またもや書いたモノ・を消してしまった。
ヱえっイ!二日続けて書き直しダイ!
やっぱり久方の宮崎からの中山建設大臣(旧称)なんだもんなぁ~。
郷土の人の栄達に悪口めいたものは書くなと言うことなんだろうか。
千葉の人々、大分の日教組・先生方、アイヌの人々
こうもダブッテの舌禍は弁明のしようもできないわ~。
神話の国ののんびり足る宮崎出なく魑魅魍魎の永田町では・・
使い慣れてたPCのXE.XPに比べると2000のソフトはどうにもいけない。
盗難などのアクシゼントが今だこんなところに現れてくる。
一部頭の中で復元をしてみよう。こんな感じであった。
舌禍のことは千葉の成田には先駆する立川の歴史性さえある。
昨夜のNHK深夜便。
少年少女合唱団ご一行のヨーロッパ。
ハンガリーではチエンバロでバルトークの祖国からの旅立ち
この曲は国歌扱いの民族の底辺に横たわる愛唱歌
外にも、夕暮れの歌声。コチムラの馬車。
幼児ら60名が一番難しいと言われてるハンガリー言語でコーラス大合唱をやった。
宿泊のホテルでの練習の時、従業員らは涙ナミダでしばし仕事w中断して感動を与えたほど。
会場でどんなに感動を与えたことかは察することが出来る。
オーストリア・ウイーン、
ここには後で触れるIAEAの本部がある。
魔笛ミナミヤスオの構成したもの。
そして
本来の目的地・ラトビア。バルト三国は91年ソ連から独立。
「風よそよげ」を現地語でやったから会場のチニスチのアイラ大聖堂の聴衆者1000人はたまらない
とりわけ
日本語の「赤とんぼ」は現地の40人を加えた100人でのコーラスとなった。
聖歌隊とはこれを言うのであろうか。
キリスト行事に出たことはないので解らない。
天からの声であったんであろう。
お開きの後にたっての希望が寄せられた。
皆が会場を去るのまで
お願いがあります。
「赤とんぼでおくりだしてほしい・・」
初めて聞く日本語での赤とんぼの歌が、おかしなカーテンコールで異境の地の夜空にこだましアルベジリニアの人々を家路につかせた。
聞きたい!感動をお裾分けして欲しい??
見果てぬ外国でしょう。それも終わったことで無理でしょうモン?
出来ます!
追体験できます。
11月1~2日東京オペラシティー
カトウヒデアキさんほんとうに御苦労様そして親善代表ありがとうございます。
ところでこの赤とんぼ
中川大臣の舌禍の千葉・成田である。
砂川はその前哨。
1 夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
負われて 見たのは いつの日か
2 山の 畑の 桑の実を
小籠に 摘んだは まぼろしか
3 十五で 姐やは 嫁に行き
お里の たよりも 絶えはてた
4 夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
とまって いるよ さおの先
ブログに解説がある。
これは三木露風が1921年(大正10)年彼の故郷兵庫県龍野町(現在龍野市)で住んだ子供の頃の郷愁から作ったといわれ、童謡集「真珠島」に発表されている。
これに1927年(昭和2年)に山田耕筰が曲をつけている。
、1番の「負われて」が「追われて」と誤解がままある。
これは「背負われて」の意味で、
3番の「姐や」も「姉や」と思っていたが「子守り娘」のことである。
つまり、露風自身も言っているように「私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。
その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである。」ということになる。
父が放蕩で身を持ち崩し、母は露風7歳の時に実家に帰っている。
。彼の面倒を見てくれた「姐や」への想い出でが強く残っていたわけである。
