先行きがそうない第一線カラ隠遁の爺目が伝えたいこと
いい国を子や孫へ
の
ただそれだけー憂国の情ー
国家が作り出した国富の公平な分配
グローバル時代国富争奪戦は熾烈を極めてる
民族的団結が強い民族のみが勝ち残るグローバル時代にあるー
17世紀コロンブスが大航海時代の転機になり
その集大成の如き様相にあるー
国民が幸せに一生を終える
ソレの阻害要因は植民地化状態
ソレの独立の民族を打ち立てる
同時に国内の公平制度の樹立ー
排外的に成ると
国内の独裁制度を醸成アマネクことに成る
同朋を失った御巣鷹山、大韓民撃墜、オウム事件・・
国家に対峙した意味でオウム事件は特異ー
警視総監銃撃含め、
なんら解明されていない
何故か
本尊、政治家だれも
醸成した関係者が捕縛されてないからだ
まず検証不足の第一
法治国家に添った形を整えたオウムの宗教法人取得が第一歩だろう
時間があれば映像でも検証できる
どうぞ日曜日の午後をお使いください
*オウムの宗教法人取得に力の石原都知事が認可
何故か
*石原都知事の4男が、実はオウム真理教の幹部
自著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、石原がオウム真理教に資金提供していた
(必見) http://youtu.be/haAsF_7v5Fc(必見)
あの「地下鉄サリン事件」(「YouTube>地下鉄サリン事件当時の映像」)が起きたのは
1995(平成7)年(「YouTube>スピッツ / ロビンソン」)3月20日です。
東京都心の地下を縦横に走る地下鉄の車内に神経ガスのサリンが散布され、乗客や駅員ら13人が死亡、約6300人の負傷者を出す大惨事でした。
実行犯は、広瀬健一、横山真人、豊田亨、林泰男。
彼らにはすでに死刑判決が下され、あとは刑の執行を待つばかりです。
おっと、もうひとりの実行犯を忘れていました。
オウム真理教(「YouTube>テレビカメラの前でオウムの幹部を殺害した韓国人の徐裕行 〔右翼〕今はブログを綴っている」)の附属医院の医院長をしたのち、同教団の“治療省大臣”をした林郁夫(「YouTube>オウム真理教の深き闇 『ハルマゲドンだ!』薬物増産へ 林郁夫 」)は、
千代田線内の散布を受け持ち、彼の犯行により、4人が死亡し、231人が重症を負っています。
しかし、ほかの4人と同じ犯行をしながら、
なぜか林郁夫だけは死刑判決を逃れ、無期懲役の判決が下されました。
何故か
林は慶応大学医学部で学び、専門は心臓血管外科。
なぜ林郁夫に特別注目するのかといえば、ネットである情報。
オウム真理教が誕生したのは1987年(「YouTube>Tsuyoshi Nagabushi 長渕剛 - ろくなもんじゃね」)。
先頃、「NHKスペシャル」(「ウィキペディア>NHKスペシャル」)が2夜連続で取り上げています。
「NHKのことだから、真相は伝えられないだろう」と期待していませんでした。
が・・・
林は同教団が誕生した1987年に、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(「YouTube>麻原彰晃とビートたけしの対談 」)が書いた本に出会い、麻原の考えに傾倒していったようです。
その2年後の1989年(「YouTube>PRINCESSPRINCESS~世界でいちばん熱い夏」)8月25日に、
東京都に宗教法人として認証されていますが、その年、林は同教団に入信しています。
林と教団のつながりを時系列で確認した上で、ネットである情報と照らし合わせていくことにします。
(必見) 真実を伝える http://tweettvjp.blog.fc2.com/
唐突ではありますが、オウムとはまったく関係のなさそうな名前が登場してきます。
あの石原裕次郎です。
団塊の世代にとっては同世代の憧れのスターだったでしょうか。
それよりも若い世代は、テレビドラマの「太陽にほえろ!」(「YouTube>太陽にほえろ!メインテーマ」)のボス役をしたことを辛うじて憶えている程度でしょう(´・ω・`)
石原裕次郎が亡くなったのは、オウム真理教が東京都から宗教法人として認証された年の1987年7月17日。享年は52歳でした。
彼は、1978(昭和53)年(「YouTube>矢沢永吉 時間よ止まれ 1978」)に舌ガンを発症し、一度は病魔に打ち克ったかと思われましたが、そのあとも手術と病気の治療のため、何度も入退院をしています。
