今日の誕生日の花は・・・ドイツアヤメ
花言葉は・・・・・・・・虹の使者、素晴らしい出会い
曙は まだむらさきに ほととぎす
12日の宮崎での室内温度計は31、7度を指している。
この3日間ほんとうにどうかしており熱すぎる。
12日の外は風が少しあったからいいが11日は舗装道路からは放射熱の蜃気楼気味であった。
大陸四川省は一国の広さだがその広さの規模の地震から1周年。
我が国は先程関東富士五湖震源地の深度4の地震の報道あった。沖縄でも。
列島はどこも地震の共通性の危険性を持つ。
岩手の地震が近年の最大規模。
随分まえに爺はこの地のことに触れた。
世界最古の木造建築物奈良の法隆寺の五重塔
1300年間の風雪に耐え古色を帯び古代大和人との時間を共有する。
ただ近代人ゆえ瞬間ピサの斜塔にはない危なっかしさを感じる。
何度も地震に遭っていようが五重塔が地震に強く倒壊の記録はない。
江戸時代以前に建てられた似たる塔は全国で22基。
建築学のイロハも知らぬものには七不思議のひとつである。
そこにとてつもない建築物のネーミングの
「東京スカイツリー」610メートル。
東京タワーを設計した「塔博士」内藤多仲(たちゅう)
世界一のエッフェル塔(320メートル)を高さで凌ぎ、
なおかつ低予算、短期間で完成させる。
発案者新聞社社長前田久吉の注文に答えてのこと。
東京都墨田区に平成24年春にお目見えする。
五重塔の構造が生かされ、大地震に備えるという。
日本古来の匠の技と最先端技術のコラボ。
どんなふうに結びつくのか楽しみだ
『発明立国ニッポンの肖像』上山明博著、文春新書
この地域の上野のお山には徳川の霊所もある。
芝の増上寺との寛永寺が一代ごと交替で将軍の霊廟を祭った。
NHK大河ドラマの篤姫の墓所は13代ゆえ上野のお山の裏のこちらに祭られている。
それを芝の方に集団化すると徳川当主が一大決心。
日経紙文化欄に書いておられた。
維新の残滓、彰義隊の無念怨念も残る土地の上野。
かっての上野の一の名物14階は大地震で消滅している。
文豪幸田露伴の五重塔は失火。
上野のお山の向こうの墓地の中心に痕跡を見つけえる。
あの情愛の人、安部定の墓地の隣接地である。
厄落とし厄払いなきときは霊の怒りに触れ
東京大地震が日本どころか世界を驚かそう。
14日午前8時43分に発した岩手大地震では
東京のビルのエレベーターが感知して止まったそうだ。
M7,2阪神淡路に匹敵し、内陸型。
ポッカリと不気味な暗黒の口がこの世の出来事ではなく恐怖でおぞける。
漆黒の深さなき姿はこの世のものでない。
ブナコナラの残る東北は大和民族の原風景。
縄文期の日本人の生活が残る。
井上ひさしの吉里吉里国の人がすむとこで
東北の風景その言葉懐かしい。
縄文文化こそ日本文化の根幹「日本の深層」梅原猛著。
大阪のヒト司馬遼太郎の小説ではこの地の人々の心根は描ききれず、
藤沢周平でしか解るまい。
-これでは斬れんな。と、丹十郎は思った。
知人の紹介状を頼りに立ち寄った、
海坂藩(南部藩)での出来事だ。
不祥事を起こした藩士を討ち果たせば、仕官がかなう。
妻子を連れた浪人の、長い旅暮らしも終わるはずだった。
しかし、その男に戦うつもりはなかった。
-これでは斬れんな。 と、丹十郎は思った。
国へ帰って、百姓をやるという。
心を許した丹十郎は、宿賃を支払うために刀を売り、実は竹光であることを明かす。
次の瞬間、男は豹変する。
「それなら、話は別じゃ」
と丹十郎に襲いかかった。
・・・・・
・・・・・・
小太刀の名手だった丹十郎。
・・・・・
映画『たそがれ清兵衛』の原作、藤沢周平の『竹光始末』の一場面。
・・・・・
岩手・平泉は日本一の藤原の王国金色堂の国。
その後も日本一の華、開いたみちのくゆえの悲しき黄金の藤原文化。
奥州平泉にて平安末期に栄えた藤原4代。
最後の当主、藤原泰衡の時代、1189年に源頼朝に滅ぼさる。
泰衡は、父の秀衡(第三代当主)から
「義経を総大将として鎌倉幕府の攻めに備えよ」
