♪明るいナショナル♪♪なんでもナッショォーナル♪
2011年9月1日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・・・・・オシロイバナ
花言葉は・・・・・・・・・・・・・・内気、柔和
白粉花、学名:Mirabilis jalapa)はオシロイバナ科。
農家住宅は籾を干したりの作業場なり、牛馬の運動場も兼ねており敷地は広い。
庭の端には育種強い草花が野生化咲いている。
オシロイバナは南アメリカ原産で江戸時代始め頃に渡来し、帰化したらいー。
寒さに弱く一年草だが根っこに芋状が残り多年草でもアル。
茎はよく枝分かれして灌木状となるが節がはっきりしていて、木質化はしない。
全体にみずみずしい緑。
同じ株で複数の色花は赤、黄色、白や絞り模様
花は夕方開き、芳香がある。
このため和名としては夕化粧。
花後の黒い種を石でたたいて割ると白い粉。
??なにか・・?
!!!!浮かんだっ!
遊びの天才の子供らー
鼻の先、ホッペに縫ってインディアンごっこ。
アラモの砦など映画の西部劇盛んな頃ー
頭に鶏頭の花、腰には食した庭鶏ナゾの羽ー
「アパッパパパパー・・・」
「コリャァーなんしょっとかー」
「ひとさまん・・笑われるよなコツするなー」
NHKラジオ深夜便、川野一宇アンカー教える今日の一句。
白粉花の どうにもならぬ ほど咲ける
久保ともを
JR両国駅歩いて直ぐに江戸東京博物館、墨田川べりには安田庭園、10分もすると横綱町。
墨田区横網二丁目3番地25号に着く.
浅草寺の御のぼりさん気分でのお参りでなく身が竦む思いで、お参りの横網町公園。
早乙女勝元著作集で教えいただいた、東京大空襲や関東大震災慰霊の東京都慰霊堂
2011年3・11を受けて以来で言うなら
1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災。
> マグニチュードは7.9。
で、家屋の全半壊25万戸以上、焼失家屋44万戸以上、
津波による流失家屋868戸、死傷者20万人以上、行方不明者4万人以上という甚大な被害を齎した。
ちょうど昼食準備の時間だったため、地震の後に大火災が発生
横網町公園は元陸軍被服廠があった場所。
この地にあった被服廠は大正8年に赤羽に移転し、その後公園予定地として更地になっていた。
1923年(大正12年)9月1日、大震災が起きると、この場所は多くの罹災者の避難場所。
多くの家財道具が持ち込まれ、立錐の余地もないほどであったが、
周囲からの火災が家財道具に燃え移り、また火災旋風が起こったため、
この地だけで推定東京市全体の死亡者の半数以上の3万8000人程度が死亡したとされる。
2011・9・1はあれから88年を経ている。
8月31日(水)午後10:00~午後10:45黒田アナの奇妙奇天烈な着物のNHKテレビ歴史秘話ヒストリア
地震の神様 命を守る闘い~関東大震災を予知した男 今村明恒。
大正12年の関東大震災を“予知”した東大助教授で地震学者だった今村明恒(あきつね、1870-1948)
直接の上司であった教授大森房吉(1868-1923)は今村学説の批判の急先鋒。
大森は、確たる証拠がない以上は無用な混乱を避けるべきだという。
今村は関東地震(1923年)や東南海地震(1944年、マグニチュード7.9)がいずれ襲って来ることを予想
、為政者や人々に防災の準備を説いた。
また地震予知の基礎になる観測網を展開することにも熱心だった。
そのために私財も投げうった。
しかし、いずれ大地震が来るという彼の警告には「世を騒がせるだけだ」という批判が巻き起こった。
世間から「ほら吹き」呼ばわりされながらも防災を訴え続けた苦闘のお話。
1923年に起こった関東大震災。
これを18年前に“予知”し、防災対策を訴えてた。
幼き頃の貸し本屋の少年向け雑誌キング等には必ず今村の挿絵で挿入ページが会ったものだ.
地震学者・今村明恒記事搭載なき雑誌は雑誌ではないっ!
教科書に小泉八雲=ハーンの稲むらがさきの作品、
和歌山の篤志家濱口梧陵の「広村堤防」 と 地震学者・今村明恒の「高台移住」
明治38(1905)年に、関東大地震が今後50年間で 発生する
関東大地震百年周期説・・・現在は否定されているとの論文を発表。
世間から“ほら吹き”呼ばわりされる今村が、“予知”が現実のものになるや一転、“地震の神様”
次なる大地震の予知と市民への啓発活動に情熱を燃やす今村に、満州事変やがて太平洋戦争
という大きな壁が立ちはだかる。
24時間地震計も大陸プレート、周期説
この人の打ちたてた学問的成果の上にものに今がアル。
濱口梧陵の「広村堤防」 と 地震学者・今村明恒の「高台移住」 6今村明恒(いまむらあきつね)は、明治38(1905)年に、関東大地震が今後50年間で 発生する(関東大地震百年周期説・・・現在は否定されている)との論文を発表。
午後10:00~午後10:45Nスペ5min「汚された大地で チェルノブイリ20年後の真実
3・11のフクシマが管直人内閣の隠蔽で大変なことがおころうとしている
放射性ヨウソからの甲状腺ガン
広島の開業医武市宣雄さんが出て内部被曝の話をしている所
チェルノブイリ原発事故に従事して、現地診療
牛乳、農作物摂取からの体内被曝
正しい情報で、治療も可能ゆえ放射能ヒバクシャも長生きできる
NHKスペシャルの5分ミニ番組。
詳しくは再放送ゆえコチラにアル
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65733586.html
政権交代した2年前の30日
野田95代総理が誕生した
行政を司る霞ヶ関官僚群の習性は面白いものだ
懸案が一変に動き出す
二日前でもすでにこうで、日経30日7面
・日本郵政の報告総務省が要求
宿泊施設「かんぽの宿」の売却に関して不適切に対応した問題で
9月末までに報告を求めると発表
不動産の売却時に透明性や公平を確保すると言う再発防止が柱
・土壌汚染を公表
・補償金支払いを東電公表
政治家の仕事は結果責任。6・2以来居座り、ボロボロに
三党合意成るものさえ呑まされた
「国民生活第一」を壊した管直人。
国家の品位アル輝ける未来の民主党マニュフェクト
・子供手当て
・高校までの無償化
・第一次産業への所得補償
・インフラ高速道路無償化
管直人が総理の座に居直り、
11年予算の裏付け赤字公債法案実現等を
退陣条件を掲げたたため、
民主党マニュフェクト4つは
三党合意で反故にされた
管直人の民主党破壊工作は酷いっ!
