晦日

2009年10月31日 お仕事 コメント (1)
今日の誕生日の花は・・・・オケラ
花言葉は・・・・・・・親しみやすい
キク科多年草で背丈は50~100センチ
放射線状に白い花をつける若芽は食用とした。

はまぐりの ふたみにわかれ いくあきぞ

田舎にいると名の通った人々に縁がないこと。
テレビの普及はその点ありがたい。
ただ耳をそばだてると宮崎でもお話は聞ける。
毛利衛宇宙飛行士が27日、25日日野原重明聖路加医長とお見えになった。

爺の身近なる方はなってぇ~たって円楽師匠。
宮崎に定席を目指し宮崎落語会に数年間おいでいただいた。
赤字額解消にと苦労したもので工夫をした。
高座は遠く離れて90km延岡宮崎と今思えば無理どこではない。
夕刊ディリーの方、可愛屋こたつ師のご努力による功績大爺は社会改革の日々奮闘ゆえ100パーでなかったのが今は悔やまれる。
あのころから芸術協会所属の垣根を越え歌丸師匠の総領弟子歌春師匠(あのころは歌はる)がご同行いただいてたものだ。
ただこの田舎にはまだ時期が早かった。
券はまったく売れず緘口鳥がいつも鳴いて自腹買取。
ただ商業的に目をつけたホテルがデナショー形式で田舎にも息づいて、かすかに落語のにおいは残ってるのがせめてもの救い。
申し訳ない気持ちでいっぱいである。
円楽師匠の寿命を縮めてしまっている気合がする

小さん会長の落語協会の所属芸人の真打乱造に円生師は異議を唱え
対立は落語界を二分した
円生師匠には
古今亭志ん朝、立川談志、月の家円鏡(現・橘家円蔵)、林家三平、円鏡の師匠橘家円蔵・・・・
人気絶頂の面々をも従えた
小屋の経営者の席亭会議で鈴木銀太郎らは円生派を分裂側と見て寄席に出さないと宣言
人気の面々は旗を降ろして香番を落とし協会に復帰する。

円生一門の脱退!昭和53年1978年5月8日の落語協会理事会のことである。
おそらく初めてのことであろう。
落語協会分裂騒動とは?と落語界が社会ニュースに取り上げられる問題となった。

円生師匠は三遊派を結成
グリコ少年ペタリコンの新作で一世を風靡してた
ぬう生円丈師匠と二人のみが円生師匠と円楽跡目の怨恨で一門に加わらなかった。
三遊亭円丈著御乱心1986年、主婦の友社刊の
新書版で知ったものである。

その後立川談志師匠も一門を立てた。

円生が突然他界し、落語三遊協会円生一門は解散する
円生の生前に落語三遊協会を託されていた円楽は落語協会に復帰することはせず
残った円楽一門だけで大日本すみれ会を立ち上げる。のちの円楽党である

芸を磨く本拠地たる寄席の高座に上がれないゆえ
結局総領弟子円楽師をはじめとする一派のみの苦労は続く。
寄席に出ることができない弟子達を憂い自らの私財を投げ打ち円楽一門専属の寄席「若竹」を1985年建築
莫大な借金を抱えることになる

若かりしころ苦労続きの円楽師匠は命を早めた。
円生師匠の芸への一途さゆえ総領弟子円楽師にズッシリのっかかってたものゆえ全国行脚である。
ゆえに他の落語家にない苦労をした。

上京の折は東西線を乗り東陽町駅から区役所をやり越し書店の看板を見つけてホッとした。
一Fが書店で上階に上る
別世界の空間寄席若竹に浸った。
出囃子の三味線とか太鼓もなんかレコードと感じるものがあった。
とにかく駅から遠い・・そう感じたものである。
テレビでの歌丸師匠の仲間ゆえの「大赤字の若竹大丈夫?」の揶揄さえ田舎で聞いてて痛かった
60年春寄席を打ち上げたときの披露のとき感じた。
池袋駅は西武が東で東武が西にある面白さ
その西武デパート傍なのに燦燦たる情況の池袋演芸場
まだ総てがたたみ一面の座敷敷きにはお客がまったくいない。。
田舎ものの直感は不思議とよく当たる
芸人が始めて小屋を作った寄席若竹は平成元年秋に閉鎖。莫大な借金を抱えた

