今日の誕生日の花は・・・ミツマタ
花ことばは・・・壮健


沈丁花科ミツマタ属 。中国原産
日本に渡来したのは室町時代後半と考えられている。
コウゾやガンピとともに和紙の原料
ガンピと異なって栽培が容易なので、山里の空き地などに植えられている。
慶長3年(1598年)に徳川家康から伊豆国修善寺村の紙漉工に和紙原料として三椏を伐採することを認めたとする文書が存在する。
甲斐や駿河で三椏を使った和紙(駿河半紙)が本格的に作られて、天明3年(1783年)には駿河で三椏の栽培が開始されたとされている
現在の静岡県富士宮市に記念碑が建立されている。
明治に入ると、大蔵省紙幣寮において紙幣用の局紙(透かしを入れやすい紙であることが求められた)が三椏を原料に開発されて以後、繊細で光沢のある平滑な紙として広く用いられるようになった。
墨・インクの両方との相性もよく、明治中期以後は海外への輸出品としても出荷されていた。

三村純也(昭和28年、)は大阪の人。
大阪芸術大学教授。
下村非文、清崎俊郎、稲畑汀子に師事。山茶花主宰。
三椏の 花三叉の 枝の先 
         三村純也

「たった1個のクリックだろー」
そうではないッ!
そのマウス・クリックが楽しみで日々書いている
なによりもの証拠にブログにアップしましょうと約束。

20日のことー
お呼び出しを受け、テレビ三昧。
「敦煌」をCSテレビで観る。
ソファーに毛布掛けの視聴で横に成ってたらついウッッツラ、ウツラ。
それを証拠に・・
会話のいったんが怪しい。
若かりし頃の西田敏行、佐藤浩市・・・。
会話がおぼつかない。
佐藤浩市について鈴木建設スーさんまでは出ても父君タル三国連太郎の名がでない.

お昼は若草通り一個90円の回転饅頭店の隣のラーメン屋さんで御相伴にあやかる。
その店に行く以前の途中のことー

驚いたのはエレベーターの途中の会話
映画論に詳しいとは知らなかったー
それも奇怪なことが生じたー

△「あんたなぁ~蟹工船の映画見た?」
○「ウッッッッー・・蟹工船の映画?・・山本薩夫監督にはないしー・・」
○「うんにゃぁー知らん?そんな映画あっとー」
△「全編後編・・モノクロ・・銀幕版・・」」
○「ところであんた・・・神がかり・・・」
△「なんでぇー」
○「実はアップするのは漏れたが今日は蟹工船の小林多喜二の虐殺された日」
○「わが日向の若山牧水も御通夜に立ち会っている」
△「エエッ!今日が命日なぁー」
まさに神がかり現象ー。

それ以前の番組もそうー
よくぞ偶然に放送されたものだ
食入って観てたー

実は角川春樹の今日の一句から20日にアップしようとしてたこと。
ブログ記事が見つからないゆえ日経記事のことふくめてアップできないでいたら
小林多喜二の命日記事もアップしように飛んでた。

それも菅直人のいい加減さの居直りはテレビ番組で潔さの極めの
時代劇番組がホトンド消えてるテレビ事情。
それゆえ国民自身さえ意識変化があるのではと
中近東の国家の将来を思っての独裁に対しての国家転覆行動が
若者ののみの手で為されてることのこの国との我比で観てた。

菅政権には政治家たる職業の厳しさの
憲政の常道
なるものはないんだろー
武士道の潔さは微塵もない。
いくら選挙に負けようとお構いなし。
まっとうがとおる人の世も終わりー
笑わせてくれる。

瀧本美織号泣…NHK「てっぱん」撮影終了
テレビの影響は大きいと結ブつもりでいた

19日ブログ記事にあったこと。
 
 NHK連続テレビ小説「てっぱん」(月―土、前8・00)が18日、
大阪放送局での収録でクランクアップした。
泣きの写真がホホエマシー。
「てっぱん」の撮影を終了し、花束を手にするヒロイン滝本美織と祖母役の富司純子

 お好み焼き店を切り盛りするヒロイン・あかりを演じた女優の瀧本美織(19)は、
収録後のセレモニーで感極まり、「泣いてません!」と言いながら号泣。
「(涙を)我慢しようと思っていたけど、やっぱり泣いちゃいました」
「支えていただき、ありがとうございました」とあいさつした。
 また、共演の安田成美(44)、遠藤憲一(49)らが見守る中、
約9カ月の撮影を乗り切った祖母役の富司純子・・・・

次回作は現代劇にしよう・・・としたが戦後を舞台にしたものー
幅広き視聴者がいるゆえの苦悩が和からづではないー
いっそー時代劇に・・・無理か・・
NHK朝ドラは50年という怪物番組。
樫山文江・高橋幸治の「おはなはん」♪♭♪の曲は鮮烈に記憶にある
「おしんは」父母と別れる筏での川の別れー