踏襲するを掲げて
総裁選を戦い勝利した
松下政経塾出自の野田住彦ー
政治家総理総裁国家指導者ー
その要諦は「信なかずば立たず」
管退陣論が渦巻く中の争闘から開放されたが傷跡は酷い
「居直り」
政治家でなく政治屋
居座ってきたは何故か。
そこに今の政治の真実がある。
総理のポストである、
そのことは国家とは何かを紐解くことになる。
国家の正体は暴力装置なる国家と革命の言葉を教条的に引用したくはない。
完結したイタリア在住の塩野七生の「ローマ人物語」
「国家にとって最大の責務は国民の安全を守ることである」
「それを支えたのはローマ市民の負託を受けた、軍事、政治の両面に責任を負っている皇帝である、」
日本に置き換えると
現場とは戦争リアリズムであり、皇帝とは尊敬される自衛隊で変貌する軍事力そのもの、その統率者。
それは誰?
日本はシビリアンコントロール=文民統制
と軍の制服組を政治家・行政システムが国家の象徴たる軍を抑えてることに国家システム上なっている。
民主党党首選結果総理選挙と見るが如く国民は参加できてないー
民主主義制度のカムフラージュ
泉下の松下幸之助が笑い転げているー
幸之助の投じた70億円の果実の野田政権
民主党マニュフェクトなぞ屁とも感じてない.
脱税資金との嫌疑もかかっている幸之助が用意した70億円、
遂に実ったのだから。
正真正銘・財閥が政権を掌握したのは、日本史上初めてのこと。
戦前の軍国主義の陰の主役が財閥だった。
しかし、正面に立つことはなかった。
そういえば準備済みでは会った
大手町の主役は、数年前から財閥出身者だ。
公共放送のNHKにも財界OBが君臨。
伝統の相撲界隈も乗っ取った.
異常・異様な政治体制といっていい。
自民党時代でも考えられないことだった。
ジャーナリスト本澤二郎の描く今後の「日本の風景」
そのシナリオとうりに推移して遺訓であろうか
今日9・1は防災の日である
永田町の政治災害たる防災の日との警告でもあるんだろうか
まぁこの国の国民はないがおきようと立ち上がらぬものなぁー
利ざとく計算尽くめの人生観詰めー
為政者は上手く其処を突いてくるー
菅直人内閣は財界が意図したクーデター政権で結果露払いたる松下の傀儡政権だったー。
それゆえに巧妙なる市民派総理の看板を掲げ騙し戦術
・財界向けの法人税値下げ、
・大衆・民衆いじめの消費税の値上げ
3・11で脱原発へと変身するや、
真っ先に政経塾が「菅降ろし」に動いたのがそれだ。
暗愚の市民派総理は脱原発解散を出来ずに失速した、
というよりも東電原発の真実に驚愕、そこから敵前逃亡。
メルトダウンした核燃料、3号機東芝原子炉のプルトニウムの存在に打つ手はない。
これを処理できる科学など世界に存在しないっ!。
史上最大の原発核汚染という地球危機の局面で、松下は名を隠し改名で・パナソニック
松下財閥は火中の栗を拾って、リスクはありながらも
松下財閥にとっての悲願・夢は実現した、
一歩間違えば「国民生活第一」のグループもありもろに政治責任をかぶることになろう。
野田前原一派らの政経塾人脈ネットワークと豊富な選挙資金は、彼らの恥部。
それをいかに打ち消すか、が政経塾共通の戦略。
貧しさを演出するためのドジョウ。
泥臭く見せようというのだろうが、現在の農薬農政のもとでは、ドジョウは高級料理で庶民の口に届かない。
政経塾の司令塔であるPHP研究所の策士も偏差値教育ゆえ生態を知らずドジョウの日々変遷を御存じなかったのであろう。
自民党三分の一勢力の社会党総評政治ブロック
柔道世界の山下の里の東海大学学長の松前も
五島慶太に請われて武蔵工業大学=現東京都市大学学長八木式アンテナの八木 秀次も
宗教家ノーベル賞物理学者、出版言論知識人階級など等、驚くべき社会党政治家代議士達の層の深さ広さ
社会党政治グループは世界に誇る素敵なステータスだった
社会党解体に向けた逐次のシナリオ
米国秘密公文開示でCIA資金での第一次分裂民社党誕生。
宗教政党公明党の参議院誕生から衆議院進出
余りにも戦うべきウィングが広すぎた
その一つに
PHP研究所発行の雑誌もあったー
財閥系が思想改造をはじめだした
こりゃぁ強敵になるぞっ!
