怒涛の如くNHK

2010年8月10日 お仕事
今日の誕生日の花は・・・ヘチマ
花言葉は・・・・・・・悠々自適

糸瓜やや 曲れり比の世 面白く

コレは奇怪である
一つ一つは素晴しき番組で教えいただいた。
ただ怒りを覚える。
こんな遣り方ではヘキヘキでくたびれるのみ。
NHKはいつから北朝鮮放送局みたいになったのか。
番組編成局は仕事をしているのか。
単なる洗脳機関ではないのか。
真っ当なる感覚が失せる
頭が可笑しくなる。

次ぎに掲げるNHKの一挙連続放送
これを総て観た
誰がそんなことできようか。

ここまで遣るとNHK批判が起きよう
意図的ワザトとしか思えない。

①8月9日午後10:00~10:50
生命(inochi)~孤高の画家 吉田堅治~

②8月9日午後10:55~11:25
あの日のことを聞きたかった「被爆2世 65年目の夏」

③8月10日午前00:15~午前1:10
NHKスペシャル「封印された原爆報告書」

④8月10日02:00~02:45
証言記録 兵士たちの戦争「“ベニヤボート”の特攻兵器~震洋特別攻撃隊~」

⑤8月10日午前2:45~午前3:30
証言記録 兵士たちの戦争▽昭和二十年八月十五日 玉音放送を阻止せよ~近衞師団~

総て今すぐでもアップできるがとても尋常ではない
番組編成の一挙放送のNHKに抗議する。

おまけにこれにNHKラジオ深夜便が加わる
⑥8月10日4:00~                     
 作家…澤地久枝「今こそ真の平和を訴えたい」  
第一回目11日が二日目「無名の死に光を当てて」

第92回の甲子園第3日目第3試合は、雨で開始が遅れた。
鎮魂の祈りの涙雨か。
19年ぶり2度目の北照(南北海道)と2年連続9度目の長崎日大
9日は長崎の人はチョと違う。
対戦した相手は不運、
天候も大粒の二度の涙で味方するのか。
一回裏先頭打者の島袋、今大会第6号の「先制本塁打」
プロの試合も顔負け。神がかり的。
4回裏2死2塁、長崎日大・高尾がレフトオーバーの大会8号2点本塁打で3対1と勝ち越し。
このあと雨で中断。
8回表1点差と詰めよるも結果2ホームランの長崎が4-2で制した。
古豪中京は逆転勝ちドラマが繰り広げられている。

沖縄は台風4号が宮古島、久米島の西側を通り過ぎている。
中型でどうもテレビ映像ほどには那覇はないようだ。
沖縄一時隠匿?中の方のブログが教えていただける。
沖縄本島にも時々強風が吹き付けるが、筆者的には中小規模の台風。
6年間いまだに本格的な強い台風は一度も遭遇していない。
台風銀座の沖縄だというのに、我ながら恐るべき幸運、超ラッキー!
オレはいったい何者なんだ!

9日ラジオニュースゆえ目でなく耳で確認した情報
朝鮮併合100年記念行事
10日総理談話が出るそうだが村山談話がすべて。
新味なきだろうゆえ興味ない。
今頃ナニが終戦処理か。
ところが爺目勉学レベルでは驚くようなこと。
宮内庁が管理するものを返還するという。
順序が違おう
「チョウセンオウチョウギキ」????
多分「朝鮮王室記儀記」なんだろう・・・ギキは<儀軌>であった。
歴史好きだが不勉強ゆえ始めて聞く。
王朝の国家行事儀式を文筆、図などでも表されているらしい。

英霊に対しても返還する前の国民公開の展示会が必要だろう。

政治は結果責任と言われている。
政治家に高慢なる人格、道徳律が問われるのはそのためだ。

武士道の魂が最善とされる国。
常に忘れまじ、その心根の矜持。
美しい日本の基本であるべきだ。

身の施し方清さが求められるところだ。
権勢の常道である

日本中が焼け野ヶ原から出発してここまで上り詰めることができたのも
その民族の生き抜く暗黙の共通方針があったゆえだ。
この国の成り立ちの根本はファ?つとした自然体の神の国。
祭りはその象徴である。

初代天皇神武を送り出した日向
田舎ゆえ権威も祭りの意義も何もないひたすら楽しむ。
この国の宗教は神の国の御霊を鎮め災厄を祓い、国民をまもるためにあり、その頂点、原型はやはり京。
夏祭りは開幕は祇園祭
天をも突く高さの29基の山鉾巡業がメイン。
先頭は邪気を祓う長刀鉾。

