今日の誕生日の花は・・・・ウツボグサ
花ことばは・・・・・・・・協調性

靫草とは、シソ科。
名の由来は、円筒形の花穂が弓矢を入れる靫(うつぼ)に似ているゆえ。
東アジア温帯域に分布する多年生草本。
日当たりのよい山野の草地に群生する。
茎の断面が四角形で花穂に紫色の唇形花を密集して咲かせる。
写真はコチラ↓
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%A6%E3%83%84%E3%83%9C%E3%82%B0%E3%82%B5

花穂は夏枯草(カゴソウ)といい日本薬局方にある生薬。
主に中国、韓国で生産される。
この生薬には利尿、消炎作用があり、腫物、浮腫、腎臓炎、膀胱炎などに用いる。

 山里に こはまた誰を 呼子鳥
      独り住まんと 思ひしものを
                 西行


西行のへの共感から生まれたと解説される芭蕉の句

憂きわれを 寂しがらせよ 秋の寺
            芭蕉

芭蕉はそれをさらに極める
寂しさの窮極を求める心境句であり、元句を改案する
  憂き我をさびしがらせよ閑古鳥
西行の「呼子鳥」は「閑古鳥」であり、ともに郭公の異名であり、
「閑古鳥」は鳴く声の寂しさに重きを置いた名である。

 元禄二年(一六八九)四六歳の作である
句意

 晩秋の暮色に包まれて、この寺には沁み透るような寂しさが漂っている。
心に憂いを懐く自分はこの寂しさの中でさらに深く寂の境地に徹したい。
 「伊勢の国長島、大智院に信宿す」との前詞がある。

大智院は木曽川河口の近くにあり、曾良の伯父精秀法師の寺。
この句は後に推敲を重ね、
「秋の寺」から「閑古鳥」と変えることで秋から夏に季題が移っている。
句もまた鮮明になっている。
ところで、この寺は、三重県長島町の大智院。
『奥の細道』の旅を大垣で終え、伊勢神社遷宮に向かう途次、そこでこの句を詠んだ。
そうブログで教えいただいた.
さらに・・
句碑
左京区一乗寺才形町 金福寺

出典:福地桜痴著 佐々木潤之介校注「幕末政治家」(2003年、岩波文庫)、86頁
そこからの引用で詳しくはコチラのブログにある。
http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527/24691621.html

この金福寺の芭蕉庵も、時代とともに荒廃しますが、
安永の頃、与謝蕪村が再興。
芭蕉庵のそばに立っていると現代に似つかわしくない静けさに包まれ、
憂き心を抱えた芭蕉の心の静けさを求めて来られた気持ちが察せられるような気がしました。
ブログで吐露されてる
驚くことに歴史に唸らされる遺品の数々の紹介.
堂内には、蕪村の遺品とともに、井伊直弼、長野主膳、村山たか・・遺品が陳列・・・
  ここに、幸せに、3人が一緒にいるような気がしました。
そう申し添えられての、ありがたいお言葉

福地桜痴=源一郎(1841~1906)は長崎のひと。
幕臣、その後新聞の父とも称される(スンマセン字締め急遽の造語)ジャーナリスト。
1889年、千葉勝五郎とともに、現在建て替え予定の東京・歌舞伎座を開設。
他の著作に「幕府衰亡論」など。
「幕末政治家」では、とかく批判されがちな井伊直弼の開国政策について、
公平な評論を展開して
NHK大河ドラマ第一回の花の生涯を髣髴とさせる
  -----
伊掃部頭は実に幕府末路の政治家なり。
幕府内外困難の際に当りて、大老の重任を負い、以て幕閣の上に立ち、おのれが信ずる所を行い、おのれが是とする所をなしたり。
その行為の跡を察すれば、時勢に逆行し輿論に背反し、不測の禍害を徳川氏に与えて、その衰亡の命脈を促したりとの断案を受ること、
決して辞すべからざる所なりといえども、幕権を維持して異論を鎮圧し、
その強硬政略を実施するにおいては、敢為断行してさらに仮借する所なきがごとき、
決して尋常の政治家が企及し得べきにあらざるなり。 ~ 福地桜痴~
ーーーーー

