小沢問題どこではなかろー
2011年2月14日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・サンシュユ
花ことばは・・・・・・・持続、耐久
ミズキ科ミズキ属の山茱萸は早春に黄色い黄金の花をつけ
梅と同じように庭や生け花などに重宝される
別称春黄金花。http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_254.htm
茱萸とはグミのことで、秋にはグミのような赤い実を生らせるので秋珊瑚との呼び名もアル。
実は食べられ果実酒として実をつけると、赤い実の色が出て、赤色で時間がたつと飴色にな
もともとは、薬用として渡来してきたので。
漢方薬としては、干したものは強壮薬になる
宮崎は民謡の宝庫の県でもアル。
♪庭のサンシュ~の~木ぃ~♪
稗搗節(ひえつきぶし)に出てくる歌詞の「サンシュ」とはミカン科の山椒(サンショウ)のこと。
伝えられるお話はこうだー
壇ノ浦の戦いに敗れ方々に平家は散る
鎌倉殿の追及は厳しく日向に逃げた平家一族郎党その姫ら平家を追って
日向の山奥椎葉にやって来た源氏の那須大八郎と鶴富姫の禁じられた恋
その人目を忍ぶ愛を歌ったものといわれる。
サンシュの木に付けた鈴が鳴れば「今日は会える」のサイン。
鎌倉時代の頃の時代背景
ところが
サンシュユ(山茱萸)の原産地は中国、朝鮮。
日本に伝わって来たのが、享保年間(1720年頃)江戸時代という。
稗搗節の一説は時代が合わない。
山椒(サンショウ)の木に鈴を掛ける南九州地方の風習は昔から日本にあった木ー。
神が山椒の木に取付くと言われている。
山口 青邨(1892年5月10日 - 1988年12月15日)は、岩手盛岡の人。
本名は山口 吉朗
東京帝大採鉱科を経て古河鉱業、農商務省を経て
1929年、東大教授鉱山学者
1922年、水原秋桜子、山口誓子、富安風生、高野素十らと東大俳句会を結成。
1929年、盛岡市で「夏草」を創刊。
土に親しんだ句、また、みちのくを題材とした句が多いことで知られる。
1922年、水原秋桜子、山口誓子、富安風生、高野素十らと東大俳句会を結成。
1929年、盛岡市で「夏草」を創刊。
土に親しんだ句、また、みちのくを題材とした句が多いことで知られる。
門下に、古舘曹人、小原啄葉、深見けん二、斎藤夏風、黒田杏子、西村我尼吾、藺草慶子などがいる。
わらんべの 鐘つき逃ぐる 春深く
捨て鍬の 次第に濡れて 春の雨
コチラに句のブログがアル。↓
http://www.haikudiary.jp/haijin/person/seison.html
宮崎の北の延岡と大分を分ける山を祖母 傾山山系と言う
祖母山も 傾山も 夕立かな
南方の 赤き団扇を 使はれよ
けふもまた 浅間の灰や 避暑の宿
13日夕方5時過ぎもお日様の下にあり風もなく最高の日であったー
パリーグ覇者ソフトバンクのエースは150球を投げ込んだほど。
陽気候が為させたんだろうー
黒きハート ヴアレタインデーの チヨコレート
山口 青邨
14日朝5時12分・・酷い風震っ!
新燃岳の大噴火っ!