山鉾の名はヤマとホコに由来する。
ヤマは心霊祖霊が住む霊山宇宙の山。
ホコは長い塀に支えられた強靭なる武器。

天高く神霊を招く依代(よりしろ)となる。
現代はこの二つを合体させた飾り山の造形。

常盤木と山、この形は宇宙樹としての神霊木の榊、磐座(いわくら)となる、つまり、神座としての神籬(ひもろぎ)。
京、博多の山鉾とは移動する神招きの装置、動く神籬である。

他の国の民族には理解できない相撲の神髄にあるような民族の宗教的行事である。
茶道、華道、能や歌舞伎。連歌や俳句日本文化にある精神である。

そのすべての収斂されたものが身につける選民が政治家。
ところがどうだ。
目に余る惨状。
弱小一部派閥の党支配による選挙、その敗北故での弊害
誰も責任をとらない。
人物が党内実力が評価の基準になってないからだ

鎮魂の黙祷の長崎の敬虔なる祈りではない。
英仏の公使が長崎にも初参加。
田上市長は声を上げた
「MPT議長案の核廃絶への道への提案
 議長案を核保有国指導者は退けた。」

非核三原則法制化に確約せず核抑止力を補完する菅直人。
「北」の大兄様から最初に教えいただいたルース大使の長崎非出席
ニュースでは謝罪にあたるとの米国民に配慮したんだろうという
産軍複合経済国家の本性を示している。
イランで戦争準備をして経済維持・回復策を練ってる戦争大好き国家ゆえだ。

第二次大戦において、米国の「エノラゲイ」による原爆投下を受け、
その犠牲になったのが広島、長崎である。
その前には本土防衛の楯とならん沖縄の悲惨な惨い地獄の陸上戦があった。
沖縄大学土曜講座
「戦争は終わらない」
沖縄・具志堅隆松氏は戦争犠牲者の遺骨収集で知られる「ガマフヤー」
ノンフィクションライター・高瀬毅氏は長崎の大浦天主堂の被爆後の残骸を
戦後13年目に撤去した謎を追跡した人で二人が講演
これを
広島修道大学と長崎大学の教室、そして沖縄大学の会場を
「3元中継」して質疑応答するという画期的な試み。

ヒロシマと長崎には何度となく大会に行った。
ヒロシマと長崎は違う。
広島には被爆の痕跡をシンボリックに残す原爆ドームが残されている
死者が15万人を越えた長崎には悲劇アトはない。
長崎からは消えたのである。
被爆の残骸を象徴した大浦天主堂
爺目らの小学生旅行のときはあった。
 衝撃を受けた
その撤去はこのブログで以前アップした。
、当時の田川務長崎市長と
米国のセントポール市
との姉妹都市提携劇にある
高瀬毅ライターは爺目と同じ仮説を立てて、米国取材を試みる。

原爆投下の歴史をなるべく封印したい米国が、
長崎被爆の象徴になりうる大浦天主堂の撤去に関与
平和記念公園の大銅像や「長崎の鐘」に摩り替えたのではないかという
疑念を持つ高瀬毅ライター。

秋には、世界から核の廃絶の方向性を宣言したオバマ大統領が
日本にやってくる。
日本政府としては、この機会に広島、長崎、沖縄訪問を実現させたい。

米国では、いまだに、広島、長崎に対する非人道的な原爆の投下は当然だったという
論理が大勢を占める
「原爆投下は嬉しく誇らしい」とわめいていた米弁護士
抗議した日本人ただ一人。
アメリカ軍の基地に突っ込む右翼はいないなー

オバマにその決断をさせるのは容易ではない。
世界平和の原点を米国の大統領自身に認識させることは意義深いハズ。、
その意味でもネバー・ギブアップ!

平和七人委員会が井上ひさし一人かけた形で平和アピールを出した。
師と仰ぐその一人池田先生は平和のボート乗り込み行動に出られた。

ルース駐日大使は、広島長崎とともに日本で最大の戦争犠牲を強いられた
沖縄の辺野古沖に、再び海兵隊の海上基地を建設しようと
恫喝をかけている張本人でもある

ロバート・ジョセフ核不拡散問題特使、
「ヒロシマナガサキへの原爆投下は終戦をもたらし、何百万人もの日本人の命を救った」

おい!おい!

「原爆は百万人のアメリカ兵士の命を救った、と言われてる。」
そう信じているアメリカ人はいまなお多い。

いい加減せんか!

