名作の条件の一つに人身の驥尾を描ききるかがあるようだが、冒頭部分でもとかく評価が定まるきらいがある。
「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」。と情景から展開を描けば
その昔、
「智に立てば角が立ち、情に棹差せば流される。
とかくこの世は住みにくい」。
と喝破して書き出した名作もある。
娑婆とか生き馬の目を抜くとか形容はされてきても寅さんや三丁目の映画にあらわさてる日本人の受け継がれてきた助け合いを基本とした優しいさに裏打ちされた生き様があった。
チャブ台を囲む団らんは無くなろうとも、漫画の世界、情念としては残っている。
昨夜のKK対決から融和に至った清原の引退劇に集った人々にも日本人の原点をみた。
爺は熱いものを止めることはできなかった。
ただ社会の仕組み、生活制度設計は政治が決めてる故、
万民の幸福はここの良心だけではままならない。
「小さい政府」「構造改革なくして財政再建なし」「民で出来る事は民で」
小泉竹中政治の国内資金の米国移転のペテン敵政治のごまかしは国家全般に疲弊を招いた
弱肉強食が社会の根底にあるというがこれほどまでに露骨に表面化したのは国家の関与が小泉政府のスローガンでその存在が無視されたからに他ならない。
農家生まれの田舎モンが社会に出て驚いたのは住民票移転手続きを終えた後,米穀手帳を渡されたことだ。
寮に入ってるので不要なのにとの現実問題だけでなく米流通制度に疑問を感じた。「お米買うときにいるのです。」
関係ないはずだが・・役所の説明を受け納得なしに取った記憶がある。
農政省の汚染米の混乱の解決策いまさら米穀販売業者に記録をつけるように指導する
開いた口がふさがら無い。
これらの経験の変遷から爺に一言居士が多いのはやむえないこと。
せめてモンスターにならぬのを自重して生き様をさらせねばならぬ。
憂国の士が、幼児お年寄りの社会的弱者への汚染米、年金記録の紛失、このていたらくが蔓延しているのは国家喪失からゆえだ。。
社会制度は結果的には最小単位のここの家庭にある。
家庭とは種の継続。
種の保存にあたりお互いに会話なしで以心伝心に生活を送る。。
子育てのそれも子作り計画段階からの慎重さ。
お互いに自然体で飲酒喫煙など危険状況からなるべく避ける。
環境を守るだけでなく自己の当たり前の維持で、メラミン樹脂の器の忌避。洗剤などはABSなどを含んでないもの。
食い物にしても自然ものの粗食。
もちろん魚などの動物性タンパクなど自然ものは十二分にとる。
レントゲンは絶対受けない。
ということは薬は絶対服用しない。
究極的に風邪の罹患を避け病気にならない。
虫歯治療でさえ先延ばしにしたほどだ。
確率的にほんの少しでも五体満足ともなる生命体の誕生のため故、
どんな対立する相違の夫婦けんかも治まりがつく。
貧弱なる知識で直感で危うしには近づかず衣食の安全。原発理論の電子レンジさえ使わなかった健全さ。(笑い)
親ばかぶりの苦労がわかるまい。
馬鹿なる二人の子らに。
尊い生命を神よりいただいてからの苦労はそれからである。
ところがそれらは健全なる社会があればこそである。
自給自足エコ生活の自助努力も限界で社会の制度悪から流されるのは避けられない。
政治に口を出さないわけである。
新聞が教えてくれる。
アメリカ発の経済システム危機が抜き差しならぬ状態。
76兆円の救済策はいびつであるが国家が手をさしのべなければ世界経済さえ崩壊する。
新自由主義・グローバリズム全般の破綻である。
どうやら上院が可決、再度下院に法案が回されおそらく可決されるであろう。
学習効果の先例を受け継いでてるはずだからだ。
ブッシュには無理なんであろうか。
あんなにイラクへの非道なることはできるのだからやらねば。
語らねば。
後ひと月足らずではないか。
8年間は何も残って無く後退したのみ。
1930年代の大不況のさなか米国では4人に1人が失業
、銀行はすべて営業停止に陥っていた時である。
そんな日曜の夜、ルーズベルト大統領はラジオを通して翌日に銀行が再開され、大半の預金は連邦政府が保護すると国民に穏やかに語りかけた。
米経済の混乱期、31回にわたり行われた大統領の「炉辺談話」の初回である。
親しみを込めた話し言葉で国民に呼びかけた大統領。
