ウェーブ

2009年10月30日 お仕事
今日の誕生日の花は・・・ナギナタコウジュ
花言葉は・・・・匂いたつ魅力

シソ科、薙刀香ジュ
実は花自慢の爺もムカイヤスコアンカーのラジオで聞き最初なんのことかわからずマゴマゴ。
ネットはありがたい。
写真を見て解った
よく見るやつではないか。
http://www.t-yam1.thyme.jp/folder2/f2n/naginatakoujyu.html
野原道端や草地などに普通に見られる雑草あつかい。
ネットにあることに驚いた記事
利尿、解熱、止血薬として全身浮腫 風邪、腹痛等に用いる。血行を良くして発汗を促す作用もある。中国の生薬
ホント!?という感じ。
シソ科の植物らしい紫色の花で一方向だけに反り返ってつくのが特徴
それで「なぎなた」という名前が冠されたのか。
ネットの名前の由来は、この植物を干したものをコウジュ〔香鷹〕と呼んで薬用にすること
、花穂が反り返る様子をナギナタに見立てたものとある

1年草で、高さ30~60センチ、強い香りがある。
葉は対生で長柄があり、長卵形で先は尖り、粗い鋸歯がある。
茎の先端に花穂をつけて、淡紫色の唇形花を片側だけに密につける。
名前の字も辞書には載っていない。薙刀香鷹

旧暦のこの日は13夜。栗名月
十三夜は爺の持ち歌
のちの月は十三夜
列島の北の天候では無理のようであるが
九州はどこでも見れる。

おもわざる やまよりいでし のちのつき

この雑草のお話には爺が発奮した深~い思いがある。
筆がたち随筆家でも名高い方で多くの著作をなしている。
昭和天皇に生涯使えた入江 相政侍従長(すけまさ1905年(明治38年)6月29日 - 1985年(昭和60年)9月29日)侍従長である。

昭和天皇と入江侍従長との会話を入江相政著書で読んだ記憶が鮮明に残っている。、
手元に著書が見つからないので記憶で書くとこのようであった。
「庭を掃除したのは誰?」
「あそこの雑草はとりました。」
「あのねぇ~雑草というものはない。みんな名前があるんだよ」
植物博士の昭和天皇の面目若如。
実直で生真面目な入江侍従長の苦渋が見て取れる。
おおいに恥いたとあった。。
冷泉家は藤原定家の子孫。

入江 相政侍従長の父・為守は藤原北家の支流冷泉家・冷泉為理の次男。
公家華族入江家にいり入江を名乗る。
入江為守子爵の三男として生まれる.
母・信子は柳原前光の長女で大正天皇の生母・柳原愛子の姪
入江相政の妻・君子は三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘で三菱の創業者。
1969年から1985昭和天皇の侍従長を務めた。追勲従二位
歌人・柳原白蓮の甥であり、元岩崎勝商事社長・岩崎勝太郎は相政の義弟

今と違い時代背景もあり天皇家記事はタブー
女性セブンが皇室記事のお得意分野で許されていたぐらい。
テレビは皇室アルバムぐらいである。
その漏れ伝えられるのも侍従長の開かれた皇室への配慮。
皇太子明仁親王と正田美智子の結婚に対する香淳皇后の反対、も取り成した。

昭和天皇の健康の衰え、妖怪として排除した今城誼子(いまき よしこ)女官をめぐる宮中の騒動で辞任さす
1971年まで香淳皇后付の女官を務めた人である。
その時のくだりは京都の宮廷政治そのもの。
随筆家として多くの著作があり天皇家を語るに必読書
、GHQの意向で任命された昭和20年代の田島道治宮内庁長官のこと
、数々の秘話が紹介されている。
1985年(昭和60年)9月29日:侍従長勇退を目前にして虚血性心不全で80歳にて死去。

