残り7日

2009年11月20日 お仕事
今日の誕生日の花は・・・・イワレンゲ
花言葉は・・・・・・・・よき家庭を築く

弁慶草科の岩蓮華はサボテンのような肉厚の葉。
小さき白いたくさんの花を穂のように咲かす。
岩肌の厳しき環境に孤高の人みたいである。
勉学に加わうるに年齢はないとも教えているようでもある。
子規と学友の漱石は明治28年から作句をはじめるとある。
早いお日様の落ち入るは思索にちょうどよい。
日向の地も少しづつ冬に向かいつつある。

木枯らしや 海に夕日を 吹き落とす

NHKラジオ11:20~の ありがとう森繁久彌さん~“日曜名作座”再び~の最終日は「藤沢周平短編集」夜の雷雨 -であった、
 終了時間の 12:00まえ最後に驚いた。
森繁の保存されてる声のひとつが紹介されて終わった。
それがナント!会津の人・草野心平の詩の朗読であった。

 さくら散る   草野心平

  はながちる               
  はながちる               
  ちるちるおちるまいおちるおちるまいおちる
  光と影がいりまじり           
  雪よりも                
  死よりもしずかにまいおちる       
  まいおちるおちるまいおちる 

この詩は大岡信著の花の名随筆4 四月の花/に著名詩人作品の多くが収められてる中の巻頭詩を飾っている
名だたる詩人の中で最高の栄誉を与えられている訳だ。
あの知れ渡ってる梶井基次郎桜の樹の下にはナゾ中ぐらいの扱いである。

宮崎は直木・芥川賞受賞者がいないお恥ずかしき状態にある県である。
  ただ詩作の方は全国トップにある。
詩界最高峰の詩壇の芥川賞たるH氏賞受賞者を多く生み出している。
圧巻は連続全国でH氏賞受賞を制覇した19991,92年の宮崎県人がある。
第41回 平成3年 杉谷昭人 人間の生活
第42回 平成4年 本多寿 果樹園

平和運動の闘士で同席してた高教組委員長 杉谷昭人があのH氏賞受賞者にダブラするには時間がいった苦い記憶がある。
酒を酌み交わす場面でおたずねしたが会話はそう進まなかった。

ところで何故詩界最高峰の賞が何故H氏賞なのか。
これは公表されてなかったのでズ~ッと伏せられていたのである。
ちょっとそこで人柄なりを知ろうすると県民性の気質が重なる。

福井土佐宇和島薩摩は黒船を向かえ結束して朝廷・幕府を見据え国難に立ち振る舞った。
幕末の四賢公である。
その時代をリードした福井の松平春嶽公の右腕橋本左内が安政の大獄により刑死する。
四賢公の島津斉彬公より「東湖をみずして左内をみよ!」と若かりし西郷隆盛を諭すくだりがある。
急進派の行動の学問水戸の陽明学の碩学藤田東湖は時代が僅か数年世間に出るには早く世の主流でありすぎた。
幕末の時代をリードした水戸は勤皇党で惨殺され人材が枯渇した。
両国回向院の別院南千住五丁目にある回向院に吉田松陰・頼山陽の御曹司頼三樹三郎らともども眠ってる橋本左内。
福井松平春嶽公は肥後から横井小楠を招聘そこで抜擢された三岡八郎、由利公正で幕末明治初期に対応した。
爺の敬愛やまない 蛮社の獄で追われた岩手水沢の人高野長英ともども隠れた維新功労者である。
爺は新潮文庫の上下吉村昭著「長英逃亡」山田風太郎著「伝馬町から今晩は」
鶴見 俊輔著「高野長英」で触れた
後で国難における19日国会戦略に触れるが小沢一郎が敬愛すとして原敬を墓参するがどうなんだろう
本人に敬愛する人に西郷隆盛をあげている。
爺は生き様は岩手の生んだ4人の総理のうち米内光政に近いと感じてはいる。
実松譲著「米内光政正伝」光人社刊にみる
お国の水沢の三偉人に高野長英、斎藤実、後藤新平が記念館として親しまれている。
自民党の本丸たる加藤宏一と小沢一郎は一生涯のたたかいであると思っていた。
水沢の人小沢一郎は憂国で国難あたっている。

さて話を戻す。
杉谷昭人 本多寿 が受賞した頃
まだそのときは基金提供者スポンサーなるひとさえナゾであった。
それとなくおぼろげにも自らも詩人で プロレタリア詩人詩集小田揚の作品もある人であることがわかった。         
協栄産業・平澤貞次郎(1904年1月5日 - 1991年8月20日)そのひとが表面化したのはそういふるい話ではない。
確か幕末四賢公の福井三国町出身。
平澤=H氏であったわけである。
詩界のとってもいい話である。

