今日の今日の誕生日の花は・・スイレン
花言葉は・・・・・・・・・・清純な心、信仰
スイレン科 宮崎の隠れた名所に新富町水沼神社をあげたい。
国道10号線を南から北に左手に役場を観て4kmぐらしいくと右手海側に小さき案内板がある。
驚く規模の蓮の池がある。スイレンもみれる。
モネに代表される名画の雰囲気を池に添ってある由緒ある神社との取り合わせの画材を案内したかった
ものだが全貌する高台が欲しいものである。
観光名所になる要素があるのに未だ開発されていない。
スイレンの花の如くで静に自分を見つめられ丁度良い。
宗教もこぞって教会や寺に集まるんでなくて
その心の安定さでいいんであろう。
すいれんの 水より咲いて 水はじく
何冊かのネタでマスメデアのゆくえを心配している。
毎日新聞で経済部長を務めた記者クラブ会員の猪熊建夫著「新聞テレビが消える日」集英社刊
ネット社会ネット広告はバブルだったとIT会社を経営する山本一郎著「情報革命バブルの崩壊」文春新書
創6月号特集の危ない!雑誌ジャーナリズム誰が雑誌を殺したか。
ネットに苦悩する雑誌新聞界であるがその無料文化を支える過剰期待がネット社会が荒れ放題となっている。
本当に新聞はネットに読者を奪われたのかと検証がすすむ。
爺の視点はそこに権力者の意図を嗅ぎ取る。
権力への顔色伺いがメデアの支持離れを招いていないのか。
過剰報道と意図的に阻害封印された相反する二つに目立つことが多い。
たとえば6月1日のこと。
ニュースが全く報じない。中南米の国。エルサルバドル。
カリブ海を東にみて南からパナマ・コスタリカ・ニカラグア・エルサルバドルとつづく。
その エルサルバドルは2万㌶で四国の広さのくにに685万人が住む。
もしコの国が金メダルを取ると大変であろう。?
スペインからの圧政から独立した1821年を祈念し外交官であった人が作詞した国歌は最も長い国歌として知られる。
そのエルサルバドルの新大統領に元ゲリラ政党のファラブンド・マルティ民族解放戦線=FMLNのマウリシオ・フネス(49)が就任した。
FMLNの大統領は初。任期は5年。
1日の就任演説で「平和的、民主的な革命を進める」とし、貧富の格差解消や世界的な経済危機に対処すると強調した。
エルサルバドルは同日、約50年前に断交したキューバとの国交回復文書に署名した。
世界は動いている。
6月4日日経トップ記事は日本経済はアジア経済域が最高値としている。
だがコの国の政治家の焦点の政策はそこに標準があわせられているのか。
国民の幸せへの確固とした信念にかけるゆえコの国平和さえ揺らぐ。
他国どころか国内でさえ落ち着かない。
今だ麻生太郎総理は日本郵政の舵取りを決めかねている責任放棄。
孤軍奮闘の鳩山総務大臣がどうしても目立ってしまう。
CIAをバックニした小泉元総理一家の恫喝が麻生一家を凌いでいるのか。
その小泉元総理は4日またもやロシアに行った。
前回は国会登院のカムフラージュで明確な意図を感じ北方領土のメッセンジャー裏の裏読みしても爺は読み切れなかったが
またもや任期切れを前にナンであろうか。この男は。
小泉純一郎
いまだ国民の総理候補のアンケートではNO1の人気を持つの欺瞞性はナンなであろうか。
ネット読書は白内障の爺には苦手だが昨日に続きご同輩たる九州男児の英傑学習院大大学院政治学博士渡邉 良明教授の
の著作から紐解きたい。
『ジョン・F・ケネディvs 二つの操り人形 小泉純一郎と中曽根康弘』渡邉 良明著(2006年8月刊)のなかでこう記した。
・・・今後、小泉による、アメリカ屈従の「郵政民営化」が、社会的弱者の生活権を奪い、「格差」をますます助長する結果となろう。
残るのは、社会的不安の高まりと絶望感の蔓延である。
それを見た小泉が、冷ややかに言うであろう。「
人生、いろいろ。死ぬのも自由。さあ、どうぞ、どうぞ」と。彼の胸中は、”わが死せる後に、大洪水よ来い!”なのではないだろうか。彼にとっては、すべてが「他人事」なのである。・・・(200頁)
的確に言い当てている。
旧来の自民党総裁・日本国総理にしては型破りで、いかにも独創的(?)に見えた。
しかしそれは、単に見せ掛けだけのことその実、単に他者(ヒト)の言いなりになっているにすぎない。
実際、彼は家では姉・信子に盲目的に従い、
選挙では元稲川会系暴力団の竹内清の支援を受け
、総理官邸では飯島秘書官の手引きで動き、
政界では財務=旧大蔵官僚の言いなりになり、
対外的にはブッシュ政権に盲従した。
そのような政治家に一体、真の自主性や独創性はあるだろうか。
アメリカのレーガン大統領は退任後、多くの国民から“偉大な大統領だった”と賞賛された。
だが反面、アメリカ国内の心ある識者たちからは、“結局、大統領を演じた俳優に過ぎなかった”と批判された。実は小泉氏も“日本国首相を演じた一人の素人役者だった”のではないだろうか。
役者だから、一般の人びとの目には実に面白く見える。
実際、面白みや“けれんみ”、それに“華”がなければ役者は勤まらない。
だが、“黒子”として彼を背後から操る「存在」なしには、彼自身、1秒たりとも存在できなかった。世に言う「小泉劇場」とは、小泉氏が自ら踊り、演じきった舞台ではあっても、決して彼自身が企画・運営した劇場ではなかったと思うのだ。
小泉とブッシュとは本当によく似ている。
両者とも今まで心底自分で考え抜いたり、悩み抜いたりしたことがないのではあるまいか。
すべてが“他人任せ”なのである。
若きブッシュが有能な取り巻きの助力で名門ハーバード大学を卒業できたのは有名な話だ。
このブッシュという男、私には、生涯、自分だけの力で生きたことはないように思えるのだ。
小泉元総理は、慶大生時代にレイプ事件を引き起こし、姉・信子の指図で、その追っ手から逃れるためにロンドン大学に遊学したそれは決して正式の留学ではない。
、1969年に父・純也氏の死去に伴い、初選挙に挑戦したが、地元の郵便局の特長会の支持を得られず落選した。
三分の二の議席をとった郵政改革選挙の動機は私恨に過ぎない。
同年は、小沢一郎、橋本龍太郎、渡部恒三らが華々しく政界にデビューした年だ
政界は年齢は関係なく当選順位が唯一である。
、落選後、福田赳夫元総理の書生となり、捲土重来を期し1972年、30歳で衆議院議員に初当選。曾祖父の代から使える稲川会系竹内清の功績大である。
両者の緊密な関係は小泉政治の要所にみれる。
一番の卑近例は厚生大臣を二度務めているがその時の次官が自宅で襲われ妻ごと殺害された事件。
それぞれの次官が年金問題で国会証言を前にしてである。
ヒットマンは幼き頃の犬の仇のとの理解不能なる理由で処理されたコの国の警察力の愚かなる程度。
、自ら精緻な理論や思想を持っていなかったものの、人(とくに若い官僚たち)を利用するのは非常に巧みだったと思う。たとえば、
厚生大臣時代の岡光序治(よしはる)
郵政大臣時代の團宏明、総理大臣時代の高橋洋一(財務官僚)や守屋武昌(防衛官僚)
彼らを重用・活用し、あるいは踏み台にした上で、自らは司直の手から逃げ延びた。
神奈川県内に住むある女性実業家が自分が事業で貯めたお金の一部を「日本赤十字社に寄付しようと思う」と若き小泉に語った。
そのとき、それを聞いた彼はなんと、こう真顔で語ったという。
「日赤に寄付するぐらいなら、その金をオレにくれ」と。
14~15年前、彼女が呆れた顔で語った噺がある。
堅気の女性にそんなことを平気で言える小泉が“クリーン”であるわけなどないではないか。
叩けばさまざまなボロが出てくるのが小泉純一郎である。
引退声明の日が麻生政権の船出第一日目とのあてつけがましさ。
また、次男の進次郎を後継にする布石をちゃんと打ったあとの引退と言う実に用意周到な俗物に過ぎないである。