初代宮内庁長官田島 道治(明治18年(1885年)7月2日 - 昭和43年(1968年)12月2日)
田島家は、三河国高浜に500年続いた旧家であったが、明治維新で没落
道治は新渡戸稲造と内村鑑三の門下生。後藤新平に引き立てられた。
昭和2年(1927年)井上準之助の肝りで昭和金融恐慌後の金融破綻の収拾策に奔走した。
CIA下のもと初代宮内庁長官。吉田茂と気脈を通じた。
宮内庁を辞した後、請われて東京通信工業株の監査役に就任。これが後のソニーで、取締役会長となった。、
長男 譲治は学習院大学名誉教授で- 妻周子は元外相松岡洋右の長女 。
何故これらに触れるか。

実は29日22時からのテレビの山崎豊子の不毛地帯をみてのこと。
渡辺健の沈まぬ太陽にも描かれてるのが共通主人公である。
文藝春秋で今年2月号で山崎豊子「運命の人」が完となった。
2005年1月号から沖縄返還をめぐる密約を暴いたあの西山事件を描いた。
外務省極秘電文のコピー。
これによれば大きな金が動いていた。
、福田赳夫蔵相とデヴィッド・M・ケネディ米財務長官との会談内容にある。
国会で極秘電文は本物と認めざるほど追い込まれていた佐藤内閣
ところが謀略のワナがあった
毎日記者西山は情報ネタの蓮見事務官との痴情事件として政治問題を乗り切った佐藤栄作内閣。
作らず持たず持ち込ませずでノーベル賞唯一の政治家佐藤栄作である。
09年になりその問題がウソであるのが米国文書で明らかになりつつある。
普天間移転にも大きな利権が背景にある。
海兵隊基地には大きな基地はいらづ米国の要求での今の規模の計画になったのではない
 裏がある。
日本から持ち出した案である。
尾身久間代議士の暗躍もアル。
八つ場と同じ利権構造である
ゆえに米国との強力なる圧力なんである。
鳩山政権の苦悩はそこにある。
「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」は三部作。
二つの祖国はNHK大河ドラマ枠で放映された始めての時代劇でなかった作品
アメリカにおける新聞記者の話だが太平洋戦争で気付きあげた新聞組織が総てダメになる。・・
「大地の子」もNHKが映像化した。
「不毛地帯」はきわめてノンフィクションたる防衛問題のはしりである
   ロッキードVSグラマン。
      丸紅VS日商岩井
    瀬島龍三VS海部八郎

海部八郎の国会証人喚問は1979年2月14日
ダグラス・グラマン事件の証人喚問で宣誓書に署名する際、
手がふるえてなかなか書けなかったシーンがテレビ映像で流れた
明治の国づくりの立役者大久保利通の孫はその下で働いていた。
大久保は毅然としていた。エエッ!大久保利通・・驚いたものであった。
海部 八郎のことは26日他界した室伏哲郎 著「海部八郎…乱気流の復権」 三天書房刊に詳しい。
田中角栄の失脚にもなっていくこの国の業。
政権交代からテレビでさえしかもお台場フジがこのようなる番組を作った素晴らしさ。
これらのことを考えていたら時間がなくなった。
いずれ山崎豊子に触れたい。

本来はこちらである。
マスメデアのデタラメぶりが表面化した。

鳩山演説後半部分

日本は、140年前、明治維新という一大変革を成し遂げた国であります。
現在、鳩山内閣が取り組んでいることは、言わば「無血の平成維新」です。
今日の維新は、官僚依存から国民への大政奉還であり、中央集権から地域、現場主権へ、
島国から開かれた海洋国家への国の形の変革の試みです。
新しい国づくりは、誰かに与えられるものではありません。
現在の日本は、黒船という外圧もなければ、敗戦による焼け野原が眼前に広がるわけでもありません。
そのような中で変革を断行することは、先人の苦労に勝るとも劣らない大きな挑戦であります。
つまずくこともあるでしょう。
頭を打つこともあるやもしれません。
しかし、後世の歴史家から「21世紀の最初の10年が過ぎようとしていたあの時期に、
30年後、50年後の日本を見据えた改革が断行された」と評価されるような、
強く大きな志を持った政権を目指したいと思っています。

