今日の誕生日の花は・・・・ツワブキ
花言葉は・・・・困難に負けない。
菊科のつわぶきは黄色い花を今頃咲かせ海辺に多く自生している。繁殖力が強いので庭にも簡単に根ずく。
黄色い花と海の青
つわ咲いて いよいよ海の 紺確か
NHKラジオ深夜便の朝の4時から5時
アフガニスタンの中村哲お医者さんの素朴な朴訥な話がいい。
ノーベル賞平和賞はこのヒトにこそある賞である。
医者よりアフガニスタンでは土木技師。
行基と言うお坊さんの偉業を知っているがなにかとダブル。。
最初は生活用水の飲料の井戸から事業は始まった。
それからの農業用水事業である。
大河クナール川は洪水の繰り返しで河床が低くなり大地が砂漠化した。
豊かな大地のアフガニスタン農民は難民化した。
マルワルード(真珠)用水路24、3キロが3ヶ月前に完成
7年弱の期間述べ60万人が加わった。
地理的に機械が無理もあり手作業
日本の江戸時代に完成してた技術の蛇かご方式の堤防
20キロ8割方が蛇かご工法
爺たちは幼き頃この蛇かご工法の土方作業のバイトをした。
石ころを大きな針金の番線で石ころをくるんで堤防にする。
山なりに番線で区組まれた様はまさに蛇のようである。
古くの武田信玄の信玄堤みは針金の番線なき頃で素材が竹になってるだけ。
昔の公共事業は人海戦術で金が田舎の現地に落ちた。
今が機械現場ゆえ金が現地に落ちない。
この蛇かご工法をメインにして
取水口の頭首口等を併せて施工。
14000ヘクタールで農業ができるようになった。
難民が帰ってきた。
70万人が食える状態となる。
工事は酷い空爆の中進められた。
今も完成したところを空爆で壊されているので緊急に対処する状況を作っている。。
アメリカの大統領はゲーツ防衛大臣からお話を聞くのでなく中村先生から聞けばいい。
3万人もの軍隊が加わり殺傷すれば治安が回復するでない事に気付こう。
なぜアフガニスタンはこの惨状にあるのか。
中村先生はまったく政治内情ナゾに触れずでなく
25年の活動のみを語られよう。
そのお話からあの高地の国は砂漠で不毛土地だがほんの少し前までは豊穣の大地であった。
それは適当なる雪解け水が大地を潤していたからだ。
今でも変わりなく之はあるが雪解け水が変化して砂漠の国なのに大洪水が起きる。
その繰り返しで河床が低くなり砂漠化した。
農業の国ゆえ多くの難民が出た。
中村さんたちの活動のひとつに灌漑用水事業が医療行為の本論として取り組まれ24KMの用水路が7月全線開通して難民が帰ってきて自活のため農業が始まった。
空爆が激しきところは農産物の麦トウモロコシ一部には米さえ作付けされているまでに大地が生き返りつつある。。
空爆で日に10~100人が死んでいる。
現地人たちは戦争では内乱が解決しないことに毎日の死傷者の中で知りはじめている。
アフガニスタン人には喩えようもないほどの戒律に似たるものがある。
友人お客さんは不文律で大事にするは民族の掟
物取りがやった伊藤さん殺害事件でよそ者の仕業で犯人は一人捕まった。
現地人は平謝りであの壮大なる葬儀に出ている。
詳しくはいずれ触れたい。
花言葉は困難に負けない。
誕生日の花・・花言葉と・・
爺のブログとおりにやってた輩のブログのことがあった。
このつまらぬブログの書き出しさえソックリで