これらは西都の山奥で子だくさんの末っ子生まれの爺にも朧気ながらの記憶がある。寒いので綿入れ丹前を背中に感じての事であった。
じつに凄い数のトンボが飛んでいた。
空中散布のヘリでの農薬がまかれてなかった頃のことだ。
三島由紀夫は産湯のキラキラを覚えているようだがせいぜい三つ子の魂・・ではないんであろうか。
姪っ子・浩子を子育てで背負ってたのは爺が何歳であったろう。
両足には矯正の器具をつけてたので背に当たり痛く調子が悪かった。いまは露風の地に縁がありケーキ屋さんとのこと。
爺の二人の子らも背で育てたが高鍋の地には赤とんぼは少なかった。子らは覚えてもいないようで一人で育ったようにでも思っているフシがある。
仕方ないモノだ;まだ若い!解ろうハズがない。薄情モン
さればとて石に布団は着せられず。何れ・・直に逝く。
外にも記載がある。
インターネットで検索したら次のような解釈があるのにびっくりした。
「童謡「赤とんぼ」は第二次大戦での日本の敗北を歌ったものだったそうで。
曰く、『夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か』赤とんぼとはゼロ戦のことであるとか。
『十五で姉やは嫁にいき お里の便りも絶え果てた』姉やは学童疎開、もしくは従軍しており、検閲のため手紙が来ないとか。
」思わず吹き出してしまった。こじつけもいいところである。
私にとってはこの「赤とんぼ」は母の想い出の曲である。
と書く。
多かれ少なかれ誰でも記憶があることだろう。
成田闘争に先立つ立川である。
ブログにある逸話。
先日このブログデモ触れた『反米大陸』集英社新書の著者伊藤千尋
朝日新聞beに記事にした。
三木露風(1889-1964)は20世紀日本を代表する詩人である。三木露風作詞・山田耕筰作曲の「赤とんぼ」は昭和を
代表する童謡である。今後も国民的童謡として歌いつづけられるだろう。
「『赤とんぼ』の歌に守られた砂川」の記事を書いた
この記事の終わりに森田実の談話が載っている。
「赤とんぼ」には、伝説化した話がある。
56(昭和31)年、東京・立川の米軍基地拡張に反対した砂川闘争で、
警官隊と立ち向かった学生や農民たちからわき出た歌が「赤とんぼ」だった。
「日本人同士がなぜ戦わなければならないのか」と歌声は問いかけた、と伝えられる。
当時、動員された学生は3千人。
雨の中、警官隊と肉弾戦となり負傷者が続出した。
最後に向き合ったのは学生ら50人と、警官150人だった。
「今だから話しましょう」と、全学連の砂川闘争委員長として現地で指揮した政治評論家の森田実(75)はこう語る。
「警官があと半歩出れば私たちは負ける状況で、獰猛な相手を人間的な気持ちにさせようとした。勇ましい
『民族独立行動隊』を歌えば警官も勢いづける。
そこで『赤とんぼ』を選び、日没までの30分、繰り返し歌った。
警官隊は突撃して来なかった。
私たちは人道主義で戦った。
警官にも純粋な気持ちがあった
母のぬくもりを懐かしみ、郷愁を誘う「赤とんぼ」は、自らの人間性を思い出させる歌でもあった。
この美しい感性を、日本人は持ち続けられるだろうか。
「赤とんぼ みな母探す ごとくゆく」
思い出したことがある。1956(昭和31)年10月13日が砂川闘争のヤマ場だった。
数千人のデモ隊と約千名の警察機動隊が激突した。
棍棒をもった武装警察隊の攻撃で無防備の農民・労働者・市民・学生のデモ隊は蹴散らされた。怪我人続出。砂川闘争本部で全学連の部隊の指揮をとっていた私のところへ十数名の砂川町の主婦がやってきて、「森田さん、学生さんたちに引き上げ指令を出してください。私たちのために学生さんたちが怪我をしているのは耐えられません。私たちのことはもういいです。学生さんたちに引き上げを指示してください」と涙ながらに訴えられた。何人ものお母さんたちの涙ながらの訴えは限りなくつづいた。