今なら間に合います。

これまで量的な成長を追い求めてきた日本が、従来の発想のまま成熟から衰退への道をたどるのか、
それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の道を見いだしていくのか、
今、その選択の岐路に立っているのです。
私は、日本が正しい道を歩んでいけるよう、自らが先頭に立ち、国民の暮らしを守るための
新たな政策を推し進めてまいります。
私は、国民の積極的な政治や行政への参加を得て、国民とともに、本当の意味で歴史を変え
、日本を飛躍へと導くために全力を尽くしてまいります。
国民の皆さま、議員の皆さま、私たちの変革の挑戦にお力をお貸しください。
ぜひとも一緒に、新しい日本をつくっていこうではありませんか。

これほど感動する言葉がこの国の指導者からあったであろうか。

報道の危機!である
国難の時に報道関係者に愛国の士はあるのだろうか。
CIAの手先のデマと扇動と工作をしまくってる
民主政権側は どうにも情報工作を殆ど仕掛けていない
政権交代から一ヵ月半
 鳩山演説は歴史に刻まれよう。
小倉優子キャスターの夕方ニュース枠は酒井法子裁判のみ17時30分から18時まですべて時間を使った
18時から僅かの時間にのみ鳩山所信演説を流した。
このブログではアップしているとおり。
  どうなってるのか
爺の素朴な直感は間違いなかったようである。
何かある・・・
代表質問でさえあの扱いだからまったく報道されてない部分があったようである。
国会にいってた人のブログで教えていただいた。

谷垣党首の民主の雇用財政国債発行予算の政策批判。
鳩山総理の「あなた方に言われたくない」はアップしてたとおり。
それにも勝るやり取りがあったようである。
テレビでまったく報道されてないこと。
谷垣党首の後の西村議員の質問。
  「菅副総理は何をしているのか」
と質問した際の菅直人副総理の答弁。
「不幸にして(質問者の)西村氏が外務政務官として活躍されていたのを聞いたことがない」。
  これもウケました。母が拍手してました(^_^;
自民党政権の副大臣や政務官ってホントお飾りだったんだなあと思う。とある
国家戦略室は今のところ、人材プールの役割が大きい。
厚労省なんか、本気で政治主導でやる気なら政務三役の定員五人では足りない、
他省庁と絡む分野を、国家戦略室でプールしておいた人材が手伝う感じになってるんじゃないか。
そう教えていただいた。
ちなみに菅副総理、事故を起こした護衛艦「くらま」に乗って、閲兵式にも参加してた。
鳩山総理が外遊でいなかったので代理
仕事配分もちょうどいい訳である。

自民党は攻めようがない。
国家破壊の現在の情況は自公政権がなしてしまった結果に過ぎない。
  民主政権が大掃除中である。
谷垣代表質問のブーメランぶり
当面、しばらくの間、自民党は何言ってもブーメラン。
そう思わせる今日の代表質問。

このようなことが報道されてない。
ところが国民はさめていない。静岡神奈川の参議院補欠選挙でも勝利できたはずである。

ノリピー 視聴率は5.5%
ではあんなに肩入れしたノリピー裁判の邪魔しての国会情況。
ナント!視聴率5.9%
  平日昼間の数字である。
ノリピーは夕方時間帯放映さえ違っててもこの数字である。

居眠りの森元総理、マスクで眠ってる安倍総理
総理演説に聞き入り、時たまうなずく閣僚席の大臣は、自民党時代にない真剣さ
民主党が大多数を占める衆院本会議場も熱気にあふれていた。
営業状態悪いテレビ業界経営の持続性ある効果は どちらにあるか?は言うまでも無い
デマも百回を繰り返せば擦り込まれる を狂信的に反芻しても見たくもない現実を見ようとしない、

やっぱり馬鹿に付ける薬は無い
テレビを見ると馬鹿になる という言葉はいきている。
報道しない人々のことだ。
国会にいってた人のブログで教えていただいた。

「幸せなら態度で示そうよ」という歌があります
、日本国民だから日本語が堪能とは限らないし、コミュニケーションの取り方が難しい時代。
ネット社会もしかり。
だからこそ、今こそ態度でハッキリ示すことが大事。

