今日の今日の誕生日の花は・・ツリガネソウ
花言葉は・・・・・・・・・・感謝

キキョウ科別称カンパニュラ、和名釣り鐘ニンジン、風鈴草
ふっくらと薄紫、青、桃、白といろんな花色が楽しめる。
少し上横を向いて咲き切り花でも楽しむ。
釣り鐘ニンジンは下を向いている。
3日まだあけやらぬ4時過ぎ早朝は小雨模様。
6月はシットリの風。いよいよ梅雨に向けて準備を始めたようである。

6月の かぜにのりくる 瀬音あり。

実にコの国の、アスメデアの権力追従は貫徹されている。
あれほど連日トップニュース豚インフツエンザはニュースで全く触れない。
世界に嘲笑された水際作戦の過ちは国内対策をおろそかにしてたため無策であった。
案の定それが突破されると急激にスルスルと世界3番目の患者数にあり3日は392名になり九州にも四国にも罹患者が出ており全国感染化状況である。
マスクは全く意味をなしてなかった訳である。
あのときの大本営発表の勢いなら被害者たる死亡者が出ても可笑くない状況であったがお陰様で重傷罹患者は一人もいない。
第一報の時から爺は大騒ぎの裏にあるものは総選挙対策である。
アメリカ発のマスコミ謀略の意図を含んでいると警告していた。
どうにも宗主国のなす事は9・11の謀略の如き信じがたきアッ!と驚く大謀略をナスから爺は騙されない。

60年安保をリードした一人に後に保守派のリーダーになる学習院教授の清水幾太郎がいる。
麻生太郎の思想遍歴を知ろうと図書館に行ってたら閉館時間が迫りブログをにらめっこしてたら適切なる記述があった。
学習院大政治学科を卒業なされ学習院大学大学院に渡邉 良明 教授と言う憂国の情溢れる九州男児の政治学者 がおられる
平和研究、非暴力主義研究の第一級の方である。
 1960年の「安保闘争」にも触れておられた。
 、今年はあの1960年以来、日本にとって最大の“政治的変動の年”、あるいは“政治の年”だと思う。
安保闘争時、「今こそ、国会へ」という論文を雑誌『世界』に投稿し、全学連運動を主導した清水幾太郎(1907~88)こそ、大学時代のわが恩師である。
学部の先輩である亀井久興氏や麻生太郎氏も、清水先生の授業をとられたかもしれない。
 1960年、全学連を主導した彼は、官邸内で岸総理に近づき、
「オマエ、何をやっているのか、わかっているのか!」と詰め寄った。
だが、彼は衛士に取り押さえられた。
実は、闘争引退後の清水先生は、同年の江田三郎氏とたいへん仲がよく、「社民連」的な政治変革運動にかなりの共感と関心を持っておられた。私は、お二人は、精神的“同志”だったように思う。
・・江田参議院議長の父君が社会党で活躍された江田三郎である。・・
ちなみに、8月10日(今日)は清水先生のご命日である。
 江田父子の決意から30年、民主党の結党から12年、小沢一郎氏の自民党離党から15年――今日の“民主党優勢”の政治状況は、言うまでもなく、一朝一夕にできたものではない。
その出発点こそ違え、それぞれの立場でともに日本を愛し、国民をいとおしく感じる人々の日々の努力や協力の賜物だと思うのだ。
 その意味で、「今年」ほど大事な年はないのではあるまいか。1960年がそうであったように、今、われわれ日本人は歴史的岐路に立たされていると思う。
単に「自民党の凋落」というだけでなく、それこそ、日本国の“浮沈”が今年にかかっていると思うのだ。今年こそ、“目覚めの年”にしなければならないと思う次第である。

東大→外務省のコースにイラク戦争に異を唱え小泉総理に首を切られた反骨の大使天木直人大使がいる。
いまは奥さんもパートでレジうちとテレビたかじんの番組出演で詰問され正直に述べてた爽やかなるお人柄の方である。

爺は延長された国会に昨日触れたように望んでいるモノがある。
恥も外聞もなく居座ろうとする西山郵政社長を巡る鳩山総務大臣と自民党の暗闘の追求をあげる。
ただ新聞がマスメデア全く触れない急遽表面化した非核三原則の60年安保当時の2日触れた問題をもあげたい。

天木直人ブログにこうある。
 
沖縄密約はあったと証言しはじめた外務事務次官OBたち

 共同通信が外務事務次官経験者4人にインタビューして、それら元外務事務次官経験者らが口をそろえて沖縄密約の存在を証言した事実をメディア各社に配信した。

 これは大スクープである。

 そのスクープによれば、次官経験者たちは、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを認める密約文書の存在をはっきり認めている。この目で見たと言っている。

 次官経験者たちは、密約の存在は歴代次官の引継ぎ事項であったと、はっきり認めている。

 次官経験者たちは、その密約の存在を首相や外相に知らせる際に、人を見て選別していた事と言っている。
つまり信用できる政治家、秘密を洩らさないような政治家にだけ教えていたのだ。
国家機密の取り扱いを、大臣ではなく役人が決めていたのだ。

 この大スクープが配信されたというのに大手新聞でこれを報じたのは東京新聞だけであった。
読売も朝日も、ただの一行も報じていない。ぜいぜい地方紙のいくつかが報じている程度だ。

