ばんから

2008年10月29日 お仕事
今日の誕生日の花は・・ウメモドキ
花言葉は・・・・・・・明朗

にぎやかに ひのさしにけり うめもどき

ウソツキ呼ばわりは人間の尊厳、生きる基本で誰でも怒かろう。
それが総理が国民に向かって白昼堂々と言ったらなんたるお国であろう。

「私は決断した。・・国会の冒頭・・堂々と私と我が自民党の政策を小沢代表にぶつっけ
 その賛否を正した上で国民に信を問おうと思う」

ところで詭弁とか、偽善とかなると、トーン・ダウンで怒りも少々おちてくる。
それでも、政治の要諦はこれらがないことがまず、第一である。

この命題で代弁してくれる記事。大分嫌悪教員採用疑惑事件どこではない。
こちらは世の中の仕組みも知らぬ純粋無垢の一周り年下の青少年である。

社会問題にならぬのはマスコミの性行の熱狂的にならないため。
詭弁学のノーベル賞もんである。
小泉元総理の住むところのお話。とっくとご覧あれ。

【ニュース】
神奈川県教育委員会は28日、県立神田高校(平塚市)で2004、05、07年度に行われた入学試験で、内申書、学力試験、面接の総合的な成績順位は合格圏内に入っていたのに、願書受け付け時の服装、態度などが悪く入学後の生徒指導が困難と判断した受験者22人を、選考基準に従わず不合格にしていたと発表した。
 県教委は、受験者、保護者の希望があれば入学させることも検討する。
 記者会見で渕野辰雄校長、
  「先生方の生徒指導の負担軽減とまじめな子をとっていきたいという思いだけだった。大変申し訳なく思っている」と陳謝した。

高校生の爺なぞは肩までの髪に足下のズボンは30センチ。下駄履き。
ズボンの左右の縫い合わせの間には赤い布地が歩くたび折り曲がるので見える仕掛け。
純毛で1500円で仕立てた。代金はアルバイトで稼いだ金。
黒帽子は高さを改善してのり付け、まるでアンパン。
・・・校則は長髪禁止。すぐに生徒総会で改正させた。
・・ばんから気取り。反省多々。スミマセン。

麻生人気があるとすれば売りのべらんめ~ぇ調にあろう。
いわば、ばんから。何歳だっけ。?
ただ学習院などとの経歴からはこの世代とはゆえ、どうにも作られてる部分が見え隠れはする。

28日の参議院で問われた
「武士に二言はないか」
「石炭屋の倅ですから武士といわれても。」
軽妙さがモチーフとはいえ総裁の器とは思えぬ言動。

ばんからの校風がイメージされるのは北寮の雪へのダイビングで北海道大学が知られる。
全国広しとの大学で観光客がくるのは北大だけではないのか。
もっともクラーク博士の貢献大で青雲の志にあった言葉とともにその立像に起因する。

ちなみに行政機関の県庁はここだけであろう。
宮崎県庁には2000人の観光客がいまだ来ている。

小泉竹中のアメリカへの献金捻出のために弱者切り捨て経費削減の独立行政法人の冠をかぶせられ
独立採算が全国の大学同様ご多分に漏れず存続を危ぶませる。

北大経営に携わるは佐伯浩北大総長(66歳)宮崎の人である。

 中国東北部(旧満州)に生まれ、宮崎市で育ち大宮高校の出。
運輸省の技官などを経て出身の北大工学部土木工学科の教授に。07年から現職。
海岸・港湾工学が専門で、流氷対策など氷工学のパイオニアとして知られる。
北海道洞爺湖サミット直前の6月29日から開かれたG8大学サミットの実行委員長を務めた。

任期は平成19年5月1日から平成23年3月31日までの3年11か月。
たしか宮崎県庁にも佐伯家の工学部出の技術屋さんがおられた。

1889年明治22年は帝国憲法発布。
その前年1888年に宮崎大宮高校は前進校尋常中学が
宮崎県第一号として設立された宮崎で一番古き伝統的進学高校。
爺の二人の子らもお世話になった。