との言葉が遺されていたにもかかわらず、源頼朝の「奥州追討」令に恐れをなし、1189年6月、義経主従を討つ。
これで頼朝の攻撃をかわせるとほっとしていた泰衡は、同年8月、鎌倉軍にさしたる抵抗を示せぬままに討たれる。
、Wikipediaにある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B3%B0%E8%A1%A1
奥州藤原氏が滅びたのは、藤原泰衡が頼朝の脅しに恐れをなし、自分たちの最後の頼みの綱になるはずであった義経を討ってしまったところに原因がある。
冷静に状況判断ができない人間は、敵の脅しや欺きに惑わされ、最も重要なものを自ら手放してしまう。
今回、民主党で小沢党首に辞任を促した面々。
小沢なしで巨大な敵、自民党と霞ヶ関に勝てると思っているのか。
マスコミや検察の脅し・欺きに屈したツケは、小さくはない。
岩手平泉文化のDNAを持つヒトである。
勤続39年4ヶ月2週間、小沢一郎が表舞台から去ろうとしている。
連続14回当選をめざす第45回衆院選がおそらく最後の衆院選になろう。
それにしても、これでは権力とマスメデアテロに負けたような様だ。
コの国の民族性ゆえ36計逃げるにしかず。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい
漱石「草枕」書き出し。
二世ゆえ東京育ちの小沢一郎の生誕地の幼稚園の近くに漱石が歩いた坂道がある。
坂道を上るときも、狭心症で心臓バイパス施術を受け、背広の上着の左内ポケットに医療器具をつけている小沢一郎。
どんなにだましだましやっても、内閣総理大臣の職務は重い。
小沢一郎の定宿の病院のとなりの神社はツツジの季節。
通った中学校の近くには、文京区立駒本小学校がある。、
1932年2月9日、第18回衆議院議員総選挙の演説会で駒本小学校を訪れた二大政党の一つ「民政党」の井上準之助幹事長は、ここで命を落としている。
これに先立ち民政党が政権党だったころ、井上財務大臣が仕えた浜口雄幸総理大臣は東京駅で3メートルの至近距離から銃弾を受けた。
鉄道病院の医師が、
「総理、たいへんなことに」
とつぶやくと、浜口は医師に
「男子の本懐です」
偶然プラットホームに居合わせた幣原喜重郎・外務大臣がかけつけると、
「男子の本懐だ。予算閣議も片づいたあとだから、いい」
と語った。城山三郎著「男子の本懐」新潮文庫P308。
こういった犠牲のうえでの、デモクラシーの国はある。
平成の血盟団は、都有地に居座るフジと逆に自社ビル消却にいきづまり倒産寸前の日本テレ放送網という「テレビ血盟団」。
、日本国民は平均5時間以上テレビジョンを見るという「テレ中患者」「世界のキチガイ民族」。
先見性のあるテレビ創生期のマスコミの帝王・大宅荘一はテレビの将来を危惧「一億総白痴化」と称した。
国民はマスメデアに煽られ検察の説明責任は求めず、小沢のみに執着した。
麻生の思うつぼのシナリオ通となった。
小沢一郎記者会見の最後のくだりの言葉
「自分が辞めることで政権交代を見ることができれば「男子の本懐だ」
それも運命、男子の本懐。
連綿と選挙の洗礼も受けずに政権の座に座る続ける野心家麻生太郎とは違う。
換言すればこうなのか。
、「男子の本懐だ、もう292選挙区に候補者を擁立したから、いい」という心境なんだろう。
「政権交代のためにこの身を投げ打つ」
「党内の結束・団結が絶対不可欠」
「逆に挙党一致でのぞむなら、必ず勝利する」
として、代表を辞任することを表明。
爺には党首就任時演説がダブル
47歳で絶対勢力時代の自民党幹事長就任。
宮沢福田年長の総裁候補がひれ伏した。
それでも権力党から離れた。
これほど自身の人間性を磨いた政治家はいない。
民主党首に3年前についた。
就任の演説に小沢一郎を知るものは驚いた。
山猫は巨匠ビスコンティの名作。
19世紀貴族社会は政治体制に揺り動く
舞踏会途中奥の部屋にいり、鏡に赤い涙目の自分を映し、見つめる。