宮崎の詩界に力を得たのは偶然ではない。
培われた蓄積が花開いただけである。
最高峰に渡辺修三の先駆的業績があり、神戸雄一 谷村博武 金丸桝一 黒岩敏郎 黒木清次 富松良夫 ・・・多く人々を輩出した。
いずれも素晴しき装丁の著作で図書館に足を運ぶ楽しみにある。ご厚誼いただいた方々はいずれも鬼籍に入られ涙でむせる。
では何故爺は文が不味いのか。
数学の授業を金丸桝一から受けていた。
その時勉学を捨ててるゆえ詩の権威の金丸桝一がまっさか同一人物ナゾとはまったくない。
数学の授業はサボリ友人に代返でもっぱらどこかで遊びふうけてたりパチンコ三昧。学生服にタバコをくわえていい気なもんだ。補導には参ったモンであった。
黒岩敏郎と仕事で机を並べてたのに多忙すぎお話の機会さえなかった惜しい過去がある。
全国詩選考でしょっちゅ上京ゆえであったりこちらの忙殺だった日々ゆえだ。
著作に触れ「シマッタッ!」後悔多謝。
誠にお恥ずかしき無学の徒である。

芥川直木賞は候補作品までは何人かある。
 井伏鱒二門下一 の才能でなんども芥川賞候補作品のある中村地平 は南方文学の代表でもある。
ヤクルト監督を勤めた人武上の妻はこの人の娘さんである。

「芸術新潮」の初代編集長となる宮崎の人・菊池重三郎 は島崎藤村と懇意であった。
戦時中、木曽馬籠にある藤村の祖父の隠居所に疎開していた。藤村が1943(昭和18)年大磯で亡くなってから藤村記念堂を開設にこぎつけた。
随筆『木曽馬籠』小説集『鸚鵡(おうむ)の宿』に交友記録がある。
訳としてロングセラー「チップス先生さようなら」がある

NHKラジオには楽しみである。
深夜1時からあの政府主催天皇在位20年で最初に披露した人・鮫島有美子が 「マリア・カラス」を語った。
これからは難しきオペラを聞いてみたい

小沢・鳩山戦略が見えてきだした。
普天間のこと強行国会である。

名護市長選 移設反対の候補を一本化 来年1月実施 
米軍普天間飛行場の移設受け入れ是非が争点になる来年1月の名護市長選と読売11月18日。
、民主、社民党が推薦を決めている元市教育長、稲嶺進(64)と、共産党が推薦する比嘉靖(65)の両陣営が
17日夜、候補者を稲嶺氏で一本化することに合意した。

これで来年1月の名護市長選は、「移設受け入れやむなし」と辺野古移設を容認する島袋吉和市長と「移設受け入れに反対」の比嘉氏との一騎打ちとなった。
今まで移設受け入れを背後で応援してきた自民党は、今回野党になったことで、公共工事など利益導入の選挙応援が出来ない。
対立候補者一本化で島袋市長はかなりの危機感を持つのではないか。
そこで島袋氏は12日に「より早期に解決できる代替案が提示されれば歓迎する」と述べ移設容認から軸足を移す可能性を示唆し始めた。
もし1月の名護市長選で移設反対の比嘉氏が当選すれば、いくら国の安全保障は政府が決めることで、地方自治体ではないといっても、住民の意思が選挙を通じて示されれば大きな影響力を持つ。
さらに7月には参議院選が行われる。
すると県外・国外移設を求める県民の声はさらに高まることは必至である。
それでは岡田外相の主張する嘉手納統合案さえも吹き飛びかねない。

沖縄・自民県連、「県外」決議へ調整 与野党一致なら初
地元紙が伝える
普天間飛行場の移設問題で辺野古案の見直しを検討している自民党沖縄県連は鳩山政権や米政府に同飛行場の県外移設を求める県議会決議案の提出を目指す動きが本格化した。
同県連は、総選挙で県外・国外を訴えた民主党を中心とした鳩山政権に対し、「県外・国外を検証せず、閣内が統一されないまま、嘉手納基地統合まで提議している」と批判している。

これらに宗主国CIAに操られている自公政党が黙っているはずがない。
毎日新聞が「民主党の大型スキャンダル」をスクープした 創価からの情報組織があるゆえだろう。
国会議員秘書 「小沢氏秘書が寄付を強要」 経験者証言毎日記事である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091119-00000008-mai-pol
民主党の青木愛衆院議員(東京12区)の複数の公設秘書経験者が「小沢一郎幹事長の秘書から、秘書給与の一部を
青木氏の政治団体へ寄付するよう強要された」と毎日新聞の取材に証言した。