耐えられなくなった私は、闘争指導者として逮捕されるのを覚悟で現場に出た。
デモ隊はバラバラになっていた。
皆を集め、腕を組ませて陣容を整えたが、みんな疲れ切っていた。
「風前の灯」状態だった。
そこで、私は何でもよいから声を出してくれ、歌を歌ってくれと頼んだ。
そして歌われたのが「赤とんぼ」だった。「赤とんぼ」の歌が夕暮れの荒野に響いた。
「赤とんぼ」が砂川を守った。
いまから52年前の10月13日のことだった。
国家形成は国内の民に幸福をもたらすに存在している。
最大のもは平和でアンチは戦争遂行である。
よって軍事の問題はとりわけ近隣諸国の政治指導者が作り出す、政権の軍事的傾向にもより変遷する傾向を持つ。
日の丸がこれほどよく似合うモノはない。
外務省のホームページ。
日本が核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則を堅持することについては、
これまで歴代の内閣により累次にわたり明確に表明されている。
政府としては、今後ともこれを堅持していく立場に変わりはない。
(参考)
日本は、核兵器不拡散条約(NPT)上の非核兵器国として核兵器の製造や取得等を行わない義務を負っている。
さらに、法律上も原子力基本法により、日本の原子力活動は平和目的に厳しく限定されている。
このような点から見ても、日本が核兵器を保有することはない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/gensoku/nnp.html
横須賀の原子力空母に対しての「待たず作らず持ち込ませず」に抵触する懸念である。
原子力空母「ジョージ・ワシントン」。
原子力空母の米本土以外への配備は初めて。
放射能漏れ事故が8月に発覚したが・・チャンチャラオカシ。
江戸前の鮮魚はくうだろうが~。
そして矛盾する日本の核政策に対するうごきがある。
麻生演説が記事にある。
IAEA:事務局長選 天野氏が立候補表明
天野之弥(ゆきや)・ウィーン国際機関代表部大使(61)は25日、
ウィーンで会見し、国際原子力機関(IAEA)の次期事務局長に立候補することを表明した。
大使は「核兵器の拡散を防ぎ、原子力の平和利用を促進するIAEAの機能強化に取り組みたい」と語った。
大使は「原子力の平和利用では、日本は世界のモデルになる国だ。日本の力を世界に認めてもらいたいという
気持ちでチャレンジしたい」としたうえで「地球温暖化、エネルギー需要の拡大、核テロの脅威など時代とともに
変わる課題に対処できるIAEAにしたい」と強調した。
麻生太郎首相は25日に行った国連での一般討論演説で天野大使の立候補に触れた。
エルバラダイ事務局長は、3期目の任期が終わる来年11月で退任する意向を表明している。
次期事務局長を選出する手続きは来月の理事会から始まり、来年9月の総会で正式に選出される予定。
複数の候補で選挙となる場合、理事会(35カ国で構成)で3分の2の支持が求められる。
天野氏は72年、外務省入省。
マルセイユ総領事、軍縮不拡散・科学部長などを経て、
05年8月から現職。同10月から1年間、IAEA理事会議長を務めた。
舌禍の麻生の外遊の10時間を追ってみた。
国連での演説中に翻訳機が壊れ、やり直した。
「日本の機械じゃないよね」とマイクに向かって発言し、会場の大爆笑を誘った
流石である。外の誰も出来ない麻生総理の総てが出た
ただその後がいけない。
日米同盟重視の表れ 麻生首相の集団的自衛権解釈見直し発言
なんじゃぁ~
麻生太郎首相がニューヨークで記者団に、
集団的自衛権の行使はできないとする政府の現行憲法解釈変更の考えを表明した。
この問題に全く関心を示さなかった福田康夫前首相とは大きく異なる
「麻生カラー」を外交面で明確に打ち出し始めたともいえる。
集団的自衛権をめぐっては、麻生首相の盟友である安倍晋三元首相が昨年5月、