、実際マイクの前で居間にいるようにくつろぎ、うなずいたり、ほほえんだり、手ぶりも交えて語ったという
ルーズベルトの落ち着いた声は自信にあふれ、聞く者を温かく包み込んだ。
不安の時代に「声」が国民に希望を与えたのであるA・カープ著「『声』の秘密」草思社刊。
ブッシュの好戦的政治姿勢が財政を疲弊させ新自由主義の博徒経済が世界秩序を混乱させた。
その政策を世界に蔓延させている罪は大きい。
世界はそれこそ30年代のような大恐慌の深淵をのぞき見るはめになっいる。
世界はなぜに米国の動きに一喜一憂せねばならぬのか。
製造でなく金融が安定した国家運営であるはずがない。
日本は勤勉なる正規な金融経済政策の元のまともな加工貿易国である。
金本位・拝金主義のユダヤ経済には無縁だ。
また金利を取らない沈黙のイスラム経済とも無縁である。
国家管理の下、GNPにあった拡大経済を目指し適切なる経済運営の国家である。
生産現場では敬虔なる祈りで神に感謝を基本にし、さらに人間関係さえ大事にして社会制度の下に生産を行う日々。
それが面々と受け継がれてきた。そのシャカイシステム総体のほとんどの価値観が突然急速に壊された。
壊したのは・・・「自民党をぶっ壊す!」小泉竹中政治。
郵政民営化で保険貯金業務の資本の移転および事業種の外資化、
また外資導入がしやすい三角合併、大店法改正、働くものの条件悪化派遣労働。
社会の驚くべき事件の連続のおおかたの原因はこの格差を生み出す政治に由来している。
改革を唱えながら自己のこととなると矛盾欺瞞は詐欺行為。
説かれてきた理念なぞチャンチャラオカシ。
息子への世襲政治とか、83名もの小泉派=チルドレンを無情に知らぬ存ぜぬ。
常識にあり得ないこと。異常事態の社会破壊である。
すべては銀行の荒稼ぎの後始末を庶民に迫るものにすぎない。
恐慌を意味する「パニック」は、半人半獣の牧神パンの声に
人や獣がおびえてあわてたギリシャ神話に由来する。
危機にあってパニックを招く声は禁物である。
人々の不安を静め、穏やかに説得する政治の「声」が試される。
格差貧困に縁遠かった日本が変遷したのは非正規雇用にあるのは明らか。
生活保護世帯は百万を超え、自殺者は毎日一人、3万を常に超えてる異常さ。
あかるく底力の麻生総理のキャッチフレーズではすまない。
世界は日本を含めて恐慌=パニック寸前の断崖絶壁にある。
イチロVSタロウの土俵に乗るならどうか。
言葉を含め比較して聞けるネット時代の有りがたい危機PCがある。
所信の聞き比べである。
あのだみ声に安心があるか。
一方小沢の声は、耳触りがよく、・・
(小泉チルドレンの間を知らぬタイミングモわきまえない
それは歌舞伎座にも行ったこともないであろう品格なき無教養さの証明の・・)
ヤジ怒号にも屈せずその演説をする姿にも、丁寧な様子が現れ好感をにあたえたはずだ。
恐慌を意味するパニックは、半人半獣の牧神パンの声に
人や獣がおびえてあわてたギリシャ神話に由来する。
危機にあってパニックを招く声は禁物である。
人々の不安を静め、穏やかに説得する政治の「声」が試される。
だみ声での挑発でなく所信である。
国民が払った税金は国民に返すという基本的理念を説いたくだりには
はや総理の風格を感じた。
麻生の所信表明冒頭演説。
「畏くも御名御璽をいただいて」総理大臣を拝命したというくだりである。
御名御璽というのは、天皇のサインとはんこのことで、
それを「いただく」といっても文法的にあやまりではないらしい。
このような使い方を聞くのははじめて。
新聞のコラムで、彼の祖父・吉田茂元首相が「臣・茂」と言ったのをなぞったつもりだろうとある。
吉田の発言は、今上天皇の立太子の礼の祝辞の中にでてくる天皇家に対するお祝いの言葉。
つまり定型化された祝詞(のりと)のようなもの。
明治・大正に育ち、白足袋を愛用する一方、大使として英国の貴族趣味を仕込んだ吉田ならば、自然にでてきそうな言葉である。
それでも、時代錯誤で封建思想とさんざん叩かれたらしい。
それと麻生発言は全く違う。
天皇家に向かっていう言葉ではなく、国民に向かって言っているのだ。
戦中は「畏くも」と言っただけで、国民は立ち上がり不動の姿勢をとるよう仕込まれた。映画などでの異様なる総起立の場面である。
首相に選んだのは天皇でなく国民=衆議院である。