憂き我をさびしがらせよ閑古鳥

長野鹿教湯温泉「斎藤ホテル」は今から400年前江戸初期の創業。
そのホテルの湯坂を下って、五台橋を渡る。
  五台橋
芭蕉の句碑。

憂き我をさびしがらせ閑古鳥

古い句碑なので、文字もよく読めない。
安政6年(1859年)、平井嵐窓建立。

一声はこだまにかへせ子規   嵐窓

平井嵐窓は宮本虎杖の門人。

長楽寺に虎杖の句碑を建てている。
石段を登ると、文殊堂がある。
文殊堂は日本三文殊の1つに数えられているらしー。
国宝ではないが長野県宝

「さびしさなくば憂からまし」
と西上人のよみ侍るは:長嘯隠士『山家集』の歌、
「とふ人も思ひ絶えたる山里のさびしさなくば住み憂からまし」
を指す。
「山里にこは又誰をよぶこ鳥獨すまむとおもひしものを」も『山家集』の歌。
長嘯隠士:<ちょうしょういんじ>と読む。
木下長嘯子。江戸初期の歌人。家集に『挙白集』がある。


NHKラジオ深夜便川野一宇アンカー教えるきょうの一句

憂き我を さびしがらせよ 閑古鳥
            芭蕉


16日早朝3時からの月食劇場は見えずじまい。
天まかせの天体ショーはいつも
風任せ、雲まかせ、結果。なみだ雨。
加えて16日日向路の空模様は異変
ゴロン様が稲光を従えて、お怒りの形相で豊作のお告げでござる.
村人こぞりて鎮守様の社内の屋根つき御前でひたすらひれ伏すー
雷様の落ちる田畑ほど、豊作にアルは事実.

カラッと晴れるから不思議

所詮そんなもの.
15日22時法然800年、親鸞750年の大供養
知恩院に全国から驚くべき信徒が祈ってる
知恩院というと都於郡の黒貫寺の本院ではないか。
知積院だったか?
アレ?

6月15日午後10:00~午後10:45
鎌倉新仏教を代表する師弟、法然と親鸞。
苦しく救われない庶民に、画期的な希望を与えた法然。

人はどう生きるのか、模索し続けた親鸞。
日本人の意識を変えた探究の旅路。
苦しみが続く平安時代末期の京都。
法然は「救われない」と見放された庶民に“常識をひっくり返す画期的な思想”で、希望を与えた。
南無阿弥陀仏

そして親鸞は、関東を舞台に師の教えを広めながらも、
独自の道を歩み、「人はどう生きるのか」という現代にも通じる命題を模索し続ける。

2011年は法然800回忌、親鸞750回忌の節目。
日本人の意識を大きく変えた2人の探究を、分かりやすく番組は紹介した。
ブログでも教えていただける.「一枚起請文」

念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法を能能学すとも、一文不知の愚とんの身になして、
尼入道の無ちのともがら同して、ちしゃのふるまいをせずして、只一かうに念仏すべし。
ーーーー
念仏を信じる人は、たとえ一生かけて学ぶ物事をよく理解していたとしても、
全く何も知らない、わからない人と同じように、
知者のふるまいをせずに、
ただただ一身に念仏せよ。
己を飾らず、無知の者と自覚して振る舞うことが大切である。
ーーーー
法然の弟子の親鸞は

