22日「午後」はギラギラのお日様で舗装道路から湯立っている。
ギラギラ太陽は宮崎そのものである。
  ???
・・・日蝕・・雨でみれないハズとブログに書いてたジャァ~ン!
・・・このブログ・ウソッばっかし!知事も知事なら爺まで・・

あの~日蝕は雨の空の雲間から見えました・・ほんのチョッピリ・・
失明覚悟でコロナを漆黒の太陽を懸命に追いました。
わずかな雲間の時間に・・・・
それを証拠にはローカル地方局が全国ネット・フジ局につなげえて
宮崎の日蝕を放映してた映像がありましたッテェ~~!
雨でもなし晴れでもなし・・さりとて傘はほしい・・狐の嫁入り状態で
通りを歩いてると三人の親子の会話が耳にいる。
「おかぁさ~ん・・おひさまでないの・・・」
「今日は雨でしょう・・・」
「日蝕みれないジャァン!」
「どうして・・・」
生活重視の大人と違いロマン溢れる心根は子供の好奇心向上心を満たしてはくれない。
日蝕ファンは随分とフラストレーション溜まっていよう。
人は所詮神の領域には立ち入ることは出来ない。
月まで行ってて宇宙ステェーションさえ持ってる人類。
科学を駆使して地球の支配者のハズの人の、ちっぽけサ。
偉大なる自然の織りなす現象の巧みさ。
神には逆らえない。
ひたすら祈るのみ。
・・どうのように・・・
「太陽・・み・タイヨ~。」

「古事記」「日本書紀」の現場の宮崎は日蝕の22日のこの日
太陽神=天照大神・アマテラスの隠れたる高千穂では神楽が奉納された。
高千穂・岩戸神社は社殿がない。
鳥居の先には谷を挟んでしめ縄飾りの巨岩石が社殿である天岩戸。
世に存在する唯一の不可思議なる岩戸神社。
国家にある・・♪さざれ石の~♪のさざれ石も奉納されている。
これが祭られているアマテラスがこの岩戸の洞窟に隠れたゆえこの世が真っ暗になったところである。
太陽神たる天照大神が弟のスサノオノミコトの乱暴狼藉ぶりに耐えかねてここに籠もった。
暗き世に神々は心配して集まり天照大神が洞窟から出て来てこの世を明るくして貰うよう作戦を練る。
アメノイズメの尊の面白き歌舞音曲に洞窟内の太陽神・アマテラスは不思議がり岩戸の一部を開ける。
その瞬間、手力の尊の神が岩戸を開け、アマテラスをこの世にお出ましにいただき、明るき世となった。
東宝映画日本誕生では奄美大島出身の胸毛の横綱朝潮が演じた。
天照大神が弟のスサオオノミコトは出雲地方で困ってた八頭大蛇を退治して腹から剣を引き出す。
天皇神権の象徴たる三種の神器の一つ草薙の剣に祭られるお話。
天皇初代神武以前四代の始祖イザナギ・イザナミの子・孫らの
アマテラスVSスサノオの兄弟神の力の拮抗を精神学者が解き明かす。
昨年亡くなった河合隼人のこの大和民族誕生の兄弟神の力の拮抗の出雲・薩摩説を中空構造と呼ぶ。
それはイザナミの神が禊ぎをしたアワキガハラで誕生したイザナミの他の子らの神々の説明にさえ及ぶ。
その一人、月読(ツキヨミ)の神は太陽神・アマテラスの陰に隠れたる存在で夜を支配する。
太陽光に相違い月の光は優しく包む神。
大和心の月を愛でる微細心日本人の瑞穂の民族文化の構造の心根のDNAである。
爺の実家たる宮崎の農業中心の山間の農家では暦はいまだ月を利用した陰暦である。
農作業には24節季の月中心の生き方が一番いい。
明治維新で古来より使われてきた月中心の陰暦が、
世界統一基準=グローバル化の新暦の太陽暦に国家が押しつけたるだけである。
農業の中心の瑞穂の「米」は食だけでなくこの国では長らく「お金」そのものでもあった。
宮崎の田舎の農村の村々では春と秋、自然を敬愛、畏怖し祈り捧げ、村の神社に奉納する。
水と太陽がなければ農業の基本「米」の生産基盤はない。
ましてや宮崎は地政学的に稲作の大敵の台風の襲来地。
天の声神に祈るしかない。
政治の世界の永田町の巷流布してる小沢一郎の公共事業に於ける
「天の声」なるご意向は述べてきた歴史性からみれば「天の声」はこの国の流れからはご威光である。
太陽と月
この国の民族は宗教の多神教に似て崇める暮らしの自然観も太陽と月の調和にある。
本籍月、現住所太陽というところか。
そのまんま知事ナル異邦人が世間を騒がし足れば
神の仕えし二柱、神の領域の46年ぶりの奇跡の神秘も見えるはずがない。
神々に近づくにはその場だけの薄っぺらさでは
神事、信心とは言わず、八百神の神は見破る。
22日午前中のみ雨交じりの厚き雲、午後は晴れ。
もちろん23日雲一つ無きどこまでも青い中に
ギラギラのお天道様。
日蝕の日のあの時間のみのお日様が顔を総べてみせ得なかった不可思議さ。
神で紐解くしかない。
そしてそれが生じた。
22日午前中の一部の時間のみの神の下したる悪戯は方々に異論なるトラブルを醸し出した。

