・・・・・
・・・・・
秋の夕日は釣る瓶落とし。
夕方7時はスッポリと闇の中でスッカリ暗い。
ほんの先日の夕方7時はギラギラ太陽が熱くて恨めしがったのはウソみたい。
ひよりひよ はげしくサンマもゆ
今日16日の誕生日の花はキク科多年草ヒヨドリ草白き花ゆえ花言葉は清楚。
街を颯爽と駆け抜けるペタルの心地よさは今日からの天候の急変からか。
坪井栄描く24の瞳の小豆島のおんな先生が操る当時まだ珍しき自転車運転状態。。
今朝ほどより、ようやく秋の風で程よく心地よき風。
ただ、まだ上着は要らなない。
電話でのアポ商売は悲喜交々。
・・・・
・・・・・
実はここまでは昨年の記述。
10月16日に書いたとこにダイレクトで繋がるこのサーバーシステム。
ところが今回のリューアルで過去の日記が見れない。
今頃になって不便さに気づいた。
このサイトの歴史6年間の利用者として関わってきたものには不満きわまりない。
どうしたら過去のがダイレクトに読めるんであろう。?
勝手の改善の改廃の時、書いたブログを随分と遺失している。
もちろんお恥ずかしき状態でバックアップはない。
水の味も 身にしむ 秋となり。 山頭火
世界の経済の「百年に一度の混迷」と当の米国財務長官が言ってるのは
事実であることをあらゆる方面から著作で確認を深め恐怖で打ち震えている。
季節感は昨年と変わらぬのに恐ろしき歴史的証言台に
好まざるとに関わらず全員がタタされている。
触れてえきた国連の異変、混乱の経済、日本の政界行方。
まとめて書きたいのと逃げとが相半ば。
今この時期は歴史の生き証人を経験させられている。
国民はマスコミに踊らされ気づかないだけである。
大宅壮一の警鐘したテレビ支配の世相・一億総白痴化はまさに貫徹されている。
こんな時は郷土の事がいいと逃避するもそうは問屋が卸してくれぬ。
まだ街行きても 鼻をつんざき存在を知らせる木犀の香はない。
早熟は経験からも異人扱いで「赤」の誹謗中傷の経験の醜き爺の知恵。
36計逃げるにしかり。
、服部嵐雪は江戸時代の俳人。
木犀(もくせい)の昼は醒めたる 香炉かな
先日読んだ天声人語氏が教えるところ今日は確か旧暦の9月9日のはずだ。
重陽の節句「着せ綿」という行事があったらしい。。
綿きせて 十程若し 菊の花 一茶。
香りが木犀なら、見た目は菊。
ともに中国が原産で、不老長寿の薬草として奈良時代に渡来したと教えてくれる。
菊の花庭の隅で愛でていた。
誇らしき猛者の兄が女々しき花ごときに時間を浪費する奴!
異端の優しさがあるのが幼き故理解できなかった。
村中どこにもない大輪の花々はあちこちから心ある人は観賞に来ていた。
ガーディニングのはしりどこではない。
あの遅れし山村地域では元祖。
父親を入れて後一人いれば野球チームができてた家族環境故
女っ気なき索漠とした環境下、唯一の癒し空間であった。
全員家族総出の農業産業は休憩時間も公平、一日24時間。
寸暇を裂いてのあの量の花の管理は大変であったろう。
次男以外は誰しも、そしらぬ顔で花の時期のみ楽しませてもらった。
手入れは大変。
梅雨の頃以前に鰯箱の砂地の挿し木から始まり夏の時期の水やり管理。アブラムシの好物のようでこの虫との戦い。
ボタン病、カビ病をやり過ごす頃を経て花芽に新聞紙をかけ、半年近くを経て今頃、次兄専用の菊花展。
実に大輪のいろんなものを咲かせた。
あのあたりに今もあるキクの大輪は全部出自はこの家ので出。次兄の猛者に秘める優しさ。
金メダル石井に聞かせたい。
いまのタキイの隆盛などどこではない。
次兄に商才と人の出会いに恵まれていればあの種苗会社どこではなかったろう。
優勝は品評会のしようもなく次兄に決まり事。
いまはあちこちの菊花展がさかん。
幼き頃の爺は甘みほしさに花のキクの蜜を探したが、
椿のがくやレンゲの小花の蜜はなかった。
蝶や蜂やそう多く飛んでこなく、すくなかったはずである。
蛾はよく飛んできた。
夕顔とか垣根の蔓花になど夜花を目指してのこと。