加えて、アメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備されたその日の引退声明。
小泉の政治行動の背後につねにアメリカの影がちらつくのである。
中曽根康弘と同様、アメリカ政府に忠実な総理も珍しかった。
その分われわれ日本国民を多大に犠牲にしてきてるわけだ。
多くの国民は、その厳粛な事実に年を追うごとに気づかされることだろう。
これほど無責任な人物を“稀代の偉大な総理”として珍重した日本国民の無知と不見識、
さらには彼と同等の“無責任さ”を、この際、深く認識すべきなのではあるかまいか。
それができて初めて、私たちは一人前の真の“日本国民”と言えるのではないか
竹中平蔵の「厚顔無恥」ぶり、
『週刊新潮』1月29日号の特集記事
「それでも平気でテレビ出演『竹中平蔵』厚顔無恥の研究」は実に興味深い。
なかでも作家の高杉良の「竹中評」は出色だ。
1975年の『虚構の城』以来、非常に画期的な経済小説を物する特筆すべき大家である。
「サンデープロジェクト、竹中平蔵vs金子勝のガチンコ対決」を観たあとの感想を次のように述べている
《彼は、“構造改革を断行し、成果を得た”つもりのようだが、いったいどこが改革され、どういう成果を得たというのか。道路公団? 中途半端な結果です。
郵政民営化? これは最悪です。
郵便事業は国民にとって欠くべからざるライフラインですが、地方では郵便局が無くなるなど悲惨なくらいズタズタになっている。会社化したらそうなることは目に見えていた。
民営化に失敗し元に戻したイギリスのように、今からでも過ちを認めて元に戻すべき。
かんぽの宿にしても、うまく運営すれば赤字にならないはずなのにオリックスに売却という、出来レースのようなおかしなことになっています。》
同誌の記者は書く。
「番組中で、竹中氏の“業績”と称揚された小泉政権下の『不良債権処理』についても、高杉氏は手厳しい」と。
実際、高杉氏の言葉は、こう続く。
《竹中がやったデフレ不況下における“ハードランディング”は、先進国では前代未聞のことで、彼が信奉するアメリカにそそのかされてやったこと。デフレの最中に不良債権処理をやっても、それは新たに不良債権を生むだけで一向に減るわけがない。その結果、東京三菱銀行に実質吸収され“消失”したUFJ銀行が巨額の貸倒引当金戻入益を計上し、“三菱東京UFJ銀行がトヨタを超えた“という間抜けな報道が出たりした。
むしろ、この時に竹中が行った“厳格な資産査定“という銀行いじめが、いかに多くの貸し渋り、貸し剥がしを生み、どれだけの中小企業が潰れたか、彼は全然分かっていないのです。
小泉・竹中コンビはスクラップだけでビルドしていない。
こうした“日本経済壊し“がなければ、今回の世界同時金融危機でも日本はもっと優位に立てたはずなのです。(派遣切りにつながる)製造業に派遣を認めるという規制緩和も、もちろん小泉・竹中がやったことです》と。
同誌記者はこう続ける。「高杉氏の竹中批判は、その特異な“人間性”にも及んだ」と。
《たとえば、02年に金融担当大臣という立場ながら、米ニューズウィーク誌のインタビューで、“四大銀行であっても、大き過ぎて潰せない(too big to fail)、という考えはとらない”と発言して銀行株を急落させたことがある。ところが、国会でそのことを追及されると、証拠テープもあるのに“そのようなことは言っていない”と嘘をついた。そんな食言を平気でするんです》と。
高杉氏は続けてこう述べる。
《彼の議員辞任劇も疑念が残るものでした。彼は06年9月15日、参院議員を突如辞任したのですが、それは彼の政治資金規正法違反を報じる『週刊ポスト』が発売される前日というタイミングでした。編集部には、“事実誤認だ”というFAXが届いたそうですが、国民への説明責任を果たさないままの辞任でした》と。
高杉氏は、竹中氏の大臣就任当初から竹中氏を「亡国の徒」と批判している。
まったく同感である。
録音テープのなかに自分が告白した声があるのに、それを言下に否定する彼はもはや日本人ではない。むしろ人間でさえないと思う。
古来、日本では「私」にとらわれない純粋な心=「清明心」を尊重する。
まさに竹中氏は、この思いと対極に位置する人だ。
むしろ彼は、「自己中心型」人間の典型で“自己防衛本能”が極端に強い。だが、彼は真に賢明なのではなくて、単にずる賢いだけだと思う。彼はまた強そうに見えて、本質的に弱い人間だと感じる。一見、「厚顔無恥」に見える彼は、このような自らの不正や弱さを隠し、小心にもすべてから逃げようとしているだけだと思うのだ。
菅義偉
「小泉・竹中構造改革」の本丸と位置づけられるところでのスキャンダルの発覚は、麻生太郎内閣の政治的テーマになりかけていたが、再びここに来て、鳩山総務大臣の必死の努力にも関らず、ある強力な政治勢力からの抑圧とブレーキがかかりつつあるようであるが、その中心にいるのが、自民党選挙対策副委員長・菅義偉氏であることは間違いない。
中平蔵の背後には、小泉純一郎元総理だけではなく、アメリカの影がちらついている。
麻生官邸が恐れているのは、おそらく竹中平蔵、小泉純一郎氏等ではなく、そのバックにいるアメリカ資本である。
竹中平蔵、小泉純一郎の両氏が政界を引退した今、アメリカ資本の代理人役を勤めているのが菅義偉ではないのか。
竹中平蔵氏が総務大臣を辞職し、政界からもあっさり引退した後、2006年9月、総務大臣に就任したのが菅義偉であった。おそらく菅義偉氏は、竹中平蔵氏の「政治的後継者」として期待されつつ総務大臣に登用されたと見て間違いない。
元早大教授の植草一秀ブログでこう言っている、
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-88f5.html「菅氏は2006年9月に総務相に就任し、翌2007年3月に日本郵政公社総裁の生田正治氏を解任している。生田氏を排除して、西川氏による日本郵政公社支配を生み出した。西川氏は日本郵政公社総裁職を兼務したのちに、2007年10月に発足した持株会社としての日本郵政社長に就任した。」「日本郵政はこれまで指摘してきたように、財界による日本郵政私物化を絵に描いたような人事を実行した。日本郵政プロパー職員、日本郵政サービス利用者、生活者が取締役に一人も登用されない、異様な姿での出立であった。また、日本郵政公社時代の日本郵政保有不動産のバルク売却の不透明性も表面化している。旧郵政公社時代の所管大臣が竹中平蔵氏と菅義偉氏である。」と。
われわれは、あらためて菅義偉氏と竹中平蔵氏のつながりについて考えてみるべき時に来ている。何故、たたき上げの政治家である菅義偉が、小淵派、加藤派、古賀派と、派閥の親分にその都度逆らいつつその時の政治権力の主流側に擦り寄り、その代わり派閥を転々としながら、急速に力をつけて来たのか。「万景峰号」寄航問題での安倍晋三との出会いが、菅義偉氏の政治的パワーの源泉となっているのだろうが、これは、同じく北朝鮮問題で安倍晋三氏に取り立てられた現内閣副官房の漆間某と同様な政治的経歴と言っていい。
ということはい、菅義偉氏の周辺には安倍晋三氏、漆間某氏等、要するに麻生政権に巣食う、アメリカ政財界権力と通じている「秘密警察」ならぬ「公安政治グループ」も控えているということだ。
何故、菅義偉氏が、ここに来て、「郵政民営化見直し」「かんぽの宿疑惑追及」「西川続投/追放」という過熱気味の政治的テーマの主導権を握る中心人物として、まだ当選四回、しかも「選挙対策副委員長」にすぎないもかかわらず、政局の主役として登場してきたのかが、わかろうというものだ。
西川善文
郵政民営化を象徴する名前は何か?
