今日の誕生日の花は・・スイカズラ
花言葉は・・・・・・・・・・愛の絆、友愛

スイカズラ科、別称認冬と書いてスイカズラと呼ぶ。冬でも常緑の葉ゆえこの字をあてる。
因幡晃の持ち歌にあるスイカズラはジャケッをみれば認冬のこの曲が治められている。
山間の山村は戦後まもなくでもありとりわけ自給自足。
ゆえ総てが生活に結びついている。
屋敷の生け垣さえ生活必需品の茶の生け垣。
これに葛が生え小さき白き花が咲いた。
筒状で上と下に咲き分け5弁である。
5枚のうち4枚は上に咲き1枚は下向けに開く。
筒状の花の底には甘い蜜がたっぷり。
葛が巻き付き生殖しているこれらの状況からの花言葉の愛の絆、友愛。
これに夕方蛾がやってきたものだが変な顔をして幼き爺に向かって飛んでくる。
何故ゆえに恨みを恐れる空想が働くのか。
幼き爺が蛾の知恵に負けるはずがない既に密は幼き爺が吸った後。
蛾の乱舞はスクリーンでザ・ピーナツの謳う♪モスラ~~やモスラ~♪を恐怖で見聞きしたモノだ。
岩崎の映画館でか山田分校での特別映画館のどちらかで兄と同行で東宝映画モスラ観賞した帰りに
その小さき悪事を告げられず兄たちが逆に幼く見えたモノだった。
食べ物を密かに横取りすると恨みをかうとの教訓が痛いほど解った。
スイカズラのみの生け垣があるのも杭状で垣根があるのだろうが爺は知らない。
雨多きこの時期の日向の地は生育の恵みの知識なきゆえ一年で最悪期6月末~7月に突入していく。
今年は一日違いで列島は青森まで一斉梅雨入り。
四国松山は35年ではじめて井戸水が干し上がって水道は時間制限という。
10日トーク番組で朝青龍はモンゴルでさえ草原が減少、砂塵が吹き荒れる地域が増え
地球温暖化を言っていたが先代貴乃花を尊敬するを含め意外な一面を見た。
東アジアは同じ気象現象にあるのだろうが「北」にはその水の神もないんであろうかと思いをはせる。
梅雨の季節もこの国の思考形態の同一性を列島に持たせてくれているのだろう。

鱒の子に 雨の輪ひらく 梅雨入(ついり)かな

測候所への会釈か梅雨入りの翌日の10日のみ雨模様天候で11日はお日様が戻ってきた。
給水制限の四国は当座を乗り切っただけだろうな。
ローカル二局しかない宮崎は明確なる区別なくネット局報道がされる。
エイベックスの周防は路上ライブのアミの捜査とヴアーンピアノ音楽コンクール金賞の辻井信行の喜びとで右往左往だろうが
芸能興行裏舞台なんぞは全くお構いなしの田舎っぺゆえ、
Jポップとクラッシックのニュースさえついて行ってない県民性が正直なるところだろう。
TBS系列の朝ズバッ!みのもんたのお天気報道はどうにかならないモノか。
「赤坂サカスの・・・」と言うが赤坂の旧TBS跡に出来た商業エリア赤坂サカス。
田舎モンの江戸好きには年に一~二度のお上りさんでしかの楽しみゆえ羨望さえ募る。
察するに舌の咬みそうな名は日々アナウンサーの早口練習を業界用語の隠語でおそらく楽しんでるんであろう。
天気予報を不埒な動機で私物化しているとしか爺は思わない。
弘兼憲史流に言えば所詮、駄洒落のコンテスト。
赤坂サカスVS朝、傘探す
あさの騒々しい時間に傘探しはイライラが募る。
言葉に母音のAが六つも入ってるのがイライラの原因やもしれない。

苦言の続く爺は梅雨入りの心の鬱ではない。
一番はこの国の将来がないことにある。
まったく国家の未来の創造性がわかない。

解散せずに居座る麻生総理に爺に限らず日本国民の多くが想像力を無くしてしまっているのではないか。
他者の痛みを理解できない人たちがなんと多くなったと 身近ででも実感している。
世間でのさばってるこのような頭でっかちな子供以下の人たちによって選ばれた
政治家が迷走するは当然である。
曾野綾子はクリスチャンであるが週刊ポストにコラム欄を持つ。
6/19日号で友愛を分析され鳩山批判の文脈構成である。
来週水曜日17日の麻生VSは鳩山の党首討論の先駆をなしている世論誘導はミエミエ。
友愛を二つの側面から人の愛キリストの愛にもないものとコケ下ろしている。
では現在の日本はどんな状況にあるかの分析はみたこともない政治感覚の公平さを欠く片手落ち。