寂しそうな顔が胸に迫る。
ラストシーンは
舞踏会を途中で出た公爵がひとり小道を歩く。
後ろを猫が彷徨く(うろつく)
一つの時代の終わりの荘厳さ。
小沢一郎は青春期好んで観たこの映画のセリフを就任演説に用いた。。
変わらずに生きて残るには
自からが変わらねばならない。
よりよき明日のために
かけがえのない子供のために
私自身を改革したい。
時代の歯車には逆らえない
高潔なる美意識が民主の危機を感じ取り潔く退いた。
政権に一番近いのに悲劇の未完の宰相小沢一郎。
この悲劇はもうコの国の文化でしか語れない。
風水が効かない何かツイテいない。
厄を落とせば幸せが体感できる。
読んで面白い
「厄落とし厄払い大事典」実業之日本社
藤原三代の栄華の権力は怖く、鎌倉の頼朝のもっと恐れたところ。
霊のいやしどころはいまだ収まるはずがない平泉の怨念が宿る。
よって大宰府のごとく霊所を国家的に祭らねば
地域民の祖先になる霊は穏やかならざるところ。
東北の勇者平将門は日本最大の取引所の中心地兜町にその霊を沈めさる。
この時期不遜にもあえて将来を祈念して残すが
誤解をしないでほしい鎮魂である。
「岩手」の起源については、ブログでも読み取れる。
宮崎・高千穂の鬼の由来に似てさすがに遠野物語の国だ。
住民の悪鬼追討の祈りに対し、
人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)が
それを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという
鬼の確約を岩の上に手形で残させた・・という故事にならうとされる。=岩手である。
「岩手」の名が文献に登場するのは、
「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」
と言う大和物語の一説が初めてだといわれている。
その鷹の名は「岩手」であった。
帝は、「岩手」を失った悲しみを
「言わないことが言うことより気持ちが勝るのだ」の意味で、
「岩手=言はで」に掛け
「いはでおもふぞ いふにまされる」と詠じたという。
この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。
鎮魂する意味で司どってたのが藤原氏
代わりを建立しなければこの国は神の国である。
祓いをしてひたすら「ハレ」で生き抜く宗教民族。
天罰は地震雷火事親父とくだされる。
母の日に比して影うすきこの国の政治状況にも似たる父の日でもある。
大和民族の発祥の地宮崎は古事記日本書紀=記紀にその国づくりのお話を残す。
宮崎の語源は初代天皇神武の住居跡にある。
皇居(こぐや)の跡のまえ。矢の先
矢は天皇の住居=宮、先は=崎、宮崎である。
・・橘の小戸の・・
神前結婚式の祝詞の最初の神に慶事の神主さんの言葉。
1662年日向沖の西海南大地震は規模は阪神淡路の80倍域に及んでいる。
日本一の大揺れだったん出あろう。
大淀川=赤江川南の殿所(とんどころ)地域260戸あまりは陥没で海のそこに
津波は遠く市内西の山並み地域まで押し寄せたと現地の山に記念碑が残る。
大淀川下流の左岸天孫降臨後に禊の祓いをした
聖地たる霊廟=・・橘の小戸の・・も陥没。
岡田イオンが4年前に農地法を超越し、設立されされ繁盛している。
16日民主党主選に立候補の岡田克也議員である。
岡田克也議員は崇教真光誌に登場。
平成十九年十二月号(543号)41~42ページ)
そういえば、手かざし真光の創始者も岡田である。
あの高潔なる人格は悟りきったル宗教者?。
小戸の宮はいまの県病院近くの小戸小のところに仮宮。
さらに県庁交差点反対側の北に移転再建建立。
昭和2年の今で言うゼンリン地図みたいな図に位置が残っている。
小戸小のところに仮宮。
道路拡張で再度移転。
いまの小戸神社に鎮座される変遷の御霊の場所。
「父親の力母親の力」河合集雄
大黒柱としての使命感だが現実は共働き。