すべての教えは
自分ひとりのためのものであった
と悟った。

一人一人が

自分の苦難と
どのように
対峙していくか

人がどうのこうの
一般的にはどうのこうの

日本では
アメリカでは

どうのこうの
ではなく

自分の苦難と試練を
どのように
とらえ

どのように生きていくか

まさに
人の問題ではなく
自分のことである。

神様を信じ、
救い主を信じているなら

祈りなさい。

すべてのことについて
神様と相談しなさい。

彼がどう思うと、それは彼の思いである。
あんたはどう思うか。
それが、境地なのである。

彼はその境地であり、
我はこの境地なり。

まだまだの境地から
日々精進していくのである


東電原発問題は国民の知的階層は基幹エネルギー問題に収斂しつつあり、
国家とはなにかに先鋭部分はたどりつつアル。
 12日田中優宮崎公演があった
   原発なき生活
10年前から啓発、爺目は実践しており、なにお、いまさら
チャンチャラオカシ

国家の正体は究極の大問題のときに
しばし表面化する

尖閣地下資源狙いの昨年中国漁船の領海侵犯
仙石は拿捕テーウを隠しの指示。
公表した該当海上保安庁取締りの公務員の罷免
お茶濁しー
チラッと国家の問題が出て隠された.
歴史を紐解けば解ること

とりわけ大航海時代以降
世界はまさに「力」が支配していた時代。
「力」の強い欧米列強は、「力」を持たない黄色人種や黒人を支配し収奪し、
或いは国家ごと植民地として支配下に置いていた、そういう時代。

植民地支配された有色人種には、人権ナゾありえない。
殺されても収奪されても文句をいえない。
鎖国制度の裏にも人身売買の南蛮船渡来の秘密があった
学校では教えない男女差別何処ではない
それ以前たる女の物たる物品、絡ませた宗教の布教の裏面。
統一教会・創価・麻薬密売と構図は同じ。
北より帰国の蓮見の兄は東電社員で拉致運動の経費の東電負担。
カラクリはいつの時代もベールに包まれてて変わらない.
そしてその頃のその本質は・・
植民地からの奪うことが、欧米列強の「富」の源泉であり、
彼らの「力」をますます強大なものとしていた。そういう時代。
ーーーー
15日~16日1;00~2:00にかけてのラジオ深夜便、川野一宇
▽歴史に親しむ                      
  「銀と銀器の歴史」                   
英国骨董銀器専門店店主…大原千晴 
欧州文化の庶民生活にさえ根付いたものー           
産まれた子には銀のスプーンを
と庶民にさえ慣習が残された、ステータスの銀の家具類
ベルサイユその後のナポレオンからして宮廷政治のフランスにあるべきがロココ調の銀と銀器
フランス革命で一散。
国家の大改革なき英国に職人ごと移った.
新教徒の中に銀細工職人がいたことにもアル
ギルド職能階級厳しき英国にさえ組み込まれていく高度技術が浸透淘汰で消えた故でもアル。
今でも公爵、伯爵家が残り、女王様が支配する国英国ならではのこと.         
ーーーーーー
軍事的領土争奪の世界が横行ー
そんな中で、明治維新後、国力を増した日本は、
明治38(1905)年、日本海海戦において、世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を撃破ー。
これはどういうことを意味するか
世界の真実構造たる白人社会に、黄色人種としては唯一、
世界の三大強国の仲間入りをすることになったということー。
つまり、世界の三大強国は、
日、英、米の三カ国。
これは日本は、有色人種唯一の、白人支配に対抗できる強国として、
世界の期待を一身に担う国家となったということー。

三陸大惨事を予見するが如くの著作の吉村昭
その著作に宮崎の英傑・小村寿太郎全権の交渉苦悩の記しがアル。
「ポーツマスの旗・上下」吉村昭
ココに描かれてる実際には、日露戦争は辛勝であり、戦争に勝利したとはいっても
ロシアからの賠償金はもらえず、
国家財政は極めて厳しい状況に置かれていた。

今日揉めてる北方領土の根本で、アリューシャン列島は棚上げしといても
北方四島は日本固有の近代的事実である.