今笑いの芸は大きく裾野を広げている。
ただ人間が描いてなく本当の笑いではない。
何故このようなる情況にあるのか。
落語界の不均等一極集中にある。
大阪吉本のことはおいてて東京事情だけの純粋論ではと爺は見る
落語界は落語協会と芸術協会と二つの団体がある。
構成員数からも落語協会のほうが色物芸人を含め隆盛を極めている。
4つの寄席の上野鈴本新宿末広池袋演芸場隼町の国立と月の10日ごとにそれぞれが張る
落語は明治の円朝のころから二つのお家芸が競った。
三遊派の人情話と柳派の滑稽話。
三遊派が小屋の高座に出れなくなったゆえ柳派隆盛にアルことに起因するとみる。。
それは脱退のあの時いらい人情話の一門が大挙去ったからである。

柳家とは違い、理論的、具体的に落語の本質に迫る三遊亭の良さや手法が、
柳家が主流になった寄席を中心とする落語界では忘れ去られている
宴楽師匠のネタを聴けば解る「たがや」「薮入り」」「芝浜」「文七元結」「中村仲蔵」・・・
  何故そういうのか。
一人円生師匠に追従しなかった関西の桂三枝と二人の新作の巨頭三遊亭円丈師匠に見れる
昨年古典「百年目」を隼町の国立演芸場での高座にかけた。
「やむにやまれぬ気持ちから古典への封印を解いた」
円丈師も結局三遊派の芸の正当性から抜けきれないでいたのである、
狛犬の全国探索から心眼を極めてたのであろうか。

三遊亭円楽は一人たたかい多くの弟子に正当芸を使え残した。
2010年に円楽襲名をする楽太郎より円橘鳳楽師匠の方が声の質、間、芸風が円楽師匠を髣髴させる
嗚呼!昭和が・・この国の伝達の手段の庶民芸の魂が抜け落ちていくのが辛い!
NHKラジオは話の泉に毎月火曜日第一二だが10月、はじめて談志師匠が出演しなかった。
こりゃぁ~イカン!と思ってたら・・・
  へたくそな円楽の芸が・・のフレーズはもう使わなくなるんであろうか。

円楽師匠・・・・
今一度楽しきあの日の打ち上げの一席
師匠はアルコールはまったく飲られなかったが
一献酌み交わしたいものである。
師匠の冥福を深く祈ります。
痛飲して祟っている
PCがうまく動かない。
何故?・・
嗚呼!
総領弟子楽太郎は九州にある
その後も田舎周りと芸は怖い。

芸は受け継がれていく。

30日衆議院代表質問山口創価代表の切り口には驚いた。
 鳩山民主党の指導には 心から期待する
与党でも野党でもないゆ党の宣言
 見事に受け継がれている。
石井一選対委員長は即在に自民党10年支えてて・・
これも創価嫌いが受け継がれている

貧乏も世襲?
1億総中流社会と
いわれた日本ですが
いつの間に
少数の大金持ちと
大多数の貧乏人たちという
格差社会となりました

さらに深刻なのは
親から子、さらに孫へと貧困が
リレーされていくこと

まるで封建時代みたいに日本は
身分制度がしかれている国に
まるで発展途上国みたいに日本は
階級社会の国に
なってしまったみたい

結果の平等どころではなく
機会の均等さえない国
そんな子どもたちが
未来に希望のもてない国
そんな活力のない日本に
どうしてなってしまったのでしょう
これも受け継がれていく・・
この国は怖い。

今日は
晦日の決算日。
これもはるか江戸期より受け継がれている

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コメント

どん太
2009年10月31日8:23

ええ、階級が固定してますね、この国。
「ゆ党」気に入りました♪

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