校風の第一はばんから。
いまは時代の変遷があり「自主自律」という。

制帽の3本の白線は自由と平和と正義生徒が自ら定めた。、
校章は昭和23年、当時1年生だった梶秀敏君の図案が採用。
 竹の葉(十の字形)
 雪の結晶(十の字形の中心の六角形)
、光(六角形から外へ向かう矢の形)
で構成されている。

 竹には 「若竹の如くすくすく伸びよ」 という願い。
 雪は、晋の孫康が雪を積み、その明かりで読書したという故事。「たゆまざる勉学」 を意味とし
、光は 「開く校風を輝かしめよう」 という呼びかけである。


黒潮岸をあらひ日の輝くところ
若き命はここに育つ
真理を探り夢は花咲く
あゝ あゝ 永遠の星座
大宮 大宮 大宮
我等が学園

秀峰空をかぎり雲かけるところ
清き心はここに芽ぐむ
美に憧れ 胸は波うつ 
あゝ あゝ 親愛の星座
大宮 大宮 大宮
我等が学園

清風森を流れ気のすみたるところ
強き体をここに鍛ふ
善を行なひ力溢る
あゝ あゝ 栄光の星座
大宮 大宮 大宮
我等が学園
 
校歌は作家・中村地平らにより長嶺宏の詞が選ばれ、園山民平が作曲した。
長嶺宏は旧制宮崎中学卒業生であり、新制高校の初代教頭でもあった。
園山民平は旧制第一高女の校歌も作曲しており、県内音楽界ではなじみ深い人であった。
 
 われわれは戦争によって多くのものを失った。
 しかしどんなことがあっても決して失ってはならないものがあるはずだ。
 どんな強大な力でも壊されないものがあるはずだ
 永遠に変わらないものがあるはずだ。
 それを求めるのが教育ではないか。
そう思って、真・善・美というイデーに到達した。こうして校歌は生まれたのである。
 この校歌は、かつて同じ学校で学んだ一人の先輩が、後輩諸君へ贈る遺言である。
最後につけ加えれば、真・善・美のイデーを包括するもう一つの大きなイデーのあることを忘れてはならない。 
平和である。

北国は常に若者の「旅の夢」に火を付ける
酷寒の地と知りながら、それでも柔らかな青年の心を強烈なロマンに染める。
観たこともない雪景色ゆえ南国人はなおさらだ。
列島は実に長い。
29日は初雪という。宮崎では信じられない。
28日朝確かに少し寒くはなってきている。
雪である。

母校大宮高校が今年創立120周年10月25日に記念日を祝った。
故郷を思い続けて50年ぶりの母校の訪問の佐伯浩北大総長。
神奈川県の【ニュース】 をどう聞いていようか。
ゆきのふるまちで。

男が酒を飲み一人歩いて帰るとき口ぶさむ曲がある。
「♪窓は夜露にぬれて みやこすでに遠のく♪」

ここで聞けます。「プチッ!」
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/Hokkiko.htm
北帰行(旅順高等学校逍遥歌)
作詞 宇田博・作曲 宇田博
唄 小林旭 

一番 窓は 夜露に濡れて 都 すでに遠のく 北へ帰る 旅人ひとり 涙流れてやまず

二番 夢は むなしく消えて 今日も 闇をさすらう 遠き想い はかなき希望(のぞみ) 恩愛 我を去りぬ

三番 今は 黙して行かん なにを また語るべき さらば祖国 愛しき人よ 明日はいずこの町か 明日はいずこの町か


旅順高等学校逍遥歌

一番 窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく 北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず

二番 建大一高旅高 追われ闇をさすらう 汲めど酔わぬ恨みの苦杯 嗟嘆干すに由なし

三番 富も名誉も恋も 遠きあこがれの日の 淡きのぞみはかなきこころ 恩愛我を去りぬ

四番 わが身容るるに狭き 国を去らんとすれば せめて名残りの花の小枝 尽きぬ未練の色か
五番 今は黙して行かむ 何をまた語るべき さらば祖国わがふるさとよ あすは異郷の旅路