総理は初めて
松下幸之助翁が
小さな町工場から財閥にまで巨大化させるには、政治の力・官僚の力を必要とする。
悲しいが現実である。
世の中は悪しきマスコミによって、虚像が生まれる。
ただ、それだけのことである。
冷静・客観的に見れば、誰しもが理解出来る。
幸之助の最後の仕事が政党・政治家を誕生させ、政権を掌握することだった。
強欲資本家は背後に回って権力を操ることで、それを可能にする。
彼はそれを満足できなかった。自ら政府を牛耳るという野望に走った。
それが松下政経塾である。
それを彼は金力で実現しようとして70億円を投げ出した。彼にとって安い買いものである。ミニ幸之助の誕生である。彼ら政経塾生は、幸之助の70億円に支配されている。松下財閥の意向に反することは許されていない。
菅内閣もそうだったが、野田内閣はそれがストレートに官邸に飛んでくる。
マスコミは「海江田内閣だと小沢との二重権力が生まれる」といって批判してきたが、
マスコミもパナソニック広告でリモコンされている
むろん、ここが野田内閣最大の恥部である。
国民生活第一
反映されない民意 となろう
暴利に突進する財閥である。
彼ら集団は手段を選ばないという特性を有している。
官僚と政治家・政党を自在に動かせるからである。
40年以上も生活総てを賭けて生きてきたそこで体得したものでこれは事実での警告で大きい真実ある。
右顧左眄のない冷厳な事実である。
資本主義の恥部といってもいい。
政商が跋扈する社会。
彼らはマスコミを操ることも容易である。
法治を乗り越えることも可能だ。
無理な場合は、新たな法制に切り替えるだけ
圧倒多数の政治グループである。
野田内閣の内外政策は、政経塾・PHPから発信されるだろう。
財閥の意思が霞が関を経由、時には官邸に直行することになろう。
政調 会に権限手中前原誠司を据えた
清張デ思い出した、宰相論である
北の人に、知の仔細なる巨人が居られ
ブログで教えいただける
爺目世代は政治論は戸川 猪佐武だったモンだが
文庫本にも修まりアル清張の宰相論で解き明かしていただける
大久保利通、伊藤博文、山県有朋、西園寺公望、原敬、近衛文麿、吉田茂・・・
近代日本の政治家たちは、国家の将来を左右する岐路に直面したときに、
何を考えどういった判断をしたのか。
そしてそれがどういった結果をもたらしたのか
宰相論が解き明かす
アップが遅れたのはたったの一行のため
本を探し出来ぬゆえの苦悩の一冊
だめだなぁ記憶が飛んでいる
農民文学と言えば、星寛治、山下惣一。
星寛治は山形で米を作りながら詩を 書き、
山下惣一んは佐賀でみかんを作りながら小説や評論を書いた
二人の往復 書簡集「北の農民 南の農民」
いずれ触れたい大分の豆腐屋の季節も含めて。
大逆事件のDNAを残し引き継いだルイズを含めて。
ネットなき頃の時代は生ぬるかった。
出版の介在が必要であったゆえ。
創価学会と共産党が秘密の協定を結んでたことが暴露された
体質の似たる強権的二つの組織政党
其れを結んだ仲人、仲介人が松本清張。
いかに清張が人格者かを象徴している。
ものか書き、文人でこれ以上の巨人はなかろう
松本清張のライフワークの金字塔「昭和史発掘」
裏社会を仕切った 児玉誉士夫その後を継いだ宮崎・西都の人・
西山光喜も逝去昭和の裏面史は殆ど明らかにされてないも同然である。
黒岩重吾なりでサスペンスの楽しさを覚え
島田一男は推理小説界では松本清張に対する一方の雄として君臨している鬼才である。
その重厚なる物語の組立てとその物語を展開してゆくスピーディな語りぐちの巧さ...
清張9号には実業家と作家の二面の活躍の辻井喬の清張論があったー確か。
作品『お吟さま』は、千利休の娘の高山右近への愛と生き様
寛永寺における折々の偲ぶ会松本清張、陳舜臣、半村良も駆けつけている。
現代の松本清張たる横山秀夫は{半落ち
}など警察内部のいわゆるギョウカイ用語も駆使しえた作品群の映画化となっている。
小倉清張記念館館長さんはすべて清張を知っている
昭和史発掘はこの人が資料をそろえたからである
数多き
記憶の中で「ゼロの焦点」は新婚一週間で消息を絶ち赴任地の能登を訪ねる。 ...
日本には松本清張の於いて他ない。
戦後のGHQがらみの国鉄総裁さえ虐殺し犯人を国鉄組合員に蔽いかぶせたとした下山・三鷹・松川
連続不可解事件を紐解いてさえいるが邪魔者は消ッ! .....
わが西都都於郡山田地区に
は土地改良のツケを私財で背負って清算した村長・鬼塚源吾翁がいる。 ...
松本清張の親は宮崎西都市都於郡の人でアル。
??小倉だろー??