今年の干支は辛卯(かのとう)である。
「辛」は草木が死滅する意味で、「卯」は扉が開かれている形を表す。
生き永らえてきたものが死滅し、新たな芽が生まれてくる年という意味だという。
「ニッポン維新」という連載コラム
に「今年を創造的破壊の年にしたい」と書いた人がアル。
地殻変動の年さえわかると言うのか。
後にそのブログの一部を掲げるー
13日午後9:00~午後9:50
NHKスペシャル「北方領土 解決の道はあるのか」
北方領土占領から66年。
ロシア大統領国後島訪問の衝撃で、追い詰められた日本。
北方領土返還交渉。
12日前原外相は足蹴にされた。
2010年11月、ロシア大統領の国後島訪問の衝撃で、日本外交は、かつてない厳しい状況に追い詰められた。
NHKは北方領土にカメラを入れ島の姿を記録し一挙放映。
なんか放映タイミングがおかしい。
国民むけプロパガンダ・・
やっぱりロシアはこの国の未来をつみ、
アメリカがこの国の未来を指し示すー
沖縄は返したではないかー
放映されて驚いた
状況が大きく変わってる四島ー
ロシア政府の投資で島は潤い、かつて日本の援助に頼った貧しい姿は、そこにはなかったー。
“固有の領土”返還を求める日本に、どんな戦略が必要なのか。
これまでの交渉をスクープ証言
一括変換とロシアが議会批准済みの現実案の二島歯舞色丹と
二案を検証したー
それぞれを担当したのは・・・
前者が丹波實VS後者が東郷和彦の外務官僚でアル。
「一括返還は国是ッ!は勇ましいー」
ただ・・・・
どうもそれは物事を進めさせない陰謀を感じるー。
現実案の二島返還派は石をもて国家組織から追われる
国策捜査で鈴木宗雄代議士は獄中にアル。
東郷和彦は外務省を追われたー
丹波實 - Wikipedia: http://bit.ly/gwMyw1 via
なるほど、丹波実は元島民・・。
丹波實は米ハーヴァード大学でロシア語を学び、北米局審議官などを経てロシア大使。
東郷和彦は「駐ロシア公使・条約局長・欧亜局長・駐オランダ特命全権大使などを歴任」。
北米局関係者をロシア交渉に入れると問題は解決しないわけか。
元島民というよりはその後のキャリアが問題。
国民として自分らを棚に上げて言う
特捜部が目先の出世欲にかられ、鈴木宗男を葬ったことも影響してる。
この責任はどうしてくれるのだろう。
どうも北方領土に関しては、非現実的な理想論を振り回すようにアメリカに吹き込まれた人々と、
そうではない人たちの2つのグループに分かれていて、
交渉が進まないようになっているのではないか。
北方領土問題の解決が進まないのは日本側の問題も大きいー。
丹波實外務審議官の方針の方が東郷和彦よりも正しいといえる人は
納得のいく合理的な説明をしてほしいー
鈴木宗男と東郷和彦が2島を唱えて、4島という外務省の方針を踏み越えて
「現実的」な交渉をしたために、国策捜査によって失脚させられたともとれる演出。
NHKも・・なかなかやるじゃん。
北方領土問題が解決しない→中国が北方領土問題でロシアと連携→尖閣でロシアが中国と連携→日本、アメリカに頼るしかなくなる→ジャパン・ハンドラーズ丸儲け(いまここ)。
ロシアは韓国か日本か次に天秤に掛ける。
例えば北米局は北方領土問題を解決できなかった代わりにアメリカのアラスカパイプラインを北海道に引く位の構想力を出さなきゃ。
ヘンリー・キッシンジャーが84年に目白訪問したとき、そういう案を田中角栄に出していたことは意外に知られていない。
同盟国が「表座敷」で語ることのない話。
ライシャワーの特別補佐官だったパッカード(現・米日財団理事長)は「ライシャワーの昭和史」(講談社)中でキャラウェイ中将(高等弁務官)の言葉を引用。
その考えは今も変わらず。
日本の軍事的自立を封じる拠点。
ダレスが沖縄を人質に2島返還交渉に横槍。
これはやむを得ないにしても、問題は冷戦後。
昼休みに大使館の応接室で花札賭博、外務審議官の丹波實を通じて官房機密費100万受け取った、と佐藤優氏が告白! | 日々坦々: http://bit.ly/eDvPru via
橋龍とエリツィンが裸の対話をした。
返還が一番近かったときー
そのときエリツィンの側近にも4島一括返還反対派はいたことが言及されてはいたー。
一瞬期待を・・
ただその期待を上回ったー。
全ては世界史の中に・消・え・たー。
悔しさとともに我が方の事情と弱さがはっきりする。
露西亜を責めるだけでメシ食う人々は本気の返還戦略を持たない。
気が付けば四島は中国の経済圏?