憲法に疑義をいだかせる中山発言におとらない失言・舌禍ではないのか。
戦後は遠くなりにけりで不感症になっている。
安倍元首相の「戦後レジューム」一掃、戦前回帰にも結びつきかねないという不安ささえある。
この言葉は、尊敬してやまない亡き祖父と自らを支える小派閥の悲しき性、右派勢力に捧げたつもりなのであろう。
しかし言葉そのものは、すべて中国にその原典があり、「臣・茂」などの使い方は、すでに室町時代に大問題になっている
使ったのは、「媚中派」足利義満。
明あて国書に「日本国王臣源表す、臣聞く……」と書いた。
それで勘合貿易を許され、元・明時代の文物が入ってきた。尤もこの多くは現在国宝に指定され、日本文化の形成に役立っている。
この義満に対し、宮中筋の評判はよくなかった。
ただ、こういった文物を一番欲しがっていたのも宮中筋である。
麻生首相の「軽さ」は、結局こういった歴史や文化に対する知識の裏づけのない、「品格」を欠く発言や行動のせいではなかろうか。
少々の舌禍はこの内閣はなんでもない。
ましてや解散の風潮のおおかたの永田町の合意形成的の中「解散については私が決めさせて頂く」とお構いなしに小沢資金枯渇戦術として使っているフシがある、
所信表明演説で異例の民主党への質問をしたが、民主党小沢が 政治理念や衆院選マニフェスト=政権公約をアピールする異例の形となり、与野党の党 首の立場が逆転した格好である。
国会を動かしてるのは誰なんだ。
KKの方はわかりやすくなった。
宮崎キャンプ感じ取れるが王監督の後の秋山である。
清原はどうする。
野茂の采配もみてみたい。
イチロVSタロウ
。始まりそうも無きシナリオ無き永田町。
ブログランキングに参加してます。
どうぞよろしく
プチッ!
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
ようやくPCが病院から帰ってきたHDDの故障。
入院費12000円は痛ッ!。
これをきに勉強してみた映像への挑戦である。
ナント!できるではないか。
そういう具合で永久の青年爺の誕生である。
http://diarynote.jp/d/36488/20080223.html
「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」。と情景から展開を描けば
その昔、
「智に立てば角が立ち、情に棹差せば流される。
とかくこの世は住みにくい」。
と喝破して書き出した名作もある。
娑婆とか生き馬の目を抜くとか形容はされてきても寅さんや三丁目の映画にあらわさてる日本人の受け継がれてきた助け合いを基本とした優しいさに裏打ちされた生き様があった。
チャブ台を囲む団らんは無くなろうとも、漫画の世界、情念としては残っている。
昨夜のKK対決から融和に至った清原の引退劇に集った人々にも日本人の原点をみた。
爺は熱いものを止めることはできなかった。
ただ社会の仕組み、生活制度設計は政治が決めてる故、
万民の幸福はここの良心だけではままならない。
「小さい政府」「構造改革なくして財政再建なし」「民で出来る事は民で」
小泉竹中政治の国内資金の米国移転のペテン敵政治のごまかしは国家全般に疲弊を招いた
弱肉強食が社会の根底にあるというがこれほどまでに露骨に表面化したのは国家の関与が小泉政府のスローガンでその存在が無視されたからに他ならない。
農家生まれの田舎モンが社会に出て驚いたのは住民票移転手続きを終えた後,米穀手帳を渡されたことだ。
寮に入ってるので不要なのにとの現実問題だけでなく米流通制度に疑問を感じた。「お米買うときにいるのです。」
関係ないはずだが・・役所の説明を受け納得なしに取った記憶がある。
農政省の汚染米の混乱の解決策いまさら米穀販売業者に記録をつけるように指導する
開いた口がふさがら無い。
これらの経験の変遷から爺に一言居士が多いのはやむえないこと。
せめてモンスターにならぬのを自重して生き様をさらせねばならぬ。
憂国の士が、幼児お年寄りの社会的弱者への汚染米、年金記録の紛失、このていたらくが蔓延しているのは国家喪失からゆえだ。。
社会制度は結果的には最小単位のここの家庭にある。
家庭とは種の継続。
種の保存にあたりお互いに会話なしで以心伝心に生活を送る。。