爺目世代は仲人も親ゆえ、その人のこと。
松本清張と宮崎
2007年9月29日
昭和14年頃、都於郡・光照寺は住職が無く困っていた。
六代祐国の菩提寺で供養塔もある。
小倉の日切地蔵院の住職であった今坂清通。
ご夫人は「つるゑ」小倉時代は裁縫の先生。
日切地蔵院の寺の広間を利用して若い娘さんを教えた。
魚売りの行商人がよくやってきた。
息子の嫁探しを兼ねていたのである。。
この頃松本清張は朝日新聞の小倉支局者見習。
父は魚の行商人。件の人である。
その人が内田直子さんを見初め世話することになった。
今坂夫妻が仲人の労をとった。
昭和57年5月17日住職は都於郡・光照寺で他界。
その翌年つるゑ夫人も他界。
文壇の重鎮に寸暇の時間もない。
松本清張より丁重なる香典が都於郡・光照寺に届いた。
都於郡・光照寺のお通や葬儀に集まった人々は
お和尚さんのお人柄御厚誼ぶりに驚くこと仕切り。
古来欠けねば両親は6名いた。
自分・妻・仲人親である。
ともに同じ扱いで生きたものだが今の時代は知らない。
自分の両親さえ親とも思わぬ風潮ゆえである。
小倉の松本清張記念館でも知れない逸話である。
松本清張は平成4年9月。に亡くなった。
九州に覇を競っていた伊東三位入道祐義のうた
旅は憂し 窓の月見る 今宵かな
牛窓風土物語。
「月もみつ またいかならむ 行く末の空」
元弘2年後醍醐天皇が隠岐に流さるるとき、摂津・今夜昆陽野・で詠んだ
行く末の 空知らぬとの 言の葉は
今身の上の 限りなりけり
ほかにも
以前アップしてる
・・・・・・
えひめ西条市浦山小この地域は約300人が住むが小学校は限界地域で存在している。
生徒数は6年,5年生がそれぞれ1人の計二人。
それも兄弟の姉妹。
給食服に着替えての学校給食。
先生ひとりの複式学級
パット目のひらめきの感想は日本人にありがちな平均思考の経済効率の壮大なる無駄。
バカジャ~ン。
浦山小のある地域全体はオオフキ地域で運動会は総出の獅子舞、伝統の踊りの待ちわびるイベント。
法橋真美恵果姉妹は「地域の山の宝だ!」
釜を使って化石燃料でないまきでのご飯作り。
風を吹きつけいわゆる火吹き竹一本が美味しきご飯作りの技の道具。
火吹き竹で火の調整、爺の世代の生活必需品
様々な学校行事
石鎚山の懐ゆえ冬は一面銀世界
神部小の生徒との交わりスキー教室
他校生徒はスキーがまるでダメ。
滑る技術を教える
8校合同の750人参加の音楽フエステバルの堂々の発表自然がいっぱいと誇りを持って述べる自信の顔。
「自然いっぱいの中、地域の人々の優しさにつつまれスクスク育ってます!」
里の秋を謳いあげる。
爺は泣いた。
せつなさと憂国の情と人生を振り替えさせられる老いと複雑なるしょっぱいナミだ。
統廃合しない地域の生活の心の拠り所生徒は地域に見守られて地域の人はヒトの成長を間近に見る
3月24日卒業式に両親とくに母親の弥生さんが地域の人々の中に光りある。
「40分」かけ4月中学校に気丈くひとり通う。
暴漢者はいないので山道をひとりで大丈夫。
転校生がひとりあり地域全体さえ存続されている。
グローバル経済の美名の元の田舎切り捨ての小泉竹中政治なら壮大なる無駄なるものはなかったろう。
NHK松山の努力に敬意を表する。
宮崎木城町の山間部の中の叉小学校は学校を閉じた。
町からの受け入れてた生徒もなくなり力尽きた。
気温30度の今日は平家の落人、山口瑠璃光寺建立記小説「見残しの塔」建立者出立、伊東三位入道逃走、西郷隆盛の西南戦争の薩摩軍敗走の九州山脈をつなぐ道「きりたち超え」のイベント。
爺の育った西都市都於郡山田分校は今だ存続している。
大河ドラマ天地人時代に重なる歴史を持つ。
この都於郡の伊東氏は薩摩の地域さえ支配した日向の中心地の居城の強大なる山城地帯
この地域はその中心であった都於郡城跡である。
好事家の歴史家は自分の持ち前の知識常識不足に驚くほどの規模の城域。
上杉の直江兼統の春日山城どころではない大規模さ。
西の城壁は断崖絶壁の自然の要塞。
東は山の頂上に関わらずの巨大池が堀や生活用水を果たしたんであろう今も現存する。
松本清張100年
かの人の仲人を務めた人はこの地域の寺の住職でもあった。
栄枯盛衰強者どもの夢のあと。
日本最初の訪欧使節は8年をかけローマに行きし総責任者の13歳の伊東マンショが出生したところで
長き年数ゆえ信長の後の天下人秀吉に謁見、臣下に誘われるも
宗教人に生きることで拒絶。
徳川時代の封建制にあわない神の前に平等ゆえ弾圧殉教で長崎に散る。
宗教と国家
財閥と国家
民衆と国家
3・11以降壮大なり実験に晒され始めたこの国
裸電球のほやのまぁるい先端に
マツダorナショナル
の文字が照らしてくれた。
これからは国家として照らしてくれるのか.