議員全員協議会が23日14時30分から開催される。
?????
・・・解散した・・・ジャ~ァ~ン!
22日宮崎県議会のことである。
人気者知事ゆえ批判してては自分の次の選挙に差し障るゆえ
腫れ物に触る扱いであった「知事様」に議会が混乱に顛末説明を求めた22日。
マスメデアの作り出したる知事に・・形勢逆転。

小沢秘書逮捕・二階産業大臣捜査終了の西松事件に検察審査会が「NO!」を突きつけ
22日検察は再捜査に入らざる得ない状態に追い込まれた。

リーマンショック後の経済のあり方を議論したアメリカ議会。
格付け会社の国家規制関与をしない、新自由主義に元ずく経済運営のあり方に「渇!」

レーダーがキャッチ出来ない消える戦闘機の最高技術のF-22にオバマ政権は製造中止。
下院が製造開始議決に22日上院が製造中止を打ち出した。
日本への譲渡交渉はいまだ進んでいない。
米軍への納入価格が120億円なのに日本譲渡予定は250億円と不透明きわまりない代物。

日々愛読させていただいてるブログの一つ植草一秀元早大教授は科学者らしからぬ
神のお告げに近き大和心の利にあった論を説かれるとこが爺みたいな無学の徒にはいい。。
・・・・
  総選挙は権力奪取をめぐる戦いである。
  戦いに勝利し、大事を成就するには「天の時、地の利、人の和」が整うことが必要である。
自民党は、このすべてを欠いている。
・・・・
科学者植草一秀元早大教授ブログから。
過去の総選挙結果と都議選を比較してみる。以下の数値をしっかりと見つめ直す必要がある。
総選挙の得票率と獲得議席
1996年10月20日総選挙
小選挙区  比例区   議席
自民  39% 33% 239
新進  28% 28% 156
民主  11% 16%  52

2000年6月25日総選挙
小選挙区  比例区   議席
自民  41% 28% 233
公明   2% 13%  31
民主  28% 25% 127

2003年11月9日総選挙
小選挙区  比例区   議席
自民  44% 35% 237
公明   2% 15%  34
民主  37% 37% 177

2005年9月11日総選挙 
小選挙区  比例区   議席
自民  48% 38% 296
公明   1% 13%  31
民主  36% 31% 113

に対して、本年7月12日の都議選では、
     得票率  議席
自民  26%  38
公明  13%  23
民主  41%  54

ここで、注目しなければならないことは、自民党と公明党が強力な選挙協力を実施してきたことである。
具体的には、「小選挙区は自民党、比例は公明党」
の選挙協力が実行されてきた。公明党が候補者を立てない選挙区では、公明票が自民党候補者に振り向けられた。
したがって、小選挙区での得票率を考察する際には、比例区での自民党と公明党の投票率を合計して分析する必要がある。
2000年以後の総選挙における比例区得票率と獲得議席数を、自民+公明と民主で比較すると以下の通りになる。

2000年6月25日総選挙
      得票率  議席
自民+公明 41% 264
民主    25% 127

2003年11月9日総選挙
     得票率  議席
自民+公明 50% 271
民主    37% 177

2005年9月11日総選挙
      得票率  議席
自民+公明 52% 327
民主    31% 113

これに対して、本年7月12日の都議選では
       得票率  議席
自民+公明 39%  61
民主    41%  54
小選挙区制度下での選挙では、最高得票を得た1名だけが議席を獲得する。
比例区が180あり、すべての候補者が同一順位で重複立候補すると、
150程度の選挙区では、第2位の候補者が復活当選する。
この意味で、民主党候補者は選挙区において、自民+公明の合計得票と対決しなければならないのである。