インドからシャム、ビルマ、中国アジアの総ての国の、白人支配に苦しめられている国々からみたら、
日本は、まさに夢のような武士の魂で支配された憧れの優等国であった。
ガンジーも蒋介石も毛沢東も李登輝も皆、輝ける目標たる日本から精神的影響をうけた
しかもその日本は、世界最強の今のアメリカの支配者の如くの覇権国で
植民地支配国家である大英帝国と同盟関係にあった。

世界から見れば、世界第一位の強国と、それに並ぶ強国の2カ国が同盟関係にあったことになる。
これは、爺目ら団塊の世代の世界観のアメリカとソ連の冷戦時代
いまそのドル経済で世界支配者のアメリカとの同盟国状況。
ただそのドル経済圏もEU経済圏なりが離れゆき、凋落化にあり、
ドル紙幣さえ消えゆく

アメリカの全世界への借金は
50兆ドルを超えているらしい。
日本円では4000兆円。

世界一豊かなアメリカ人の生活の実態は、実は借金漬けの生活だった。
このアメリカの借金は利息だけで
毎年2.5兆ドル=160兆円以上、
どう考えても返済不可能。
今世界はそんないい加減な国の貨幣を基軸通貨として自由貿易経済が
行われている。
ですから、遅かれ早かれ基軸通貨ドルは
デフォルトせざるを得ない。
米国は8・2を控えている

詳しくは15日
「一定のメドがつくまで」にアップ済み。

この日英同盟に勝てる国は、
世界広しといえども、どこにもない。
ただ、日本おそるに足らずと見た米国は、
1922年(大正11)米国は軍縮会議開催を呼びかける。
日、英、米の保有艦の総排水比率を、3:5:5とするー。

しかもこの会議に出席した日本政府の宮崎の人・財部彪代表は、
これで軍事予算を軽減でき
国内財政の安定とみる
加えて世界が軍縮に向かったとみた。
ただ統帥権干犯と政治が混乱した
詳しく放映されたー
6月7日(火)NHK教育さかのぼり日本史 昭和~明治 
挫折した政党政治 第1回「自壊する二大政党」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2011-06-07&c...

五・一五事件によって終わりを遂げた戦前の政党政治。
なぜ挫折を余儀なくされたのか?
御厨貴教授と共に昭和初期から明治後期までさかのぼって考える。全4回

1932年、海軍青年将校による犬養首相暗殺(五・一五事件)。
これにより戦前の政党内閣の歴史に終止符が打たれた。

軍部台頭の背景にあるのは、二大政党間の激しい抗争だった。
1924年以降、政友会と憲政会(後の民政党)の二大政党
が交代で内閣を組織するようになると、政権争奪戦が激化。
両党は常に政権党のスキャンダルを暴くなどの攻撃に終始し、
ついには、軍部をも利用するようになっていった。
http://www.nhk.or.jp/sakanobori/schedule/index.html

これも幕末の開国前の出来事がダブル。
井伊直弼が日米和親条約を締結
その結果、日本の金GOLDが大量に米国に流出
、日本から金GOLDがなくなってしまったのと同じ構図
これには国家の統治の象徴たる天皇制が背景にアル。
天皇の勅許を待たずの井伊直弼の独断。で
政府の勝手な軍縮条約批准に、これは陛下の統帥権を干犯した大問題である
、との抗議運動が起こって内政の大混乱ー

世界では、日本がこの条約を飲むやいなや、
翌年8月には日英同盟が失効。
変わって米英が同盟国ー。

つまり、世界の三強国、日、英、米は、
それまでの、
※=(日5+英5)VS、米5=

という関係だったものが、一夜にして、

※=日3、VS(英5+米5)=
軍事バランスの極度の変更。
結果がわかりながら中国大陸との戦争、アジア諸国へのインドまで含めた戦線拡大
加えてアメリカとの戦争開始の太平洋戦争と
二つの戦争へと戦線拡大ー