、即座に「ゴールドマンサックスだ」と答える
。無論、同社だけでなく、メリルリンチやソロモン・ブラザーズ、それにモルガン・スタンレーなど、アメリカには、名だたる投資会社がある。
だが近年、このゴールドマンサックスが群を抜いている。
それは、今回のサブプライムローン問題において、他社が致命的とも言える損失を計上したなか、ゴールドマンサックスだけが巨額の収益を上げたという事実にも表れている。
同社は、日本の若者をヘッドハンテイングして、社員の平均年俸が6000万円、ボーナスが7500万円とのことだ。
西川善文は、1938年8月3日、8月3日、奈良県に、材木商の長男として生まれた。
、1961年、大阪大学法学部を卒業し新聞記者を志望していた。
1960年の安保闘争の影響もあり、当時はまだ、「正義感」が強かったのだろう。
だが、その志望は果たせなかった。
住友銀行入行の際の話が奮っている。
実は、彼の友人が住銀に内定した。
すると、住銀からその友人に対して、
「(気の利いた)友人を一人、銀行に連れて来い」と言われたそうだ。
当時は、人材難だったのだろう。
すると、その友人は、西川青年を連れて行った。結果、西川青年は、社長面接まで進み、住銀の内定を得た。
この時の人事部長が磯田一郎だ。この時の邂逅が、西川のその後の生涯に多大の影響を与えた。
西川善文は「背広を着たヤクザ」である。
日本郵政株式会社の社長であるということは、喩えるならば、まるでオオカミに羊の群れの番をさせているようなものだ。
、竹中の推薦がなければ、西川が社長になるなどということはなかった。
、両者は、西川が三井住友フィナンシャルグループの社長だった頃は、表面上、そう仲がよかったわけではない。
それがなにゆえ親密になったかと言えば、一人の介在者がいた。
それが、ゴールドマンサックス社の元CEOで、現ブッシュ政権の財務長官ヘンリー・ポールソンである。
2003年1月15日、西川が社長だった三井住友フィナンシャルグループとゴールドマンサックス社は、幅広い業務提携について合意した。
当時、これは、西川が社内の強い反対を押し切って進めた提携であり、ゴールドマンサックス側にとってきわめて有利な条件となっているのではないか、という報道がなされた。
そのなかで、いわゆる「西川案件」と呼ばれる三井住友銀行と親密企業との間の融資や査定の不透明性が指摘され、“不良債権問題”処理のために三井住友FG側で過大な譲歩が行われたのではないか、という疑惑がささやかれた。
つまり、西川は、組織を犠牲にして、自分だけはのし上がろうとするタイプなのである。
このような風評を持つ西川を今回、日本郵政株式会社の初代社長に起用したのは、大方の関係者にとっても、たいへん意外な人事だった。
経団連会長の奥田でさえ、「この人事はおかしい」と発言していた。
実際、生田正治を継投させる声もたくさんあった。
しかし、竹中は、小泉元総理が在職中に西川を指名した。
これは、まさに「虎の威を借る狐」の行為であると同時に、まるで「イタチの最後っ屁」みたいなものだった。
それだけに、たいへん“臭い”わけである。
つまり、周囲も至って迷惑するのである。
実は、かつてのリップルウッド社による日本長期信用銀行の買い取り、新生銀行の設立、いわゆる外国資本丸儲けの仕掛け人が、この西川や竹中と関係の深いゴールドマンサックス社だった。
日本長期信用銀行の救済のために8兆円の国費が使われた。
これに対して、リップルウッド社は、それを、たったの10億円で買い叩いたのである。
政府は、当時(2000年頃)、「日本企業が長銀買収に名乗りを上げなかったから仕方がない」と言った。
だが問題は、長銀の売り手も買い手も、その代理人がゴールドマンサックス社だった。
つまり、この時も、交渉過程の後出しジャンケンで、「瑕疵担保特約」が結ばれたのである。しかし、最初から「瑕疵担保特約」の存在がわかっていれば、多くの日本企業が買い手の名乗りを上げたに違いない。それを、まんまとアメリカペース、具体的にはゴールドマンサックスの言いなりの形で推し進めたわけである。
ところで、西川氏は住友銀行頭取時代、「磯田一郎氏の負の遺産が大きすぎて、住友銀行を立て直す経営ができなかった」という意味のコメントを、磯田氏が追放されてから語っている。
だが、西川氏自身が、磯田氏の一番の継承者だったのだ。
磯田氏は、「向こう傷(=ヤクザ)を恐れるな!」と大号令をかけたぐらい、強烈な個性の持ち主だった。
彼は、イトマン(かつての伊藤萬商事)のトップに、汚れ役の河村良彦を住友銀行から派遣した。
この辺りのことは、佐高信(まこと)氏の著述に詳しい。たとえば、『小泉よ、日本を潰す気か!』(KKベストセラーズ)によれば、河村は、何でも手を汚すというタイプの人物だった。磯田氏は、そういう汚れ役を巧みに使っていたという。
汚れ役をつくって、成果が出れば汚れ役を切り、最後は自分の手柄にするわけである。
だが、この手法は、磯田氏から多くを学んだ西川善文氏の手法でもある。
なぜなら、彼は、かつて追い落としたはずの磯田氏のことを、今でも尊敬しているのだからである。
人間の性向は、そう簡単に変わるものではない。それは、西川氏についても言えよう。
佐高氏をはじめ多くの識者が認めるように、現在、金融界の裏側では、銀行のヤクザ化とヤクザの銀行化が進んでいる。
事実、最近のベンチャービジネスを支えている投資家のかなりの部分がヤクザだと言われている。
この実態は、昨年、NHKのドキュメンタリー番組でも、たいへん鋭く追及されていた。
このスタートとなったのが、かつての住友銀行による“平和相互銀行の吸収合併”である。