1981(平成1)年(「YouTube>寺尾聰 - Re-Cool ルビーの指環」)、「解離性大動脈瘤」を治療するための大手術を受けています。
情報ページにあった記述によれば、そのときの手術に要した時間は6時間30分以上。
手術の成功率はわずか3%という難手術だったようです。
その手術が行われたのは東京のJR信濃町(しなのまち)駅(→ 本サイト内関連ページ)近くにある慶応義塾大学病院(「ウィキペディア>慶應義塾大学病院」)。
そして、驚くべきことに、のちにオウム真理教の幹部になり、地下鉄サリン事件の実行犯のひとりとなる林郁夫が難手術を受け持っていた(!)(◎_◎;)
オウム真理教が急速に武装化するきっかけとなったのは、これまでは、1990年(「YouTube>『おどるポンポコリン』は、B.B.クイーンズのデビューシングル」)にあった衆院選にオウムは候補者を立てて臨んだものの惨敗し、それがきっかけになった、というのが“定説”でした。
が、
「NHKスペシャル」が番組でこの教団の事件を取り上げるために進めた取材の中で、警察に押収されずにあった元教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の“説法”(?)を録音したテープが約700本見つかり、それをNHKが分析しています。
その結果がわかったのは、オウムの武装化はそれより2年前の、1988年(「YouTube>パラダイス銀河 ~ Diamond ハリケーン」)1月に、
教団の一部幹部にのみ述べた麻原の肉声で、そこで麻原は武装化を臭わせています。曰く_
核戦争を回避することが、我々が目指す“救済”ではない。
今ある資本主義と社会主義を潰し、宗教的な国家を作る。
これこそが、我々が目指すべき今生の“救済”なのである。
だいたい、こんなようなことを述べたことがテープに残り、
それを実現するために教団を武装化する考えをこの時点でハッキリ持っていたことを裏付けています。
その実現のため、オウムは、麻原の生まれ故郷である熊本県内に拠点を作ることを模索します。
同県内の旧波野村(なみのそん)に広大な土地取得を目指し、教団の施設を建設します。
当時、同村の住民は2000人ほどだったそうで、そこへ500人もの信者が住むことにでもなれば、村を同教団に乗っ取られてしまうと危惧する住民が、反対運動を繰り広げています。
地元の警察も手を拱いていたわけではなく、県警幹部の一部は、機会を見て同教団の強制捜査を主張していたそうです。
同教団の事件を取り上げた「NHKスペシャル」でも、当時の警察幹部が登場し、取材に答えています。
しかし、当時、すでに宗教法人の資格を持っていたため、強制捜査を躊躇する声が同県警内部にもあり、結局、当初より1週間遅れて、1990(平成2)年10月22日、国土法違反の容疑で強制捜査が行われています(「ウィキペディア>オウム真理教国土利用計画法違反事件」)。
しかし、近いうちに強制捜査のあることが、事前に教団に察知されてしまいます。
信者の中に、夫が警察官であった者がおり、そこから情報が漏れたようです。
その結果、1週間強制捜査が延びた間に、武装化の物的証拠になりそうなものを施設内から持ち出すなどして隠蔽化してしまいました。結局、その時の捜査では、オウムの武装化の証拠を得ることはできずに終わっています。
その3年後、地下鉄サリン事件の2年前、1993年(「YouTube>中山美穗 Miho Nakayama 世界中の誰よりきっと 」)、
オウムは拠点を山梨県の旧上句一色村(かみくいっしきむら)に移します
(「YouTube>オウム礼拝堂生中継!1/8 上九一色第10サティアン ああ言えば上祐生出演」)。
そこにサティアンと呼ばれる施設を建設し、第7サティアンと呼ばれた建物の中で、
「松本サリン事件」と地下鉄サリン事件で実際に使われることになるサリンが製造されています。
麻原は、製造にあたった幹部の信者に、約70億人(!)分の致死量に相当する【70トン】のサリン製造を命じたそうです。
地下鉄サリン事件の1年ほど前までには、約300万人の致死量となる【30キロ】のサリン製造に成功していたそうです。
武装化に警察がもっと早く気づくことができたなら、その後のサリン事件を未然に防ぐこともできたでしょう。
そのチャンスのひとつが1990年に熊本県警が実施した強制捜査でした。
しかし、実施を躊躇させ、結果的には武装化の隠蔽を教団にさせてしまったのは、その時点で教団が東京都から宗教法人の認証をされていたことがあります。
では、オウムの宗教法人取得に力を貸したのは誰でしょう?
