今日の誕生日の花は、花言葉は・・・
ボヤッとしてて聞き逃してました、
何考えていたんだろう。

8日の日経トップ記事は
カナダからリチウム大量調達。
三井物産環境車の電池用
皇室の長きの逗留に本意が解せず疑問してたら
流石に日本一古き創業の総業企業物産流ビジネススタイル。
リチウムはこれからの環境を見据えた産業の米。
南米に60パーセントを依存している。
国内需要8割に匹敵する2000トンをカナダから輸入する。
メイドイン[J]リチウムイオン電池は世界シエアーの5割以上を占める

2万2870トン

チリ・・・・・45パーセント
アルゼンチン・14
ブラジル・・・・1
オーストラリア23
中国・・・・・・8
その他・・・・・9

国家のトップの行動や戦争、独立を背景にした騒動の裏には石油争奪戦があった。
ウルグイもソウであり、中国の石油の三分の一をウルグイが算出している。
年17回以上も竹中平蔵が渡米して会合して他のはゴールドマンサックス。
住友の代理人である。
見返りの一つがかんぽの宿で象徴される国民財産の350兆円の郵政利権を民営化で譲渡。
どんなにコケにされようとも西川社長が郵政社長を辞めないはずである。
小泉竹中の代理人としてやってきた郵政事業の悪事が青天白日の元に晒されるからである。

その点イタリアのサミットは爽快である。
イタリアでのサミットは当初予定地の地中海から場所を変え13世紀から栄えた古都ラクイラて開催される。
ただ瓦礫の街化している。
3ヶ月前の4月の大震災の地は今だ小規模の揺れがあるらしい。
とても日本人にはマネできない国民的気質のイタリア人思考である。
建物崩壊の被害が大きかったのは耐震強度の国家的思考がない国と
地元建築専門の大学院教授が嘆いている。
鉄筋なぞも恐ろしきホドで僅か4本、ボロボロのコンクリート塊を映像がアップしている。
爺の予測では骨材に、海砂利を使ってるとみる。
資格でがんじがらめの国とはよほどの差があるイタリアらしさなんだろう。。
爺は資格なるモノに無縁。
土地不動産を30数年動かしてきたが宅建=宅地建物主任者は持たない。
時代が当初は資格を要しなかった。
資格で一番近道は税理士であったのかも知れない。
義務教育も満足になく知力は思考を止めた半生だった。
ただ読み書きソロバンはやった。
小学5年生だったと思うが珠算日商3級。
先般高校野球の名門でもある宮商の前を通ったら
進学校名、資格者合格一覧が大きく道路の側の校門に掲げてあった。
公立校でもコレである。時代だなぁ~。
珠算会計銀簿工簿それぞれ2級は1年生でとれた。
深夜12時から朝5時までデンプンつめのアルバイトその後新聞配りしての登校。
全く勉学無視でも絶頂期であった鼻高々の日々。
よって複式簿記は理解できる。
お金の経理の仕方を二つの帳簿で見据える、貸し方借方への区別、、
今の日本国家に一番大事なるモノかも知れない。
熊本にお住まいの渡辺ブログからお教えていただいた。
引用すると項である。

日本著名な財政史家・森木亮著『2008年 IMF占領』光文社刊に記述はある。
ドイツの詩人ゲーテにして「複式簿記は人類最大の発見」とまで言っている。
また、マックス・ウェーバーは形式合理性を持つものの一つにこの「複式簿記」をあげている
複式簿記は、実在と名目の「勘定計算」と「貸借複記」という記帳の2重性をその特徴としている。

各勘定ごとに加算的減算という計算方法で分類集計され、かつ、貸借複記されているため、自動的に記帳の正否を検証する自己検証機能が働いている。この自己検証機能があるからこそ、説明責任accountabilityを果たすことができるのだ。

 明治維新の三傑として西郷隆盛、大久保利通、そして木戸孝允がいる。
もう一人、大隈重信(1838~1922)の存在を忘れてはならない。
「薩長土肥」明治維新に貢献した雄藩のうち、「肥」とは肥前つまり今日の葉隠れの県民性佐賀県のこと。
この肥前の人に江藤新平、副島種臣、大隈重信らがいる。
ここで注目したいのは大隈重信である。

 心ある人びとの間では、大隈が世に言う「明治14(1881)年の政変」で失脚したことは、明治維新の真の「改革」を推し進め、後年、藩閥政府に堕さないためにまことに惜しむべき政変だったと言われている。
この政変を企画・実行したのは伊藤博文(1841~1909)である。