繁殖力と旺盛さ貪欲さはなにも人類史を紐解かなくても小動物や蝶や昆虫類をみているばわかる。
いまでもどうにも蜜を争った宿敵ゆえか、この種は苦手の部類。
お坊ちゃんの東大金時計組の蝶収集の鳩山大臣がうらやましい。
ブリジストンなどの閨閥があるやなしやの国家の成長期の家柄の環境の差だけが
何代も続き経済的に生活環境に響いてるだけではないか。
言われてる世襲である。
小泉家はよっぽどセンスがあるのだろう。
四代目の人が国の舵取りをしてくれるソウダ!。
七光りどころか女性票がくるイケメン。
ただ、国家は衰退して世界の潮流に乗る動機に欠けよう・
これらの環境を生かしたはなのおはなしを読んだことはない。
鹿児島の小泉家にもそれはなかった。
菊の花柄に新聞紙はかけたし花びらの食用、ニキビ顔洗顔はした。
ただ「着せ綿」の宮中の高貴さはない。
母たる人は40過ぎの出産で、老婆なんぞから化粧のひとつかぐわい化粧の臭いのした記憶さえない。
よって着せ綿の慣習のこれはなかった
・・前の日に、菊の花に真綿をかぶせて一晩置く
朝になって、夜露に濡れて香りをふくんだ綿で顔や体をなでた。・・
綿きせて 十程若し 菊の花 一茶。
菊はあったが、着せ綿の知識があれば、王朝時代の美顔術をまねてみるのも一興であったんだろうが
生活の争闘がそうはさせてくれなかった。
その翌日は、はや二十四節気の寒露。
明日から季節は大きく変わろうとしている。
部屋の開放いっぱいでの就寝も夜風は毒、
季節の確実なる変遷。
澄みわたる静けさの中で方向無き日本の将来の危うさ。
ただ書くのは逃げ誤魔化す。
山口の人・種田山頭火は大正15年、昭和5年 と日向路を北は延岡高千穂。
南は串間志布志都城とくまなく散策。
足の向かなかった野生馬の都井の岬の句も残してほしかったものだ。
この季節にちなむ句のみを拾い出してみる。
酔うてこうろぎと寝ていたよ
ゆっくりと歩こう萩がこぼれる
こんなに米がとれても食べないというのか。
秋が来た雑草にすわる。
山の中鉄鉢たたいてみたりして
窓を開けたら月がひょっこり
だんだん晴れてくる山柿の赤さよ
父が掃けば母は焚いている落葉
いずれも宮崎での作。
子規に派生して萩原井泉水その弟子たる山頭火、尾崎放哉
の作りあげたる自由律の句読は脈々とゲンダイに生きる。
その山頭火さえ尊敬思慕する井上井月はどんな人なんだろう。
越後の長岡藩生から長野は伊那谷に生活の痕跡を残した。
南信地方(諏訪地域・上伊那地域・飯伊地域)である。
韓国大統領の金大中夫人の母校たる伊那高女。
その教諭だった前田若水の案内で二度目の木曽路でようやく念願の墓参をしている。
昭和14年(1939年)3月31日に中原中也宅の山口湯田を出立したときのこと。
なぜ乞行の山頭火が山口・川棚あるいは中原中也の湯田の地から井月を訪ねたか。
乾く間もなく 秋暮れぬ 露の袖 井月
井月は松尾芭蕉の『幻住庵記』(約1300字)を暗記していた。
ある紺屋の店先で、酒を飲みながら唐紙4枚に何の手本も無く、1000字以上をしたためたという。
この『幻住庵記』の筆跡を見た芥川龍之介の驚き。
「入神と称するをも妨げない」
と評し芥川龍之介をもってして感嘆させた。
小林一茶ともよく比較される。
年齢時代的には一茶が65歳で没したとき、井月は5歳である。
一茶の冬の句「ともかくもあなた任せの年の暮」、
新年句「目出度さもちう位也おらが春」
、これに対して、井月。
「目出度さも人任せなり旅の春」
を残している、
これらの俳句の比較から、
一茶の浄土真宗的な思想の無常観に対して、
井月の現世肯定性、楽天性。
井月の墓を前にして山頭火。
・お墓したしくお酒をそゝぐ
・お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました
・駒ヶ根をまへにいつもひとりでしたね
・供へるものとては、野の木瓜の二枚三枚。
自称を含めての漫画おたくの麻生総理。
漫画界の偉人・手塚治に対しての一方の雄・