♪なんでもナッショォーナル♪
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花言葉は・・・・・・・・・・・・・・内気、柔和
白粉花、学名:Mirabilis jalapa)はオシロイバナ科。
農家住宅は籾を干したりの作業場なり、牛馬の運動場も兼ねており敷地は広い。
庭の端には育種強い草花が野生化咲いている。
オシロイバナは南アメリカ原産で江戸時代始め頃に渡来し、帰化したらいー。
寒さに弱く一年草だが根っこに芋状が残り多年草でもアル。
茎はよく枝分かれして灌木状となるが節がはっきりしていて、木質化はしない。
全体にみずみずしい緑。
同じ株で複数の色花は赤、黄色、白や絞り模様
花は夕方開き、芳香がある。
このため和名としては夕化粧。
花後の黒い種を石でたたいて割ると白い粉。
??なにか・・?
!!!!浮かんだっ!
遊びの天才の子供らー
鼻の先、ホッペに縫ってインディアンごっこ。
アラモの砦など映画の西部劇盛んな頃ー
頭に鶏頭の花、腰には食した庭鶏ナゾの羽ー
「アパッパパパパー・・・」
「コリャァーなんしょっとかー」
「ひとさまん・・笑われるよなコツするなー」
NHKラジオ深夜便、川野一宇アンカー教える今日の一句。
白粉花の どうにもならぬ ほど咲ける
久保ともを
JR両国駅歩いて直ぐに江戸東京博物館、墨田川べりには安田庭園、10分もすると横綱町。
墨田区横網二丁目3番地25号に着く.
浅草寺の御のぼりさん気分でのお参りでなく身が竦む思いで、お参りの横網町公園。
早乙女勝元著作集で教えいただいた、東京大空襲や関東大震災慰霊の東京都慰霊堂
2011年3・11を受けて以来で言うなら
1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災。
> マグニチュードは7.9。
で、家屋の全半壊25万戸以上、焼失家屋44万戸以上、
津波による流失家屋868戸、死傷者20万人以上、行方不明者4万人以上という甚大な被害を齎した。
ちょうど昼食準備の時間だったため、地震の後に大火災が発生
横網町公園は元陸軍被服廠があった場所。
この地にあった被服廠は大正8年に赤羽に移転し、その後公園予定地として更地になっていた。
1923年(大正12年)9月1日、大震災が起きると、この場所は多くの罹災者の避難場所。
多くの家財道具が持ち込まれ、立錐の余地もないほどであったが、
周囲からの火災が家財道具に燃え移り、また火災旋風が起こったため、
この地だけで推定東京市全体の死亡者の半数以上の3万8000人程度が死亡したとされる。
2011・9・1はあれから88年を経ている。
8月31日(水)午後10:00~午後10:45黒田アナの奇妙奇天烈な着物のNHKテレビ歴史秘話ヒストリア
地震の神様 命を守る闘い~関東大震災を予知した男 今村明恒。
大正12年の関東大震災を“予知”した東大助教授で地震学者だった今村明恒(あきつね、1870-1948)
直接の上司であった教授大森房吉(1868-1923)は今村学説の批判の急先鋒。
大森は、確たる証拠がない以上は無用な混乱を避けるべきだという。
今村は関東地震(1923年)や東南海地震(1944年、マグニチュード7.9)がいずれ襲って来ることを予想
、為政者や人々に防災の準備を説いた。
また地震予知の基礎になる観測網を展開することにも熱心だった。
そのために私財も投げうった。
しかし、いずれ大地震が来るという彼の警告には「世を騒がせるだけだ」という批判が巻き起こった。
世間から「ほら吹き」呼ばわりされながらも防災を訴え続けた苦闘のお話。
1923年に起こった関東大震災。
これを18年前に“予知”し、防災対策を訴えてた。
幼き頃の貸し本屋の少年向け雑誌キング等には必ず今村の挿絵で挿入ページが会ったものだ.
地震学者・今村明恒記事搭載なき雑誌は雑誌ではないっ!
教科書に小泉八雲=ハーンの稲むらがさきの作品、
和歌山の篤志家濱口梧陵の「広村堤防」 と 地震学者・今村明恒の「高台移住」
明治38(1905)年に、関東大地震が今後50年間で 発生する
関東大地震百年周期説・・・現在は否定されているとの論文を発表。
世間から“ほら吹き”呼ばわりされる今村が、“予知”が現実のものになるや一転、“地震の神様”
次なる大地震の予知と市民への啓発活動に情熱を燃やす今村に、満州事変やがて太平洋戦争
という大きな壁が立ちはだかる。
24時間地震計も大陸プレート、周期説
この人の打ちたてた学問的成果の上にものに今がアル。
濱口梧陵の「広村堤防」 と 地震学者・今村明恒の「高台移住」 6今村明恒(いまむらあきつね)は、明治38(1905)年に、関東大地震が今後50年間で 発生する(関東大地震百年周期説・・・現在は否定されている)との論文を発表。
午後10:00~午後10:45Nスペ5min「汚された大地で チェルノブイリ20年後の真実
3・11のフクシマが管直人内閣の隠蔽で大変なことがおころうとしている
放射性ヨウソからの甲状腺ガン
広島の開業医武市宣雄さんが出て内部被曝の話をしている所
チェルノブイリ原発事故に従事して、現地診療
牛乳、農作物摂取からの体内被曝
正しい情報で、治療も可能ゆえ放射能ヒバクシャも長生きできる
NHKスペシャルの5分ミニ番組。
詳しくは再放送ゆえコチラにアル
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65733586.html
政権交代した2年前の30日
野田95代総理が誕生した
行政を司る霞ヶ関官僚群の習性は面白いものだ
懸案が一変に動き出す
二日前でもすでにこうで、日経30日7面
・日本郵政の報告総務省が要求
宿泊施設「かんぽの宿」の売却に関して不適切に対応した問題で
9月末までに報告を求めると発表
不動産の売却時に透明性や公平を確保すると言う再発防止が柱
・土壌汚染を公表
・補償金支払いを東電公表
政治家の仕事は結果責任。6・2以来居座り、ボロボロに
三党合意成るものさえ呑まされた
「国民生活第一」を壊した管直人。
国家の品位アル輝ける未来の民主党マニュフェクト
・子供手当て
・高校までの無償化
・第一次産業への所得補償
・インフラ高速道路無償化
管直人が総理の座に居直り、
11年予算の裏付け赤字公債法案実現等を
退陣条件を掲げたたため、
民主党マニュフェクト4つは
三党合意で反故にされた
管直人の民主党破壊工作は酷いっ!