脱外交弱者こそが課題ー。
今回の12日の前原外相でもそうだが・・・
2島で譲歩する代わりに経済開発に参加させろと要求すればよかったー。
今はこれすら無理かもしれないー。
NHKスペシャルのおしまいの言葉。
「~が今問われています」
いつもこれだけど。
メデイアに言葉だけで何ら実効性のある案はない。
占守島の戦いで勝っていたのに降伏文書に調印した時点で,残念だけどあちらのもの。
交換条件を提示できなければ戦争で取り返すしかない?
しかし今更多くの犠牲を出してまで戦争で取り返すなら,なぜ占守島の戦いで降伏して武装解除したのかという話まで戻ってしまう。
あくまでも国益としての合理性の話。
国民の人命、生活が重要?
法律で解決できますか?
戦って勝てる?
島を去ろうとしてたが現在の島民
プーチン前大統領に感謝している
「豊かになった島民」の食卓テーブルの奥には小樽ワインと「くしろ」の文字が酒樽。
なぜ島民の少女が日本語の湯のみを愛用している
〔北方領土〕ロシアが中国と韓国を引き込んで「対日包囲網」を着々と構築 | http://bit.ly/fv2aYR
北方領土が返ってきて、日本とロシアが平和条約を結ぶと損をする奴や、損をする奴の手先は、
北方領土返還のじゃまをする。
外相会談や菅直人の発言は相手を必要以上に刺激した。
わざと解決させないようにあおっているのは、賢い国民はもう分かっているー
ブログで教えてくれることー
サンシュユの花ことばは・・・・・・・持続、耐久
菅民主党に一番必要なことー
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ミズキ科ミズキ属の山茱萸は早春に黄色い黄金の花をつけ
梅と同じように庭や生け花などに重宝される
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茱萸とはグミのことで、秋にはグミのような赤い実を生らせるので秋珊瑚との呼び名もアル。
実は食べられ果実酒として実をつけると、赤い実の色が出て、赤色で時間がたつと飴色にな
もともとは、薬用として渡来してきたので。
漢方薬としては、干したものは強壮薬になる
宮崎は民謡の宝庫の県でもアル。
♪庭のサンシュ~の~木ぃ~♪
稗搗節(ひえつきぶし)に出てくる歌詞の「サンシュ」とはミカン科の山椒(サンショウ)のこと。
伝えられるお話はこうだー
壇ノ浦の戦いに敗れ方々に平家は散る
鎌倉殿の追及は厳しく日向に逃げた平家一族郎党その姫ら平家を追って
日向の山奥椎葉にやって来た源氏の那須大八郎と鶴富姫の禁じられた恋
その人目を忍ぶ愛を歌ったものといわれる。
サンシュの木に付けた鈴が鳴れば「今日は会える」のサイン。
鎌倉時代の頃の時代背景
ところが
サンシュユ(山茱萸)の原産地は中国、朝鮮。
日本に伝わって来たのが、享保年間(1720年頃)江戸時代という。
稗搗節の一説は時代が合わない。
山椒(サンショウ)の木に鈴を掛ける南九州地方の風習は昔から日本にあった木ー。
神が山椒の木に取付くと言われている。
山口 青邨(1892年5月10日 - 1988年12月15日)は、岩手盛岡の人。
本名は山口 吉朗
東京帝大採鉱科を経て古河鉱業、農商務省を経て
1929年、東大教授鉱山学者
1922年、水原秋桜子、山口誓子、富安風生、高野素十らと東大俳句会を結成。
1929年、盛岡市で「夏草」を創刊。
土に親しんだ句、また、みちのくを題材とした句が多いことで知られる。
1922年、水原秋桜子、山口誓子、富安風生、高野素十らと東大俳句会を結成。
1929年、盛岡市で「夏草」を創刊。
土に親しんだ句、また、みちのくを題材とした句が多いことで知られる。
門下に、古舘曹人、小原啄葉、深見けん二、斎藤夏風、黒田杏子、西村我尼吾、藺草慶子などがいる。
わらんべの 鐘つき逃ぐる 春深く
捨て鍬の 次第に濡れて 春の雨
コチラに句のブログがアル。↓
http://www.haikudiary.jp/haijin/person/seison.html
宮崎の北の延岡と大分を分ける山を祖母 傾山山系と言う
祖母山も 傾山も 夕立かな
南方の 赤き団扇を 使はれよ
けふもまた 浅間の灰や 避暑の宿
13日夕方5時過ぎもお日様の下にあり風もなく最高の日であったー
パリーグ覇者ソフトバンクのエースは150球を投げ込んだほど。
陽気候が為させたんだろうー
黒きハート ヴアレタインデーの チヨコレート
山口 青邨
14日朝5時12分・・酷い風震っ!