有識者懇談会を設置し、周辺事態に公海上で米艦船が攻撃を受けた際、
近くにいる海上自衛隊艦船が敵に反撃できるかどうかなど4事例の検討を指示した。
日米同盟の双務性を高め、同盟を強化するとともに、米国との対等な発言権を確保する狙いからだ。
懇談会は今年6月、政府解釈を変更し、集団的自衛権行使を認めるよう求める報告書を福田氏に提出したが
、福田氏は政治課題としなかった経緯がある。
麻生首相は今後、この「死蔵」されていた報告書をもとに議論を進めるとみられる。
ただ、政府解釈変更には公明党が反対姿勢をとっているほか、自民党内にも慎重論があり、
まだ曲折がありそうだ。
ところがアメリカのマスコミからの評判はいけない。
麻生氏は「好戦的な民族主義者」 NYタイムズ社説、不穏当な表現乱発
【ニューヨーク=長戸雅子】25日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、首相に就任した麻生太郎氏について、
「好戦的な民族主義者」で「日本の植民地支配を称賛した」
と決めつけるなど、不穏当な表現をちりばめた社説を掲載した。
社説のタイトルは「タロー・アソウの復活」。
麻生氏を「(中国などの)隣国では好戦的な民族主義者としてよく知られている」と紹介し、
「外相時代には日本が植民地支配下で行ったことを称賛し、第2次大戦での残虐行為を正当化し
、中国を危険な軍事的脅威と表現して中国、韓国との関係を損ねた」と批判した。
そのうえで「日本の将来は最大の貿易相手国である中国、韓国、急速に発展する他の近隣諸国との政治、
経済関係の強化にかかっている」と麻生氏を牽制した。
さらに「米国が最も必要としているのは責任ある戦略的パートナーとしての日本であって
、アジアから怒りを買うような帝国主義を空想し、力を誇示するような政府ではない」とクギをさし、
「隣国を対等に扱い、民族主義を現実主義に入れ替える必要がある」と“進言”した。
一方、「日本は小泉純一郎元首相が着手した市場改革を仕上げ、経済の近代化を図る必要がある。
外交政策は隣人と対等につきあうことで近代化を図る必要がある
。麻生氏がこうした手法を取れるほどに現実主義的であれば、首相として成功するだろう
と挑戦的な言い回しで締めくくっている。
麻生太郎と小沢一郎
麻生内閣支持率が安倍や福田より悪い思惑違いが起きた
国民的人気が自民党に寄せられていない。
ただ麻生人気は圧倒的で電通をバックにした戦略は成功しつつしている。
麻生太郎と小沢一郎
総裁選で無理してでもこのフレーズで麻生は自民党総裁戦を戦った
11月2日投票の結論は麻生総理とともに支配者の奥深くにあったのである。
「まずは景気」などのポスターが早6万枚出回っている。
総裁選挙もそうだが公選法の事前運動ではないのかのスレスレであろう。
民主党にとって総選挙は簡単にうまく終わりそうもない。
世襲は批判を受けようが地元からの「おらが国さぁ~のお大臣さま」の信頼の裏返しでもあり、1議席確保のお墨付き。
総裁
小泉純一郎(世襲三世)
安倍晋三 (世襲三世)総理の孫
福田康夫 (世襲二世)総理の子
麻生太郎 (世襲五世)総理の孫大久保利通のひひ孫
麻生友達世襲舌禍危機内閣
首相 麻生太郎(世襲5世)
総務相 鳩山邦夫(世襲4世)
法務相 森 英介(世襲3世)
外務相 中曽根弘文(世襲2世)
財務・金融相 中川昭一(世襲2世)
文部科学相 塩谷 立(世襲2世)
農林水産相 石破 茂(世襲2世)
経済産業相 二階俊博(世襲2世)
防衛相 浜田靖一(世襲2世)
官房長官 河村建夫(世襲2世)
行政改革担当相 甘利明(世襲2世)
消費者行政 野田聖子(世襲2世)
少子化・男女 小渕優子(世襲3世)
新幹事長・ 細田博之(世襲2世)
地盤看板カバンなき田舎の宮崎・中山建設大臣の焦り解るでしょう?