挑発して
書いていた。
似たる息子がいるので心情は良くわかる
ただし早朝起きてる精神力がないためどこかの花言葉の盗作
だらしない。
爺は単純。はっきりNHKの盗作としている。
いいではないか。
HNKだもの。
早朝みなさん大変ゆえ情報のおすそ分けである。
普通300ぐらいで推移している爺のつまらぬブログのアクセス数
30ぐらい増えるのはこの爺のブログに騒ぐやからがあったとき。
周りが楽しみで覗きにくる。
いいきなもんだ
こんな品のないことはない。
やってる事の犯罪性がわかっていない。
丁度三桁にないかのブログの数とあう。
選挙に行くな!とか腐臭漂うブログゆえ批評もムダである。
読むに値しない。
憂国のかけらもない。
これらの世代の人たちがこの国を背負っている
フイリッピンや台湾や韓国は米国軍隊を追い出し主権を回復した
この国はナンなのか。爺らの世代は仕事との両立で時の政権と必死で抗してきたが壁の間に跳ねられた。
今歴史の真実が表面化しつつある。新政権の力である。
隠居の年齢にある爺らは孫の世代の未来を憂える
かのブログはほとんど自説がなく他人様の著書なりの無断引用
ひとさまの著書を無断引用は学者気取りの方にはいただけない。
自分の言葉は僅か数行で他はみんな他人様のもの。
グウスカ日々の惰眠にあればロクに学問はなく大学時代の蓄積で生きてるだけ。
笑わせるではないか。
無学なる爺を捕まえ満足とはチャンチャラおかし。
自分が組みしやすき論じやすいものに狙いを定める。
とても論じきれないヒトは犬の遠吠え
キャンキャン。
寄り付こうともしない。
情けないではないか。
堂々と挑んでみよ
現役同士で。
このブログは敬愛する方々の借り物に過ぎない。
爺は第一線にはない。
だらしなき体たらく
爺の尊敬する副島、植草教授たちを中身なく侮蔑するだけ。
著書を惰眠のため読んでないゆえ論評さえできない。
学者の端くれのつもりならその同じと思うレベルでやったらどうか。
その勇気はなかろう。
もう何年 爺のブログを日々点検して楽しんでいるか。
他にすることないのか。
信奉する小泉純一郎も竹中平蔵も危ないのは英国の情況からこの国の動き始めたことで読み取れないものか。
政権交代の理解不足
権力がわかっていない。
残滓の地方検察庁検事正 岩村修二は交通事故の前歴さえ関係ないようだし久間特捜部長の漆間麻生内閣か暴徒の機密漏洩、トップの樋渡総長は任期が早くなり先倒し辞任だろう。
政治を読めと言っても
盲目ゆえ無理ではあろう。
望むベキもない。
東北の物産展を宮崎でもやっている。
山形には二度いった。
最初のとき将棋の街・天童の二泊を利用して奥羽本線を山形を経て隣駅・北上ノ山駅で下車した。
一時間もかからなかった。
目的地に一人散策した。
同行の詩人黒岩敏郎大兄は全国から集められた詩の添削入選作選評で多忙で行けなかった。
ただただ残念である
夜半になり部屋にこられ
「ドンゲじゃったネ」
声かれられたがうまく会話さえできなかったことを含め鬼籍にいられ残念無念である。
ところであのときを確かめるため鉄道図を見て驚いた。
駅名が茂吉記念館前駅と改称されている。
斉藤茂吉は山形上山市の地の守谷伝右衛門の第三子として生まれた
ウン?斉藤=守谷?