新燃岳の大噴火っ!
今年の干支は辛卯(かのとう)である。
「辛」は草木が死滅する意味で、「卯」は扉が開かれている形を表す。
生き永らえてきたものが死滅し、新たな芽が生まれてくる年という意味だという。
「ニッポン維新」という連載コラム
に「今年を創造的破壊の年にしたい」と書いた人がアル。
地殻変動の年さえわかると言うのか。
後にそのブログの一部を掲げるー
13日午後9:00~午後9:50
NHKスペシャル「北方領土 解決の道はあるのか」
北方領土占領から66年。
ロシア大統領国後島訪問の衝撃で、追い詰められた日本。
北方領土返還交渉。
12日前原外相は足蹴にされた。
2010年11月、ロシア大統領の国後島訪問の衝撃で、日本外交は、かつてない厳しい状況に追い詰められた。
NHKは北方領土にカメラを入れ島の姿を記録し一挙放映。
なんか放映タイミングがおかしい。
国民むけプロパガンダ・・
やっぱりロシアはこの国の未来をつみ、
アメリカがこの国の未来を指し示すー
沖縄は返したではないかー
放映されて驚いた
状況が大きく変わってる四島ー
ロシア政府の投資で島は潤い、かつて日本の援助に頼った貧しい姿は、そこにはなかったー。
“固有の領土”返還を求める日本に、どんな戦略が必要なのか。
これまでの交渉をスクープ証言
一括変換とロシアが議会批准済みの現実案の二島歯舞色丹と
二案を検証したー
それぞれを担当したのは・・・
前者が丹波實VS後者が東郷和彦の外務官僚でアル。
「一括返還は国是ッ!は勇ましいー」
ただ・・・・
どうもそれは物事を進めさせない陰謀を感じるー。
現実案の二島返還派は石をもて国家組織から追われる
国策捜査で鈴木宗雄代議士は獄中にアル。
東郷和彦は外務省を追われたー
丹波實 - Wikipedia: http://bit.ly/gwMyw1 via
なるほど、丹波実は元島民・・。
丹波實は米ハーヴァード大学でロシア語を学び、北米局審議官などを経てロシア大使。
東郷和彦は「駐ロシア公使・条約局長・欧亜局長・駐オランダ特命全権大使などを歴任」。
北米局関係者をロシア交渉に入れると問題は解決しないわけか。
元島民というよりはその後のキャリアが問題。
国民として自分らを棚に上げて言う
特捜部が目先の出世欲にかられ、鈴木宗男を葬ったことも影響してる。
この責任はどうしてくれるのだろう。
どうも北方領土に関しては、非現実的な理想論を振り回すようにアメリカに吹き込まれた人々と、
そうではない人たちの2つのグループに分かれていて、
交渉が進まないようになっているのではないか。
北方領土問題の解決が進まないのは日本側の問題も大きいー。
丹波實外務審議官の方針の方が東郷和彦よりも正しいといえる人は
納得のいく合理的な説明をしてほしいー
鈴木宗男と東郷和彦が2島を唱えて、4島という外務省の方針を踏み越えて
「現実的」な交渉をしたために、国策捜査によって失脚させられたともとれる演出。
NHKも・・なかなかやるじゃん。
北方領土問題が解決しない→中国が北方領土問題でロシアと連携→尖閣でロシアが中国と連携→日本、アメリカに頼るしかなくなる→ジャパン・ハンドラーズ丸儲け(いまここ)。
ロシアは韓国か日本か次に天秤に掛ける。
例えば北米局は北方領土問題を解決できなかった代わりにアメリカのアラスカパイプラインを北海道に引く位の構想力を出さなきゃ。
ヘンリー・キッシンジャーが84年に目白訪問したとき、そういう案を田中角栄に出していたことは意外に知られていない。
同盟国が「表座敷」で語ることのない話。
ライシャワーの特別補佐官だったパッカード(現・米日財団理事長)は「ライシャワーの昭和史」(講談社)中でキャラウェイ中将(高等弁務官)の言葉を引用。
その考えは今も変わらず。
日本の軍事的自立を封じる拠点。
ダレスが沖縄を人質に2島返還交渉に横槍。
これはやむを得ないにしても、問題は冷戦後。
昼休みに大使館の応接室で花札賭博、外務審議官の丹波實を通じて官房機密費100万受け取った、と佐藤優氏が告白! | 日々坦々: http://bit.ly/eDvPru via
橋龍とエリツィンが裸の対話をした。
返還が一番近かったときー
そのときエリツィンの側近にも4島一括返還反対派はいたことが言及されてはいたー。
一瞬期待を・・
ただその期待を上回ったー。
全ては世界史の中に・消・え・たー。
悔しさとともに我が方の事情と弱さがはっきりする。
露西亜を責めるだけでメシ食う人々は本気の返還戦略を持たない。
気が付けば四島は中国の経済圏?