その結果後に爺目ら団塊の世代が生まれる
灰燼に帰して
生命の基本の食物から、家、衣服何一つない状況からの国づくりー

大惨事の北陸の今の状態と同じである.
爺目が戦争に負けた、核兵器の投下に負けての国づくりを
3・11以来アップしてきたとうりである。

それ以前が歴史にアル。

菅直人の言う平成の開国の元になる事の先例ー。
   =明治維新=

これまでで・・一番近き時期で知れ渡ってるは
明治維新は何故おきえたかー
これに尽きる.
無学たろうとも、学を納めた右脳左脳専門所有者も等しくその基礎的知識を有する
この爺目が典型的例示人である。
誰しもが世界に誇る経済的分析的立場で俯瞰できる事が有セル国民になった.
例えば、明治維新の
一番は圧倒的な軍事力、鎖国270年で立ち遅れたか。
加えるば近代化という機械化導入による萌芽的な大量生産大量消費の資本主義的生産システムの国家制度的導入.
二つにその生産システムの首謀者、政治的持ち主はその当時世界を席捲してる国々なのか自国民なのか.

実は世界で一番研究が進んだ国がこの国であった.
日本資本主義論争とは、1933年頃から1937年頃まで行われたマルクス主義者の論争のこと。
広義には1927年頃から1932年頃まで日本共産党と労農派の間で行われた日本民主革命論争を含めてのことである。
日本の資本主義の性格について、講座派と労農派の間で激しく論戦が交わされた。

このブログでは何度も紹介してきたこと.
明日でも再度まとめアップしたい
服部 之総(はっとり しそう、明治34年(1901年)- 昭和31年(1956年)3月4日)は島根浜田市金城町のひと
東大では志賀義雄、大宅壮一らと東大新人会を形成
その社会学科を経て法政大学社会学部教授、中央公論でポストを経て仕切った
『日本資本主義発達史講座』へは歴史学者の論文をよせた。
岩波のこの「講座」は1932年5月から1933年8月に刊行された。
これを機に雑誌『労農』に結集する学者が批判をした.
「封建論争」「地代論争」「新地主論争」「マニュファクチュア論争」・・
一連の著作をほぼ収集した
宮崎一で県立図書館にもない体系性をもつ自信がある
講座派系は大手取り分け岩波にまとまってる部分が多いので30~40年前の爺目でなくとも
いまでさえ大塚久雄学派含めて容易に集まる.広義の宇野弘蔵学派も含めて。
派生したその弟子の学究の徒鎌倉考夫も含め。
下関の共産党左派で意気揚揚のところから鎌倉考夫近著がでてるのには驚いたが。

困ったのは「労農」派で雑誌「太陽」とかどうしようもない.
有り難い事にそれらに関して社会主義協会で復刻本がでた。
余談である
ただ、古書通信など愛読者の古書価ファンはガックリー
神田古書店数万円で入手した
論争の基本本たる向坂逸郎著 『日本資本主義の諸問題』育生社刊が協会復刻で2千幾らとの落価。
小島恒久師の解説つきだから格闘もホドほどでよく理解が容易い。

労農派の土屋喬雄の著作を蔵書しておりその地代論に寄せてを精通したが
服部 之総はこの土屋喬雄と格闘した

日本資本主義論争は日本共産党の32年テーゼに基づいた『講座』結集により
講座派と呼ばれ、
野呂栄太郎「日本資本主義発達史」などにより、資本主義の前近代性を明らかにし、二段階革命論を唱えた。
このことは、コミンテルンの27年テーゼ、32年テーゼの位置付けにおいても重要な役割を果たした。

これに対し、労農派が批判を加え、議論は農業問題などに深化していった。

1936年の「コム・アカデミー事件」で講座派が壊滅状態になり、
ついで1937年から38年の人民戦線事件で労農派が一斉検挙を受けると、
議論も不可能となり、論争は終焉を迎えた。