あの文学的DNAは父方に秘密があるのであろう。
祖父の金沢治右衛門は和歌を嗜んだとある。
茂吉記念館の記憶がある。
守谷家には、茂吉が小学校卒業後に進学するだけの経済面の余裕が無く
親戚で浅草の医師の斎藤紀一の家に養子に入る
東大医学部を経て精神科医を開業する
茂吉の次男のドクトルマンボウの北杜夫の楡家の人々に詳しい。
長男は後継者の茂太。
戦災に会う青山医院や茂吉と妻との不仲も赤裸々に露骨に描かれていた記憶がある。
大学生時代から私淑していた人がある。
上野の小山の北に降りたところにある林家三平師匠の近くの根岸に小さな庵で過ごした
人・ 正岡子規の竹の里の歌に出会い、勧められで伊藤左千夫の門下となる。
明治30年のことである。
妻の弟は堀内敬三である。
爺らの年代はラジオの世代。
この国にはテレビ放送がなかったゆえである。
音楽の好きな人は誰しもが覚えている紹介のフレーズがあるハズ。
NHKラジオの「音楽の泉」である。
司会進行役・解説者をアナウンサーが紹介する。
「おはなしは、堀内敬三さんです・あるいは・でした。」
情報に飢えてた田舎モンは懐かしい響きを覚えている。
その博識ぶりはあの森繁も頭の上がらなかった
博学・徳川夢声さえシャッポを抜いている。
ウエキペデアにある。
「話の泉」での共演者の時のことを書き残している。
「彼・堀内のモノ知りは非常に本格的なのである」
音楽・鉄道・電気・化学・歴史・地理・国文学・和歌俳諧・歌舞伎・落語などジャンルを問わない。
爺の持ち歌の一部はこの人の曲訳詩になる。
ジャズ調の青空 (My Blue Heaven)」アラビヤの唄等である。
昭和2年頃と言うから驚きだ。
山口下関の人浅草オペラの第一人者・二村定一がヒットさせた。
カラオケのバックミュージックに二曲ともある。
過半友人が教えてくれチャンネルをあわしたことがある。
NHK教育テレビ「アラビア語会話」のテーマソングとして復活再度脚光を浴びていたのである。
中学時分の運動会で練習をした記憶がある。
♪若き血にもゆるもの♪あの慶応の応援歌の作詞作曲も堀内敬三である。
ほかにも映画になった蒲田行進曲、訳詩での紹介新世界のドボルザークの第二楽章遠き
山に日は落ちて
さらにヘイスの冬の星座・・ラジオ体操の歌訳詩ジングルベル
全国高校校歌・・・
数限りない。
来期より宮崎の人が監督になった「わがオリオンズ」=ロッテもそうである。
神田生まれであの黄色缶で勝手の唯一の東京みやげの浅田飴創立者のご子息。
音楽家はダメとの家訓を犯したゆえこの国に多くの癒しの音楽を残した。
日大藝術学部で教鞭をとられてたのでかなりのお弟子さんがある。
茂吉にも大きな影響を野kした。
たたかひのはげしきあいだ飼われゐて
生きのこりたる猿 蠅を食い
戦後の飢餓期の箱根強羅に飼われていたサル。
とまったハエを叩き落し食っている。
人間以上に人間臭いサル。
どうなんだろう
サルを笑いつつサルに笑われている。
サルはいつもこちらをヒトを監視している。
時代は変われど飢餓期でなくともサルは監視が大好きのようである。
サルは宮崎につき物のようでもある。
勲章を辞退した漱石が坊ちゃんの小説のなかで、うらなりが飛ばされるとこを描く
、日向の延岡なんて、猿そのへんをとびまわっているような表現ですもんね。
実際、夏目漱石は「坊っちゃん」を書いた後、正岡子規に侘びの手紙を残している。
根岸の子規堂に残って展示してある。
「君の故郷を悪く書いてすまなかった」
井上ひさしを越えるユーモラスな部分もある人が漱石の坊ちゃんその後を書く。
小林信彦の「うらなり」
宮崎の延岡に. 飛ばされた「うらなり」先生のおはなしである。
松山から日向延岡にウラナリは転勤する
延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ。
... 猿(さる)と人とが半々に住んでるような気がする。
いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何という物数奇(もの ...
しかし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、お望み通りでよかろうと思うて、
その手続きにしたから行くがええと云われたげな。
. 五円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐変木はまずないからね」 ...