踏襲するを掲げて
総裁選を戦い勝利した
松下政経塾出自の野田住彦ー
政治家総理総裁国家指導者ー
その要諦は「信なかずば立たず」
管退陣論が渦巻く中の争闘から開放されたが傷跡は酷い
「居直り」
政治家でなく政治屋
居座ってきたは何故か。
そこに今の政治の真実がある。
総理のポストである、
そのことは国家とは何かを紐解くことになる。
国家の正体は暴力装置なる国家と革命の言葉を教条的に引用したくはない。
完結したイタリア在住の塩野七生の「ローマ人物語」
「国家にとって最大の責務は国民の安全を守ることである」
「それを支えたのはローマ市民の負託を受けた、軍事、政治の両面に責任を負っている皇帝である、」
日本に置き換えると
現場とは戦争リアリズムであり、皇帝とは尊敬される自衛隊で変貌する軍事力そのもの、その統率者。
それは誰?
日本はシビリアンコントロール=文民統制
と軍の制服組を政治家・行政システムが国家の象徴たる軍を抑えてることに国家システム上なっている。
民主党党首選結果総理選挙と見るが如く国民は参加できてないー
民主主義制度のカムフラージュ
泉下の松下幸之助が笑い転げているー
幸之助の投じた70億円の果実の野田政権
民主党マニュフェクトなぞ屁とも感じてない.
脱税資金との嫌疑もかかっている幸之助が用意した70億円、
遂に実ったのだから。
正真正銘・財閥が政権を掌握したのは、日本史上初めてのこと。
戦前の軍国主義の陰の主役が財閥だった。
しかし、正面に立つことはなかった。
そういえば準備済みでは会った
大手町の主役は、数年前から財閥出身者だ。
公共放送のNHKにも財界OBが君臨。
伝統の相撲界隈も乗っ取った.
異常・異様な政治体制といっていい。
自民党時代でも考えられないことだった。
ジャーナリスト本澤二郎の描く今後の「日本の風景」
そのシナリオとうりに推移して遺訓であろうか
今日9・1は防災の日である
永田町の政治災害たる防災の日との警告でもあるんだろうか
まぁこの国の国民はないがおきようと立ち上がらぬものなぁー
利ざとく計算尽くめの人生観詰めー
為政者は上手く其処を突いてくるー
菅直人内閣は財界が意図したクーデター政権で結果露払いたる松下の傀儡政権だったー。
それゆえに巧妙なる市民派総理の看板を掲げ騙し戦術
・財界向けの法人税値下げ、
・大衆・民衆いじめの消費税の値上げ
3・11で脱原発へと変身するや、
真っ先に政経塾が「菅降ろし」に動いたのがそれだ。
暗愚の市民派総理は脱原発解散を出来ずに失速した、
というよりも東電原発の真実に驚愕、そこから敵前逃亡。
メルトダウンした核燃料、3号機東芝原子炉のプルトニウムの存在に打つ手はない。
これを処理できる科学など世界に存在しないっ!。
史上最大の原発核汚染という地球危機の局面で、松下は名を隠し改名で・パナソニック
松下財閥は火中の栗を拾って、リスクはありながらも
松下財閥にとっての悲願・夢は実現した、
一歩間違えば「国民生活第一」のグループもありもろに政治責任をかぶることになろう。
野田前原一派らの政経塾人脈ネットワークと豊富な選挙資金は、彼らの恥部。
それをいかに打ち消すか、が政経塾共通の戦略。
貧しさを演出するためのドジョウ。
泥臭く見せようというのだろうが、現在の農薬農政のもとでは、ドジョウは高級料理で庶民の口に届かない。
政経塾の司令塔であるPHP研究所の策士も偏差値教育ゆえ生態を知らずドジョウの日々変遷を御存じなかったのであろう。
自民党三分の一勢力の社会党総評政治ブロック
柔道世界の山下の里の東海大学学長の松前も
五島慶太に請われて武蔵工業大学=現東京都市大学学長八木式アンテナの八木 秀次も
宗教家ノーベル賞物理学者、出版言論知識人階級など等、驚くべき社会党政治家代議士達の層の深さ広さ
社会党政治グループは世界に誇る素敵なステータスだった
社会党解体に向けた逐次のシナリオ
米国秘密公文開示でCIA資金での第一次分裂民社党誕生。
宗教政党公明党の参議院誕生から衆議院進出
余りにも戦うべきウィングが広すぎた
その一つに
PHP研究所発行の雑誌もあったー
財閥系が思想改造をはじめだした
こりゃぁ強敵になるぞっ!