つげ義春を読んでるんであろうか。
つげ義春は作品『無能の人』の最終話である第6話「蒸発」。
井月を詳しく描いている(初出は1986年12月、「COMIC ばく」。
漂泊俳人 井月全集『蒸発』には以下のような句が引用されている。
降るとまで 人には見せて 花曇り
石菖や いつの世よりの 石の肌
何処やらに 鶴の声きく かすみかな
山頭火が涙して出会えた井月全集『蒸発』は信濃毎日刊。
その山頭火を思慕した天才画家は晩年になり、
山頭火の俳句をモチーフに画作を行い、山頭火の姿で旅をした。
池田遙邨(1895年(明治28年)11月1日 - 1988年(昭和63年)9月26日本名は昇一)
岡山県倉敷市玉島乙島の人である。
1914年(大正3年)第8回文展に水彩画「みなとの曇り日」のとき、わずか18歳で話題となり天才少年画家として名声を得る。
京都芸大教授。
日本芸術院会員に選任される。
倉敷市名誉市民
文化勲章を受章。
昭和63年92歳で逝った。
法被姿で広重の足跡を辿り、東海道五十三次を3度も旅した。
生涯、自然と旅を愛し全国を山頭火の姿で旅して回った。
画に縁の無き爺でも1960年(昭和35年)本芸術院賞を受賞した作品は記憶にある。
「波」
弟父と自裁。妻子との離別、唯一の生活源堂守を捨てて、大正15年4月より昭和6年まで行乞流転。
「分け入っても分け入っても青い山」
「まっすぐな道でさみしい」
等、山頭火が俳人としての真価を発揮した時代。
その中でも日向路を 二度も県内全域を回った。
西都市の宿泊地は何処であったんであろうや。
推察する限り戦国時代の覇者伊東の居城のしたの都於郡の高屋温泉であったんなら癒されたことであろう。
古事記日本書紀=記紀の上代の大和朝廷に反抗した熊襲征伐の、景行天皇の皇居の跡地と伝えられている
あの皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)に討たれお話である。
山頭火を生きた時代の不確かさは混乱期でもあった。
世界経済はニュヨークの最大の経済混乱を背負って直でもある。
、
その後のアメリカは真珠湾と9・11を最高の記憶として
今回の米国は金融・財政の両面でも、破綻に瀕していたのに隠してきたに過ぎない。
その真珠湾と9/11さえマッチポンプの疑惑がつきまとっている。
11月の 大統領はすでにシナリオ済み、
マケイン共和党は田舎芝居、当て馬。
流れを読めば簡単なる結論。
再度言いたい。
世界の経済の「百年に一度の混迷」と当の米国財務長官が言ってるのは
事実であることをあらゆる方面から著作で確認を深め恐怖で打ち震えている。
季節感は昨年と変わらぬのに恐ろしき歴史的証言台にと
好まざるとに関わらずタタされている。
ブログで触れてきた国連の権力の異変、混乱の経済、日本の政界行方。
まとめて書きたいのと逃げとが相半ば。
歴史の生き証人をみなが経験させられている。
国民はマスコミに踊らされ気づかないだけである。
大宅壮一の警鐘したテレビ支配の世相・一億総白痴化はまさに貫徹されている。
日本国内でも金融界にミニ取り付け騒ぎが生じてるが政府マスコミは報じない。
民意無き内閣が三度連続成立してるはずである。
まったく理解できないのご意見に耳をふさぎ
実証をブログアップする。乞う!ご期待。
今日久し振りあった人から言われて自信を持った。
「志多組のことおまえのいうとおりになったね。」
宮崎の経済界の雄・志多組の倒産劇は昨年このブログで触れていた。
そのときのことを絶賛されてアップを決めた。
世界は「油」ですべからずできあがっている。
イラク戦争は何であったのか。
油田がどうなってるかとのことである。
憂国の士の爺、残り少なき時間を若き人々に戦争の悲哀を避けて穏やかな人生を送っていただきたいだけで何の私心もない。
みなこの世に別れを告げる。
壮絶なる人。
1999年頃から肝臓ガンを患い、手術を受けずに投薬治療を受けながら俳優活動。
ウウッ!
南無妙法蓮華経!名優緒形拳!