坊ちゃんの面白いところを抜粋すと項ある。
「どうも難有う。だれが転任するんですか」
「もう発表になるから話しても差し支(つか)えないでしょう。実は古賀君です」
「古賀さんは、だってここの人じゃありませんか」
「ここの地(じ)の人ですが、少し都合があって――半分は当人の希望です」
「どこへ行くんです」
「日向(ひゅうが)の延岡(のべおか)で――土地が土地だから一級俸上(あが)って行く事になりました」
「誰か代りが来るんですか」
・・・・・
「ほん当にお気の毒じゃな、もし」
「お気の毒だって、好んで行くんなら仕方がないですね」
「好んで行くて、誰がぞなもし」
「誰がぞなもしって、当人がさ。古賀先生が物数奇に行くんじゃありませんか」
「そりゃあなた、大違いの勘五郎ぞなもし」
「勘五郎かね。だって今赤シャツがそう云いましたぜ。それが勘五郎なら赤シャツは嘘つきの法螺右衛門(ほらえもん)だ」
「教頭さんが、そうお云いるのはもっともじゃが、古賀さんのお往(い)きともないのももっともぞなもし」
「そんなら両方もっともなんですね。お婆さんは公平でいい。一体どういう訳なんですい」
気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げる訳にゆかん。
しかし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、
お望み通りでよかろうと思うて、その手続きにしたから行くがええと云われたげな。――」
「じゃ相談じゃない、命令じゃありませんか」
「さよよ。古賀さんはよそへ行って月給が増すより、元のままでもええから、ここに居(お)りたい。
屋敷もあるし、母もあるからとお頼みたけれども、もうそう極めたあとで、古賀さんの代りは出来ているけれ仕方がないと
校長がお云いたげな」
「へん人を馬鹿(ばか)にしてら、面白(おもしろ)くもない。じゃ古賀さんは行く気はないんですね。
どうれで変だと思った。五円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐変木(とうへんぼく)はまずないからね」
「唐変木て、先生なんぞなもし」
宮崎は、「坊っちゃん」の"うらなり君"が 左遷された、
猿と人が半々の田舎町。 ...
啄木はじっと手を見たが男30過ぎれば顔に責任を持てという。
宮崎も4日下着に長袖シャツに上着がほしい寒さが着つつある。
サルには毛がありうらやましい。
顔面には毛がない。
平たい
目も鼻も口も生意気にヒトと々配置いききと動く。
喜怒哀楽もある。
この時期は寒風が噴出すとのんびり温泉にもつかる。
宮崎幸島では海水で洗って芋を食らう。
ヒトそのものである。
科学的の分析されている。
ゴリラやチンパンジーはヒトの遺伝子配列が98,7パーセント一致するらしい。
たった1,3パーセントしか違わない。
ウマとシマウマの佐より小さい。
サルとヒトは兄弟文とは思っててもここまで近いと見まごう。
そんな僅かな差でありながら大きく違う。
サルは恥ずかしげなくサルマタをはかない。
バカ丸出し。
DNAが総てでないことの証左である。
ヒトを蹴散らし時分だけが生き延びようとする。
投票行動をバカのごとく言い書き散らし
投票にもいかない。
この国の富をさらにアメリカに渡せという売国竹中平蔵を神のごとく崇める。
当然小泉純一郎もそうである。
初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也
寒い中木にある猿が注意してヒトを見ている。
滑稽で狡猾ですばしっこく同時に気が抜けない。
悠長に構えていると大変である。