 もし今後も大手新聞やテレビがこのニュースを報道しないとなると、明らかな黙殺である。
国民の知る権利をまったく無視した、メディアの堕落である。

 しかし無理もない。
今回の4人の外務事務次官たちの証言は、政府・外務省にとってそれほど衝撃的なものなのである。

  国会は解散引き伸ばしのために延長された。だから延長国会なんてはじめからまともな審議など与党も野党も念頭にない。あるのは政局に明け暮れる政治家の姿だ。

  暇がふんだんにあるのだから野党はこのスクープを追及すべきだ。この問題をきっかけに麻生自公政権を揺さぶって、政権交代をより確実にすべきだ。

 ここまで明らかになっても、政府・外務省は沖縄密約を否定し続けるだろう。
なぜならば沖縄密約は核持込みに限らないからだ。

 それどころか日米間の密約は沖縄密約に限らない。
日米関係史そのものが密約の歴史でもある。

 5月29日号の週刊金曜日は、井原勝介前岩国市長が、愛宕山地域開発の裏には開発跡地に米軍住宅を建設することと民間空港を取引する密約の有無があったのではないかと、岩国市に情報公開を求めている事を書いている。

 これに対し福田市長は全面非公開を決定したと書いている。
嘘がばれるからだ。前回の市長選挙の正統性が揺らぐからだ。

 岩国問題に限らない。
およそ戦後の日米関係は密約の連続で出来ているといっても過言ではない。
一つでも密約の存在を認めれば、それが蟻の一穴となって巨大な虚構が崩れ落ちる、日米同盟の虚が国民にばれることになる。
 外務省は崩壊しつつあるのではないか。いままでならば決して想像できなかった事が起こり始めている。

 いくら匿名とはいえ、いくらOBになったからといえ、歴代の4人の外務事務次官がここ
まで正直にインタビューに答えるようになったのだ。

 揺らぐ事がなかった既成秩序が揺らぎはじめている。
時代が変わるという事はこういう事かもしれない。変革が起きる時は一気に進むのかもしれない。

NHKの良心はこんな時間に生きている。平和の国日本の発信はここいらに財産としてある。
NHKラジオ早朝4時~4時50分
ユダヤ難民敦賀上陸秘話として昨年開館された敦賀ムゼウム古江孝治館長がトツトツと話された。
第二回目は4日朝4時から放送されるが必聞である。
ムゼウムはポーランド語でミュージアムのこと。
杉原千畝がナチスの迫害を逃れるためユダヤ人にビザを発行して一躍時の人の外務官僚の良心を示したことは日本人の良心として知られる。
ではピザをてにした人はどうしたのか。
シベリア鉄道1週間経てウラジオストック着。
2泊三日で国際港敦賀に着き鉄道を利用して神戸横浜からオーストラリア、カナダと行ったのである。
青果商の息子の少年はかごにいっぱいのリンゴや干しバナナを持って降りてくる難民の前に現れる。
難民たちははお金がない仕草で伝えるとかごを置き去る。
リンゴをほおばった・・日本の味がした。
その少年は年が経過し神戸震災の時、病院で老衰でこのことの聞き取りは出来なかった。
残ったご子息はこの話を父から聞いてはいない。

敦賀にある渡辺時計店。
難民は時計耳飾り指輪を両替しお金にした。
難民はお金を持ってうどん屋に飛び込んだ。
ユダヤ難民は途中体外のものをだまし取られて食事もとれなく
日本の総ての状況の判断から最後の品々を使い空腹を満たす覚悟が出来たゆえのことであろう。
渡辺時計店の家はそれを売らず箱いっぱいになった。
可哀想で施しただけであった。
渡辺時計店では今もその箱は末裔が残している。

1940年頃は裕福な身なりであったが。
45年頃はまさに難民であった。

港から駅まで集団でウンドーショッピングを楽しむが如く歩いたが
ドイツとの同盟の日本の官憲警察は遠くとりまいて暴発に備えただけで警棒を振り回す威圧的態度でなかった。

リトアニアにあった杉原千畝領事はドイツと結託した閉鎖ソ連からもおわれた。
ホテル、にも難民は来てピザを発行し続けた。
領事館に滞在ホテルの張り紙を出していたからである。
ついには駅まできたそこでも書いた。
最後にゴメンナサイ!
決断!命のピザ大正出版刊にある。

難民がリトアニア領事館に大勢来る。
外務省にピザ発行を問い合わせるが発行はまかり成らぬと言う。
目の前の現実と将来の生活昇進などへの不安、妻とも相談して発行を決める。
それからは昼飯抜きでのピザ発行。
ほおばってもサンドイッチ。書いてるのピザ!(シャレテル場合か・・爺のアホー)
それにしてウラジオストックの領事館の対応がまた凄い。
根井領事のインタビューは残っている。
ハルピンでの勉学中の杉原千畝の後輩である。連絡はなく以心伝心。
日本国が発行したもので通過させた。と流石である。
対ナチス協調国益にかなうかどうか。苦慮悶えの結論
人道博愛を職を賭して実行する。

日本の外務官僚の気概、日本人の命のリレー。
イスラエルの教科書には今にも記載されており
イスラエル少年は今も学んでいる。

国会で大いに議論されなければならない。

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