子育てのそれも子作り計画段階からの慎重さ。
お互いに自然体で飲酒喫煙など危険状況からなるべく避ける。
環境を守るだけでなく自己の当たり前の維持で、メラミン樹脂の器の忌避。洗剤などはABSなどを含んでないもの。
食い物にしても自然ものの粗食。
もちろん魚などの動物性タンパクなど自然ものは十二分にとる。
レントゲンは絶対受けない。
ということは薬は絶対服用しない。
究極的に風邪の罹患を避け病気にならない。
虫歯治療でさえ先延ばしにしたほどだ。
確率的にほんの少しでも五体満足ともなる生命体の誕生のため故、
どんな対立する相違の夫婦けんかも治まりがつく。
貧弱なる知識で直感で危うしには近づかず衣食の安全。原発理論の電子レンジさえ使わなかった健全さ。(笑い)
親ばかぶりの苦労がわかるまい。
馬鹿なる二人の子らに。
尊い生命を神よりいただいてからの苦労はそれからである。
ところがそれらは健全なる社会があればこそである。
自給自足エコ生活の自助努力も限界で社会の制度悪から流されるのは避けられない。
政治に口を出さないわけである。
新聞が教えてくれる。
アメリカ発の経済システム危機が抜き差しならぬ状態。
76兆円の救済策はいびつであるが国家が手をさしのべなければ世界経済さえ崩壊する。
新自由主義・グローバリズム全般の破綻である。
どうやら上院が可決、再度下院に法案が回されおそらく可決されるであろう。
学習効果の先例を受け継いでてるはずだからだ。
ブッシュには無理なんであろうか。
あんなにイラクへの非道なることはできるのだからやらねば。
語らねば。
後ひと月足らずではないか。
8年間は何も残って無く後退したのみ。
1930年代の大不況のさなか米国では4人に1人が失業
、銀行はすべて営業停止に陥っていた時である。
そんな日曜の夜、ルーズベルト大統領はラジオを通して翌日に銀行が再開され、大半の預金は連邦政府が保護すると国民に穏やかに語りかけた。
米経済の混乱期、31回にわたり行われた大統領の「炉辺談話」の初回である。
親しみを込めた話し言葉で国民に呼びかけた大統領。
、実際マイクの前で居間にいるようにくつろぎ、うなずいたり、ほほえんだり、手ぶりも交えて語ったという
ルーズベルトの落ち着いた声は自信にあふれ、聞く者を温かく包み込んだ。
不安の時代に「声」が国民に希望を与えたのであるA・カープ著「『声』の秘密」草思社刊。
ブッシュの好戦的政治姿勢が財政を疲弊させ新自由主義の博徒経済が世界秩序を混乱させた。
その政策を世界に蔓延させている罪は大きい。
世界はそれこそ30年代のような大恐慌の深淵をのぞき見るはめになっいる。
世界はなぜに米国の動きに一喜一憂せねばならぬのか。
製造でなく金融が安定した国家運営であるはずがない。
日本は勤勉なる正規な金融経済政策の元のまともな加工貿易国である。
金本位・拝金主義のユダヤ経済には無縁だ。
また金利を取らない沈黙のイスラム経済とも無縁である。
国家管理の下、GNPにあった拡大経済を目指し適切なる経済運営の国家である。
生産現場では敬虔なる祈りで神に感謝を基本にし、さらに人間関係さえ大事にして社会制度の下に生産を行う日々。
それが面々と受け継がれてきた。そのシャカイシステム総体のほとんどの価値観が突然急速に壊された。
壊したのは・・・「自民党をぶっ壊す!」小泉竹中政治。
郵政民営化で保険貯金業務の資本の移転および事業種の外資化、
また外資導入がしやすい三角合併、大店法改正、働くものの条件悪化派遣労働。
社会の驚くべき事件の連続のおおかたの原因はこの格差を生み出す政治に由来している。
改革を唱えながら自己のこととなると矛盾欺瞞は詐欺行為。
説かれてきた理念なぞチャンチャラオカシ。
息子への世襲政治とか、83名もの小泉派=チルドレンを無情に知らぬ存ぜぬ。
常識にあり得ないこと。異常事態の社会破壊である。
すべては銀行の荒稼ぎの後始末を庶民に迫るものにすぎない。
恐慌を意味する「パニック」は、半人半獣の牧神パンの声に
人や獣がおびえてあわてたギリシャ神話に由来する。
危機にあってパニックを招く声は禁物である。
人々の不安を静め、穏やかに説得する政治の「声」が試される。
格差貧困に縁遠かった日本が変遷したのは非正規雇用にあるのは明らか。
生活保護世帯は百万を超え、自殺者は毎日一人、3万を常に超えてる異常さ。