延岡は先月末薪能を千畳敷の石垣をバックで演じられた。
年々や猿に着せたる 猿の面
正月にはチョット早いがお小額猿回しが日光の猿軍団ヨロシク
災いが去ると舞う
災いが去るのはいいが疫病神のサルもあるので要注意である。
それもサルより悪く執念深いのはイケナイ。
宮崎の南の串間
幸島の隣の最南端の灯台の都井の岬には野生の馬がいる。
鎌倉の武士(もののふ)は駒は日向の駒と称えた。
その純血種に近い野生馬である。
そこにも野生のサルが群れを成して観光客からエサを奪う。
ヒトもウマも注意が大変である。瞬間ともヒマをくれない。
実にサルは厄介である。
宮崎の県北は漱石が書き、県南にもいまだサルがウマとともにウジャウジャいる。
ただ人畜無害で共存共栄にある。
みんなボンヤリ生きてはいる。
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
・よ・ろ・し・く
花言葉は・・・・困難に負けない。
菊科のつわぶきは黄色い花を今頃咲かせ海辺に多く自生している。繁殖力が強いので庭にも簡単に根ずく。
黄色い花と海の青
つわ咲いて いよいよ海の 紺確か
NHKラジオ深夜便の朝の4時から5時
アフガニスタンの中村哲お医者さんの素朴な朴訥な話がいい。
ノーベル賞平和賞はこのヒトにこそある賞である。
医者よりアフガニスタンでは土木技師。
行基と言うお坊さんの偉業を知っているがなにかとダブル。。
最初は生活用水の飲料の井戸から事業は始まった。
それからの農業用水事業である。
大河クナール川は洪水の繰り返しで河床が低くなり大地が砂漠化した。
豊かな大地のアフガニスタン農民は難民化した。
マルワルード(真珠)用水路24、3キロが3ヶ月前に完成
7年弱の期間述べ60万人が加わった。
地理的に機械が無理もあり手作業
日本の江戸時代に完成してた技術の蛇かご方式の堤防
20キロ8割方が蛇かご工法
爺たちは幼き頃この蛇かご工法の土方作業のバイトをした。
石ころを大きな針金の番線で石ころをくるんで堤防にする。
山なりに番線で区組まれた様はまさに蛇のようである。
古くの武田信玄の信玄堤みは針金の番線なき頃で素材が竹になってるだけ。
昔の公共事業は人海戦術で金が田舎の現地に落ちた。
今が機械現場ゆえ金が現地に落ちない。
この蛇かご工法をメインにして
取水口の頭首口等を併せて施工。
14000ヘクタールで農業ができるようになった。
難民が帰ってきた。
70万人が食える状態となる。
工事は酷い空爆の中進められた。
今も完成したところを空爆で壊されているので緊急に対処する状況を作っている。。
アメリカの大統領はゲーツ防衛大臣からお話を聞くのでなく中村先生から聞けばいい。
3万人もの軍隊が加わり殺傷すれば治安が回復するでない事に気付こう。
なぜアフガニスタンはこの惨状にあるのか。
中村先生はまったく政治内情ナゾに触れずでなく
25年の活動のみを語られよう。
そのお話からあの高地の国は砂漠で不毛土地だがほんの少し前までは豊穣の大地であった。
それは適当なる雪解け水が大地を潤していたからだ。
今でも変わりなく之はあるが雪解け水が変化して砂漠の国なのに大洪水が起きる。
その繰り返しで河床が低くなり砂漠化した。
農業の国ゆえ多くの難民が出た。
中村さんたちの活動のひとつに灌漑用水事業が医療行為の本論として取り組まれ24KMの用水路が7月全線開通して難民が帰ってきて自活のため農業が始まった。
空爆が激しきところは農産物の麦トウモロコシ一部には米さえ作付けされているまでに大地が生き返りつつある。。
空爆で日に10~100人が死んでいる。
現地人たちは戦争では内乱が解決しないことに毎日の死傷者の中で知りはじめている。