 この翌年の3月、大隈は、尾崎行雄、犬養毅らを従えて立憲改進党を結成した。
また同年10月には、「都の西北」(=早稲田村)に、小野梓、高田早苗らとともに東京専門学校=今日の早稲田大学)を開校した。

 大隈は徹底した合理主義者で、旧来の暦をグレゴリオ暦に変えた。
また一切の英雄崇拝を認めず、そのため、当時の西郷隆盛を英雄視することもなかった。
さらに、大隈の終生のライバルは3歳下の伊藤博文である。
、この両者は性格や価値観が違うために互いにライバル視したというより、むしろ比較的類似した価値観や性向をもっていたがゆえに強く反発し合ったように感じる。
一種の近親憎悪のように思うのだ。 
行政学者織田萬の言によると、早稲田大学開学式典で伊藤博文が
「大隈君とはいろいろ競ってきたが、教育機関を自ら作ったという点ではかなわない」
と語ったそうだ。
大隈もこの伊藤の言葉には満悦したとのことである。
また伊藤博文がハルビンで安重根に暗殺されたという報に接した大隈は、
「なんと華々しい死に方をしたものだ」
と悲しみつつも、本気で羨んだとのことである。

 第8代と第17代の内閣総理大臣を務めた大隈重信は、日本で初めて地方遊説を行った首相でもある。
戦後、石橋湛山首相が全国遊説をしたとき、たぶん、往年の大隈重信の全国遊説を自らの「お手本」にしたのではないかと思う。

 大隈はまた、明治維新期、日本の「円」を創出した政治家でもある。
、大隈重信は腐敗した藩閥勢力の一掃をはかった。
だが残念なことに、それは彼の失脚とともに未完成に終わった。
財政史家・森木亮は大隈が試みた「複式簿記の導入」について記す。
 つまり、大隈重信はこれを導入することが、日本の近代国家への道、資本主義経済への第一歩であると理解していたのである。

マスメデアのプロパガンダ的危険なる番組たかじんのそこまで・・・は
実に内容が知れている。
不偏不党の放送法違反に値する嫌いがする。
爆笑問題のナントカ総理で討論する番組。
この二つの番組に上手く袋だたきに遭いながらもこなしてる民主議員がいる。
佐賀の人・政治家原口一博議員である。。

冷徹であり人情家型の政治家でその正否の優劣を決める先見性さえ当然持ち合わせている。
その政治家が自分のブログに記す。
そこで爺は納得できた。
もうそこまでマスメデアの歪さが満ちあふれてることの証左である。
立場ある人でさえ異常に気づき初め訴えている。

原口一博代議士の日記。7月3日
「民主党が勝つ選挙は報道するな――放送局の内部告発」 
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/711.html
「長く汚い政治の手が放送局のガバナンスを歪めている」のではないかという内部告発がありました。
報道担当と政治との癒着の疑いがあるというものでした。
しかも都議会議員選挙で報道局内にとんでもない指示が下りているというものでした。
その指示とは「議会議員選挙については控えめに報道しろ。民主党が勝つ選挙は報道するな。」というものであったというのですが、本当でしょうか?
にわかには信じられないことです。

「都議会議員選挙ともなれば普通は注目の選挙区を取り上げて密着取材をするのですが、民主党の顔を売るだけで、いいことはない。」というのです。
もし事実ならば、放送の担い手としての最低限のモラルもないこととなります。ゴルフ接待などの具体的な金額の証言もあります。怪情報として無視するには、ファクトがそろい過ぎています。ただし、追求はあくまで事実によらなければ、危険です。慎重に情報を吟味していきたいと思います。
   ・・・・
公人は大変である。
爺みたいに大胆なる私見の予測もオブラートに包んで書くことしかできないんであろう。
ブログなんぞは個人の備忘録、ノートが公開されてるだけ。
爺が最初に書き出した頃ブログなる言葉もなくホームページの一角のメモ、個人メモ程度であった。
それが独立してブログとなった。
文章力理解力に欠けるため日々精進をノートからブログに新居どころを変えた。。
新聞雑誌から記録をメモを残すのはノートで日記でやってきた。
文章王・志賀直哉「城之崎にて」も何回かブログアップした。