佐高氏によれば、平和相互銀行というのは、首都圏に多くの支店を持っていた銀行で、別名「ヤミの世界の貯金箱」と呼ばれていた。つまり、同銀行は、ヤミの世界(=ヤクザ)とつながりの深い銀行だった。当時、住友銀行は関西を中心とした、いわゆる地方区の銀行でしかなかった。それゆえ、住友銀行のドンだった会長・磯田一郎は、関西のトップから全国区トップの銀行になる野望の下に平和相互銀行の吸収合併に動いたのである。 」
そのために、磯田は、ときの大蔵大臣・竹下登に懇請して特別の便宜を図ってもらい、住友銀行に有利な形で、この吸収合併を成功させた。
その過程で、竹下氏が高額の屏風を受け取ったとされる「金屏風疑惑」という汚職事件が起こった。1987年のことである。
こうしたダーティーな動きの中心人物が磯田一郎である。
実は、竹下登が経世会を結成し、田中角栄に反旗を翻した時の財源を提供したのが、磯田一郎である。
その彼の下で活躍し、のちに磯田の後継者となったのが、西川善文氏なのである。
住友銀行の脱法的な行動による、日本社会に対する罪は計り知れないほど大きく、この合併事件だけにとどまらない。
当時、磯田氏の下に頭取の小松康という人物がいた。
まともな頭取なら、みんな、この平和相互銀行との合併に反対する。
だが、磯田は、小松の反対を抑えて、合併を強行した。
それでも、小松は、少しはヤミの世界との関係を整理しようとした。
そして、ヤミとの関係を切り始めた時に起こったのが、住友銀行東京本店糞尿事件である。
1987年、お客がいる東京本店に糞尿がばら撒かれたのだ。
つまり、それは「オレたちとの関係を切ろうというのか」という脅しだったわけだ。
それで、同年、磯田は慌てて小松の首を切った。
ヤミの世界との手を切らないで、かえって身内の首を切ってしまったのだ。
小松は、任期満了前だったので、前代未聞の人事として騒がれた。
病気とか適当な理由をつけていたが、実際はヤミの権力に屈したのである。
佐高氏の言に従えば、これが、「ヤミとは関係を切りません」というメッセージとなり、以後、住友銀行はヤミの世界と手を組んでバブル経済の先頭を切っていった。
有名な「地上げ屋」の出現だ。
このヤクザ商法が儲かると見た全銀行が住友の後を追った。
すべての銀行が「住友銀行化」、つまり「ヤクザ銀行化」していった。
これが、あの“バブル(経済)”だった。
銀行のヤクザ化が拡大したシンボル的な出来事がイトマン事件だ。
関西の名門商社だった伊藤萬(のちにイトマンに社名変更)を、住友銀行はグループの傘下にして凄まじい地上げをやりたい放題やった。
伊藤萬本体で360億円、住友全体でも3000億円以上の資金が、ヤミ社会に消えて行ったと言われている。
イトマン事件が起こって磯田は失脚するが、彼の負の遺産である「銀行のヤクザ化」は残った。
イトマン事件後、公にヤミへの融資ができない銀行は、住宅金融会社(略称、住専)を“トンネル化”して、ヤミ社会に巨額の融資をし続けた。しかし、その融資もだんだんと加熱化し、バブルが崩壊すると、ついにヤミの世界からもカネを取り立てなければならない事態になった。
そこで、ヤミ世界との関係を絶とうという動きが起こった。その時に起きたのが、住友銀行名古屋支店長射殺事件である。
名古屋支店長がマンションで射殺されたのだ。
それで全銀行の頭取たちが慌てた。
つまり、“取り立ては止めろ”という話になった。
そのため、不良債権をどこから取り立てて穴埋めしようか?ということになった。
それで銀行は、政治献金をしている政治家を動かして、政府のカネ、つまり税金から出させようと考え、それを実行した。これが、1990年代中頃の「住専問題」だ。
こうして、平和相互銀行合併に端を発し、住友銀行が“ヤミの世界の貯金箱”になった。
これを実現させたのが、磯田―西川ラインである。
イトマン、いや住友銀行がダーティなことばかりやっていた頃に、佐高氏が磯田氏に次のように質問したことがある。
「何で、そんなこと(地上げや買い占め)ばかりやっているんですか?」と。
すると、磯田氏は、「何で悪いんだ!」と開き直ったという。
業績や利益だけ上げていけば何をやってもいいという考えなのだ。
理念とか社会的責任とか、そんなものは全部後回しになるわけである。
佐高氏も明言するように、そんな環境で育てられた“優等生”が、西川善文氏なのである。
それで、佐高氏も公言しているが、日本郵政に欠かせない社会的責任とか、過疎の問題とか、そんなことは西川氏の頭には全然ないだろう。
郵便局の合理化やリストラを強行し、さらに進めて過疎地や地方を殺すと同時に社員をも殺すという、凄まじい経営が進行していくことだろう。
事実、それらは、すでに起こっているのだ。
心ある人々が認識しているように、西川氏は、三井住友のトップとして、ある意味、詰め腹を切らされた男だ。
つまり、経営不振で引責辞任をした人物である。
まさに、彼は、本業で失敗している人なのだ。
そのような人が、なぜ日本郵政のトップに居座っているのだろうか?
また、周囲もなぜ、それを認めているのだろうか?
西川氏に真の理性と謙虚さがあるのなら、恥ずかしくて、日本郵政社長の要職など、きっと固辞したはずだ。
それをしなかったというのなら、彼は、相当、厚顔無恥な男だ。
いわゆる、まったくの”恥知らず”である。
今の日本には、彼のような手合いが、本当に多くなった
。私は、このような人物が退陣しない日本に、真に明るい“将来”はないと思うのだ。
西川氏は、日本郵政の「救世主(=建設者)」だろうか? それとも「破壊者」だろうか?