バカヤロウ!お国のお話の時期でャあ~ない!
神話の国の人の、のんびりやさんの舌禍じゃぁなく
この人、確信犯だろう。
東大出た官僚だぞ!
じゃぁ~金時計組の蝶収集の鳩山はなんじゃぁ~。
お友達だもの。
金融二つを兼ねる中川は・・
アレ弟分!
ナンチュウ・・内閣やぁ~~。
よ~くみろ!核武装内閣ではないか。
そういえば・・
アフガン特措法の危険さ丸出しの代弁者・中山なり彬!
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やっぱり久方の宮崎からの中山建設大臣(旧称)なんだもんなぁ~。
郷土の人の栄達に悪口めいたものは書くなと言うことなんだろうか。
千葉の人々、大分の日教組・先生方、アイヌの人々
こうもダブッテの舌禍は弁明のしようもできないわ~。
神話の国ののんびり足る宮崎出なく魑魅魍魎の永田町では・・
使い慣れてたPCのXE.XPに比べると2000のソフトはどうにもいけない。
盗難などのアクシゼントが今だこんなところに現れてくる。
一部頭の中で復元をしてみよう。こんな感じであった。
舌禍のことは千葉の成田には先駆する立川の歴史性さえある。
昨夜のNHK深夜便。
少年少女合唱団ご一行のヨーロッパ。
ハンガリーではチエンバロでバルトークの祖国からの旅立ち
この曲は国歌扱いの民族の底辺に横たわる愛唱歌
外にも、夕暮れの歌声。コチムラの馬車。
幼児ら60名が一番難しいと言われてるハンガリー言語でコーラス大合唱をやった。
宿泊のホテルでの練習の時、従業員らは涙ナミダでしばし仕事w中断して感動を与えたほど。
会場でどんなに感動を与えたことかは察することが出来る。
オーストリア・ウイーン、
ここには後で触れるIAEAの本部がある。
魔笛ミナミヤスオの構成したもの。
そして
本来の目的地・ラトビア。バルト三国は91年ソ連から独立。
「風よそよげ」を現地語でやったから会場のチニスチのアイラ大聖堂の聴衆者1000人はたまらない
とりわけ
日本語の「赤とんぼ」は現地の40人を加えた100人でのコーラスとなった。
聖歌隊とはこれを言うのであろうか。
キリスト行事に出たことはないので解らない。
天からの声であったんであろう。
お開きの後にたっての希望が寄せられた。
皆が会場を去るのまで
お願いがあります。
「赤とんぼでおくりだしてほしい・・」
初めて聞く日本語での赤とんぼの歌が、おかしなカーテンコールで異境の地の夜空にこだましアルベジリニアの人々を家路につかせた。
聞きたい!感動をお裾分けして欲しい??
見果てぬ外国でしょう。それも終わったことで無理でしょうモン?
出来ます!