母性原理が強い日本では真の父権は育っていない。
強い・・弱い・・どちらが父親像であろう。
お家を守るためひたすら頭をたれる。
宮崎は全国二番目の自殺率。
50代男性が最多で深刻なる病理。
突然の父親不在が生じる。
封建制度以来の「家」が薄らいでる制度疲労。
変遷した父親像。
厳父でなく友達パパ。
こんな世の中に誰がした。
「子も親もない宣言」は取り消さない。父の日
父の日てふ ついでのやうな 日なり
と影が薄い
母の日は大正時代1914年で第二次大戦後の父の日。
父の日の鴉の声を聴け
心穏やかで伝統さ
威厳と慈愛を強く召すべし。
時代は辣腕小沢一郎を檜舞台から追い立てた。
小沢代表のような剛腕でないと政権与党や官僚の手練手管に対抗できない。
民主党員は、小沢氏が代表を辞めれば選挙に勝てると思っているようだが、たとえ総選挙になんとか勝てても
小沢なき民主党では官僚支配を終わらせることまでは永遠にできなくなるだろう。
小沢民主党は、談合・天下りの根絶、特殊法人や独立行政法人の原則廃止、特別会計の原則廃止、地方分権の推進など、
「官」の改革をうたっている。
政官癒着を打破し、官僚支配を終焉させられないような民主党なら、政権交代の意味がない.
ただ神のご加護を感じる。
野心家麻生太郎の顔色がめちゃくちゃ悪いんだが病気か?
黄疸の症状出てないか??
鴻池副長官がスキャンダラスで辞任の与野党シーソー状況。
一寸先は闇。
実に奇怪なる不思議なる国。
鳩山民主内閣には鳩山邦夫総務省が合流しよう。
爺のサプライズ期待である。
さぁ~て官僚との対峙に対処せねばならぬ。
爺が望みたいのが小沢の復活なるや党首・総理分離論。
従属国からの脱皮!この国にまつわる怨霊。
粘り強き政治力の岩手のDNAが生んだ小沢一郎しかできない。
天命は党のために身を捨てたヒトにいずれ下されよう。
いつものお願いです。
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曙は まだむらさきに ほととぎす
12日の宮崎での室内温度計は31、7度を指している。
この3日間ほんとうにどうかしており熱すぎる。
12日の外は風が少しあったからいいが11日は舗装道路からは放射熱の蜃気楼気味であった。
大陸四川省は一国の広さだがその広さの規模の地震から1周年。
我が国は先程関東富士五湖震源地の深度4の地震の報道あった。沖縄でも。
列島はどこも地震の共通性の危険性を持つ。
岩手の地震が近年の最大規模。
随分まえに爺はこの地のことに触れた。
世界最古の木造建築物奈良の法隆寺の五重塔
1300年間の風雪に耐え古色を帯び古代大和人との時間を共有する。
ただ近代人ゆえ瞬間ピサの斜塔にはない危なっかしさを感じる。
何度も地震に遭っていようが五重塔が地震に強く倒壊の記録はない。
江戸時代以前に建てられた似たる塔は全国で22基。
建築学のイロハも知らぬものには七不思議のひとつである。
そこにとてつもない建築物のネーミングの
「東京スカイツリー」610メートル。
東京タワーを設計した「塔博士」内藤多仲(たちゅう)
世界一のエッフェル塔(320メートル)を高さで凌ぎ、
なおかつ低予算、短期間で完成させる。
発案者新聞社社長前田久吉の注文に答えてのこと。
東京都墨田区に平成24年春にお目見えする。
五重塔の構造が生かされ、大地震に備えるという。
日本古来の匠の技と最先端技術のコラボ。
どんなふうに結びつくのか楽しみだ
『発明立国ニッポンの肖像』上山明博著、文春新書
この地域の上野のお山には徳川の霊所もある。
芝の増上寺との寛永寺が一代ごと交替で将軍の霊廟を祭った。
NHK大河ドラマの篤姫の墓所は13代ゆえ上野のお山の裏のこちらに祭られている。
それを芝の方に集団化すると徳川当主が一大決心。
日経紙文化欄に書いておられた。
維新の残滓、彰義隊の無念怨念も残る土地の上野。
かっての上野の一の名物14階は大地震で消滅している。
文豪幸田露伴の五重塔は失火。