この人の数字はどこから来るのか。

トルーマン大統領が軍部からうけた説明は、原爆を使用しなければ、
6万5,500人
の兵士が死傷する、というもの。

通常、戦死者は死傷者の5分の1から4分の1

つまり、アメリカ軍は、上陸作戦によって
  1万3千人から1万6千人
アメリカ兵の命が失われると見ていた。

ところが戦後トルーマンは、この
6万あまり
と見込まれた戦死者と負傷者をあわせた数を
、戦死者だけの数にすりかえる。

それによって4倍にふくらんだ死傷者の数
25万人
を、さらにもう一度、戦死者だけの数にすりかえる。

そうすると、死傷者の数はさらに4倍にふくらみ、100万人ということになる。

この100万という数字がトルーマンを離れ、いつしか戦死者の数としてひとり歩きする
、、「原爆投下が百万のアメリカ兵の命を救った」
1万6千人×4×4×4。
4倍が3回なされている。

こうした操作は、無意識に行われたのではないか、
とする政治史研究者の見方もあるという。
トルーマンにしろ一般のアメリカ人にしろ、
原爆被害のあまりのおそろしさに愕然とし、慄然とし、
自分たちを正当化するために、その効果をどんどん大きくふくらませずにはいられなかったのだ、
とする見方から生じた事という

それら総て③に真実が描かれている。

③8月10日午前00:15~午前1:10
NHKスペシャル「封印された原爆報告書」

生体実験であった。
ソ連邦に投下すするため何発いるか核戦略に使われた
まとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。
731部隊小出中佐
都築政男教授らがとりわけ中心に動いた。
報告書はすべてアメリカへと渡っていた。
なぜ、貴重な資料が被爆者のために生かされることなく、長年、封印されていたのか?

米国立公文書館に、日本が原爆被害の実態を調べた181冊の報告書が眠っている。

原爆投下後4日して調査に現地に行った人が被爆症状がまったく同じ症状。
山口医大から派遣され参加した石山村秀雄91歳の手記もに細かく記述されていた。わざわざ都築政男教授東京から来て指導があったゆえ。
入市被爆の生々しい実態。
すべて生体実験調査である。

①8月9日午後10:00~10:50
生命(inochi)~孤高の画家 吉田堅治~

特攻生き残り美大生が40にしてパリにわたる。
大英博物館生存中でただ一人の個展記録を残した。
日本でこの人がドンくらいの扱いなんだろう。
爺目お恥ずかしい。

②8月9日午後10:55~11:25
あの日のことを聞きたかった
「被爆2世 65年目の夏」
被爆二世涙なしでは見れない。
30~50万に被爆二世は親から何も聞かされてなく完全に中断、風化する状態にある。

九州地区ブログランキング参加!  
        プチッ!
       お願いいたします。
        ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
         ↑ ↑ ↑



ラジオのみ熱意あるお話に敬意を表して。

⑥8月10日4:00~                     
 作家…澤地久枝「今こそ真の平和を訴えたい」

田中真紀子より激しく早い激口50分
ようー喋るわー
漫才師大助花子の芸風を超えてるテンポ
ただしお聞きしてると
着物で白地に縞の麻の越後上布着物
帯は藍染め沖縄の英順さんの作品

 ペシャワール会中村哲インタビュー
著作となった。
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束」
中村哲・澤地久枝 岩波書店 ...

アフガニスタンの仲でも耕作地でなかった
乾いてる
それも殺人的乾燥砂漠を改善
奇跡が生じた。
田植えをしたのである。

アフガニスタン復興の日本の基本姿勢。
基本はあくまで丸腰、武器は要らない。
当初ボランテアとしての医師
それが・・・
聴診器の使い方さえ忘れるほどの土木技師事業。
 
宗教は宗教、中村哲は洗礼を受けている
激することはない。
ただ、心は激しい
中村哲は文章が上手い。
何故か
北九州人
あの火野葦平の甥の中村哲で川筋の人のDNA。
炭鉱地方「川筋に生きる人間の義理と人情の世界を描いた

人間の手仕事のみで25・5キロの水路を作った手作りギネス。
総費用16億円でペシャワール会のみでの資金繰り
武器でもなんでもない。
戦争は悪
中村をみよ。
日本人である
安心と誇りが自信がわく

一日たりとも戦火ない日はない。
そこに武器が介在
朝鮮ベトナムイラクと大戦争
ナンダロウ人間は
戦争なしには生きられない生き物?
この国はどうか。
憲法がある
平和憲法を持っている
 骨抜きが現状でも誇れる
マシンガンの如きの連続のお話
確かそうだったと思う
火野葦平『燃える河』から始めるか。

詳しくは第二回と共に記す
1931年9月18日満州事変
清朝最後の引退してた人を満州帝国を興し皇帝とする。
満州引き上げの人澤地久枝
開拓団の人々は守ってた日本軍隊は逃げたゆえ取り残される
  収入なくロシア占領現地人から襲われる恐怖日常的暴行
収入無きゆえ食べられない
流行病コレラ増える難民のその一人
1年収容所に多くの人が飢えと発疹チフス病気寒さで命を落とした。