小泉や竹中の論理を突き詰めていくと、郵政事業が成功することが目的ではなく、むしろ破綻することが目的だったのではあるまいか。
成功するためならば、あくまで生田正治氏をトップにすえるべきだった。
本質的に無能で邪悪な西川氏は、トランプで言えば「ジョーカー」みたいなものだ。
誰も、ババは引きたくないものである。
彼は、支店長時代、怒ると、よく灰皿を投げたと言われる。
だが、そんな短気さばかりでなく、“邪悪さ”を持ったヤクザもどきのトップに仕えなければならない全国の郵便局・社員が本当に可哀相だと思う。
だって、考えてもごらんなさい。
誰だって、ヤクザの下で働きたいなどとは思わないはずだ。
、そんな許し難い“野蛮な状況”が、現代日本の「郵便事業」の現実なのだと思うのだ。
渡邉 良明教授の記録を留めて4日急遽マスメデアが騒ぎ出した郵政西川社長問題を考えたい。
本居宣長に「意は似せ易く、姿は似せ難し」という言葉がある
、政治的に翻訳して言えば、「政策」(意)より「人間」(姿)が大事だ、ということである。
政策は、勉強すれば誰にでも身につく代物であるが、しかし政治家としての人間力(姿)は、どんなに勉強しようとも、
どんなに努力しようとも、そう易々と身につくものではない。
麻生対鳩山に器の違いをみる。
郵政問題の決着はこの国を支配してきた自民党の真骨頂が試されている。
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花言葉は・・・・・・・・・・清純な心、信仰
スイレン科 宮崎の隠れた名所に新富町水沼神社をあげたい。
国道10号線を南から北に左手に役場を観て4kmぐらしいくと右手海側に小さき案内板がある。
驚く規模の蓮の池がある。スイレンもみれる。
モネに代表される名画の雰囲気を池に添ってある由緒ある神社との取り合わせの画材を案内したかった
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観光名所になる要素があるのに未だ開発されていない。
スイレンの花の如くで静に自分を見つめられ丁度良い。
宗教もこぞって教会や寺に集まるんでなくて
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すいれんの 水より咲いて 水はじく
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毎日新聞で経済部長を務めた記者クラブ会員の猪熊建夫著「新聞テレビが消える日」集英社刊
ネット社会ネット広告はバブルだったとIT会社を経営する山本一郎著「情報革命バブルの崩壊」文春新書
創6月号特集の危ない!雑誌ジャーナリズム誰が雑誌を殺したか。
ネットに苦悩する雑誌新聞界であるがその無料文化を支える過剰期待がネット社会が荒れ放題となっている。
本当に新聞はネットに読者を奪われたのかと検証がすすむ。
爺の視点はそこに権力者の意図を嗅ぎ取る。
権力への顔色伺いがメデアの支持離れを招いていないのか。
過剰報道と意図的に阻害封印された相反する二つに目立つことが多い。
たとえば6月1日のこと。
ニュースが全く報じない。中南米の国。エルサルバドル。
カリブ海を東にみて南からパナマ・コスタリカ・ニカラグア・エルサルバドルとつづく。
その エルサルバドルは2万㌶で四国の広さのくにに685万人が住む。
もしコの国が金メダルを取ると大変であろう。?
スペインからの圧政から独立した1821年を祈念し外交官であった人が作詞した国歌は最も長い国歌として知られる。
そのエルサルバドルの新大統領に元ゲリラ政党のファラブンド・マルティ民族解放戦線=FMLNのマウリシオ・フネス(49)が就任した。
FMLNの大統領は初。任期は5年。
1日の就任演説で「平和的、民主的な革命を進める」とし、貧富の格差解消や世界的な経済危機に対処すると強調した。
エルサルバドルは同日、約50年前に断交したキューバとの国交回復文書に署名した。
世界は動いている。
6月4日日経トップ記事は日本経済はアジア経済域が最高値としている。
だがコの国の政治家の焦点の政策はそこに標準があわせられているのか。
国民の幸せへの確固とした信念にかけるゆえコの国平和さえ揺らぐ。
他国どころか国内でさえ落ち着かない。
今だ麻生太郎総理は日本郵政の舵取りを決めかねている責任放棄。
孤軍奮闘の鳩山総務大臣がどうしても目立ってしまう。
CIAをバックニした小泉元総理一家の恫喝が麻生一家を凌いでいるのか。
その小泉元総理は4日またもやロシアに行った。
前回は国会登院のカムフラージュで明確な意図を感じ北方領土のメッセンジャー裏の裏読みしても爺は読み切れなかったが
またもや任期切れを前にナンであろうか。この男は。
小泉純一郎
いまだ国民の総理候補のアンケートではNO1の人気を持つの欺瞞性はナンなであろうか。
ネット読書は白内障の爺には苦手だが昨日に続きご同輩たる九州男児の英傑学習院大大学院政治学博士渡邉 良明教授の
の著作から紐解きたい。
『ジョン・F・ケネディvs 二つの操り人形 小泉純一郎と中曽根康弘』渡邉 良明著(2006年8月刊)のなかでこう記した。
・・・今後、小泉による、アメリカ屈従の「郵政民営化」が、社会的弱者の生活権を奪い、「格差」をますます助長する結果となろう。
残るのは、社会的不安の高まりと絶望感の蔓延である。
それを見た小泉が、冷ややかに言うであろう。「
人生、いろいろ。死ぬのも自由。さあ、どうぞ、どうぞ」と。彼の胸中は、”わが死せる後に、大洪水よ来い!”なのではないだろうか。彼にとっては、すべてが「他人事」なのである。・・・(200頁)
的確に言い当てている。
旧来の自民党総裁・日本国総理にしては型破りで、いかにも独創的(?)に見えた。
しかしそれは、単に見せ掛けだけのことその実、単に他者(ヒト)の言いなりになっているにすぎない。
実際、彼は家では姉・信子に盲目的に従い、
選挙では元稲川会系暴力団の竹内清の支援を受け
、総理官邸では飯島秘書官の手引きで動き、
政界では財務=旧大蔵官僚の言いなりになり、
対外的にはブッシュ政権に盲従した。
そのような政治家に一体、真の自主性や独創性はあるだろうか。
アメリカのレーガン大統領は退任後、多くの国民から“偉大な大統領だった”と賞賛された。
だが反面、アメリカ国内の心ある識者たちからは、“結局、大統領を演じた俳優に過ぎなかった”と批判された。実は小泉氏も“日本国首相を演じた一人の素人役者だった”のではないだろうか。
役者だから、一般の人びとの目には実に面白く見える。
実際、面白みや“けれんみ”、それに“華”がなければ役者は勤まらない。
だが、“黒子”として彼を背後から操る「存在」なしには、彼自身、1秒たりとも存在できなかった。世に言う「小泉劇場」とは、小泉氏が自ら踊り、演じきった舞台ではあっても、決して彼自身が企画・運営した劇場ではなかったと思うのだ。
小泉とブッシュとは本当によく似ている。
両者とも今まで心底自分で考え抜いたり、悩み抜いたりしたことがないのではあるまいか。
すべてが“他人任せ”なのである。
若きブッシュが有能な取り巻きの助力で名門ハーバード大学を卒業できたのは有名な話だ。
このブッシュという男、私には、生涯、自分だけの力で生きたことはないように思えるのだ。
小泉元総理は、慶大生時代にレイプ事件を引き起こし、姉・信子の指図で、その追っ手から逃れるためにロンドン大学に遊学したそれは決して正式の留学ではない。
、1969年に父・純也氏の死去に伴い、初選挙に挑戦したが、地元の郵便局の特長会の支持を得られず落選した。
三分の二の議席をとった郵政改革選挙の動機は私恨に過ぎない。
同年は、小沢一郎、橋本龍太郎、渡部恒三らが華々しく政界にデビューした年だ
政界は年齢は関係なく当選順位が唯一である。
、落選後、福田赳夫元総理の書生となり、捲土重来を期し1972年、30歳で衆議院議員に初当選。曾祖父の代から使える稲川会系竹内清の功績大である。
両者の緊密な関係は小泉政治の要所にみれる。
一番の卑近例は厚生大臣を二度務めているがその時の次官が自宅で襲われ妻ごと殺害された事件。
それぞれの次官が年金問題で国会証言を前にしてである。
ヒットマンは幼き頃の犬の仇のとの理解不能なる理由で処理されたコの国の警察力の愚かなる程度。
、自ら精緻な理論や思想を持っていなかったものの、人(とくに若い官僚たち)を利用するのは非常に巧みだったと思う。たとえば、
厚生大臣時代の岡光序治(よしはる)