「北帰行」は小林旭の歌で知られる。原歌は、戦前の中国・旧制旅順高校の寮歌。
略称「旅高」は1940年(昭和15年)3月、日本の支配下にあった関東州旅順に設立された官立旧制高等学校。
戦時下に設立された高校であったため、内地の高校に存在していたようなリベラルな雰囲気は皆無であったといわれる
外地では台北高等学校に次いで設立、さらに内地・外地を含め日本帝国内で最後に設立された官立高等学校。

生徒で作詞・作曲者の宇田博(1922年 - 1995年8月9日)はデートが発覚し退学処分。
その学校への決別の歌として友人に残したという。
 曲も詞もメランコリックな叙情に満ちている。
宇田自身には自由への解放を歌い上げる心情が強かったらしい。

戦時下の満州での圧政と無力な自己への嘆きが、
北へ向かう自由な旅人の姿を呼び寄せたのだろう。

宮崎大宮高校を卒業した18歳の佐伯少年は、当時山登りに夢中だった。
どうせなら極寒の雄大な「北の大地」で登りたい…。

寸分の迷いもなく山岳部にあこがれて、北大工学部へと進んだ。
家族と離れ、先輩も少ない大学という自由への強い欲求が後押しした。
愛読させていただいてるブログの方は登山旅行を決断されたようだ。

第1回入学宇田博は期待したバンカラで自由な校風は存在せず、
彼は常々生活指導の教官に目を付けられていた
もっとも、宇田自身はバンカラタイプではなかった。
280ヶ条もあった校則には常々反発していた旨を述懐している。 『大連・旅順はいま』。
一高・東大を経て東京放送(TBS)に入社し、後に同社の常務・監査役を歴任。

この歌は戦後、歌声喫茶で作者不詳の歌として流行した。
昭和36年(1961年)、この歌は日本コロムビアのプロデューサや小林旭に見い出され、同社からレコード化されて大ヒット

した。この際 作者捜しが行われ、当時TBS社員だった宇田の名乗り出、および旅順高校時代の友人が持っていた宇田直筆の

歌詞から、作者が確定したという。

映画 『渡り鳥シリーズ』(日活)の昭和37年(1962年)正月封切り版『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』の主題歌となった.


今は 黙して行かんではなかろうにいっこうに決断しない総理。土曜日の日経新聞が教える。
古賀誠自民党選挙対策委員長が地元・福岡産の梨を古賀派議員に贈ったことが永田町での話題という内容。
衆院解散の有無が焦点となっている折の梨とあって、
「ナシという意味ではないか」
「古賀さん流のメッセージだろう」との声が派内では聞かれたとか。
秘書たちの士気を落としたくない、と机の下に隠した議員もいたらしい。
宮崎の緒嶋自民県連トップが28日上京、古賀を訪ね公認を求めたが原質を与えなかったらしい。

首相はクレー射撃の五輪選手。
自民党選対委員長が「(解散という)銃の引き金に指がかかった」と話したのは今月中旬。
一週間後に「クレー射撃は引き金を引くまで結構時間がかかるそうだ」と言ったのは例の梨が届いた後。
総選挙を待ちわびた国民は「そんなのあり?」と言いたい。

ただ、延ばすほどボロは出っぱなし。解散どこではなくなってくる。
ただトドメのニュースが飛び込んできた。
『新銀行東京』での逮捕者が出た。
28日の国会参議院審議で取り上げない不可思議さ。
自民公明の最大のアキレス腱であるはずだ。
関与の議員は100名を超えているとの以前の週刊誌記事の記憶がある。。

石原都知事(76歳)の肝煎きもいりで創設され、「石原銀行」の異名を持つ『新銀行東京』
自民党最大派閥化した公明派はとりわけ大打撃となろう。

『新銀行東京』のずさんな経営ぶりに今年5月から検査に入っていた金融庁。
不良債権の貸し倒れ引当金が100億円近く不足していることを指摘してたのである。
査定や審査が甘く、融資先の中小企業の経営が悪化し融資が焦げつくケースが続出。
再建計画では’09年3月期の当期赤字を126億円と予想しているが実際の赤字額はそれを大きく上回りそうだという。
流石のばんからの元祖の爺も銀行のばんからぶりはいただけないと思う次第。
いずれ解散の天命が下されよう。


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