団塊の世代は気にもしてなかった年金生活に入ろうとすると記録さえ逸散
直ちに回復の党の公約から2年以上経過してるが其の約束なぞどこ吹く風で責任とらず居座る桝添厚労省。
高齢者の生活の悲惨さ、溢れる失業者と増える一方のこの国特有現象の自殺者。
歪な基幹産業の製造業の労働現場、超一流労働現場がこうゆえ他は推して知るべし。
未来なき現象が社会に蔓延している。
とりわけ小泉政治以降に国家の破壊が隅々まで急速に進んだことには口を触れない。
これまでの著作から曾野綾子作品は愛国のブンヤのはずがこの国の実情さえ知らないようだ。
とても憂国の情の作家とは思えない創造性なきイマジネーションのブンヤに成り下がっている。。
為政者が喜ぶのみの愚の骨頂で文学者の風上にも置けない。、

嘆いていても始まらないが、市井の人は別にして政治家の言動に注目しなくてはいけない。
麻生総理が北朝鮮を挑発するような人気取り目当ての発言が出るはずである。
低炭素社会で比較の基準年を2005年としての数値を15パーセントと高くみえるようにしたインチキは国際感覚がお寒い。
地球を維持する事と国を守る事と他国を挑発する発言を一緒にしてはいけない。
このような自明な事が判らない人が国家の最高責任者ゆえ ますます日本はおかしくなる
ブログでもこの日本の状況から目をつむり側面応援するばかりが目立つ。
ネットウヨに支配されるブログ界の異常さはいただけない。

自国を愛する事は即ち他国を理解する事。
この努力を放棄したら地球に未来はない。

北朝鮮にしても未来永劫に現体制が続くには無理がある。
友人まで迫害されてる長男派が治まるはずがない。
深き分析なく他国の国民を刺激するような発言は慎むべき。

昨年、韓国のトップ女優が自殺した理由はネットでの誹謗中傷であった。
ネットにあったことの中村さん投稿からの孫引きでこうある。

「子供たちが成長するのを見守ってほしい」。
韓国の国民的女優、崔真実(チェ・ジンシル)さんは、こう言い残して自ら命を絶った。
39歳の若さだった。
元夫は日本のプロ野球、巨人の元投手、速球王・趙成○(=王へんに民)(チョ・ソンミン)。
崔さんは離婚後、2人の子供を大切に育てていた。
自殺の引き金はインターネット上の誹謗中傷の書き込み。
崔さんの自殺後も同様の書き込みを苦にしたとみられる芸能人が自殺している。
ネット社会の闇。
崔さんの自殺がきっかけで韓国内では規制を強化する動きが強まっているが…。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/081012/kor0810121631005-n1.htm
崔さんの自殺後も悪意のある書き込みは相次ぎ、こんな文章さえも書き込まれていた。
「『金貸し』の件で警察に呼ばれたから自殺した」
崔さんが絶望したのは中傷そのものだけではなく、こうした悪意に満ちた書き込みを平気で行える
「ネット社会の闇」に対してだったのかもしれない。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/081012/kor0810121631005-n4.htm
「同質社会」が前提の日本社会では、「異質」なものは排除される傾向が強い。
私中村もその一人だ。
読売が「異質」と決め付け、「泥棒」疑惑を全国に発信した。
大新聞が「グレー」と報道したことで、私への誹謗中傷攻撃のスイッチが入った。
匿名の社会で活躍するネット族は皆この報道を
「読売が『最後のパレード』の著者攻撃にGOサインを出した」というメッセージと受け取ったネット族に苦しむ人もいるようである。
ウィキペディアにも登場してしまった。
経歴などその内容はひどいものであり、まさにデマ、虚偽の書き込みである。
日本は法治国家なのかと悲しくなる。
洗濯物も監視されているようだが、このような行為も読売がGOサインを出したことに起因する。
「悪者」イメージの人間は決して許さないという強いメッセージを感じる。
「監視されている恐怖」は当事者にしか分からない、筆舌に尽くしがたい苦痛である。
「崔さんが絶望したのは中傷そのものだけではなく、こうした悪意に満ちた書き込みを平気で行える「ネット社会の闇」に対してだったのかもしれない。」
絶望はしていないが理解できる。
私中村は「悪者」イメージを払拭するまでは死ねない。
全身全霊を注いで読売と対峙していきたい。

爺の生活環境に限らずネット環境は最悪状況である。
ただブログの言葉なき頃からブログを書いてきた熱情で睡眠時間を割き続けている。
ネット社会は確かに危険なる萌芽も満ちあふれているが対処の仕方一つでもある。
書き込みを頂いたが対応は出来ない。
厳しきネット環境にありアクセスが時間的物理的に無理である。
衆議院のhttp://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib2.php?u_day=20090605 の経済産業委員会です。
 _lib3.php?deli_id=39858&media_type=wb’;document.form1.submit();で余剰電力の買取法案というか、
エネルギー高度化法案?の議論がなされてるが実にゆがんだ議論がなされてるので一度ごらんいただいてコメントされたいです。