山頭火の波瀾万丈を照らし宮崎と山口の一端を書いてみた。
おつきあいありがとうございます。
ブログランキングに参加してます。
どうぞよろしく
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秋の夕日は釣る瓶落とし。
夕方7時はスッポリと闇の中でスッカリ暗い。
ほんの先日の夕方7時はギラギラ太陽が熱くて恨めしがったのはウソみたい。
ひよりひよ はげしくサンマもゆ
今日16日の誕生日の花はキク科多年草ヒヨドリ草白き花ゆえ花言葉は清楚。
街を颯爽と駆け抜けるペタルの心地よさは今日からの天候の急変からか。
坪井栄描く24の瞳の小豆島のおんな先生が操る当時まだ珍しき自転車運転状態。。
今朝ほどより、ようやく秋の風で程よく心地よき風。
ただ、まだ上着は要らなない。
電話でのアポ商売は悲喜交々。
・・・・
・・・・・
実はここまでは昨年の記述。
10月16日に書いたとこにダイレクトで繋がるこのサーバーシステム。
ところが今回のリューアルで過去の日記が見れない。
今頃になって不便さに気づいた。
このサイトの歴史6年間の利用者として関わってきたものには不満きわまりない。
どうしたら過去のがダイレクトに読めるんであろう。?
勝手の改善の改廃の時、書いたブログを随分と遺失している。
もちろんお恥ずかしき状態でバックアップはない。
水の味も 身にしむ 秋となり。 山頭火
世界の経済の「百年に一度の混迷」と当の米国財務長官が言ってるのは
事実であることをあらゆる方面から著作で確認を深め恐怖で打ち震えている。
季節感は昨年と変わらぬのに恐ろしき歴史的証言台に
好まざるとに関わらず全員がタタされている。
触れてえきた国連の異変、混乱の経済、日本の政界行方。
まとめて書きたいのと逃げとが相半ば。
今この時期は歴史の生き証人を経験させられている。
国民はマスコミに踊らされ気づかないだけである。
大宅壮一の警鐘したテレビ支配の世相・一億総白痴化はまさに貫徹されている。
こんな時は郷土の事がいいと逃避するもそうは問屋が卸してくれぬ。
まだ街行きても 鼻をつんざき存在を知らせる木犀の香はない。
早熟は経験からも異人扱いで「赤」の誹謗中傷の経験の醜き爺の知恵。
36計逃げるにしかり。
、服部嵐雪は江戸時代の俳人。
木犀(もくせい)の昼は醒めたる 香炉かな
先日読んだ天声人語氏が教えるところ今日は確か旧暦の9月9日のはずだ。
重陽の節句「着せ綿」という行事があったらしい。。
綿きせて 十程若し 菊の花 一茶。
香りが木犀なら、見た目は菊。
ともに中国が原産で、不老長寿の薬草として奈良時代に渡来したと教えてくれる。
菊の花庭の隅で愛でていた。
誇らしき猛者の兄が女々しき花ごときに時間を浪費する奴!
異端の優しさがあるのが幼き故理解できなかった。
村中どこにもない大輪の花々はあちこちから心ある人は観賞に来ていた。
ガーディニングのはしりどこではない。
あの遅れし山村地域では元祖。
父親を入れて後一人いれば野球チームができてた家族環境故
女っ気なき索漠とした環境下、唯一の癒し空間であった。
全員家族総出の農業産業は休憩時間も公平、一日24時間。
寸暇を裂いてのあの量の花の管理は大変であったろう。
次男以外は誰しも、そしらぬ顔で花の時期のみ楽しませてもらった。
手入れは大変。
梅雨の頃以前に鰯箱の砂地の挿し木から始まり夏の時期の水やり管理。アブラムシの好物のようでこの虫との戦い。
ボタン病、カビ病をやり過ごす頃を経て花芽に新聞紙をかけ、半年近くを経て今頃、次兄専用の菊花展。
実に大輪のいろんなものを咲かせた。
あのあたりに今もあるキクの大輪は全部出自はこの家ので出。次兄の猛者に秘める優しさ。
金メダル石井に聞かせたい。
いまのタキイの隆盛などどこではない。
次兄に商才と人の出会いに恵まれていればあの種苗会社どこではなかったろう。
優勝は品評会のしようもなく次兄に決まり事。
いまはあちこちの菊花展がさかん。
幼き頃の爺は甘みほしさに花のキクの蜜を探したが、
椿のがくやレンゲの小花の蜜はなかった。