小沢VS.検察第2ラウンド

 民主党の小沢一郎幹事長の政治資金団体を巡る金銭疑惑の報道が相次いでいる。
不透明な土地取引が明らかになったのに続き、今度は水谷建設サイドからの1億円資金提供が流れた。
水谷建設の元トップが検察の事情聴取に資金提供を供述したというものだが、水谷元会長は服役中。
供述の中身も含めて、検察のリーク情報。
誰が服役中の人と接触できよう。
虚偽記載で秘書が逮捕されて以降、冷戦が続く
小沢VS検察。
秋の陣が静かに幕をあけつつある。

 明治十年、血気にはやる若者たちに自らの命を委ね、西南戦争に立ち上がった西郷隆盛の詩がある。
  
偶 感
西郷 南州 作
幾たびか辛酸を経て
志 始めて堅し
丈夫は玉砕するも瓦全を愧ず
我が家の遺法人知るや否や
児孫のために美田を残さず

この西郷隆盛の七言絶句の心意気とは全く逆に、やるべき時にやるべきことをせずに、
節を曲げても瓦となって長生きさえすればよい、
子孫にも財産を沢山残せばよい、という貧しい心根が現在の日本に蔓延している
国家に変革にかける小沢の政権維持の金にカラム呪縛は政権維持のためにとの高邁なぬ憂国の情と複雑なる経験を持つ爺ゆえ察する。

加藤の乱のときの逸話を覚えている。
小渕内閣不信任案を鳩山民主・自由党小沢一郎は金曜日に国会提出と図った。
加藤宏一は月曜日とした。
その二日で宏池会は消滅した。
野中広務は北海道ナゾに飛び回り二日で宏池会を古賀派小里派加藤派と分裂させた。
小渕内閣不信任案は否決された。
小渕は急逝、森総理が誕生すぐ小泉政権となった。
小沢「政治家は勝負どこがある。」加藤宏一を評した。
加藤山崎のみで国会に行うとするのを止めたのが谷垣自民党党首である。
「加藤先生! アナタ "大将" なんだから! 1人で・・・・1人で突撃なんてダメですよ!」
加藤宏一は涙で本会議出席をあきらめた。
山形と岩手は東北人ではくくれない。
秋田宮城が間にあり隣接県でもない。
九州人には隣接県の正確なる位置さえわからない。

憂国忌に大忙しき人がある。
市ヶ谷国会は24日から再開される
その翌日が39年前に三島由紀夫(1925年大正14年1月14日 - 1970年(昭和45年)がその場所で割腹して果てた。
 言ふなかれ君よ別れを
国家を滅ぼす軍事国家作りの人々は宿敵ではないか。
・・憂国ではその一点でのみ心が理解できる。
気品ある国の未来を賭けた武士の魂はどこから沸きえたのか。
父・梓は、東大を経て大蔵省入りをしくじり農商務省。
後に内閣総理大臣となる岸信介、日本民法学の泰斗と称された我妻栄とは一高以来の同窓。
母・倭文重は金沢藩主、前田家の儒者橋家。

祖父は内務官僚となり、福島県知事、樺太庁長官等を務めたが、疑獄事件で失脚。
妻は武家永井家の娘。永井荷風は大叔父
父・梓の風貌は荷風と酷似していて、三島由紀夫は陰で「荷風先生」と呼んでいたとある。
そのDNAの三島由紀夫は学習院、恩賜の銀時計組その後東大を経て官僚。
作家に転じた。
1945年(昭和20年)2月、入営。
軍医が胸膜炎と誤診し、即日帰郷。
「徴兵逃れ」ともの悩みが付きまとった。

益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに
幾とせ耐へて今日の初霜

散るをいとふ世にも人にもさきがけて
散るこそ花と吹く小夜嵐

多磨霊園に眠るこの人はいまのこの国をどうみていようや。
嗚呼ッ!長生きは・・・爺の慟哭は・・

○国会会期は残り実質7日。ようやく参議院に回る。
参議院国対委員長の平田健二(参院岐阜)の
「臨時国会は召集4週目で残り1週間だが、参議院には一本も閣法(内閣提出法案)が来ていない」との愚痴も収まろう。
強行採決は政権交代での裏返し。
果たして郵政株売却中止法まで行けるのか。
小沢VS亀井の争闘でもある。

○ザワーミロ!ペットボトル入りヌーボワインは地元から禁止された。爺の生き様の直感は伊達ではない。
○時間が少しある。僧侶の睡眠に浸るか

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・よ・ろ・し・く





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