追体験できます。
11月1~2日東京オペラシティー
カトウヒデアキさんほんとうに御苦労様そして親善代表ありがとうございます。
ところでこの赤とんぼ
中川大臣の舌禍の千葉・成田である。
砂川はその前哨。
1 夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
負われて 見たのは いつの日か
2 山の 畑の 桑の実を
小籠に 摘んだは まぼろしか
3 十五で 姐やは 嫁に行き
お里の たよりも 絶えはてた
4 夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
とまって いるよ さおの先
ブログに解説がある。
これは三木露風が1921年(大正10)年彼の故郷兵庫県龍野町(現在龍野市)で住んだ子供の頃の郷愁から作ったといわれ、童謡集「真珠島」に発表されている。
これに1927年(昭和2年)に山田耕筰が曲をつけている。
、1番の「負われて」が「追われて」と誤解がままある。
これは「背負われて」の意味で、
3番の「姐や」も「姉や」と思っていたが「子守り娘」のことである。
つまり、露風自身も言っているように「私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。
その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである。」ということになる。
父が放蕩で身を持ち崩し、母は露風7歳の時に実家に帰っている。
。彼の面倒を見てくれた「姐や」への想い出でが強く残っていたわけである。
これらは西都の山奥で子だくさんの末っ子生まれの爺にも朧気ながらの記憶がある。寒いので綿入れ丹前を背中に感じての事であった。
じつに凄い数のトンボが飛んでいた。
空中散布のヘリでの農薬がまかれてなかった頃のことだ。
三島由紀夫は産湯のキラキラを覚えているようだがせいぜい三つ子の魂・・ではないんであろうか。
姪っ子・浩子を子育てで背負ってたのは爺が何歳であったろう。
両足には矯正の器具をつけてたので背に当たり痛く調子が悪かった。いまは露風の地に縁がありケーキ屋さんとのこと。
爺の二人の子らも背で育てたが高鍋の地には赤とんぼは少なかった。子らは覚えてもいないようで一人で育ったようにでも思っているフシがある。
仕方ないモノだ;まだ若い!解ろうハズがない。薄情モン
さればとて石に布団は着せられず。何れ・・直に逝く。
外にも記載がある。
インターネットで検索したら次のような解釈があるのにびっくりした。
「童謡「赤とんぼ」は第二次大戦での日本の敗北を歌ったものだったそうで。
曰く、『夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か』赤とんぼとはゼロ戦のことであるとか。
『十五で姉やは嫁にいき お里の便りも絶え果てた』姉やは学童疎開、もしくは従軍しており、検閲のため手紙が来ないとか。
」思わず吹き出してしまった。こじつけもいいところである。
私にとってはこの「赤とんぼ」は母の想い出の曲である。
と書く。
多かれ少なかれ誰でも記憶があることだろう。
成田闘争に先立つ立川である。
ブログにある逸話。
先日このブログデモ触れた『反米大陸』集英社新書の著者伊藤千尋
朝日新聞beに記事にした。
三木露風(1889-1964)は20世紀日本を代表する詩人である。三木露風作詞・山田耕筰作曲の「赤とんぼ」は昭和を
代表する童謡である。今後も国民的童謡として歌いつづけられるだろう。
「『赤とんぼ』の歌に守られた砂川」の記事を書いた
この記事の終わりに森田実の談話が載っている。
「赤とんぼ」には、伝説化した話がある。
56(昭和31)年、東京・立川の米軍基地拡張に反対した砂川闘争で、
警官隊と立ち向かった学生や農民たちからわき出た歌が「赤とんぼ」だった。
「日本人同士がなぜ戦わなければならないのか」と歌声は問いかけた、と伝えられる。
当時、動員された学生は3千人。
雨の中、警官隊と肉弾戦となり負傷者が続出した。
最後に向き合ったのは学生ら50人と、警官150人だった。