蝶や蜂やそう多く飛んでこなく、すくなかったはずである。
蛾はよく飛んできた。
夕顔とか垣根の蔓花になど夜花を目指してのこと。
繁殖力と旺盛さ貪欲さはなにも人類史を紐解かなくても小動物や蝶や昆虫類をみているばわかる。
いまでもどうにも蜜を争った宿敵ゆえか、この種は苦手の部類。
お坊ちゃんの東大金時計組の蝶収集の鳩山大臣がうらやましい。
ブリジストンなどの閨閥があるやなしやの国家の成長期の家柄の環境の差だけが
何代も続き経済的に生活環境に響いてるだけではないか。
言われてる世襲である。
小泉家はよっぽどセンスがあるのだろう。
四代目の人が国の舵取りをしてくれるソウダ!。
七光りどころか女性票がくるイケメン。
ただ、国家は衰退して世界の潮流に乗る動機に欠けよう・
これらの環境を生かしたはなのおはなしを読んだことはない。
鹿児島の小泉家にもそれはなかった。
菊の花柄に新聞紙はかけたし花びらの食用、ニキビ顔洗顔はした。
ただ「着せ綿」の宮中の高貴さはない。
母たる人は40過ぎの出産で、老婆なんぞから化粧のひとつかぐわい化粧の臭いのした記憶さえない。
よって着せ綿の慣習のこれはなかった
・・前の日に、菊の花に真綿をかぶせて一晩置く
朝になって、夜露に濡れて香りをふくんだ綿で顔や体をなでた。・・
綿きせて 十程若し 菊の花 一茶。
菊はあったが、着せ綿の知識があれば、王朝時代の美顔術をまねてみるのも一興であったんだろうが
生活の争闘がそうはさせてくれなかった。
その翌日は、はや二十四節気の寒露。
明日から季節は大きく変わろうとしている。
部屋の開放いっぱいでの就寝も夜風は毒、
季節の確実なる変遷。
澄みわたる静けさの中で方向無き日本の将来の危うさ。
ただ書くのは逃げ誤魔化す。
山口の人・種田山頭火は大正15年、昭和5年 と日向路を北は延岡高千穂。
南は串間志布志都城とくまなく散策。
足の向かなかった野生馬の都井の岬の句も残してほしかったものだ。
この季節にちなむ句のみを拾い出してみる。
酔うてこうろぎと寝ていたよ
ゆっくりと歩こう萩がこぼれる
こんなに米がとれても食べないというのか。
秋が来た雑草にすわる。
山の中鉄鉢たたいてみたりして
窓を開けたら月がひょっこり
だんだん晴れてくる山柿の赤さよ
父が掃けば母は焚いている落葉
いずれも宮崎での作。
子規に派生して萩原井泉水その弟子たる山頭火、尾崎放哉
の作りあげたる自由律の句読は脈々とゲンダイに生きる。
その山頭火さえ尊敬思慕する井上井月はどんな人なんだろう。
越後の長岡藩生から長野は伊那谷に生活の痕跡を残した。
南信地方(諏訪地域・上伊那地域・飯伊地域)である。
韓国大統領の金大中夫人の母校たる伊那高女。
その教諭だった前田若水の案内で二度目の木曽路でようやく念願の墓参をしている。
昭和14年(1939年)3月31日に中原中也宅の山口湯田を出立したときのこと。
なぜ乞行の山頭火が山口・川棚あるいは中原中也の湯田の地から井月を訪ねたか。
乾く間もなく 秋暮れぬ 露の袖 井月
井月は松尾芭蕉の『幻住庵記』(約1300字)を暗記していた。
ある紺屋の店先で、酒を飲みながら唐紙4枚に何の手本も無く、1000字以上をしたためたという。
この『幻住庵記』の筆跡を見た芥川龍之介の驚き。
「入神と称するをも妨げない」
と評し芥川龍之介をもってして感嘆させた。
小林一茶ともよく比較される。
年齢時代的には一茶が65歳で没したとき、井月は5歳である。
一茶の冬の句「ともかくもあなた任せの年の暮」、
新年句「目出度さもちう位也おらが春」
、これに対して、井月。
「目出度さも人任せなり旅の春」
を残している、
これらの俳句の比較から、
一茶の浄土真宗的な思想の無常観に対して、
井月の現世肯定性、楽天性。
井月の墓を前にして山頭火。
・お墓したしくお酒をそゝぐ
・お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました
・駒ヶ根をまへにいつもひとりでしたね
・供へるものとては、野の木瓜の二枚三枚。
自称を含めての漫画おたくの麻生総理。
漫画界の偉人・手塚治に対しての一方の雄・