郵政大臣時代の團宏明、総理大臣時代の高橋洋一(財務官僚)や守屋武昌(防衛官僚)
彼らを重用・活用し、あるいは踏み台にした上で、自らは司直の手から逃げ延びた。
神奈川県内に住むある女性実業家が自分が事業で貯めたお金の一部を「日本赤十字社に寄付しようと思う」と若き小泉に語った。
そのとき、それを聞いた彼はなんと、こう真顔で語ったという。
「日赤に寄付するぐらいなら、その金をオレにくれ」と。
14~15年前、彼女が呆れた顔で語った噺がある。
堅気の女性にそんなことを平気で言える小泉が“クリーン”であるわけなどないではないか。
叩けばさまざまなボロが出てくるのが小泉純一郎である。
引退声明の日が麻生政権の船出第一日目とのあてつけがましさ。
また、次男の進次郎を後継にする布石をちゃんと打ったあとの引退と言う実に用意周到な俗物に過ぎないである。
加えて、アメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備されたその日の引退声明。
小泉の政治行動の背後につねにアメリカの影がちらつくのである。
中曽根康弘と同様、アメリカ政府に忠実な総理も珍しかった。
その分われわれ日本国民を多大に犠牲にしてきてるわけだ。
多くの国民は、その厳粛な事実に年を追うごとに気づかされることだろう。
これほど無責任な人物を“稀代の偉大な総理”として珍重した日本国民の無知と不見識、
さらには彼と同等の“無責任さ”を、この際、深く認識すべきなのではあるかまいか。
それができて初めて、私たちは一人前の真の“日本国民”と言えるのではないか
竹中平蔵の「厚顔無恥」ぶり、
『週刊新潮』1月29日号の特集記事
「それでも平気でテレビ出演『竹中平蔵』厚顔無恥の研究」は実に興味深い。
なかでも作家の高杉良の「竹中評」は出色だ。
1975年の『虚構の城』以来、非常に画期的な経済小説を物する特筆すべき大家である。
「サンデープロジェクト、竹中平蔵vs金子勝のガチンコ対決」を観たあとの感想を次のように述べている
《彼は、“構造改革を断行し、成果を得た”つもりのようだが、いったいどこが改革され、どういう成果を得たというのか。道路公団? 中途半端な結果です。
郵政民営化? これは最悪です。
郵便事業は国民にとって欠くべからざるライフラインですが、地方では郵便局が無くなるなど悲惨なくらいズタズタになっている。会社化したらそうなることは目に見えていた。
民営化に失敗し元に戻したイギリスのように、今からでも過ちを認めて元に戻すべき。
かんぽの宿にしても、うまく運営すれば赤字にならないはずなのにオリックスに売却という、出来レースのようなおかしなことになっています。》
同誌の記者は書く。
「番組中で、竹中氏の“業績”と称揚された小泉政権下の『不良債権処理』についても、高杉氏は手厳しい」と。
実際、高杉氏の言葉は、こう続く。
《竹中がやったデフレ不況下における“ハードランディング”は、先進国では前代未聞のことで、彼が信奉するアメリカにそそのかされてやったこと。デフレの最中に不良債権処理をやっても、それは新たに不良債権を生むだけで一向に減るわけがない。その結果、東京三菱銀行に実質吸収され“消失”したUFJ銀行が巨額の貸倒引当金戻入益を計上し、“三菱東京UFJ銀行がトヨタを超えた“という間抜けな報道が出たりした。
むしろ、この時に竹中が行った“厳格な資産査定“という銀行いじめが、いかに多くの貸し渋り、貸し剥がしを生み、どれだけの中小企業が潰れたか、彼は全然分かっていないのです。
小泉・竹中コンビはスクラップだけでビルドしていない。
こうした“日本経済壊し“がなければ、今回の世界同時金融危機でも日本はもっと優位に立てたはずなのです。(派遣切りにつながる)製造業に派遣を認めるという規制緩和も、もちろん小泉・竹中がやったことです》と。
同誌記者はこう続ける。「高杉氏の竹中批判は、その特異な“人間性”にも及んだ」と。
《たとえば、02年に金融担当大臣という立場ながら、米ニューズウィーク誌のインタビューで、“四大銀行であっても、大き過ぎて潰せない(too big to fail)、という考えはとらない”と発言して銀行株を急落させたことがある。ところが、国会でそのことを追及されると、証拠テープもあるのに“そのようなことは言っていない”と嘘をついた。そんな食言を平気でするんです》と。
高杉氏は続けてこう述べる。
《彼の議員辞任劇も疑念が残るものでした。彼は06年9月15日、参院議員を突如辞任したのですが、それは彼の政治資金規正法違反を報じる『週刊ポスト』が発売される前日というタイミングでした。編集部には、“事実誤認だ”というFAXが届いたそうですが、国民への説明責任を果たさないままの辞任でした》と。
高杉氏は、竹中氏の大臣就任当初から竹中氏を「亡国の徒」と批判している。
まったく同感である。
録音テープのなかに自分が告白した声があるのに、それを言下に否定する彼はもはや日本人ではない。むしろ人間でさえないと思う。
古来、日本では「私」にとらわれない純粋な心=「清明心」を尊重する。
まさに竹中氏は、この思いと対極に位置する人だ。
むしろ彼は、「自己中心型」人間の典型で“自己防衛本能”が極端に強い。だが、彼は真に賢明なのではなくて、単にずる賢いだけだと思う。彼はまた強そうに見えて、本質的に弱い人間だと感じる。一見、「厚顔無恥」に見える彼は、このような自らの不正や弱さを隠し、小心にもすべてから逃げようとしているだけだと思うのだ。
菅義偉
「小泉・竹中構造改革」の本丸と位置づけられるところでのスキャンダルの発覚は、麻生太郎内閣の政治的テーマになりかけていたが、再びここに来て、鳩山総務大臣の必死の努力にも関らず、ある強力な政治勢力からの抑圧とブレーキがかかりつつあるようであるが、その中心にいるのが、自民党選挙対策副委員長・菅義偉氏であることは間違いない。
中平蔵の背後には、小泉純一郎元総理だけではなく、アメリカの影がちらついている。
麻生官邸が恐れているのは、おそらく竹中平蔵、小泉純一郎氏等ではなく、そのバックにいるアメリカ資本である。
竹中平蔵、小泉純一郎の両氏が政界を引退した今、アメリカ資本の代理人役を勤めているのが菅義偉ではないのか。
竹中平蔵氏が総務大臣を辞職し、政界からもあっさり引退した後、2006年9月、総務大臣に就任したのが菅義偉であった。おそらく菅義偉氏は、竹中平蔵氏の「政治的後継者」として期待されつつ総務大臣に登用されたと見て間違いない。
元早大教授の植草一秀ブログでこう言っている、
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-88f5.html「菅氏は2006年9月に総務相に就任し、翌2007年3月に日本郵政公社総裁の生田正治氏を解任している。生田氏を排除して、西川氏による日本郵政公社支配を生み出した。西川氏は日本郵政公社総裁職を兼務したのちに、2007年10月に発足した持株会社としての日本郵政社長に就任した。」「日本郵政はこれまで指摘してきたように、財界による日本郵政私物化を絵に描いたような人事を実行した。日本郵政プロパー職員、日本郵政サービス利用者、生活者が取締役に一人も登用されない、異様な姿での出立であった。また、日本郵政公社時代の日本郵政保有不動産のバルク売却の不透明性も表面化している。旧郵政公社時代の所管大臣が竹中平蔵氏と菅義偉氏である。」と。
われわれは、あらためて菅義偉氏と竹中平蔵氏のつながりについて考えてみるべき時に来ている。何故、たたき上げの政治家である菅義偉が、小淵派、加藤派、古賀派と、派閥の親分にその都度逆らいつつその時の政治権力の主流側に擦り寄り、その代わり派閥を転々としながら、急速に力をつけて来たのか。「万景峰号」寄航問題での安倍晋三との出会いが、菅義偉氏の政治的パワーの源泉となっているのだろうが、これは、同じく北朝鮮問題で安倍晋三氏に取り立てられた現内閣副官房の漆間某と同様な政治的経歴と言っていい。
ということはい、菅義偉氏の周辺には安倍晋三氏、漆間某氏等、要するに麻生政権に巣食う、アメリカ政財界権力と通じている「秘密警察」ならぬ「公安政治グループ」も控えているということだ。
何故、菅義偉氏が、ここに来て、「郵政民営化見直し」「かんぽの宿疑惑追及」「西川続投/追放」という過熱気味の政治的テーマの主導権を握る中心人物として、まだ当選四回、しかも「選挙対策副委員長」にすぎないもかかわらず、政局の主役として登場してきたのかが、わかろうというものだ。
西川善文
郵政民営化を象徴する名前は何か?