第三者的立場も含めて以下の書で概要がつかめる

○山田盛太郎 『日本資本主義分析』 岩波書店、1934年 岩波文庫、1977年ほか
論争の焦点のひとつとなった講座派経済学者の主著。
△向坂逸郎 『日本資本主義の諸問題』 育生社、1937年 社会主義協会出版局、1976年ほか
労農派の立場を代表する著作。 
○小山弘健(編) 『日本資本主義論争史』(上・下) 青木文庫、1953年
講座派の立場に立ったものであるが、戦前・戦後を網羅した通史として評価は高い。
△小島恒久『日本資本主義論争史』 ありえす書房 1976年
労農派の立場から論争史をまとめたもの。戦後の構造改革論争までを概観。
○△長岡新吉 『日本資本主義論争の群像』 ミネルヴァ書房、1984年
論争の展開を追うだけでなく、論争に参加した人物のエピソードや当時の社会的背景にも言及した「論争の社会史」とも言うべき著作。

○△青木孝平(編) 『天皇制国家の透視;日本資本主義論争I』 〈「思想の海へ[解放と変革]」第29巻〉 社会評論社、1990年
○△河西勝(編) 『世界農業問題の構造化;日本資本主義論争II』 〈同上第30巻〉 社会評論社、1990年
論争のアンソロジーとしては比較的新しいものの1つ。Iでは国家論を、IIでは地代論を中心に扱う。

さてこれが前置きだからそれも一夜漬けで続けられるから
爺目ブログは疲れる

ここでいうアカディミックな服部 之総
この人が大きな影響を与えたのが
国民作家と大の仲良しだった吉川英治。

この人は実に苦労した.
国民文学作家はただ作品が愛されたのでなく太閤秀吉なり、今太閤といわれた田中角栄を愛するが如くの
成功者出世への御めでたさと羨望がアルと爺目は見ている

吉川 英治(1892年(明治25年)8月11日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は神奈川のひと。
浅草の象眼職人の下で働いたり、大陸に渡り大連へ行き、貧困からの脱出をめざしが叶わず
苦労して様々な職についたのち作家活動に入り。
それが何故
大成功を収めたか.
ひとえに
=服部之総と交友を結ぶ=
そのことでの知識欲にアルとみてる

『鳴門秘帖』(なるとひちょう)は、吉川英治の長編小説。
1926年8月11日から翌年10月14日まで、「大阪毎日新聞」に連載。

中里介山『大菩薩峠』、白井喬二『富士に立つ影』と並ぶ、大衆文学を開拓した作品で、
伝奇小説黎明期の傑作である。

あらすじ
江戸時代中期、幕府打倒の陰謀が発覚した。
幕府は、黒幕を阿波の徳島藩主たる蜂須賀重喜とにらみ、甲賀の隠密世阿弥を潜伏させる。
しかしそれから10年、世阿弥は行方が知れず、その仲間の中には真実を知るために阿波潜入を試みる者たちがいた。
虚無僧姿に身を包む隠密・法月弦之丞(のりづきげんのじょう)もその一人。

鳴門秘帖は吉川英治の出世作で元ネタは
司馬江漢=浮世絵師の鈴木春重
の随筆『春波桜筆記』にヒントを得た作品
世事稀なる記述、鹿の生血は至りて肉を養う良薬と身近なものを世間の公言。
流石に銅版画西洋画さえ治めてた最高の知識人
新聞連載の鳴門秘帖の挿絵は岩田專太郎

女優の花の一つの森光子この人も出ている
母方の祖父が名優嵐寛寿郎の父・高橋栄之助。
嵐寛寿郎が伯父とあるが本人は
「嵐寛寿郎はイトコ」と発言シテいる。
複雑な事情があるらしい

それが民主党分裂劇の総てのシナリオを書いてる仙石由人にダブル。
共同戦線党民主党はトロイカ体制の小沢・鳩山・菅主導で
政権交代を果たした
日本中国米国三角均等外交
東アジア経済圏構想を掲げた
ところが宗主国アメリカがこれに激怒
執拗に小沢・鳩山体制に攻撃を加えた.
戦後占領期より送り込まれ温存されてる特捜部司法権を行使
小沢・鳩山を瓦解させた.
保守の出自の小沢・鳩山でさえあれだー

執拗に冷静に見てた菅仙石は自らの出自の左翼性から
小泉純一郎の売国奴が
政権長続きのエッセンスである事に漬け込んだー
あらんことか
政権交代の立役者小沢・鳩山を司直に売り渡した.