それが時代の流れで公開され出したブログの誕生である。
何を勘違いしてか爺の日記をやり玉に挙げ
「盗作!」さらには日々の論評・・
爺の会社の場所探し、そしてアップで爺をなぶると異状きわまりない攻撃悪さ。
知人の弁護士まで相談したほどである、
最初は無難難易書き込みから始まる。
突然癇癪を起こすが如き変貌する。
実にお暇な若者であった。
原因はリンク頂いてる方に
「クリックのお願いの書き込みをしただけである。」

熱狂的小泉純一郎支持者であったようで
爺のノブログが売国小泉政治を書き連ねるのがカンに障ったらしい。
このブログが2ちゃんネルにも登場して騒動となりアクセスガが増え、ミニ炎上。
あれから2年にも成ろうか。
傷は残り
九州地区ランキングの高位にあったのにマウス・クリックが正確に繁栄せず
クリック頂いてもカウンターが廻らなく故障状態が未だ続いている。
爺のささやかなる日々の楽しみは奪われたまま。

江戸学、職人気質、粋な生き様の矜持が好きで東京23区内を結構歩きまわった。
池田弥三郎、ワキ康隆杉浦日向子、作家池波正太郎・・・
いずれも今は故人だが江戸学に一物がある人々を好んで読んだ。。
収集した著書類は何処なのか。
鷹揚さの不足する馬鹿なる妻の仕業だが気にいらぬ対象物の思惑の差ゆえ致し方がない。
社会科学の収拾図書類だけはもったいない。
山川均全集20巻は入手できるのでまだいい
入手できない者が多々。
もっとも古書通信神田の古本街などがほとんどゆえ大変であった。
明治経済学草創期の労農派学者の著作物は講座派の岩波からの集中出版と違い
異論成るところから出たので貴重であり図書館にさえない。
古書価も凄い者で数万円を超える者さえある。
社会主義協会から復刻版が出て古書価もグ~ンと落ちたので
経済価値さえ無く成ったが惜しまれれる。
家宅捜査の忌々しい記憶あるものタチゆえ解らぬではないが
集めた書物群どこにあるんだろう。

渡辺ブログにある政治家原口一博論をつづけて引用する。。

、佐賀市立城南中学校に入学後、バレーボール部で活躍した。同クラブが全国3位になり、彼らは「スポーツ賞」に輝いた。だが原口少年は重い肺炎を患い、病床生活を余儀なくされた。
しかしこのことがすえって、彼に助け合う優しい気持ちを育んだ

 青少年期の「病床生活」など、そう多くの人が体験することではない。
だが、そのような数少ない体験をした人は、どこか謙虚で自らの健康に心から感謝する人が多いものだ。
原口氏もそのような人物の一人だと思う。

 私は、このような個人的な体験は決して小さいものとは思わない。
実は、あのJ.F.ケネディ大統領も電気の松下翁も酷似した体験の持ち主なのだ。
一見、つねに自信に満ち、決断力に富むケネディー大統領も松下翁も心底謙虚で、何かSomething Greatに感謝していると思うのだ。

 原口氏の座右の銘は「大忍」だという。
松下翁から教えていただいた。
「志を立て、困難に立ち向かう勇気と結束を教えて頂いた」と言う。

原口氏は松下翁を心から尊敬している。同氏は、他に二人の人物を敬愛している。
それはマハトマー・ガンディーとマザー・テレサである。
彼らに共通する徳性、「謙虚と感謝」である。
まさに原口氏自身、「謙虚さと感謝の心」に富む政治指導者だと考える所以である。
「指導者は、その団体で一番謙虚で感謝を知る人でなくてはならない」と記しつつ、「再び謙虚と感謝」というタイトルで次のような一文を物している。
「謙虚と感謝」を改めて力説するところに、松下翁がこれらの大切さを誰よりも深く認識していたことが窺える。
また、翁ご自身がこの「謙虚と感謝」を実践した人だった。

 今日の日本人にはこの「謙虚と感謝」の念が最も欠落しているのではないだろうか。
歩いていて人と対向したとき相手が譲るのが当たり前。
タバコのポイ捨て、ゴミの不法投棄や公共物への落書きなども日常茶飯事。
携帯電話はどこでも使用――そこには、人や世間=社会のことよりもまずは「自分が中心」「自分が第一」の精神が横溢している。

 そんな個人や社会には“感謝”の気持ちは生じない。
自分は健康、豊か、幸せであって当然、それに対して“他人の不幸は蜜の味”と考える。
欲望が欲望を生み、それが無限に肥大化する。
「自足」を知らず、ましてや「小欲」に甘んじることもない。