、即座に「ゴールドマンサックスだ」と答える
。無論、同社だけでなく、メリルリンチやソロモン・ブラザーズ、それにモルガン・スタンレーなど、アメリカには、名だたる投資会社がある。
だが近年、このゴールドマンサックスが群を抜いている。
それは、今回のサブプライムローン問題において、他社が致命的とも言える損失を計上したなか、ゴールドマンサックスだけが巨額の収益を上げたという事実にも表れている。
同社は、日本の若者をヘッドハンテイングして、社員の平均年俸が6000万円、ボーナスが7500万円とのことだ。
西川善文は、1938年8月3日、8月3日、奈良県に、材木商の長男として生まれた。
、1961年、大阪大学法学部を卒業し新聞記者を志望していた。
1960年の安保闘争の影響もあり、当時はまだ、「正義感」が強かったのだろう。
だが、その志望は果たせなかった。
住友銀行入行の際の話が奮っている。
実は、彼の友人が住銀に内定した。
すると、住銀からその友人に対して、
「(気の利いた)友人を一人、銀行に連れて来い」と言われたそうだ。
当時は、人材難だったのだろう。
すると、その友人は、西川青年を連れて行った。結果、西川青年は、社長面接まで進み、住銀の内定を得た。
この時の人事部長が磯田一郎だ。この時の邂逅が、西川のその後の生涯に多大の影響を与えた。
西川善文は「背広を着たヤクザ」である。
日本郵政株式会社の社長であるということは、喩えるならば、まるでオオカミに羊の群れの番をさせているようなものだ。
、竹中の推薦がなければ、西川が社長になるなどということはなかった。
、両者は、西川が三井住友フィナンシャルグループの社長だった頃は、表面上、そう仲がよかったわけではない。
それがなにゆえ親密になったかと言えば、一人の介在者がいた。
それが、ゴールドマンサックス社の元CEOで、現ブッシュ政権の財務長官ヘンリー・ポールソンである。
2003年1月15日、西川が社長だった三井住友フィナンシャルグループとゴールドマンサックス社は、幅広い業務提携について合意した。
当時、これは、西川が社内の強い反対を押し切って進めた提携であり、ゴールドマンサックス側にとってきわめて有利な条件となっているのではないか、という報道がなされた。
そのなかで、いわゆる「西川案件」と呼ばれる三井住友銀行と親密企業との間の融資や査定の不透明性が指摘され、“不良債権問題”処理のために三井住友FG側で過大な譲歩が行われたのではないか、という疑惑がささやかれた。
つまり、西川は、組織を犠牲にして、自分だけはのし上がろうとするタイプなのである。
このような風評を持つ西川を今回、日本郵政株式会社の初代社長に起用したのは、大方の関係者にとっても、たいへん意外な人事だった。
経団連会長の奥田でさえ、「この人事はおかしい」と発言していた。
実際、生田正治を継投させる声もたくさんあった。
しかし、竹中は、小泉元総理が在職中に西川を指名した。
これは、まさに「虎の威を借る狐」の行為であると同時に、まるで「イタチの最後っ屁」みたいなものだった。
それだけに、たいへん“臭い”わけである。
つまり、周囲も至って迷惑するのである。
実は、かつてのリップルウッド社による日本長期信用銀行の買い取り、新生銀行の設立、いわゆる外国資本丸儲けの仕掛け人が、この西川や竹中と関係の深いゴールドマンサックス社だった。
日本長期信用銀行の救済のために8兆円の国費が使われた。
これに対して、リップルウッド社は、それを、たったの10億円で買い叩いたのである。
政府は、当時(2000年頃)、「日本企業が長銀買収に名乗りを上げなかったから仕方がない」と言った。
だが問題は、長銀の売り手も買い手も、その代理人がゴールドマンサックス社だった。
つまり、この時も、交渉過程の後出しジャンケンで、「瑕疵担保特約」が結ばれたのである。しかし、最初から「瑕疵担保特約」の存在がわかっていれば、多くの日本企業が買い手の名乗りを上げたに違いない。それを、まんまとアメリカペース、具体的にはゴールドマンサックスの言いなりの形で推し進めたわけである。
ところで、西川氏は住友銀行頭取時代、「磯田一郎氏の負の遺産が大きすぎて、住友銀行を立て直す経営ができなかった」という意味のコメントを、磯田氏が追放されてから語っている。
だが、西川氏自身が、磯田氏の一番の継承者だったのだ。
磯田氏は、「向こう傷(=ヤクザ)を恐れるな!」と大号令をかけたぐらい、強烈な個性の持ち主だった。
彼は、イトマン(かつての伊藤萬商事)のトップに、汚れ役の河村良彦を住友銀行から派遣した。
この辺りのことは、佐高信(まこと)氏の著述に詳しい。たとえば、『小泉よ、日本を潰す気か!』(KKベストセラーズ)によれば、河村は、何でも手を汚すというタイプの人物だった。磯田氏は、そういう汚れ役を巧みに使っていたという。
汚れ役をつくって、成果が出れば汚れ役を切り、最後は自分の手柄にするわけである。
だが、この手法は、磯田氏から多くを学んだ西川善文氏の手法でもある。
なぜなら、彼は、かつて追い落としたはずの磯田氏のことを、今でも尊敬しているのだからである。
人間の性向は、そう簡単に変わるものではない。それは、西川氏についても言えよう。
佐高氏をはじめ多くの識者が認めるように、現在、金融界の裏側では、銀行のヤクザ化とヤクザの銀行化が進んでいる。
事実、最近のベンチャービジネスを支えている投資家のかなりの部分がヤクザだと言われている。
この実態は、昨年、NHKのドキュメンタリー番組でも、たいへん鋭く追及されていた。
このスタートとなったのが、かつての住友銀行による“平和相互銀行の吸収合併”である。
佐高氏によれば、平和相互銀行というのは、首都圏に多くの支店を持っていた銀行で、別名「ヤミの世界の貯金箱」と呼ばれていた。つまり、同銀行は、ヤミの世界(=ヤクザ)とつながりの深い銀行だった。当時、住友銀行は関西を中心とした、いわゆる地方区の銀行でしかなかった。それゆえ、住友銀行のドンだった会長・磯田一郎は、関西のトップから全国区トップの銀行になる野望の下に平和相互銀行の吸収合併に動いたのである。 」
そのために、磯田は、ときの大蔵大臣・竹下登に懇請して特別の便宜を図ってもらい、住友銀行に有利な形で、この吸収合併を成功させた。
その過程で、竹下氏が高額の屏風を受け取ったとされる「金屏風疑惑」という汚職事件が起こった。1987年のことである。