都議会選では、民主党に極めて強い順風が吹いたが、それでも、自民+公明票と民主の得票率は39%対41%で、接戦であった。
地方においては、情勢はなお厳しい。自民党、公明党は、40日間、徹底して民主党のあらさがしに注力すると考えられる。
民主党はすでにマニフェストの概要を発表しているが、子育て支援を実施する場合に、子供のない家計で、税負担が増加することなど、自民党は、民主党の政策のあらさがしを行ない、その部分を攻撃している。
民主党は、そのようなあらさがしに対して、柔軟に対応することが求められる。
問題が明らかになれば修正すれば良いのである。頑(かたく)なに微修正を拒絶することは得策でない。
問題が明らかになれば柔軟に修正する姿勢が重要だ。

さらに重要なことは、小選挙区での野党勝利を導くために、野党共闘を強化することだ。
社民党、国民新党、新党日本、新党大地の共闘政党だけでなく、共産党とも部分的にでも共闘体制を構築することが極めて重要である。
小選挙区で野党共闘を構築できれば、自民+公明合算票を確実に上回ることができる。

野党候補の闘いの相手は自公連合体である。
野党が結束して対応しなければ勝利を引き寄せることはできない。
大型地方選勝利に浮かれている余裕はまったくない。
自公合体政権は、8月17日のGDP統計を政治利用するだろう。
14兆円もの規模の補正予算を決定したのだから、景気が底を打たない訳がない。
問題は、14兆円もの資金を投入しながら、その大半を大資本と官僚のお手盛りに充当したことだ。

その姿勢は、生活保護母子加算200億円の予算を切り込んで、マンガ博物館に117億円を投入したことに象徴されている。貴重な財源を投入するなら、国民生活に直結する分野に資金を投入するべきである。
一時的に改善するGDP統計をプラスに評価することなどできない。
自民党内小泉一家や小泉チルドレンなどが、官僚OB新党などと連携することも予想されるが、
これらの「偽装CHANGE勢力」に惑わされてはならない。
野党連合が強固な共闘体制を構築して、本格的政権交代を実現しなければならない。
過去の総選挙結果を改めて精査し、野党連合はもう一段、気を引き締めて進まねばならない。

23日麻生総理は露骨なる締め付けに入った。
企業団体本部12社への自公政権への投票要請行動である。
22日マスコミを最大限利用しての非公開を公開として
全党一致の演出が功をソウしたようで逆風風が弱まった。

宮崎小選挙区3区総て自民勝利の構図が崩れた。
23日地元紙トップは自民候補乱立が報じられた。
中山成彬候補の出馬が表に出ている。
自民県連の推していた元自治大臣・上杉光弘候補の定席が崩れた。
25日森喜郎元総理を招いた15時からの観光ホテルでの集会の是非如何が勝負を決めよう。
2区の元建設大臣江藤隆美の子息江藤拓現代議士盤席にさざ波が立った。
元代議士大原一三の子息が急遽立候補。保守票が割れる。
民主道休候補に若干の勝利の芽が出てきた。
3区についての社民党候補・他県育ちの元国鉄労組出身では
  勝敗を決める浮動票の「票は集まらない。」
この党の候補選びは旧態依然のやり方で、世相が全く解っていない。
党員としての主張とか筋が通ってれば言い訳ではない。
政権交代は勝つしかない戦い。
選挙はお祭り。候補者=タマがわるくて御輿を担ぐバカはいない。
芸能人如き大衆性的集票できる人を候補とせねば勝てるハズもない。
「バカッタレ!」
自民古川候補盤席であろう。
東大→大蔵官僚→立候補落選→小泉派遣の刺客を跳ね返しての代議士当選。

挽回の手法はないのか。
3連休の限りで考えた麻生手法がある。

  会見で「ウソ泣き」をした疑い
衆院解散 麻生首相「上から目線」を返上し涙目演出 (7月22日スポーツ報知)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090722-00000024-sph-soci
 麻生太郎首相(68)は21日、衆院解散に踏み切り、「8月18日公示、同30日投開票」の日程で、政権選択の夏が始まった
。同日夕の記者会見では「上から目線」を返上。自らの失言や自民党内の混乱を陳謝。そのうえで、民主党批判を繰り返した。同日昼の自民党両院議員懇談会では、涙目になる一幕もあった。
3連休中、2005年の郵政選挙解散時の小泉純一郎首相の気迫あふれる演説を何度も見たという首相。
台風級の逆風を、果たして跳ね返せるだろうか。