爺が困ってるのは九州地区ネットランキングの頂いてるマウスクリックが正常に働いてないことの処置さえ出来てなく
とても書き込みに対応できる状況にない。
人の悩みの違いの差異が引いてはこの国の政治的思考の差に発展している現実がある。
その人の立場に立つ創造性のなさの横行は、爺の悩みの憂国の情の一つでもある。
この爺のブログ訴えは最後のメッセージに総べてがある。
それが正常に廻らぬ事への解決策さえ出来ぬ悩みは半端ジャァ~ナイ。
マナーとも呼びたい爺の傷みでもある。
お試しいただけゑばわかる事。
メッセージが伝わらぬのは創造性の思考の仕方の差異である。
国際政治で言うとこうである。
「北」の核実験強行は5月の最終日の月曜日。
アメリカ人にとってこの日はメモリアルデー。
日本で言う8月15日にあたる。
5月の最終日の月曜日は戦没者追悼記念日でアメリカの祝祭日である。
全米各州で地域を挙げての大掛かりな行事が挙行された。
その日の核実験に「北」のメッセージ制をその意図を読みとるべきである。
こ の国のマスメデアは何処もそのことに触れていない。
それはその前からあった。
弾道ミサイルを強行したのは4月5日。
オバマがチェコ・プラハで核なき世界の演説した日4月5日とピタリ!と符合する。
密かに日本で言われてることがある。
東京裁判の結末のA休戦犯の昭和23年12月23日処刑執行の日。
昭和が長く続いたゆえその日が解らなかったメッセージ制。
今、平成になり12月23日カレンダーをみれば解ること。
天皇制は残しても皇太子の誕生日を忘れてはならぬ!こうなるぞ!とのこと。
対米従属の断ち切れぬ脅しは今も生きている。
満身創痍の政治家・小沢一郎の悩みは創造性を働かせて根本党派制は違えど党派を超えよくわかる。
憂国の情に右派左派はない。
文学者曾野綾子にして友愛のイマジネーションの創造性なくしてあの飢餓溢れる時代の体験された事
時代のオマジュとさえ言わんとしてるのか。
子や孫に彼の人間喪失の飢餓の体験をさせる愚か者はないはずだが。
人類の進歩とはナンナンであろう。
ヒロシマの平和の時計は何時を指しているとお思いか。
先人たちにお祈りさえしてルやいなやかさえ疑わしい。
クリスチャン?敬虔なる・・
麻生太郎だって総ではないか。
聞いて呆れるわ~
低酸素社規議論中に基準の90年比を2005比に置き換える偽善者の如き偽り。
異端者め!
ドストエスキー・カラマーマゾフから読みなおしたら如何か。
世界では原始的と言われる八百神の素朴さの方がよっぽど純粋ではないか。

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コメント

お日様だいすき
2009年6月12日7:50

上の内容に関して今日6月12日の日記にアップしてあります。

太陽電池という商品を国民は自立のための生産財としてではなく環境にいい耐久消費財として買わせられて国策の犠牲になるんです。太陽電池は屋根に載って動き始めると田んぼと同じ役割を果たすんです。でも、それに気がつかない人が多い。生み出してる価値に気がつかないひとが多いんです。勿論、それを売ってる人も大部分、単に目先の金儲けで車を売ってるのと同じか場合によっては詐欺まがいのネタです。

お日様だいすき
2009年6月12日9:56

北がミサイルを撃っても後が続きません。そんな事すれば、国際社会で生きていけないでしょう。あれは脅し。軍事産業が儲ける理屈。それほど怖いなら原発を海岸部に並べる馬鹿さ加減を言うべきでしょう。

敵がいなくなったら兵器を作る理由が無くなる。権力の頂点に居るものたちはその権力を維持することが主目的のようです。それを支える仕組みがどう変わるのかが未来を変えることになるでしょう。

昨日、うなぎを食べに行く途中、山田分校の前を通りました。その辺りの風景は、年々変わり続ける都市の顔とは異なって、もう何十年も何百年も同じように今年もまた田は耕され苗が植えられ、米が作られ、命を繋いでいく事でしょう。(つい昭和20年代までは馬が耕作に使われ、その後、牛になり、耕耘機になったのは30年代も中ごろを過ぎた頃だったでしょうか・・・。この時期に農の営みは産業資本の僕とされていったのでしたね)そして、その命を支える営みが正しく評価されないままに、ストックは食い潰され未来の可能性が狭められていきます。残念なことに・・・。

米国のペリーが帆船2隻、石炭動力船2隻で日本に開港を迫り、産業資本による近代国家への道を紆余曲折があって歩んできたものの、その精神状況はまだ所に寄っては開国以前のおらが村、おらが国をというパターナリズムのまま。

そこをどう総括できるかが未来を開く鍵なのではないでしょうか・・・。あのオウム真理教の浅原の如くに先祖帰りすることは無いのだとはおもいますものの、そこから次への展望が拓けなければとおもいます。

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