上野のお山の向こうの墓地の中心に痕跡を見つけえる。
あの情愛の人、安部定の墓地の隣接地である。
厄落とし厄払いなきときは霊の怒りに触れ
東京大地震が日本どころか世界を驚かそう。
14日午前8時43分に発した岩手大地震では
東京のビルのエレベーターが感知して止まったそうだ。
M7,2阪神淡路に匹敵し、内陸型。
ポッカリと不気味な暗黒の口がこの世の出来事ではなく恐怖でおぞける。
漆黒の深さなき姿はこの世のものでない。
ブナコナラの残る東北は大和民族の原風景。
縄文期の日本人の生活が残る。
井上ひさしの吉里吉里国の人がすむとこで
東北の風景その言葉懐かしい。
縄文文化こそ日本文化の根幹「日本の深層」梅原猛著。
大阪のヒト司馬遼太郎の小説ではこの地の人々の心根は描ききれず、
藤沢周平でしか解るまい。
-これでは斬れんな。と、丹十郎は思った。
知人の紹介状を頼りに立ち寄った、
海坂藩(南部藩)での出来事だ。
不祥事を起こした藩士を討ち果たせば、仕官がかなう。
妻子を連れた浪人の、長い旅暮らしも終わるはずだった。
しかし、その男に戦うつもりはなかった。
-これでは斬れんな。 と、丹十郎は思った。
国へ帰って、百姓をやるという。
心を許した丹十郎は、宿賃を支払うために刀を売り、実は竹光であることを明かす。
次の瞬間、男は豹変する。
「それなら、話は別じゃ」
と丹十郎に襲いかかった。
・・・・・
・・・・・・
小太刀の名手だった丹十郎。
・・・・・
映画『たそがれ清兵衛』の原作、藤沢周平の『竹光始末』の一場面。
・・・・・
岩手・平泉は日本一の藤原の王国金色堂の国。
その後も日本一の華、開いたみちのくゆえの悲しき黄金の藤原文化。
奥州平泉にて平安末期に栄えた藤原4代。
最後の当主、藤原泰衡の時代、1189年に源頼朝に滅ぼさる。
泰衡は、父の秀衡(第三代当主)から
「義経を総大将として鎌倉幕府の攻めに備えよ」
との言葉が遺されていたにもかかわらず、源頼朝の「奥州追討」令に恐れをなし、1189年6月、義経主従を討つ。
これで頼朝の攻撃をかわせるとほっとしていた泰衡は、同年8月、鎌倉軍にさしたる抵抗を示せぬままに討たれる。
、Wikipediaにある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B3%B0%E8%A1%A1
奥州藤原氏が滅びたのは、藤原泰衡が頼朝の脅しに恐れをなし、自分たちの最後の頼みの綱になるはずであった義経を討ってしまったところに原因がある。
冷静に状況判断ができない人間は、敵の脅しや欺きに惑わされ、最も重要なものを自ら手放してしまう。
今回、民主党で小沢党首に辞任を促した面々。
小沢なしで巨大な敵、自民党と霞ヶ関に勝てると思っているのか。
マスコミや検察の脅し・欺きに屈したツケは、小さくはない。
岩手平泉文化のDNAを持つヒトである。
勤続39年4ヶ月2週間、小沢一郎が表舞台から去ろうとしている。
連続14回当選をめざす第45回衆院選がおそらく最後の衆院選になろう。
それにしても、これでは権力とマスメデアテロに負けたような様だ。
コの国の民族性ゆえ36計逃げるにしかず。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい
漱石「草枕」書き出し。
二世ゆえ東京育ちの小沢一郎の生誕地の幼稚園の近くに漱石が歩いた坂道がある。
坂道を上るときも、狭心症で心臓バイパス施術を受け、背広の上着の左内ポケットに医療器具をつけている小沢一郎。
どんなにだましだましやっても、内閣総理大臣の職務は重い。
小沢一郎の定宿の病院のとなりの神社はツツジの季節。
通った中学校の近くには、文京区立駒本小学校がある。、
1932年2月9日、第18回衆議院議員総選挙の演説会で駒本小学校を訪れた二大政党の一つ「民政党」の井上準之助幹事長は、ここで命を落としている。
これに先立ち民政党が政権党だったころ、井上財務大臣が仕えた浜口雄幸総理大臣は東京駅で3メートルの至近距離から銃弾を受けた。