 人が普通に呼吸をしたり、歩けたり、走れたりすることだって本当は“有難いこと”なのに、そんなことできて当たり前だと考えてしまう。
より多くの人びとがもっと謙虚で感謝の心を忘れないなら、日本はもっと明るく、心豊かな国になるのではあるまいか。
とくに政治家といわれる人びとがこの「謙虚と感謝」に生きるなら、日本の政治も国民にとってより魅力的なものになるはずだ。
 その意味で政治家原口の謙虚さと感謝の心を忘れない姿に注目したい。

「指導者は、つねに将来を予見して手を打たねばならない」と訴える。
今日の政治のなかで最も重大、かつ基本的な問題は「情報開示」
、あるいは「情報公開」の問題だと思う。
年金問題やC型肝炎訴訟をめぐる厚労省=社会保険庁を含めの対応のまずさ、財務省の財政政策の“不透明さ”、それに防衛省内の事件やスキャンダルの隠蔽体質など、日本は近代国家とはいえ、いまだ江戸時代同然の“知らしむべからず、依らしむべし”的な政治体質、政治文化のままである。

 だが、このような実態に対して、原口氏は果敢に挑戦している。
1996年に衆議院議員に初当選して以来、彼は「情報公開法」の制定に邁進している。彼は次のように語る。

《東西冷戦下、自由主義陣営は、中央に集めた財を地方に分配することで東側に対抗してきました。そして日本では分配を多くできる者が選挙に勝ち、いかに太いパイプを中央に持つかが権力を握ることになり、実力者とは優れたインサイダーという時代が続きました。
 私は情報公開法案の議員立法を目指してやっていますが、そこで見たのは、決算書も監査報告書も公開の義務付けのない特殊法人の姿であり、予算にまるで蟻のように群がるインサイダーの姿です。塾主=松下幸之助翁が指摘していた危機が、知れば知るほど深く実感されます。

 党の違いよりも世代の違い。
どちらの方を向いて政治をやっているのか、一部の団体や地域の利害を優先するのか、市民一人一人の民主主義への参加を主張するのか、その違いは決定的です。

 立法府の政策決定さえもコントロールしようとする肥大化した行政府。
そこに群がるインサイダー。
これを白日の下に晒した民主主義を育むシステムをつくること。この事こそが私の使命だと信じています。
そのために、財政均衡化法案、NPO法案、情報公開法案、コーラーID法案など、立法者としての活動を強化し、政治の復権に努めています》と。
この問題の重要性を初当選以来13年間、変わらずに主張しつづけるところに彼の「先見性」があるとも言える。
政治の枝葉末節ではなく、むしろその根幹、根っ子の問題に目を注ぐ彼の眼力のたしかさに、私は彼の非凡な政治的感性と政治的行動力を感じる。その感性の中核をなす彼の「先見性」の確実さと豊かさこそは、彼を一流の政治指導者とするに足る卓越した政治的資質の一つだと思うのだ。
このように民主党には人材が豊富である。
マスメデアさえ距離を無いように努めようとしている。

東国原宮崎知事は誕生から歪である。
ブログ諸氏のみなさぁ~~~ん!
驚かれるな!
公選法に基づく投票行動で宮崎県民は誰一人
 「東国原英夫」
に投票していナイ。
選挙ポスター広報にあった。
 「そのまんま東」
に投票したのである。
公式にどの時点でそのまんま東→東国原英夫になったのか。
どうせ政権与党に弄ばれるだけの賞味期限付きの三流政治家に過ぎぬ。

芸能人復帰したらどうなるのか。
二流以下の実績しかないではないか。
そこをおわれての
拘禁生活を二度三度もの脛傷を持つ経歴がその学歴が霞ヶ関官僚からバッシングを受けよう。
そのまんま東は1000千兆円もの天文学的国家財政赤字の複式簿記の基本形跡がない。
7日の古賀選対委員長との会談も自民党内での評判は決して良くない。

橋下知事も「首長グループ」を立ち上げようとしているが、
この「首長グループ」構想もオモチャのように見えてしまう。

かつて早大大学院教授の北川元三重県知事が立ち上げた「せんたく」
これには各県知事や与野党議員がすばやく反応し一気に107名の与野党議員が参加した。

しかし橋下知事の「首長グループ」を立ち上げ、
即座に大勢の首長が参加したものでもないし
今後、大きくなる気配もない。
マスコミが騒いでいるだけ。
尊敬するのは自分だけが共通点。