吉川英治の鳴門秘帖ー
菅や鳩山は読んでいない
仙石は読んでいる
人柄からヨンデ勝手に決め付ける

毎日文化人英憲は流石である
ブログからして確実に読んでいる
鳴門秘帖ー
阿波屋由兵衛は、「阿波商人のDNAを受け継いでいる」というのが自慢のタネで、悪徳商人にして陰謀家である。
その阿波屋由兵衛が取り仕切ろうとしているのが、北沢俊美防衛相の言う「ネズミの運動会」
どうもそれが次第に加熱してきている。

 阿波屋由兵衛は生来の「賑やかし屋」、
東大闘争にも加わり、賑やかに動き回っていた。
だが、阿波徳島・蜂須賀家は、吉川英治の長編時代小説「鳴門秘帖」からも窺われる如く、陰謀家輩出の伝統がある。
やはり陰謀好きである京の公家・麻呂たちと組み、倒幕を企ててきた歴史がある。

いままた、京の前小路誠麻呂と組んで、政権乗っ取りを企てて、菅治世を「賑やかし」ている。
その成算は、ほぼ絶望的なのは衆目の一致するところだが、
何しろ、これは「病の一種」であるから、血の騒ぎは、止められない。
還暦を過ぎているというのに、痩せた老骨に鞭を打って、「ちょろちょろ」と騒ぎまくっている。

ゲーテの長編戯曲「ファウスト」がダブルー
、阿波屋由兵衛は、悪魔メフィストフェレス(若返りたい老学者ファウストから魂をもらう契約を結ぶ)に似ていなくもない。
悪を仕掛けて、その意図に反して結果的に善をなしてしまう。

いま阿波屋由兵衛は、「脱トロイカ」を叫び、「菅直人首相+鳩山由紀夫前首相+小沢一郎元代表」
をついでに「プラス1」の輿石東参院議員会長までそっくり、
ひとまとめにして、
民主党から放り出そうと企んでいる。

この阿波屋由兵衛は、「脱小沢」から始まり、「脱菅」さらには、
「脱トロイカ+1」へと、どこまで行っても「排除の論理」政治家なのだ。

ちなみに、古きよき時代の自民党では、巨大政党になっても、「排除の論理」など低級な政治手法は用いなかった。
阿波屋由兵衛は、味方まで粛清して憚らない左翼の習性をどこまでも持ち続けている哀れなる人間なのである。

阿波屋由兵衛もまた、悪を仕掛けて、その意図に反して結果的に善をなしてしまう。
大豆から得た豆乳を豆腐に変える凝固剤「苦汁(ニガリ)」のように、「脱トロイカ+1」の再結束を促すことになる。

 それまでの間、「ネズミの運動会」は、ますます盛んになり、
菅直人総理から離反し、
菅政権の支持勢力は、分解の一途をたどる。

このなかで、政権中枢にいた「前原・枝野派の凌雲会」=仙谷由人会長=阿波屋由兵衛の離反が最も際立つ。

すでに前原誠司前外相と枝野幸男官房長官、仙谷由人官房副長官の3人組は、
菅直人総理の「早期退陣」を公言している。

だが、小沢一郎は、孤立を深めている菅直人総理と「前原・枝野派の凌雲会」=仙谷由人会長の3人組との離反、
亀裂に「クサビ」を打とうとしている。

「脱トロイカ+1」は、民主党内最大勢力であるから、
阿波屋由兵衛の策動などは、
「ちょろちょろしている」としか、目に映っていない。

 現在の「政治状況」の混乱の元凶は、ひとえに民主党が参院で106議席を保有していながら、
過半数121議席に「15議席」不足していることにある。
これを埋めるには、公明党の「19議席」は魅力的である。
「大連立」など面倒なことを考える必要は、毛ほどもなかったのだ。