「今だから話しましょう」と、全学連の砂川闘争委員長として現地で指揮した政治評論家の森田実(75)はこう語る。
「警官があと半歩出れば私たちは負ける状況で、獰猛な相手を人間的な気持ちにさせようとした。勇ましい
『民族独立行動隊』を歌えば警官も勢いづける。
そこで『赤とんぼ』を選び、日没までの30分、繰り返し歌った。
警官隊は突撃して来なかった。
私たちは人道主義で戦った。
警官にも純粋な気持ちがあった
母のぬくもりを懐かしみ、郷愁を誘う「赤とんぼ」は、自らの人間性を思い出させる歌でもあった。
この美しい感性を、日本人は持ち続けられるだろうか。
「赤とんぼ みな母探す ごとくゆく」
思い出したことがある。1956(昭和31)年10月13日が砂川闘争のヤマ場だった。
数千人のデモ隊と約千名の警察機動隊が激突した。
棍棒をもった武装警察隊の攻撃で無防備の農民・労働者・市民・学生のデモ隊は蹴散らされた。怪我人続出。砂川闘争本部で全学連の部隊の指揮をとっていた私のところへ十数名の砂川町の主婦がやってきて、「森田さん、学生さんたちに引き上げ指令を出してください。私たちのために学生さんたちが怪我をしているのは耐えられません。私たちのことはもういいです。学生さんたちに引き上げを指示してください」と涙ながらに訴えられた。何人ものお母さんたちの涙ながらの訴えは限りなくつづいた。
耐えられなくなった私は、闘争指導者として逮捕されるのを覚悟で現場に出た。
デモ隊はバラバラになっていた。
皆を集め、腕を組ませて陣容を整えたが、みんな疲れ切っていた。
「風前の灯」状態だった。
そこで、私は何でもよいから声を出してくれ、歌を歌ってくれと頼んだ。
そして歌われたのが「赤とんぼ」だった。「赤とんぼ」の歌が夕暮れの荒野に響いた。
「赤とんぼ」が砂川を守った。
いまから52年前の10月13日のことだった。
国家形成は国内の民に幸福をもたらすに存在している。
最大のもは平和でアンチは戦争遂行である。
よって軍事の問題はとりわけ近隣諸国の政治指導者が作り出す、政権の軍事的傾向にもより変遷する傾向を持つ。
日の丸がこれほどよく似合うモノはない。
外務省のホームページ。
日本が核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則を堅持することについては、
これまで歴代の内閣により累次にわたり明確に表明されている。
政府としては、今後ともこれを堅持していく立場に変わりはない。
(参考)
日本は、核兵器不拡散条約(NPT)上の非核兵器国として核兵器の製造や取得等を行わない義務を負っている。
さらに、法律上も原子力基本法により、日本の原子力活動は平和目的に厳しく限定されている。
このような点から見ても、日本が核兵器を保有することはない。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/gensoku/nnp.html
横須賀の原子力空母に対しての「待たず作らず持ち込ませず」に抵触する懸念である。
原子力空母「ジョージ・ワシントン」。
原子力空母の米本土以外への配備は初めて。
放射能漏れ事故が8月に発覚したが・・チャンチャラオカシ。
江戸前の鮮魚はくうだろうが~。
そして矛盾する日本の核政策に対するうごきがある。
麻生演説が記事にある。
IAEA:事務局長選 天野氏が立候補表明
天野之弥(ゆきや)・ウィーン国際機関代表部大使(61)は25日、
ウィーンで会見し、国際原子力機関(IAEA)の次期事務局長に立候補することを表明した。
大使は「核兵器の拡散を防ぎ、原子力の平和利用を促進するIAEAの機能強化に取り組みたい」と語った。
大使は「原子力の平和利用では、日本は世界のモデルになる国だ。日本の力を世界に認めてもらいたいという
気持ちでチャレンジしたい」としたうえで「地球温暖化、エネルギー需要の拡大、核テロの脅威など時代とともに
変わる課題に対処できるIAEAにしたい」と強調した。
麻生太郎首相は25日に行った国連での一般討論演説で天野大使の立候補に触れた。
エルバラダイ事務局長は、3期目の任期が終わる来年11月で退任する意向を表明している。