あかるく底力の麻生総理のキャッチフレーズではすまない。
世界は日本を含めて恐慌=パニック寸前の断崖絶壁にある。
イチロVSタロウの土俵に乗るならどうか。
言葉を含め比較して聞けるネット時代の有りがたい危機PCがある。
所信の聞き比べである。
あのだみ声に安心があるか。
一方小沢の声は、耳触りがよく、・・
(小泉チルドレンの間を知らぬタイミングモわきまえない
それは歌舞伎座にも行ったこともないであろう品格なき無教養さの証明の・・)
ヤジ怒号にも屈せずその演説をする姿にも、丁寧な様子が現れ好感をにあたえたはずだ。
恐慌を意味するパニックは、半人半獣の牧神パンの声に
人や獣がおびえてあわてたギリシャ神話に由来する。
危機にあってパニックを招く声は禁物である。
人々の不安を静め、穏やかに説得する政治の「声」が試される。
だみ声での挑発でなく所信である。
国民が払った税金は国民に返すという基本的理念を説いたくだりには
はや総理の風格を感じた。
麻生の所信表明冒頭演説。
「畏くも御名御璽をいただいて」総理大臣を拝命したというくだりである。
御名御璽というのは、天皇のサインとはんこのことで、
それを「いただく」といっても文法的にあやまりではないらしい。
このような使い方を聞くのははじめて。
新聞のコラムで、彼の祖父・吉田茂元首相が「臣・茂」と言ったのをなぞったつもりだろうとある。
吉田の発言は、今上天皇の立太子の礼の祝辞の中にでてくる天皇家に対するお祝いの言葉。
つまり定型化された祝詞(のりと)のようなもの。
明治・大正に育ち、白足袋を愛用する一方、大使として英国の貴族趣味を仕込んだ吉田ならば、自然にでてきそうな言葉である。
それでも、時代錯誤で封建思想とさんざん叩かれたらしい。
それと麻生発言は全く違う。
天皇家に向かっていう言葉ではなく、国民に向かって言っているのだ。
戦中は「畏くも」と言っただけで、国民は立ち上がり不動の姿勢をとるよう仕込まれた。映画などでの異様なる総起立の場面である。
首相に選んだのは天皇でなく国民=衆議院である。
憲法に疑義をいだかせる中山発言におとらない失言・舌禍ではないのか。
戦後は遠くなりにけりで不感症になっている。
安倍元首相の「戦後レジューム」一掃、戦前回帰にも結びつきかねないという不安ささえある。
この言葉は、尊敬してやまない亡き祖父と自らを支える小派閥の悲しき性、右派勢力に捧げたつもりなのであろう。
しかし言葉そのものは、すべて中国にその原典があり、「臣・茂」などの使い方は、すでに室町時代に大問題になっている
使ったのは、「媚中派」足利義満。
明あて国書に「日本国王臣源表す、臣聞く……」と書いた。
それで勘合貿易を許され、元・明時代の文物が入ってきた。尤もこの多くは現在国宝に指定され、日本文化の形成に役立っている。
この義満に対し、宮中筋の評判はよくなかった。
ただ、こういった文物を一番欲しがっていたのも宮中筋である。
麻生首相の「軽さ」は、結局こういった歴史や文化に対する知識の裏づけのない、「品格」を欠く発言や行動のせいではなかろうか。
少々の舌禍はこの内閣はなんでもない。
ましてや解散の風潮のおおかたの永田町の合意形成的の中「解散については私が決めさせて頂く」とお構いなしに小沢資金枯渇戦術として使っているフシがある、
所信表明演説で異例の民主党への質問をしたが、民主党小沢が 政治理念や衆院選マニフェスト=政権公約をアピールする異例の形となり、与野党の党 首の立場が逆転した格好である。
国会を動かしてるのは誰なんだ。
KKの方はわかりやすくなった。
宮崎キャンプ感じ取れるが王監督の後の秋山である。
清原はどうする。
野茂の采配もみてみたい。
イチロVSタロウ
。始まりそうも無きシナリオ無き永田町。
ブログランキングに参加してます。
どうぞよろしく
プチッ!
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
ようやくPCが病院から帰ってきたHDDの故障。
入院費12000円は痛ッ!。
これをきに勉強してみた映像への挑戦である。
ナント!できるではないか。
そういう具合で永久の青年爺の誕生である。
http://diarynote.jp/d/36488/20080223.html
コメント