アフガニスタン人には喩えようもないほどの戒律に似たるものがある。
友人お客さんは不文律で大事にするは民族の掟
物取りがやった伊藤さん殺害事件でよそ者の仕業で犯人は一人捕まった。
現地人は平謝りであの壮大なる葬儀に出ている。
詳しくはいずれ触れたい。
花言葉は困難に負けない。
誕生日の花・・花言葉と・・
爺のブログとおりにやってた輩のブログのことがあった。
このつまらぬブログの書き出しさえソックリで
挑発して
書いていた。
似たる息子がいるので心情は良くわかる
ただし早朝起きてる精神力がないためどこかの花言葉の盗作
だらしない。
爺は単純。はっきりNHKの盗作としている。
いいではないか。
HNKだもの。
早朝みなさん大変ゆえ情報のおすそ分けである。
普通300ぐらいで推移している爺のつまらぬブログのアクセス数
30ぐらい増えるのはこの爺のブログに騒ぐやからがあったとき。
周りが楽しみで覗きにくる。
いいきなもんだ
こんな品のないことはない。
やってる事の犯罪性がわかっていない。
丁度三桁にないかのブログの数とあう。
選挙に行くな!とか腐臭漂うブログゆえ批評もムダである。
読むに値しない。
憂国のかけらもない。
これらの世代の人たちがこの国を背負っている
フイリッピンや台湾や韓国は米国軍隊を追い出し主権を回復した
この国はナンなのか。爺らの世代は仕事との両立で時の政権と必死で抗してきたが壁の間に跳ねられた。
今歴史の真実が表面化しつつある。新政権の力である。
隠居の年齢にある爺らは孫の世代の未来を憂える
かのブログはほとんど自説がなく他人様の著書なりの無断引用
ひとさまの著書を無断引用は学者気取りの方にはいただけない。
自分の言葉は僅か数行で他はみんな他人様のもの。
グウスカ日々の惰眠にあればロクに学問はなく大学時代の蓄積で生きてるだけ。
笑わせるではないか。
無学なる爺を捕まえ満足とはチャンチャラおかし。
自分が組みしやすき論じやすいものに狙いを定める。
とても論じきれないヒトは犬の遠吠え
キャンキャン。
寄り付こうともしない。
情けないではないか。
堂々と挑んでみよ
現役同士で。
このブログは敬愛する方々の借り物に過ぎない。
爺は第一線にはない。
だらしなき体たらく
爺の尊敬する副島、植草教授たちを中身なく侮蔑するだけ。
著書を惰眠のため読んでないゆえ論評さえできない。
学者の端くれのつもりならその同じと思うレベルでやったらどうか。
その勇気はなかろう。
もう何年 爺のブログを日々点検して楽しんでいるか。
他にすることないのか。
信奉する小泉純一郎も竹中平蔵も危ないのは英国の情況からこの国の動き始めたことで読み取れないものか。
政権交代の理解不足
権力がわかっていない。
残滓の地方検察庁検事正 岩村修二は交通事故の前歴さえ関係ないようだし久間特捜部長の漆間麻生内閣か暴徒の機密漏洩、トップの樋渡総長は任期が早くなり先倒し辞任だろう。
政治を読めと言っても
盲目ゆえ無理ではあろう。
望むベキもない。
東北の物産展を宮崎でもやっている。
山形には二度いった。
最初のとき将棋の街・天童の二泊を利用して奥羽本線を山形を経て隣駅・北上ノ山駅で下車した。
一時間もかからなかった。
目的地に一人散策した。
同行の詩人黒岩敏郎大兄は全国から集められた詩の添削入選作選評で多忙で行けなかった。
ただただ残念である
夜半になり部屋にこられ
「ドンゲじゃったネ」
声かれられたがうまく会話さえできなかったことを含め鬼籍にいられ残念無念である。
ところであのときを確かめるため鉄道図を見て驚いた。
駅名が茂吉記念館前駅と改称されている。
斉藤茂吉は山形上山市の地の守谷伝右衛門の第三子として生まれた
ウン?斉藤=守谷?