鉄道病院の医師が、
「総理、たいへんなことに」
とつぶやくと、浜口は医師に
「男子の本懐です」
偶然プラットホームに居合わせた幣原喜重郎・外務大臣がかけつけると、
「男子の本懐だ。予算閣議も片づいたあとだから、いい」
と語った。城山三郎著「男子の本懐」新潮文庫P308。
こういった犠牲のうえでの、デモクラシーの国はある。
平成の血盟団は、都有地に居座るフジと逆に自社ビル消却にいきづまり倒産寸前の日本テレ放送網という「テレビ血盟団」。
、日本国民は平均5時間以上テレビジョンを見るという「テレ中患者」「世界のキチガイ民族」。
先見性のあるテレビ創生期のマスコミの帝王・大宅荘一はテレビの将来を危惧「一億総白痴化」と称した。
国民はマスメデアに煽られ検察の説明責任は求めず、小沢のみに執着した。
麻生の思うつぼのシナリオ通となった。
小沢一郎記者会見の最後のくだりの言葉
「自分が辞めることで政権交代を見ることができれば「男子の本懐だ」
それも運命、男子の本懐。
連綿と選挙の洗礼も受けずに政権の座に座る続ける野心家麻生太郎とは違う。
換言すればこうなのか。
、「男子の本懐だ、もう292選挙区に候補者を擁立したから、いい」という心境なんだろう。
「政権交代のためにこの身を投げ打つ」
「党内の結束・団結が絶対不可欠」
「逆に挙党一致でのぞむなら、必ず勝利する」
として、代表を辞任することを表明。
爺には党首就任時演説がダブル
47歳で絶対勢力時代の自民党幹事長就任。
宮沢福田年長の総裁候補がひれ伏した。
それでも権力党から離れた。
これほど自身の人間性を磨いた政治家はいない。
民主党首に3年前についた。
就任の演説に小沢一郎を知るものは驚いた。
山猫は巨匠ビスコンティの名作。
19世紀貴族社会は政治体制に揺り動く
舞踏会途中奥の部屋にいり、鏡に赤い涙目の自分を映し、見つめる。
寂しそうな顔が胸に迫る。
ラストシーンは
舞踏会を途中で出た公爵がひとり小道を歩く。
後ろを猫が彷徨く(うろつく)
一つの時代の終わりの荘厳さ。
小沢一郎は青春期好んで観たこの映画のセリフを就任演説に用いた。。
変わらずに生きて残るには
自からが変わらねばならない。
よりよき明日のために
かけがえのない子供のために
私自身を改革したい。
時代の歯車には逆らえない
高潔なる美意識が民主の危機を感じ取り潔く退いた。
政権に一番近いのに悲劇の未完の宰相小沢一郎。
この悲劇はもうコの国の文化でしか語れない。
風水が効かない何かツイテいない。
厄を落とせば幸せが体感できる。
読んで面白い
「厄落とし厄払い大事典」実業之日本社
藤原三代の栄華の権力は怖く、鎌倉の頼朝のもっと恐れたところ。
霊のいやしどころはいまだ収まるはずがない平泉の怨念が宿る。
よって大宰府のごとく霊所を国家的に祭らねば
地域民の祖先になる霊は穏やかならざるところ。
東北の勇者平将門は日本最大の取引所の中心地兜町にその霊を沈めさる。
この時期不遜にもあえて将来を祈念して残すが
誤解をしないでほしい鎮魂である。
「岩手」の起源については、ブログでも読み取れる。
宮崎・高千穂の鬼の由来に似てさすがに遠野物語の国だ。
住民の悪鬼追討の祈りに対し、
人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)が
それを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという
鬼の確約を岩の上に手形で残させた・・という故事にならうとされる。=岩手である。
「岩手」の名が文献に登場するのは、
「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」
と言う大和物語の一説が初めてだといわれている。
その鷹の名は「岩手」であった。
帝は、「岩手」を失った悲しみを
「言わないことが言うことより気持ちが勝るのだ」の意味で、