総理は初めて
松下幸之助翁が
小さな町工場から財閥にまで巨大化させるには、政治の力・官僚の力を必要とする。
悲しいが現実である。
世の中は悪しきマスコミによって、虚像が生まれる。
ただ、それだけのことである。
冷静・客観的に見れば、誰しもが理解出来る。
幸之助の最後の仕事が政党・政治家を誕生させ、政権を掌握することだった。
強欲資本家は背後に回って権力を操ることで、それを可能にする。
彼はそれを満足できなかった。自ら政府を牛耳るという野望に走った。
それが松下政経塾である。
それを彼は金力で実現しようとして70億円を投げ出した。彼にとって安い買いものである。ミニ幸之助の誕生である。彼ら政経塾生は、幸之助の70億円に支配されている。松下財閥の意向に反することは許されていない。
菅内閣もそうだったが、野田内閣はそれがストレートに官邸に飛んでくる。
マスコミは「海江田内閣だと小沢との二重権力が生まれる」といって批判してきたが、
マスコミもパナソニック広告でリモコンされている
むろん、ここが野田内閣最大の恥部である。
国民生活第一
反映されない民意 となろう
暴利に突進する財閥である。
彼ら集団は手段を選ばないという特性を有している。
官僚と政治家・政党を自在に動かせるからである。
40年以上も生活総てを賭けて生きてきたそこで体得したものでこれは事実での警告で大きい真実ある。
右顧左眄のない冷厳な事実である。
資本主義の恥部といってもいい。
政商が跋扈する社会。
彼らはマスコミを操ることも容易である。
法治を乗り越えることも可能だ。
無理な場合は、新たな法制に切り替えるだけ
圧倒多数の政治グループである。
野田内閣の内外政策は、政経塾・PHPから発信されるだろう。
財閥の意思が霞が関を経由、時には官邸に直行することになろう。
政調 会に権限手中前原誠司を据えた
清張デ思い出した、宰相論である
北の人に、知の仔細なる巨人が居られ
ブログで教えいただける
爺目世代は政治論は戸川 猪佐武だったモンだが
文庫本にも修まりアル清張の宰相論で解き明かしていただける
大久保利通、伊藤博文、山県有朋、西園寺公望、原敬、近衛文麿、吉田茂・・・
近代日本の政治家たちは、国家の将来を左右する岐路に直面したときに、
何を考えどういった判断をしたのか。
そしてそれがどういった結果をもたらしたのか
宰相論が解き明かす
アップが遅れたのはたったの一行のため
本を探し出来ぬゆえの苦悩の一冊
だめだなぁ記憶が飛んでいる
農民文学と言えば、星寛治、山下惣一。
星寛治は山形で米を作りながら詩を 書き、
山下惣一んは佐賀でみかんを作りながら小説や評論を書いた
二人の往復 書簡集「北の農民 南の農民」
いずれ触れたい大分の豆腐屋の季節も含めて。
大逆事件のDNAを残し引き継いだルイズを含めて。
ネットなき頃の時代は生ぬるかった。
出版の介在が必要であったゆえ。
創価学会と共産党が秘密の協定を結んでたことが暴露された
体質の似たる強権的二つの組織政党
其れを結んだ仲人、仲介人が松本清張。
いかに清張が人格者かを象徴している。
ものか書き、文人でこれ以上の巨人はなかろう
松本清張のライフワークの金字塔「昭和史発掘」
裏社会を仕切った 児玉誉士夫その後を継いだ宮崎・西都の人・
西山光喜も逝去昭和の裏面史は殆ど明らかにされてないも同然である。
黒岩重吾なりでサスペンスの楽しさを覚え
島田一男は推理小説界では松本清張に対する一方の雄として君臨している鬼才である。
その重厚なる物語の組立てとその物語を展開してゆくスピーディな語りぐちの巧さ...
清張9号には実業家と作家の二面の活躍の辻井喬の清張論があったー確か。
作品『お吟さま』は、千利休の娘の高山右近への愛と生き様
寛永寺における折々の偲ぶ会松本清張、陳舜臣、半村良も駆けつけている。
現代の松本清張たる横山秀夫は{半落ち
}など警察内部のいわゆるギョウカイ用語も駆使しえた作品群の映画化となっている。
小倉清張記念館館長さんはすべて清張を知っている
昭和史発掘はこの人が資料をそろえたからである
数多き
記憶の中で「ゼロの焦点」は新婚一週間で消息を絶ち赴任地の能登を訪ねる。 ...
日本には松本清張の於いて他ない。
戦後のGHQがらみの国鉄総裁さえ虐殺し犯人を国鉄組合員に蔽いかぶせたとした下山・三鷹・松川
連続不可解事件を紐解いてさえいるが邪魔者は消ッ! .....
わが西都都於郡山田地区に
は土地改良のツケを私財で背負って清算した村長・鬼塚源吾翁がいる。 ...
松本清張の親は宮崎西都市都於郡の人でアル。
??小倉だろー??