アメリカのオバマ大統領が尊敬する歴史上の人物は
マハトマ―・ガンディーとキング牧師。
日本にもこのオバマ氏に似て敬愛する政治家がいる。
ガンディーとマザー・テレサ
民主党原口一博議員その人である

 現代日本人、とくに将来ある若者や一家の柱である壮年者がグローバリズムと「新自由主義」というまやかしの経済政策によって自らの職を奪われ、路頭に迷う昨今、この社会的弱者に対する目線こそ最も求められるものだと思う。
その意味で、たぶん、彼にとっては「政治は愛」なのだと思うのだ。

 マザー・テレサは「愛の反対は憎悪ではなく、無関心です」と語った。
彼女はその言葉どおり、道に倒れた瀕死の人々を一人また一人と助け、彼らを看護し、かつ尊厳のある死を迎えられるようにしてあげた。彼女と同様、原口氏も今日の日本の窮状や不正・不義、さらには多くの人々の苦境に対して、決して無関心ではいられないのだ。

 彼は、豊かな才能をもちながらも、その目線は決して上から下へと人びとを見下すものではない。
むしろ、つねに社会的弱者の目線で彼らの生活や命そのものを案じている。

 そして原口氏は政府や官僚による情報の独占という不正・不義に対して敢然と立ち向かう。
その正義感はまさに「怒髪衝冠(どはつかんをつく)」の勢いである。
その怒りは、原口氏が真に国民を愛し日本国を愛するゆえである。
その意味で、同氏はガンディーやマザー・テレサを単に敬愛しているだけなのではない。
むしろ、彼は自らの政治行動を通してガンディーやマザー・テレサの生き方そのものを“実践している”のだ。

 財政当局の裁量を排除する透明な評価ルールは、自己検証機能をもった複式簿記の導入しかないからだ。
単式簿記で公会計を続けるかぎり、財務省はいつまでたっても説明責任から逃れられる。
苦し紛れに貸借対照表(バランスシート)の公表に至った*2003年3月とはいえ、
それは単なる国民向けのパフォーマンスに過ぎない。
これは、単式簿記による国債残高の累積が止まらないことを見れば明らかだろう。
日本の政治は、「議院内閣制」ではなく「官僚内閣制」だとよく言われる。
その官僚のなかでも最も強い権力をもち、自らもそれに値すると自負しているのが、国家予算の実権を握る財務官僚である。

 だが彼らは、いかに東大法学部を卒業しようとも、それは大学入学に際して単に人より高い偏差値をもち、記憶力が優れていたに過ぎず、真に賢明な人びとではないと思う。
第一、彼らのなかで「複式簿記」を知っている人などは、ぶん皆無であろう。
むしろ、簿記そのものを知らない人がほとんどなのではあるまいか。

、国家の財政も、「複式簿記」を知らずに論ずることは国家財政の基盤を損なうものと言えよう。
 、大隈重信や福沢諭吉は真の「国際人」であり、真に聡明な人であったがゆえに、“複式簿記の重要性”を誰よりも強くかつ深く認識していた。
 この大隈の藩閥政府の不正や腐敗を憎み、「真理と正義」を愛する精神や“真に日本国と日本国民を愛する思い”とほぼ同様の精神をもっているのが、彼の後輩にあたる原口一博氏だと思う。
彼の財務省や財務官僚に対する批判の舌鋒は非常に鋭く、かつ的確である。たとえば日本郵政の問題をはじめ、特殊法人や特別会計全体に関する追及能力やその把握力は他の国会議員の追随を許さないものがある。

 「葉隠」の精神を持ち、政治的な先進県でもある佐賀県出身の政治家は、保利茂、同耕輔氏や山下徳夫氏などに代表されるように、本来、どちらかと言えば控え目で“いぶし銀”のような存在が多い。
だが原口一博氏は、大隈重信以来の政治的逸材ではあるまいか。より腹蔵なくいえば、、彼こそは「大隈重信の再来」だと思うのだ。
この思いこそは、彼の普段の言動を見て感じる私の正直な感想であり、かつ希望でもある。
全体の僅かのみを引用の大意。
お許し下され。

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コメント

お日様だいすき
2009年7月8日21:49

どしたんですか?

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