「敦煌」以前に・・
 CS放送「剣客商売を語るー」をみた。
実にいい背景のセットでの語りー
  それもそのハズ。
コレは歴史的フィルムとなろうー

△「なんのこと?」
○「二つ含めて・・・」
○「夜ブログにアップしとくわー」

すると律儀なカタで21日夜1時過ぎ、水谷八重子のラジオを聞いてたら携帯ナウ。

CS放送「剣客商売を語るー」
何故歴史的かー。
こうであるー

1998年から放送された剣客商売の主役秋山小兵衛=藤田まことの暮す家は
京都嵯峨山中に建てられた小兵衛の家ー
ドラマ鬼平犯科帳など数々の時代劇の舞台
コレが多くの時代劇で使われたー

屋根を覆うコケ生した風格アルこの家ー
時代劇を陰で支えてきた・・・13年の歴史
壊されるとは残念。

その解体直前のCS放送「剣客商売を語る」であったのだー

セットを造った美術監督は西岡善信(88)
管理する松竹は老朽化と時代劇撮影が減ったためとあげるー

フジ時代劇プロヂューサー能村庸一(70)は今年1月まで40年活躍。
実情を語るー
「テレビの時代劇は幾多の危機を乗り越えてきたが近年はギリギリの状態」
それで番組をあたるとこうであるー
地上波の時代劇専門ワクは
①TBS系列「水戸黄門」
②NHK大河ドラマ
③NHK土曜時代劇

※③は4月からBSに移る

かって73年頃の黄金期にはプライム帯(夜7時~11時)時代劇は30番組以上が競った。
時代劇ファンが激減したのではないー
それを証拠に有料の時代劇専門チャンネルは加入者をうなぎのぼりに伸ばしている。
このご招待いただいた御仁も6000円もの月額視聴料金を払ってるとのことー
数字的には・・・
この専門チャンネル視聴可能世帯は775万世帯ー。
01年は60万世帯ゆえこの10年で12倍ー。

では何故造られなくなったのか。
そのヒントは・・・
男女世代別視聴者層を計る個人視聴率が導入された
1997年が転換点ー
広告主は消費意欲のアル若年層に向けてCMを出したがる。
データーを得た放送局は若者を標的に絞った番組政策に急速に傾き
年配視聴者が多い時代劇はとり残されてきた。

97~09年TBSを除く在居キー局は長年つづいた時代劇専門ワクを相次ぎ廃止.
特別番組として年に数本のみがジツジョウニアル。
ネタ元日経紙の関係者の言葉がある
「特番では新しき企画は打ち出しづらく宣伝も充分ではない。」

製作側の意欲低下、番組のマンネリ化。
2000年代は不の鎖.を時代劇は背負わされたー

杉田成道(67)は時代劇を運営する日本映画衛星放送社長でドラマや映画の監督も努める
時代劇の絶滅と危機感をもつ。
大道具スタッフ指揮者は70~80代
部下は20~30代
40~50代が圧倒的にいない。
仕事量がないからだ。
中間層が抜ければ巧みの技が継承できず途絶える
継続して仕事を提供できるテレビつくりが続けなければこの惨状にあるわけだ。

CS初のオリジナル時代劇をスカパーと日本映画衛星放送
「鬼平外伝夜兎角右衛門」として実現。
共同制作作品第一号。
3月21日放送.
年に最低一本を作る方針と気概はよしっ!

民放単体が無理なら共同制作でもいい。
地上デジタル化で製作形態は多様化するはずでムードを盛り上げるもいい。

TBS現代の脳外科医がバクマツニタイムスリップ
  「JINー仁」
09年秋に放送
最終回の視聴率は25,3を記録した。
プロヂューサーは幼き頃からの時代劇ファン石丸彰彦(36)
「いつか必ず時代劇を作る」との夢が実現。
製作前の二年間企画を徹底的に考え抜いた.
視聴者に、「私も幕末にいる」と錯覚させる作り方とした。
郷愁の江戸を忠実に再現。
時代劇の最大の魅力の究極の判断を迫られる状況を絶えず設定
視聴者にも自分ならどうすのかを感じる手法の多様化。
続編と成る完結編が4月からスタート
時代劇を作らねば人材が枯渇する。
受け継がれない製作の現場のノウハウが途絶える
マンネリにならないあたらしい見せ方を考えつづけるしかないー
時代劇消滅は菅直人政治のグダグダに似て消えゆく運命。
山本常朝「葉隠」の国の人原口元総務大臣が倒閣宣言っ!
武士道とは死ぬことをみつけたりっ
去る側も総理を狙ってる側も武士の国であるDNANO誇りを矜持シテ欲しきもの。

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