脱外交弱者こそが課題ー。
今回の12日の前原外相でもそうだが・・・
2島で譲歩する代わりに経済開発に参加させろと要求すればよかったー。
今はこれすら無理かもしれないー。
NHKスペシャルのおしまいの言葉。
「~が今問われています」
いつもこれだけど。
メデイアに言葉だけで何ら実効性のある案はない。
占守島の戦いで勝っていたのに降伏文書に調印した時点で,残念だけどあちらのもの。
交換条件を提示できなければ戦争で取り返すしかない?
しかし今更多くの犠牲を出してまで戦争で取り返すなら,なぜ占守島の戦いで降伏して武装解除したのかという話まで戻ってしまう。
あくまでも国益としての合理性の話。
国民の人命、生活が重要?
法律で解決できますか?
戦って勝てる?
島を去ろうとしてたが現在の島民
プーチン前大統領に感謝している
「豊かになった島民」の食卓テーブルの奥には小樽ワインと「くしろ」の文字が酒樽。
なぜ島民の少女が日本語の湯のみを愛用している
〔北方領土〕ロシアが中国と韓国を引き込んで「対日包囲網」を着々と構築 | http://bit.ly/fv2aYR
北方領土が返ってきて、日本とロシアが平和条約を結ぶと損をする奴や、損をする奴の手先は、
北方領土返還のじゃまをする。
外相会談や菅直人の発言は相手を必要以上に刺激した。
わざと解決させないようにあおっているのは、賢い国民はもう分かっているー
ブログで教えてくれることー
ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土を訪問した問題で、・・・
アメリカ国務省のクローリー次官補は
「日本の主権は北方領土に及ぶ」
、日本を支持する姿勢を見せるー
ただどうなんだろう
歴史的に見ればそもそも北方領土問題の端緒を作り問題を難しくしたのはアメリカである。
1943年10月、日米が開戦して2年後にモスクワで開かれた米、英、ソ三国の外相会談
アメリカは日本と不可侵条約を結んでいたソ連に対し、
日露戦争後のポーツマス条約で日本が獲得した南樺太と千島列島をソ連に与える見返りに日本と戦争するよう促した。
翌月のテヘラン会談ではルーズベルト大統領がスターリンに同様の提案を行う。
それは戦後の国際秩序を話し合った45年2月のヤルタ会談でも繰り返された。
ソ連はドイツ降伏後の8月8日に遂に不可侵条約を破って対日参戦する。
同盟国のドイツが敗れ、ソ連にも不可侵条約を破られて孤立無援となった日本は
8月14日にポツダム宣言受諾、無条件降伏。
ソ連軍は8月25日に南樺太を占領、
その後9月5日までに択捉、国後、歯舞、色丹の各島を占領した。
この時米ソ間では、スターリンが北海道東北部の占領も要求した
トルーマンがヤルタ協定にないとの理由で拒否し、反対にトルーマンが千島列島の1島に米軍基地の設置を求めたのをスターリンが拒否している。
1946年1月にGHQの指令によって日本の行政権が停止される
2月にソ連は南樺太と千島を自国領に組み入れた。
その後、米ソ間に冷戦が起きて世界は東西両陣営に分割される。
西側陣営の一員として単独講和の道を選んだ日本
1952年にサンフランシスコ講和条約によって独立する
条約には南樺太と千島列島の放棄が明記され、千島の中に国後、択捉が含まれると政府は国会で説明した。
つまりこの時点で日本政府は国後、択捉を放棄していたのである。
問題はここからだ。
既に米ソが対立していたため、サンフランシスコ条約にソ連は署名しない。
しかしサンフランシスコ条約は南樺太と千島の領有権をソ連に認めた。