つげ義春を読んでるんであろうか。
つげ義春は作品『無能の人』の最終話である第6話「蒸発」。
井月を詳しく描いている(初出は1986年12月、「COMIC ばく」。
漂泊俳人 井月全集『蒸発』には以下のような句が引用されている。
降るとまで 人には見せて 花曇り
石菖や いつの世よりの 石の肌
何処やらに 鶴の声きく かすみかな
山頭火が涙して出会えた井月全集『蒸発』は信濃毎日刊。
その山頭火を思慕した天才画家は晩年になり、
山頭火の俳句をモチーフに画作を行い、山頭火の姿で旅をした。
池田遙邨(1895年(明治28年)11月1日 - 1988年(昭和63年)9月26日本名は昇一)
岡山県倉敷市玉島乙島の人である。
1914年(大正3年)第8回文展に水彩画「みなとの曇り日」のとき、わずか18歳で話題となり天才少年画家として名声を得る。
京都芸大教授。
日本芸術院会員に選任される。
倉敷市名誉市民
文化勲章を受章。
昭和63年92歳で逝った。
法被姿で広重の足跡を辿り、東海道五十三次を3度も旅した。
生涯、自然と旅を愛し全国を山頭火の姿で旅して回った。
画に縁の無き爺でも1960年(昭和35年)本芸術院賞を受賞した作品は記憶にある。
「波」
弟父と自裁。妻子との離別、唯一の生活源堂守を捨てて、大正15年4月より昭和6年まで行乞流転。
「分け入っても分け入っても青い山」
「まっすぐな道でさみしい」
等、山頭火が俳人としての真価を発揮した時代。
その中でも日向路を 二度も県内全域を回った。
西都市の宿泊地は何処であったんであろうや。
推察する限り戦国時代の覇者伊東の居城のしたの都於郡の高屋温泉であったんなら癒されたことであろう。
古事記日本書紀=記紀の上代の大和朝廷に反抗した熊襲征伐の、景行天皇の皇居の跡地と伝えられている
あの皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)に討たれお話である。
山頭火を生きた時代の不確かさは混乱期でもあった。
世界経済はニュヨークの最大の経済混乱を背負って直でもある。
、
その後のアメリカは真珠湾と9・11を最高の記憶として
今回の米国は金融・財政の両面でも、破綻に瀕していたのに隠してきたに過ぎない。
その真珠湾と9/11さえマッチポンプの疑惑がつきまとっている。
11月の 大統領はすでにシナリオ済み、
マケイン共和党は田舎芝居、当て馬。
流れを読めば簡単なる結論。
再度言いたい。
世界の経済の「百年に一度の混迷」と当の米国財務長官が言ってるのは
事実であることをあらゆる方面から著作で確認を深め恐怖で打ち震えている。
季節感は昨年と変わらぬのに恐ろしき歴史的証言台にと
好まざるとに関わらずタタされている。
ブログで触れてきた国連の権力の異変、混乱の経済、日本の政界行方。
まとめて書きたいのと逃げとが相半ば。
歴史の生き証人をみなが経験させられている。
国民はマスコミに踊らされ気づかないだけである。
大宅壮一の警鐘したテレビ支配の世相・一億総白痴化はまさに貫徹されている。
日本国内でも金融界にミニ取り付け騒ぎが生じてるが政府マスコミは報じない。
民意無き内閣が三度連続成立してるはずである。
まったく理解できないのご意見に耳をふさぎ
実証をブログアップする。乞う!ご期待。
今日久し振りあった人から言われて自信を持った。
「志多組のことおまえのいうとおりになったね。」
宮崎の経済界の雄・志多組の倒産劇は昨年このブログで触れていた。
そのときのことを絶賛されてアップを決めた。
世界は「油」ですべからずできあがっている。
イラク戦争は何であったのか。
油田がどうなってるかとのことである。
憂国の士の爺、残り少なき時間を若き人々に戦争の悲哀を避けて穏やかな人生を送っていただきたいだけで何の私心もない。
みなこの世に別れを告げる。
壮絶なる人。
1999年頃から肝臓ガンを患い、手術を受けずに投薬治療を受けながら俳優活動。
ウウッ!
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