あの文学的DNAは父方に秘密があるのであろう。
祖父の金沢治右衛門は和歌を嗜んだとある。
茂吉記念館の記憶がある。
守谷家には、茂吉が小学校卒業後に進学するだけの経済面の余裕が無く
親戚で浅草の医師の斎藤紀一の家に養子に入る
東大医学部を経て精神科医を開業する
茂吉の次男のドクトルマンボウの北杜夫の楡家の人々に詳しい。
長男は後継者の茂太。
戦災に会う青山医院や茂吉と妻との不仲も赤裸々に露骨に描かれていた記憶がある。
大学生時代から私淑していた人がある。
上野の小山の北に降りたところにある林家三平師匠の近くの根岸に小さな庵で過ごした
人・ 正岡子規の竹の里の歌に出会い、勧められで伊藤左千夫の門下となる。
明治30年のことである。
妻の弟は堀内敬三である。
爺らの年代はラジオの世代。
この国にはテレビ放送がなかったゆえである。
音楽の好きな人は誰しもが覚えている紹介のフレーズがあるハズ。
NHKラジオの「音楽の泉」である。
司会進行役・解説者をアナウンサーが紹介する。
「おはなしは、堀内敬三さんです・あるいは・でした。」
情報に飢えてた田舎モンは懐かしい響きを覚えている。
その博識ぶりはあの森繁も頭の上がらなかった
博学・徳川夢声さえシャッポを抜いている。
ウエキペデアにある。
「話の泉」での共演者の時のことを書き残している。
「彼・堀内のモノ知りは非常に本格的なのである」
音楽・鉄道・電気・化学・歴史・地理・国文学・和歌俳諧・歌舞伎・落語などジャンルを問わない。
爺の持ち歌の一部はこの人の曲訳詩になる。
ジャズ調の青空 (My Blue Heaven)」アラビヤの唄等である。
昭和2年頃と言うから驚きだ。
山口下関の人浅草オペラの第一人者・二村定一がヒットさせた。
カラオケのバックミュージックに二曲ともある。
過半友人が教えてくれチャンネルをあわしたことがある。
NHK教育テレビ「アラビア語会話」のテーマソングとして復活再度脚光を浴びていたのである。
中学時分の運動会で練習をした記憶がある。
♪若き血にもゆるもの♪あの慶応の応援歌の作詞作曲も堀内敬三である。
ほかにも映画になった蒲田行進曲、訳詩での紹介新世界のドボルザークの第二楽章遠き
山に日は落ちて
さらにヘイスの冬の星座・・ラジオ体操の歌訳詩ジングルベル
全国高校校歌・・・
数限りない。
来期より宮崎の人が監督になった「わがオリオンズ」=ロッテもそうである。
神田生まれであの黄色缶で勝手の唯一の東京みやげの浅田飴創立者のご子息。
音楽家はダメとの家訓を犯したゆえこの国に多くの癒しの音楽を残した。
日大藝術学部で教鞭をとられてたのでかなりのお弟子さんがある。
茂吉にも大きな影響を野kした。
たたかひのはげしきあいだ飼われゐて
生きのこりたる猿 蠅を食い
戦後の飢餓期の箱根強羅に飼われていたサル。
とまったハエを叩き落し食っている。
人間以上に人間臭いサル。
どうなんだろう
サルを笑いつつサルに笑われている。
サルはいつもこちらをヒトを監視している。
時代は変われど飢餓期でなくともサルは監視が大好きのようである。
サルは宮崎につき物のようでもある。
勲章を辞退した漱石が坊ちゃんの小説のなかで、うらなりが飛ばされるとこを描く
、日向の延岡なんて、猿そのへんをとびまわっているような表現ですもんね。
実際、夏目漱石は「坊っちゃん」を書いた後、正岡子規に侘びの手紙を残している。
根岸の子規堂に残って展示してある。
「君の故郷を悪く書いてすまなかった」
井上ひさしを越えるユーモラスな部分もある人が漱石の坊ちゃんその後を書く。
小林信彦の「うらなり」
宮崎の延岡に. 飛ばされた「うらなり」先生のおはなしである。
松山から日向延岡にウラナリは転勤する
延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ。
... 猿(さる)と人とが半々に住んでるような気がする。
いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何という物数奇(もの ...
しかし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、お望み通りでよかろうと思うて、
その手続きにしたから行くがええと云われたげな。
. 五円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐変木はまずないからね」 ...