爺目世代は仲人も親ゆえ、その人のこと。
松本清張と宮崎
2007年9月29日
昭和14年頃、都於郡・光照寺は住職が無く困っていた。
六代祐国の菩提寺で供養塔もある。
小倉の日切地蔵院の住職であった今坂清通。
ご夫人は「つるゑ」小倉時代は裁縫の先生。
日切地蔵院の寺の広間を利用して若い娘さんを教えた。
魚売りの行商人がよくやってきた。
息子の嫁探しを兼ねていたのである。。
この頃松本清張は朝日新聞の小倉支局者見習。
父は魚の行商人。件の人である。
その人が内田直子さんを見初め世話することになった。
今坂夫妻が仲人の労をとった。
昭和57年5月17日住職は都於郡・光照寺で他界。
その翌年つるゑ夫人も他界。
文壇の重鎮に寸暇の時間もない。
松本清張より丁重なる香典が都於郡・光照寺に届いた。
都於郡・光照寺のお通や葬儀に集まった人々は
お和尚さんのお人柄御厚誼ぶりに驚くこと仕切り。
古来欠けねば両親は6名いた。
自分・妻・仲人親である。
ともに同じ扱いで生きたものだが今の時代は知らない。
自分の両親さえ親とも思わぬ風潮ゆえである。
小倉の松本清張記念館でも知れない逸話である。
松本清張は平成4年9月。に亡くなった。
九州に覇を競っていた伊東三位入道祐義のうた
旅は憂し 窓の月見る 今宵かな
牛窓風土物語。
「月もみつ またいかならむ 行く末の空」
元弘2年後醍醐天皇が隠岐に流さるるとき、摂津・今夜昆陽野・で詠んだ
行く末の 空知らぬとの 言の葉は
今身の上の 限りなりけり
ほかにも
以前アップしてる
・・・・・・
えひめ西条市浦山小この地域は約300人が住むが小学校は限界地域で存在している。
生徒数は6年,5年生がそれぞれ1人の計二人。
それも兄弟の姉妹。
給食服に着替えての学校給食。
先生ひとりの複式学級
パット目のひらめきの感想は日本人にありがちな平均思考の経済効率の壮大なる無駄。
バカジャ~ン。
浦山小のある地域全体はオオフキ地域で運動会は総出の獅子舞、伝統の踊りの待ちわびるイベント。
法橋真美恵果姉妹は「地域の山の宝だ!」
釜を使って化石燃料でないまきでのご飯作り。
風を吹きつけいわゆる火吹き竹一本が美味しきご飯作りの技の道具。
火吹き竹で火の調整、爺の世代の生活必需品
様々な学校行事
石鎚山の懐ゆえ冬は一面銀世界
神部小の生徒との交わりスキー教室
他校生徒はスキーがまるでダメ。
滑る技術を教える
8校合同の750人参加の音楽フエステバルの堂々の発表自然がいっぱいと誇りを持って述べる自信の顔。
「自然いっぱいの中、地域の人々の優しさにつつまれスクスク育ってます!」
里の秋を謳いあげる。
爺は泣いた。
せつなさと憂国の情と人生を振り替えさせられる老いと複雑なるしょっぱいナミだ。
統廃合しない地域の生活の心の拠り所生徒は地域に見守られて地域の人はヒトの成長を間近に見る
3月24日卒業式に両親とくに母親の弥生さんが地域の人々の中に光りある。
「40分」かけ4月中学校に気丈くひとり通う。
暴漢者はいないので山道をひとりで大丈夫。
転校生がひとりあり地域全体さえ存続されている。
グローバル経済の美名の元の田舎切り捨ての小泉竹中政治なら壮大なる無駄なるものはなかったろう。
NHK松山の努力に敬意を表する。
宮崎木城町の山間部の中の叉小学校は学校を閉じた。
町からの受け入れてた生徒もなくなり力尽きた。
気温30度の今日は平家の落人、山口瑠璃光寺建立記小説「見残しの塔」建立者出立、伊東三位入道逃走、西郷隆盛の西南戦争の薩摩軍敗走の九州山脈をつなぐ道「きりたち超え」のイベント。
爺の育った西都市都於郡山田分校は今だ存続している。
大河ドラマ天地人時代に重なる歴史を持つ。
この都於郡の伊東氏は薩摩の地域さえ支配した日向の中心地の居城の強大なる山城地帯
この地域はその中心であった都於郡城跡である。
好事家の歴史家は自分の持ち前の知識常識不足に驚くほどの規模の城域。
上杉の直江兼統の春日山城どころではない大規模さ。
西の城壁は断崖絶壁の自然の要塞。
東は山の頂上に関わらずの巨大池が堀や生活用水を果たしたんであろう今も現存する。
松本清張100年
かの人の仲人を務めた人はこの地域の寺の住職でもあった。
栄枯盛衰強者どもの夢のあと。
日本最初の訪欧使節は8年をかけローマに行きし総責任者の13歳の伊東マンショが出生したところで
長き年数ゆえ信長の後の天下人秀吉に謁見、臣下に誘われるも
宗教人に生きることで拒絶。
徳川時代の封建制にあわない神の前に平等ゆえ弾圧殉教で長崎に散る。
宗教と国家
財閥と国家
民衆と国家
3・11以降壮大なり実験に晒され始めたこの国
裸電球のほやのまぁるい先端に
マツダorナショナル
の文字が照らしてくれた。
これからは国家として照らしてくれるのか.
♪なんでもナッショォーナル♪
九州ブログ 宮崎参加!
よろしくお願いいたします。
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