 陳謝と涙、そして民主“口撃”で、戦いの狼煙(のろし)を上げた。

 麻生首相は解散後の夕方から官邸で会見。
冒頭、支持率低下や「麻生降ろし」が噴出した自民党内の混乱に触れ「党内の結束の乱れも、私が至らなかったため、国民に不信感を与えた。党総裁としておわびする」と渋い表情で語った。

 さらに、「国民に問うのは政党の責任力だ」と民主党にも牙をむいた。
高速道路無料化など、民主党の政策を「夢物語」「ケタ違いのばらまき」とこきおろした。
 自民議員にもけじめを付けた。
解散直前の21日昼の両院議員懇談会は、当初の非公開から一転、首相判断で報道陣に公開。
ここでも「ぶれたと言われる言葉が、国民に政治不信を与えた」と陳謝。
「党内をまとめきれなかった。私の力不足について申し訳なく思っている」と、屈辱の謝罪連発に終始した。

 首相陳謝を踏まえ、予想された厳しい批判はほぼ出ず、首相が
「異論があるのは当然だが、ここに一致団結ができあがった」と涙目で協力を要請。
“シャンシャン”懇談会で終わったが、「首相批判を続けても民主党に利するだけ」
と党内の“あうんの呼吸”の結果。
 この日の演説が「逆転、再浮上の最後のチャンス」ともいわれた。
首相の重要性を理解したのか、解散前の3連休は公邸にこもった。
迫力ある訴えで、自民大勝を呼び込んだ05年の小泉純一郎元首相の会見を何度も視聴し、原稿を仕上げた。

 当初は最初に民主党の安保政策を批判し、陳謝は半ばに置いたが、周辺は「まず、謝罪から入るべき」と進言。
河村建夫官房長官にも「声涙ともに下る演説が必要です」と迫られた。
「上から目線」を返上し、涙の演説を勧められた首相は、河村氏には「そういうの苦手なんだよな」と照れてみせたが、この日は官房長官の望み通り、涙目を見せた。

 就任時「衆院選勝利が天命」と大見えを切ってから10か月。
逆風下での戦いを首相は「安心社会実現選挙」と命名した。
 衆院選勝敗ラインを問われると表情を一変。
「解散し、戦う決意をしている時に、勝敗ラインを私の口から申し上げるのはいかがか」と、こめかみに血管を浮かび上がらせた。だが会見後、周囲には「自民、公明党で過半数なんて低すぎるだろ」といつもの“麻生節”を言い放っていたという。

自民・尾辻氏「皇国の興廃、この一戦にあり。チェスト!」 (産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090721-00000565-san-pol
自民党の尾辻秀久参院議員会長
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E8%BE%BB%E7%A7%80%E4%B9%85
は21日午後の衆院解散後の党決起集会で
「参院で負けた惨めさをイヤといほど味わっている。岩につめを立てても勝たなければならない。
 皇国の興廃はこの一戦にあり。必勝をお祈りします。チェストー!」

日露戦争時などに旧海軍に使われたZ旗(ぜっとき)の文句と、地元・鹿児島のかけ声で必勝を呼びかけた。

「チェストー!」は薩摩示現流の雄たけびの荒々しさ。
人斬り桐野利秋、陸軍大将次席の若々しき頃、幕末京都の寒々しさ中村半次郎時代を髣髴させる。なお示現流の名付け親は宮崎の人・南甫。

陣営をどう鼓舞するか
自分のキャラにあった泣く叫ぶ浪花節的民衆を沸かせる気迫しかない。

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コメント

お日様だいすき
2009年7月24日11:17

戦後の日本を支えたビジネスモデルは破綻したのですから、次の時代の構想を見せてくれねばなりませんでしょう。自民には無いことは確か。では、民主に?無くても変えて見なければ未来は見えません・・・。

因みに、ヤマタノオロチとは暴れ川といわれた斐伊川のこと。つまり、治水できる権力者がスサノウでした。農地こそが富を生む源泉でしたから・・・。

米を作って営々と国を支えてこられた人々を踏みつけにしてきたのがこの国の戦後でした。農家の次男三男が都会の産業資本の工場へと動員されたんですもんね。先輩方ご苦労様でした。でも、それが悲しいことに誰もがこの上でしか生きられない地球を壊しているんですからブラックな話です。

せめて「太陽と緑の国・宮崎」ぐらいは明るい未来への道を拓いて欲しいものです。因みに、東君は鹿児島文化圏ですからちょっと違うんじゃないかと言う人もいますね。

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