そこで、小沢一郎は、自民党時代からの公明党・創価学会との深い人脈フルに活かして、
自民党と公明党との間にクサビを打ち、離間されて、まとめて取り込む工作を水面下で進めている。
「お騒がせ屋」である阿波屋由兵衛による「ネズミの運動会」によるお祭り騒ぎは、
その目くらまし、つまり煙幕として役立っている。

鳴門秘帖ー
阿波屋由兵衛はいずれ立ち去ることになる.
そうでないと国民作家は成り立たなかったはずだ.

15日NHK22時
NHKスペシャルの5分ミニ番組。
今回のテーマは「マネー資本主義 第1回 “暴走”はなぜ止められなかったのか」
拡大する新自由主義の週末の赤字住宅債権組み合わせのモゲージ債。
リーマンは一挙に業界4位から華やかにトップにつく
ガラスのトップ。
一部で借りた住宅資金を返せなくなると
それが連鎖一挙に想定外のありえないことが起きた
世界の国々がとりわけドル経済圏が傷ついた
唯一の覇権国アメリカはその地位が揺らいだ.
さらに深化、8・2の期限付きで崩壊寸前にアル

その国に追従は危ういー

野田財務相、特例公債法案と引き換え辞任も
6.15 http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110615/fnc11061513450011-n1.htm
 野田佳彦財務相は15日午前の衆院財務金融委員会
、今年度予算の執行に必要な国債発行を認める特例公債法案について、
「もし私が首を差し出してそれがなるなら、そうしてもいい」
と述べ、成立と引き換えに辞任も辞さない考えを示した。


野田財務相側に50万円 脱税容疑の社長が企業献金 -
47NEWS http://t.co/pNMta39
野田が次期首相候補の筆頭と報道されはじめたタイミングでこのリーク。仕掛けたのは誰だろうか
復興基本法案が成立したら、野党は、参議院に総理問責決議案をぶつけてくる。
勿論成立します。(笑)


野田「辞任」発言
思惑は 孤立する仙谷氏 首相は意気揚々にピースサイン
6.16
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110616/plc11061601310002-n1.htm

野田財務相、特例公債法案との引き換え辞任を明言
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110615/plc11061523050017-n1.htm
藤井氏「野田財務相は守りを知っている」と評価6.11

12日早朝6時 藤井裕久首相補佐官VS京都の何処かの大学の浜矩子対談
TBSの報道番組「時事放談」収録は前日11日午前。
菅直人総理退陣後の後継民主党代表候補に浮上した野田佳彦財務相について
「民主党の一つの欠点は攻めはうまいが守りが下手なことだ。野田氏は守りを知っている」と述べた。
 「人間として一番大事なことは背骨がしっかりしていることだ。野田氏はしっかりしている」
とも評価したが、総理としての資質については
「まだなんとも言えない」と言及を避けた。
 一方、小沢一郎元代表をめぐる民主党内の対立構図には
「もうやめいく時期に入っている」と指摘した。
知れた鳩山家の番頭というより執事。
つまり鳩山由紀夫の代弁者
小沢一郎にエールを送ってた人らのメッセージである。

亀井代表が大幅延長評価 自民反対には酷評
6.15 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110615/stt11061516580012-n1.htm
亀井静香15日の議員総会で岡田克也幹事長が今国会会期の大幅延長方針を表明したことについて
「国会は開いておき、東日本大震災対策で二の矢、三の矢を状況に応じて放つのが政治のあるべき姿だ」
と評価した。
 一方で、会期延長を主張していた自民党が反対に転じたことに関しては
「野党になると本当にぼける。こんな党は無視だ。蹴散らせばいい」
と酷評した。

辞任を匂わせた菅直人内閣
  6・15
   内閣改造を示唆

う~~~ん
国民的小説にシナリオは存在しない


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