「岩手=言はで」に掛け
「いはでおもふぞ いふにまされる」と詠じたという。
この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。
鎮魂する意味で司どってたのが藤原氏
代わりを建立しなければこの国は神の国である。
祓いをしてひたすら「ハレ」で生き抜く宗教民族。
天罰は地震雷火事親父とくだされる。
母の日に比して影うすきこの国の政治状況にも似たる父の日でもある。
大和民族の発祥の地宮崎は古事記日本書紀=記紀にその国づくりのお話を残す。
宮崎の語源は初代天皇神武の住居跡にある。
皇居(こぐや)の跡のまえ。矢の先
矢は天皇の住居=宮、先は=崎、宮崎である。
・・橘の小戸の・・
神前結婚式の祝詞の最初の神に慶事の神主さんの言葉。
1662年日向沖の西海南大地震は規模は阪神淡路の80倍域に及んでいる。
日本一の大揺れだったん出あろう。
大淀川=赤江川南の殿所(とんどころ)地域260戸あまりは陥没で海のそこに
津波は遠く市内西の山並み地域まで押し寄せたと現地の山に記念碑が残る。
大淀川下流の左岸天孫降臨後に禊の祓いをした
聖地たる霊廟=・・橘の小戸の・・も陥没。
岡田イオンが4年前に農地法を超越し、設立されされ繁盛している。
16日民主党主選に立候補の岡田克也議員である。
岡田克也議員は崇教真光誌に登場。
平成十九年十二月号(543号)41~42ページ)
そういえば、手かざし真光の創始者も岡田である。
あの高潔なる人格は悟りきったル宗教者?。
小戸の宮はいまの県病院近くの小戸小のところに仮宮。
さらに県庁交差点反対側の北に移転再建建立。
昭和2年の今で言うゼンリン地図みたいな図に位置が残っている。
小戸小のところに仮宮。
道路拡張で再度移転。
いまの小戸神社に鎮座される変遷の御霊の場所。
「父親の力母親の力」河合集雄
大黒柱としての使命感だが現実は共働き。
母性原理が強い日本では真の父権は育っていない。
強い・・弱い・・どちらが父親像であろう。
お家を守るためひたすら頭をたれる。
宮崎は全国二番目の自殺率。
50代男性が最多で深刻なる病理。
突然の父親不在が生じる。
封建制度以来の「家」が薄らいでる制度疲労。
変遷した父親像。
厳父でなく友達パパ。
こんな世の中に誰がした。
「子も親もない宣言」は取り消さない。父の日
父の日てふ ついでのやうな 日なり
と影が薄い
母の日は大正時代1914年で第二次大戦後の父の日。
父の日の鴉の声を聴け
心穏やかで伝統さ
威厳と慈愛を強く召すべし。
時代は辣腕小沢一郎を檜舞台から追い立てた。
小沢代表のような剛腕でないと政権与党や官僚の手練手管に対抗できない。
民主党員は、小沢氏が代表を辞めれば選挙に勝てると思っているようだが、たとえ総選挙になんとか勝てても
小沢なき民主党では官僚支配を終わらせることまでは永遠にできなくなるだろう。
小沢民主党は、談合・天下りの根絶、特殊法人や独立行政法人の原則廃止、特別会計の原則廃止、地方分権の推進など、
「官」の改革をうたっている。
政官癒着を打破し、官僚支配を終焉させられないような民主党なら、政権交代の意味がない.
ただ神のご加護を感じる。
野心家麻生太郎の顔色がめちゃくちゃ悪いんだが病気か?
黄疸の症状出てないか??
鴻池副長官がスキャンダラスで辞任の与野党シーソー状況。
一寸先は闇。
実に奇怪なる不思議なる国。
鳩山民主内閣には鳩山邦夫総務省が合流しよう。
爺のサプライズ期待である。
さぁ~て官僚との対峙に対処せねばならぬ。
爺が望みたいのが小沢の復活なるや党首・総理分離論。
従属国からの脱皮!この国にまつわる怨霊。
粘り強き政治力の岩手のDNAが生んだ小沢一郎しかできない。
天命は党のために身を捨てたヒトにいずれ下されよう。
いつものお願いです。
・よ・ろ・し・く!。( ̄。 ̄;)フゥ
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