 第173臨時会での政権交代後初めての所信表明演説。
この演説終了時に「スタンディングオベーション」(立ち上がった拍手を送り讃えること)が起こるという
日本の国会ではありえない珍しい出来事が生じたそうである。
テレビではこのシーンもまったく触れない。

 今の衆議院本会議場では、「腹切り問答」「粛軍演説」「吉田野坂論争」など様々は歴史的出来事が起きた。
2009年10月26日の「鳩山所信表明スタンディングオベーション事件」も議事録には残らない。
国会史に残るかも知れない出来事。
興奮してブログで報告されている。

傍聴席で見ていました
このスタンディングオベーションは新人の斉藤進さん(静岡8区)が起こ
したように見えたので、直接確認したら、やはりその通りでした。

 斉藤さんは52分間の鳩山スピーチの文脈に沿って、
「よし!」「そうだ!」
といったあいの手を入れていました。
斉藤さんは学生時代に弁論部で活躍していました。
中央大学辞達学会というサークルの代表を務めた経験があります。
辞達学会は海部俊樹首相が輩出するなど政界に多くの人材が出ています。
海部元首相は早大編入学後に早大雄弁会に入っています。
傍聴席からかなり遠いので確認は難しいのですが
阿知波吉信さん、坂口岳洋さん、畑浩治さんら数人の新人が
演説にあわせて、上手くあいの手を入れているように見受けられました。

 このため興味を持って見ていたら、所信表明終了と同時に議長から見て
「右2列2番」の座席(座席番号442)斉藤議員が座席から飛び跳ね、拍手をし、そこから「ウェーブ」ができたように見えました。
 ウェーブは周辺の1年生議員に広がり、徐々に後列の中堅、ベテランの議席にも広がっていきました。
中堅の国対副委員長は戸惑った顔をしながらも、ウェーブがやってきたのでしかたなさそうに立ち上がり
、やがて、民主党議席全体が総立ちになりました。
当たり前ですが、自民党議席は全員座ったまま、拍手もしませんでした。
 ウェーブはさらにひな壇(閣僚席)まで駆け上がり、菅副総理、岡田外相の2人の閣僚も立ち上がって拍手をしながら、鳩山首相が席に戻ってくるのを出迎えました。

 議長の真正面の座席に座っている他の新人は「自民党議員の野次がひどいなあと右を見ていたら、
左からウェーブがやってきたので、思わず立ち上がらざるを得なかった」と証言しています。

 斉藤さんは先輩議員からの指示は一切ないとし、アメリカ議会の大統領教書演説で、政策項目ごとに与党議員
、あるいは与野党議員が立ち上がって大統領に賛辞を送るのをみて、当然そうするものだと考えていたそうです。

 与党・民主党の新人には、国会での質問の機会や、議員立法、質問主意書の提出など「表現の自由」
が制約されるのではないかと懸念しています。斉藤さんはまさに「態度」で意思を示したことになります。

 中央大学で弁論を鍛え、東京都小平市議会議員を経て、浜松市中心部の静岡8区に政治活動の拠点を
移してからも徹底的な日常活動で、現職閣僚を破って初当選した政治青年が実質、国会デビュー
日に衆院本会議に吹かせたフレッシュな風。
 何だか新しい日本がスタートした感じがしました。

シカメっ面の与謝野馨大臣や毎度の舛添要一厚労相の頃は、
「どうせ仕事は役人丸投げで何もできないだろう」
と国民も最初からあきらめ、
だから総理の所信表明演説も全然盛り上がらなかったのだが、今度は違った。
それだけでも日本の政治にとっては、大きな進歩だ。
視聴率が悠然と物語っている。
○西武ネエ~。それにしても18歳の喋りなんだろうか。 国会議員よりすばらしきインタビュー姿勢。
 石川遼選手といいロンドンでの体操三人のメダリスト
 といいお喋りが素晴らしい!
爺はとてもでない。
お恥ずかしくて仕方ない。

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