独立後の日本はサンフランシスコ条約を締結していない国々と個別に平和条約を結ぶ必要があり、55年にはソ連と平和条約交渉を始めた。
松本俊一、重光葵らが全権となって行われた交渉で、ソ連側は歯舞、色丹の二島返還では歩み寄る
ただ、国後、択捉を加えた四島返還には同意しない。
松本、重光らは二島返還で交渉をまとめようと考える
ただ、アメリカがそれを許さなかった。
日本をソ連の「防波堤」に使おうとするアメリカは、ダレス国務長官が
「四島返還を主張しなければ、沖縄も返還しない」
と重光外相に迫ったー。
結局、日本は領土問題を棚上げする形で鳩山一郎総理が日ソ共同宣言を締結した。
コレが歴史的経過。
北方領土をソ連に与えたのも、返還交渉を難しくしたのも
アメリカなのである。
歴史は繰り返す
最初に日本をロシアの「防波堤」に使おうと考えたのはアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領
日本海海戦でロシア帝国のバルチック艦隊を日本海軍が破ったとの知らせを聞いてルーズベルトは興奮した。
ペリー艦隊が訪れた時、大船を一隻も持っていなかった日本が強国の海軍を破ったー
しかし戦争がこのまま続けば新興日本が大国ロシアに敗れる事は必至である。
そこでルーズベルトは日本が負ける前に戦争を終わらせ、アメリカにとっても脅威であるロシアの「防波堤」に使う事を考えた。
嫌がるロシアを説得してポーツマスで日露の交渉を行わせる。
従って負けると思っていないロシアは日本が最も欲しがる賠償金の支払に応じず、
南樺太の領有権や南満州鉄道の権利などを日本に与えただけだった。
このため日本国内では交渉に当たった宮崎の人小村寿太郎が「弱腰外交」と非難され、日比谷では焼き打ち事件まで起きた。
いつの時代も外交音痴の国民が身の程知らずの事をやるものである。
しかし
日本を「防波堤」に利用しようと考えたルーズベルトは、次第に日本に脅威を感ずるようになる。
太平洋を渡って日本が攻めてくるという妄想に駆り立てられ、ハワイを要塞化し、日本を仮想敵とする「オレンジ作戦計画」を作って攻撃演習を行う。
カリフォルニアでは日本移民の排斥運動が起きた。
今から百年ほど前の出来事である。
「日本の主権は北方領土に及ぶ」と言ったクローリー国務次官補は「アメリカは日ロ双方が平和条約を締結するよう交渉を促している」とも言っている
、「北方四島は日本固有の領土」と日本側が主張し、四島返還が大前提になったのは、冷戦時代のアメリカの外交戦略によるものである。
そして日ロが妥協できない事を知っているからアメリカは「交渉を促す」と言うのである。
日本の反対を押し切って国後島を訪問したロシアのメドべージェフ大統領は、北方領土問題解決に積極的な人物である。
2009年2月にサハリンで日本の麻生太郎総理と会談した際、
「北方領土問題を次世代に委ねる事は考えていない」
とし、「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」で解決する考えを示した。
またメドベージェフ大統領はアメリカの世界一極支配を強く批判する政治家でもある。
今回の国後島訪問を日本に対する強硬姿勢と捉え、
日ロ関係は冷却化し、北方領土問題の解決が遠のいたと論評するメディアが多い
これが新たな展開につながる
独創的なアプローチかも知れない
サンシュユの花ことばは・・・・・・・持続、耐久
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