坊ちゃんの面白いところを抜粋すと項ある。
「どうも難有う。だれが転任するんですか」
「もう発表になるから話しても差し支(つか)えないでしょう。実は古賀君です」
「古賀さんは、だってここの人じゃありませんか」
「ここの地(じ)の人ですが、少し都合があって――半分は当人の希望です」
「どこへ行くんです」
「日向(ひゅうが)の延岡(のべおか)で――土地が土地だから一級俸上(あが)って行く事になりました」
「誰か代りが来るんですか」
・・・・・
「ほん当にお気の毒じゃな、もし」
「お気の毒だって、好んで行くんなら仕方がないですね」
「好んで行くて、誰がぞなもし」
「誰がぞなもしって、当人がさ。古賀先生が物数奇に行くんじゃありませんか」
「そりゃあなた、大違いの勘五郎ぞなもし」
「勘五郎かね。だって今赤シャツがそう云いましたぜ。それが勘五郎なら赤シャツは嘘つきの法螺右衛門(ほらえもん)だ」
「教頭さんが、そうお云いるのはもっともじゃが、古賀さんのお往(い)きともないのももっともぞなもし」
「そんなら両方もっともなんですね。お婆さんは公平でいい。一体どういう訳なんですい」
気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げる訳にゆかん。
しかし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、
お望み通りでよかろうと思うて、その手続きにしたから行くがええと云われたげな。――」
「じゃ相談じゃない、命令じゃありませんか」
「さよよ。古賀さんはよそへ行って月給が増すより、元のままでもええから、ここに居(お)りたい。
屋敷もあるし、母もあるからとお頼みたけれども、もうそう極めたあとで、古賀さんの代りは出来ているけれ仕方がないと
校長がお云いたげな」
「へん人を馬鹿(ばか)にしてら、面白(おもしろ)くもない。じゃ古賀さんは行く気はないんですね。
どうれで変だと思った。五円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐変木(とうへんぼく)はまずないからね」
「唐変木て、先生なんぞなもし」
宮崎は、「坊っちゃん」の"うらなり君"が 左遷された、
猿と人が半々の田舎町。 ...
啄木はじっと手を見たが男30過ぎれば顔に責任を持てという。
宮崎も4日下着に長袖シャツに上着がほしい寒さが着つつある。
サルには毛がありうらやましい。
顔面には毛がない。
平たい
目も鼻も口も生意気にヒトと々配置いききと動く。
喜怒哀楽もある。
この時期は寒風が噴出すとのんびり温泉にもつかる。
宮崎幸島では海水で洗って芋を食らう。
ヒトそのものである。
科学的の分析されている。
ゴリラやチンパンジーはヒトの遺伝子配列が98,7パーセント一致するらしい。
たった1,3パーセントしか違わない。
ウマとシマウマの佐より小さい。
サルとヒトは兄弟文とは思っててもここまで近いと見まごう。
そんな僅かな差でありながら大きく違う。
サルは恥ずかしげなくサルマタをはかない。
バカ丸出し。
DNAが総てでないことの証左である。
ヒトを蹴散らし時分だけが生き延びようとする。
投票行動をバカのごとく言い書き散らし
投票にもいかない。
この国の富をさらにアメリカに渡せという売国竹中平蔵を神のごとく崇める。
当然小泉純一郎もそうである。
初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也
寒い中木にある猿が注意してヒトを見ている。
滑稽で狡猾ですばしっこく同時に気が抜けない。
悠長に構えていると大変である。
延岡は先月末薪能を千畳敷の石垣をバックで演じられた。
年々や猿に着せたる 猿の面
正月にはチョット早いがお小額猿回しが日光の猿軍団ヨロシク
災いが去ると舞う
災いが去るのはいいが疫病神のサルもあるので要注意である。
それもサルより悪く執念深いのはイケナイ。
宮崎の南の串間
幸島の隣の最南端の灯台の都井の岬には野生の馬がいる。
鎌倉の武士(もののふ)は駒は日向の駒と称えた。
その純血種に近い野生馬である。
そこにも野生のサルが群れを成して観光客からエサを奪う。
ヒトもウマも注意が大変である。瞬間ともヒマをくれない。
実にサルは厄介である。
宮崎の県北は漱石が書き、県南にもいまだサルがウマとともにウジャウジャいる。
ただ人畜無害で共存共栄にある。
みんなボンヤリ生きてはいる。
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