ネットの情報によれば、1987年に亡くなった石原裕次郎の兄である現東京都知事の石原慎太郎だと。
1988年当時、石原都知事は自民党衆議院議員で、運輸大臣をしています。
それ以前、オウムは宗教法人の認証取得を東京都にかけあっていたでしょうが、
東京都は認証を与えていなかったようです。
どのようないきさつで石原知事がオウムに協力するようになった(?)のかは知りませんが、
パイプ役になったのは、かつて弟・裕次郎の大手術をしてくれた林郁夫であった(?)かもしれません。
あるいは、別のルートかもしれません。石原都知事には息子が4人います。
一番下の息子は、世間では最も知られていない“自称”(?)画家という石原延啓(のぶひろ)です。
この石原都知事の4男が、実はオウム真理教の幹部(※オウム真理教 官房長副秘書官)であったという証言を、宗教学者の中沢新一さん(「YouTube>オウムと中沢新一『虹の階梯』オナニー修行 麻原彰晃が心酔した宗教学者」)がされている。
ただの信者であっても驚きますが、幹部ですから、ビックリ仰天なんてものではありません。
本当にそうであったなら、むしろ息子さんを通じてオウムとつながりができ、のちに知事になる東京都に持ち前の“腕力”で強力なプレッシャーをかけ、強引に宗教法人の認証をさせた、と考えられなくもありません。
オウムが晴れて宗教法人になったのが1988年8月で、それで自信を持って翌年には熊本へ移って武装化への道を邁進し始めことになりそうで、そのための力を石原都知事が与え(?)、
しかも、熊本県警の強制捜査の壁となったのも石原都知事が与えさせた(?)宗教法人という錦の御旗であったのであるとすれば、
二重の意味で石原都知事がオウムのその後の暴走に力を貸した、とはいえないでしょうか。
また、石原が衆院議員を何かから逃げるように唐突に辞めたいきさつについて、
今改めて疑問視されています。
衆院議員を辞職することを公にしたのは、地下鉄サリン事件が起こった年の1995年(「YouTube>大黒摩季 - ら・ら・ら」)4月14日です。
サリン事件が起こったのは3月20日から、事件から1カ月経たずに辞めています。
また、石原さんについては、かつて、自民党にあったタカ派集団の「青嵐会」で一緒に行動した“ハマコー”こと浜田幸一元衆院議員(「YouTube>右翼ハマコー くたばれ北朝鮮 創価学会」)は、自著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、石原がオウム真理教に資金提供していた、と批判している
ネットの一部でにわかにいわれるように、
石原都知事とオウムの結びつきが強く(?)、そのオウムが地下鉄サリン事件を起こしたとなれば、自分の責任が問われる、と大慌てで国会議員を辞職したか、
自民党の上層部から辞職を強要された、と想像するのが無理のない解釈(?)かもしれません。(^_^)
石原都知事といえば、国士(こくし:一身をかえりみず、国家のことを心配して行動する人物=広辞苑)の立場を自ら採り、
産廃新聞(=産経新聞)に、「日本よ」という一面のコーナーを持っています。
国士を自認される石原は、国会へ参考人として呼ばれるたが、茶番劇
オウム真理教と事件についても歯に衣着せぬ物言いには程遠く質問も打ち合わせ通りー
4男の延啓もご一緒いただければ話が早かったのに
自民党の幹事長いや総裁選でもめているのは、ご長男の石原伸晃。
それなら話が早いです。
父と弟のことですから、何でもご存じでしょう。
今度、参考人ににでもなっていただき、根掘り葉掘りお話を伺わせてはもらえないでしょうか(´・ω・`)?
自民総裁
日本国総裁間近でしょう(?)
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