政治勢力
VS
それに抗する社会党・総評グループ
の65年間ー
国民の生活を守る運動を帰納、修練して「沖縄を返せ」
さらに反戦平和に昇華ー
日本発の
10.21国際反戦デー
で
平和な地球の街頭デモ
社会党からCIA資金でそれらの運動に敵対して民社党が誕生ー
いま入院中の田中法務大臣ら民社党で5党派連立の民主党に合同してるー
ほかに
民主党の社会党グループは社会党を運動論から攻撃した江田三朗の子息・五月がシリウス政治グループとして社会党を崩壊させた
管直人・仙石由人もそのシリウス出自ー
みな
対米隷属が政治姿勢の本性ー
この国を米国に売り渡してるー
シリウス政治指導者らは資本の手先となり
労働組合に会社側の第二組合をつくり、
暴力団と同じになり
警察機動隊より酷い暴力行為を展開ー
ストライキ行動のスト破り集団と化したー
その
同盟出自のやくざをバックに持つ
田中秋慶法務大臣だとー
賤しき生き様の面々は松下塾出自と手を握り
今政権を握っている
21日は国際反戦デー。
戦争反対をみんなで叫びましょう!!
1966年10月21日 - 総評が秋期闘争の第3次統一行動として、べトナム反戦を中心とするストライキを実施。
48単産(産業別単一労働組合)約211万人がスト参加。
91単産308万人が職場大会に参加。
総評の内外への呼びかけに国内から350人近い各界知識人の支持声明が発表され、世界労働組合連盟をはじめ世界各国労働組合からも連帯のメッセージがよせられ、以後この日は10・21国際反戦デーとなった[1]。
なお、1943年10月21日には学徒出陣の壮行会が神宮外苑で行われました。
原子力に抗議の政治姿勢をとると自民推薦当選者でさえ
潰される!!
原子力村の闇がチラつきー
3・11で表面化ー
してるー
最高裁判所決定についての
コメント―
「ない」ものを「ある」
と
でっち上げた裁判!(佐藤栄佐久福島前知事)
最高裁判所決定についてのコメント―「ない」ものを「ある」とでっち上げた裁判!(佐藤栄佐久福島前知事)
http://blog.livedoor.jp/amaki_fan/archives/52141045.html
2012年10月20日21:19 クマのプーさん ブログ
最高裁判所決定についてのコメント
http://facta.co.jp/blog/archives/20121018001134.html
平成24年10月16日
佐藤栄佐久
本日10月16日、最高裁判所は、私、佐藤栄佐久の上告を棄却する決定を下しました。
私は、この裁判で問われている収賄罪について無実であり、最高裁の決定には到底、承服できません。真実から目を背けるこの国の司法に対して、大変な失望を感じています。
そもそも、この事件は「ない」ものを「ある」とでっち上げた、砂上の楼閣でした。
福島県の「木戸ダム」建設工事入札で、私と弟が共謀して、私が県の土木部長に対してゼネコンを指定する「天の声」を発する一方、そのゼネコンが、私の弟が経営する会社の土地を下請のサブコンを使って、市価よりも高い値段で買わせることで賄賂にしたというのが、東京地検特捜部の見立てでした。
これにより、私と弟は収賄罪で突然逮捕され、世間から隔絶された東京拘置所の取調室で、特捜部の検事から身に覚えのない自白を迫られました。検事は、時にはどなりつけ、時にはなだめ、私から収賄の自白を取ろうとしました。
私の支持者たちが軒並み特捜部に呼び出されて厳しい取り調べを受けている、それによって自殺未遂者も出ている。私は独房の中で悩み、そして、「自分ひとりが罪をかぶって支持者が助かるなら」と、一度は虚偽の自白をいたしました。
しかし、私は知らなかったのです。東京地検特捜部が、あまりにも無理な接ぎ木を重ねて収賄罪の絵を描いていたことを。
裁判が始まると、収賄罪の要件は次々に崩れていきました。私が知事室で土木部長に発したという「天の声」は、弁護団の調べで、どう考えても不可能だというアリバイが証明されました。また、「知事への賄賂のつもりで弟の会社の土地を買った」と証言したサブコン水谷建設の水谷功元会長は、「検事との取引でそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ」というメールを、宗像紀夫主任弁護人に送ってきています。一方で、私から天の声を聞いたという土木部長の自宅からは、出所不明の札束が2600万円以上も見つかり、事件の構図は全く違うのではないかという、大きな疑いが出て参りました。特捜部の描いた収賄罪の構図は、完全に崩れてしまったのです。
私の弟は、東京拘置所の取調室で、担当の検事からこんなことを言われていました。
「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」
今にして思えば、これが事件の本質だったのかも知れません。
私は知事在任中、東京電力福島第一・第二原発での事故やトラブルを隠蔽する、国や電力会社の体質に、福島県210万県民の安全のため、厳しく対峙していました。国から求められていたプルサーマル実施についても、県に「エネルギー政策検討会」を設置して議論を重ね、疑義ありとして拒否をしていました。事件は、このような「攻防」を背景に起きました。
大変残念ながら、その後プルサーマルを実施した福島第一原発3号機を含む3つの原子炉が、福島原発事故でメルトダウンを起こし、私の懸念は、思っても見ない形で現実のものとなってしまいました。私たちのかけがえのない「ふるさと福島」は汚され、いまも多くの県民が避難を余儀なくされる事態が、いまだ進行中です。苦難を余儀なくされ、不安のうちに暮らしている県民を思うとき、私の胸はひどく痛みます。
一方、私の事件の直後に起きた郵便不正事件のフロッピーディスク証拠改竄事件の発覚によって、特捜検察の、無理なストーリーを作っての強引な捜査手法が白日の下にさらされました。フロッピー改竄事件で実刑判決を受け、服役した前田恒彦検事は、私の事件で水谷功氏を取り調べ、水谷氏に取引を持ちかけた検事その人なのです。
当然、私の事件はすべて洗い直され、私には無罪判決が言い渡されるべきでした。
しかし、最高裁は私と検察側双方の上告を棄却した、そう聞いています。
確定した二審判決である東京高裁判決は、大変奇妙なものでした。私と弟の収賄を認めたにもかかわらず、追徴金はゼロ、つまり、「賄賂の金額がゼロ」と認定したのです。そして判決文では、「知事は収賄の認識すらなかった可能性」を示唆しました。ならば無罪のはずですが、特捜部の顔も立てて、「実質無罪の有罪判決」を出したのです。
今日の決定は、こんな検察の顔色を伺ったような二審判決を、司法権の最高機関である最高裁判所が公式に認めたということなのです。当事者として、こんな不正義があってよいのかと憤ると同時に、この決定は今後の日本に間違いなく禍根を残すと心配しています。
福島県民のみなさま。日本国民のみなさま。
私は、弁護団とも相談しながら、今後とも再審を求めることを含めて、無罪を求める闘いを今後も続けていきます。どうか、お心を寄せていただきますようお願い申し上げます。
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