こうしたダーティーな動きの中心人物が磯田一郎である。
実は、竹下登が経世会を結成し、田中角栄に反旗を翻した時の財源を提供したのが、磯田一郎である。
その彼の下で活躍し、のちに磯田の後継者となったのが、西川善文氏なのである。
住友銀行の脱法的な行動による、日本社会に対する罪は計り知れないほど大きく、この合併事件だけにとどまらない。
当時、磯田氏の下に頭取の小松康という人物がいた。
まともな頭取なら、みんな、この平和相互銀行との合併に反対する。
だが、磯田は、小松の反対を抑えて、合併を強行した。
それでも、小松は、少しはヤミの世界との関係を整理しようとした。
そして、ヤミとの関係を切り始めた時に起こったのが、住友銀行東京本店糞尿事件である。
1987年、お客がいる東京本店に糞尿がばら撒かれたのだ。
つまり、それは「オレたちとの関係を切ろうというのか」という脅しだったわけだ。
それで、同年、磯田は慌てて小松の首を切った。
ヤミの世界との手を切らないで、かえって身内の首を切ってしまったのだ。
小松は、任期満了前だったので、前代未聞の人事として騒がれた。
病気とか適当な理由をつけていたが、実際はヤミの権力に屈したのである。
佐高氏の言に従えば、これが、「ヤミとは関係を切りません」というメッセージとなり、以後、住友銀行はヤミの世界と手を組んでバブル経済の先頭を切っていった。
有名な「地上げ屋」の出現だ。
このヤクザ商法が儲かると見た全銀行が住友の後を追った。
すべての銀行が「住友銀行化」、つまり「ヤクザ銀行化」していった。
これが、あの“バブル(経済)”だった。
銀行のヤクザ化が拡大したシンボル的な出来事がイトマン事件だ。
関西の名門商社だった伊藤萬(のちにイトマンに社名変更)を、住友銀行はグループの傘下にして凄まじい地上げをやりたい放題やった。
伊藤萬本体で360億円、住友全体でも3000億円以上の資金が、ヤミ社会に消えて行ったと言われている。
イトマン事件が起こって磯田は失脚するが、彼の負の遺産である「銀行のヤクザ化」は残った。
イトマン事件後、公にヤミへの融資ができない銀行は、住宅金融会社(略称、住専)を“トンネル化”して、ヤミ社会に巨額の融資をし続けた。しかし、その融資もだんだんと加熱化し、バブルが崩壊すると、ついにヤミの世界からもカネを取り立てなければならない事態になった。
そこで、ヤミ世界との関係を絶とうという動きが起こった。その時に起きたのが、住友銀行名古屋支店長射殺事件である。
名古屋支店長がマンションで射殺されたのだ。
それで全銀行の頭取たちが慌てた。
つまり、“取り立ては止めろ”という話になった。
そのため、不良債権をどこから取り立てて穴埋めしようか?ということになった。
それで銀行は、政治献金をしている政治家を動かして、政府のカネ、つまり税金から出させようと考え、それを実行した。これが、1990年代中頃の「住専問題」だ。
こうして、平和相互銀行合併に端を発し、住友銀行が“ヤミの世界の貯金箱”になった。
これを実現させたのが、磯田―西川ラインである。
イトマン、いや住友銀行がダーティなことばかりやっていた頃に、佐高氏が磯田氏に次のように質問したことがある。
「何で、そんなこと(地上げや買い占め)ばかりやっているんですか?」と。
すると、磯田氏は、「何で悪いんだ!」と開き直ったという。
業績や利益だけ上げていけば何をやってもいいという考えなのだ。
理念とか社会的責任とか、そんなものは全部後回しになるわけである。
佐高氏も明言するように、そんな環境で育てられた“優等生”が、西川善文氏なのである。
それで、佐高氏も公言しているが、日本郵政に欠かせない社会的責任とか、過疎の問題とか、そんなことは西川氏の頭には全然ないだろう。
郵便局の合理化やリストラを強行し、さらに進めて過疎地や地方を殺すと同時に社員をも殺すという、凄まじい経営が進行していくことだろう。
事実、それらは、すでに起こっているのだ。
心ある人々が認識しているように、西川氏は、三井住友のトップとして、ある意味、詰め腹を切らされた男だ。
つまり、経営不振で引責辞任をした人物である。
まさに、彼は、本業で失敗している人なのだ。
そのような人が、なぜ日本郵政のトップに居座っているのだろうか?
また、周囲もなぜ、それを認めているのだろうか?
西川氏に真の理性と謙虚さがあるのなら、恥ずかしくて、日本郵政社長の要職など、きっと固辞したはずだ。
それをしなかったというのなら、彼は、相当、厚顔無恥な男だ。
いわゆる、まったくの”恥知らず”である。
今の日本には、彼のような手合いが、本当に多くなった
。私は、このような人物が退陣しない日本に、真に明るい“将来”はないと思うのだ。
西川氏は、日本郵政の「救世主(=建設者)」だろうか? それとも「破壊者」だろうか?
小泉や竹中の論理を突き詰めていくと、郵政事業が成功することが目的ではなく、むしろ破綻することが目的だったのではあるまいか。
成功するためならば、あくまで生田正治氏をトップにすえるべきだった。
本質的に無能で邪悪な西川氏は、トランプで言えば「ジョーカー」みたいなものだ。
誰も、ババは引きたくないものである。
彼は、支店長時代、怒ると、よく灰皿を投げたと言われる。
だが、そんな短気さばかりでなく、“邪悪さ”を持ったヤクザもどきのトップに仕えなければならない全国の郵便局・社員が本当に可哀相だと思う。
だって、考えてもごらんなさい。
誰だって、ヤクザの下で働きたいなどとは思わないはずだ。
、そんな許し難い“野蛮な状況”が、現代日本の「郵便事業」の現実なのだと思うのだ。
渡邉 良明教授の記録を留めて4日急遽マスメデアが騒ぎ出した郵政西川社長問題を考えたい。
本居宣長に「意は似せ易く、姿は似せ難し」という言葉がある
、政治的に翻訳して言えば、「政策」(意)より「人間」(姿)が大事だ、ということである。
政策は、勉強すれば誰にでも身につく代物であるが、しかし政治家としての人間力(姿)は、どんなに勉強しようとも、
どんなに努力しようとも、そう易々と身につくものではない。
麻生対鳩山に器の違いをみる。
郵政問題の決着はこの国を支配してきた自民党の真骨頂が試されている。
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