あくる春治安少し良くなる
歩いてると三人の頭の毛が産毛ぐらいの人に出会う。
日本人で15歳ぐらい 
加藤寛治の満蒙政策で派遣された
自決もしなく教壇にある加藤寛治
澤地久枝の核、芯が人としてできる
子の国はどうにも歴史的に
 国と向き合う個人切り捨てるのか。

65年編集者のとき五味川順平に教えられる。
物書きに戦記ものブーム
不満がある

記録ミッドウェー海戦 文藝春秋 1986
基本は
死んだ後残された妻や子らを描かずして戦記にはならないハズ。
取材2000人4年間をかけえた
本になるまで12年かかった
80年代から90年代全力
個人を認めない子の国
アメリカと比べる
日本の発表概数3500人
正確には3057人
アメリカ含めて3419人の死者
アメリカは代表遺族名がある
日本はない。
概数で一人非戦闘戦死者数がない。
1981年3500人アンケート
質問項目が多く集計にコンピューターソフトを組んだ
記憶は思い出したくない。
何歳で
志願or徴兵
結婚・未婚
子は居たか
未亡人再婚してるか
日本は再婚が多い
あめりか再婚少ない。
寡婦未亡人
稼ぐ手段持たない就労の受け皿ないゆえ
社会人として生き抜く道を塞いでおいてゆえ。
元の夫の兄弟との再婚が多く労働力としての食い扶持
あれほど有名な戦闘なのに実態調査がない。
この調査でわかった。
日本人兵隊15歳
アメリカ人17歳
志願係が説得してが多い
入隊後ホームシック枕で泣いた。
  海よ眠れ
生きてきた時間
夢もない若き故それさえわからない
其処まで行き来ってない人生期間の若人
奇麗事ではない。
全滅日本軍
駆逐艦5
空母4
米軍被害
駆逐艦2
空母1

駆逐艦に拾われる水兵
止まらないで無残に置き去り
米軍捕虜は一人も生きて返してない捕虜米兵
 味噌汁嫌だ
 最初恐怖がすがる目にかわる捕虜

軍艦霧生の機関士30何人ハッチ占める閉じ込められる
機関室をノックスルトあいずち。
だが脱出しない
15日漂流
重油を被りm何日も食なし
死ぬるはエンジン室と変わらない。

・戦後に引き上げ船で死せずしてかえる兵の夫を
妻は不名誉と受け入れない

・墓標が作ってあり弟と再婚
墓標を引き抜き出て行こうとすると
生まれた女の子が止める
影がある
戦史で終わってない

息子は兵で死んでも
両親は生きている
思いが生き延びさせている
意志は枯れている。
惨い
時間が傷薄れる
調査で新たなる傷が蘇る
調査のため傷乗り越える時間がいる。
大変であった

米兵捕虜みな殺されている虐待死
憎み
何が生まれる
許しあうしかない
辛い説得であった。
ミッドウェーは5000Mと深い遺体は上がらない
無念の思いの死者・生きてる人
調査で多くの人に悲劇に触れ
物書きで知りえた
戦争は厭と言わないと許されない
人間になにもならい
多くの不幸をもたらす

3419人半数以上を聞いた
手紙デ答えた・
あめりかでも多くの方を聞き取る。
結婚して海軍へ。
3年の婚姻時代も実質3ヶ月の生活で出兵。
身篭る
これらは無口で語れない戦史
誰にも渡したくない
笑うか
伝えられない。

連絡で吐露した
悲しい物語で戦さの一部なのに。
人生に隠れている
心の傷は薄れない
調査でよみがえる
本人の願いを本を書いた
覚悟が出来た
縛られたということでなく
生きる道変更できない。
出合った人の生と死
若い人に言いたい
平和
あなたたちのこと
徴兵復活が必ずある戦争前状態

悲惨を繰り返してはいけない。
歴史踏みにじる一人一人にならぬように
自由があったアメリカ捕虜
脱走して生きていける。
日本は生きて帰るなと虜囚縛る

残った人
一人一人かけがえなき命
同じ重さの命
差別あったり富貧乏の階級
ただ人の命は同じで大切なもの個人は犠牲
アメリカ人と話せば通じる
個人歴史を大事に
国のウソに騙される事のない個人の確立
個人にどれだけその自覚があるか
国に意見する個人は少数者
引き飛ばされ殺戮される
憎悪循環の殺しはなくならない
 どうすればいい。
  こたえよ
知恵は過去から学ぶしかなく学術書を読んでも答えはない。
過去の教訓を汲み取る
もう戦うな
人間よ戦うな。
明日朝二回目放送。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索