次期事務局長を選出する手続きは来月の理事会から始まり、来年9月の総会で正式に選出される予定。
複数の候補で選挙となる場合、理事会(35カ国で構成)で3分の2の支持が求められる。
天野氏は72年、外務省入省。
マルセイユ総領事、軍縮不拡散・科学部長などを経て、
05年8月から現職。同10月から1年間、IAEA理事会議長を務めた。
舌禍の麻生の外遊の10時間を追ってみた。
国連での演説中に翻訳機が壊れ、やり直した。
「日本の機械じゃないよね」とマイクに向かって発言し、会場の大爆笑を誘った
流石である。外の誰も出来ない麻生総理の総てが出た
ただその後がいけない。
日米同盟重視の表れ 麻生首相の集団的自衛権解釈見直し発言
なんじゃぁ~
麻生太郎首相がニューヨークで記者団に、
集団的自衛権の行使はできないとする政府の現行憲法解釈変更の考えを表明した。
この問題に全く関心を示さなかった福田康夫前首相とは大きく異なる
「麻生カラー」を外交面で明確に打ち出し始めたともいえる。
集団的自衛権をめぐっては、麻生首相の盟友である安倍晋三元首相が昨年5月、
有識者懇談会を設置し、周辺事態に公海上で米艦船が攻撃を受けた際、
近くにいる海上自衛隊艦船が敵に反撃できるかどうかなど4事例の検討を指示した。
日米同盟の双務性を高め、同盟を強化するとともに、米国との対等な発言権を確保する狙いからだ。
懇談会は今年6月、政府解釈を変更し、集団的自衛権行使を認めるよう求める報告書を福田氏に提出したが
、福田氏は政治課題としなかった経緯がある。
麻生首相は今後、この「死蔵」されていた報告書をもとに議論を進めるとみられる。
ただ、政府解釈変更には公明党が反対姿勢をとっているほか、自民党内にも慎重論があり、
まだ曲折がありそうだ。
ところがアメリカのマスコミからの評判はいけない。
麻生氏は「好戦的な民族主義者」 NYタイムズ社説、不穏当な表現乱発
【ニューヨーク=長戸雅子】25日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、首相に就任した麻生太郎氏について、
「好戦的な民族主義者」で「日本の植民地支配を称賛した」
と決めつけるなど、不穏当な表現をちりばめた社説を掲載した。
社説のタイトルは「タロー・アソウの復活」。
麻生氏を「(中国などの)隣国では好戦的な民族主義者としてよく知られている」と紹介し、
「外相時代には日本が植民地支配下で行ったことを称賛し、第2次大戦での残虐行為を正当化し
、中国を危険な軍事的脅威と表現して中国、韓国との関係を損ねた」と批判した。
そのうえで「日本の将来は最大の貿易相手国である中国、韓国、急速に発展する他の近隣諸国との政治、
経済関係の強化にかかっている」と麻生氏を牽制した。
さらに「米国が最も必要としているのは責任ある戦略的パートナーとしての日本であって
、アジアから怒りを買うような帝国主義を空想し、力を誇示するような政府ではない」とクギをさし、
「隣国を対等に扱い、民族主義を現実主義に入れ替える必要がある」と“進言”した。
一方、「日本は小泉純一郎元首相が着手した市場改革を仕上げ、経済の近代化を図る必要がある。
外交政策は隣人と対等につきあうことで近代化を図る必要がある
。麻生氏がこうした手法を取れるほどに現実主義的であれば、首相として成功するだろう
と挑戦的な言い回しで締めくくっている。
麻生太郎と小沢一郎
麻生内閣支持率が安倍や福田より悪い思惑違いが起きた
国民的人気が自民党に寄せられていない。
ただ麻生人気は圧倒的で電通をバックにした戦略は成功しつつしている。
麻生太郎と小沢一郎
総裁選で無理してでもこのフレーズで麻生は自民党総裁戦を戦った
11月2日投票の結論は麻生総理とともに支配者の奥深くにあったのである。
「まずは景気」などのポスターが早6万枚出回っている。
総裁選挙もそうだが公選法の事前運動ではないのかのスレスレであろう。
民主党にとって総選挙は簡単にうまく終わりそうもない。
世襲は批判を受けようが地元からの「おらが国さぁ~のお大臣さま」の信頼の裏返しでもあり、1議席確保のお墨付き。
総裁
小泉純一郎(世襲三世)
安倍晋三 (世襲三世)総理の孫
福田康夫 (世襲二世)総理の子
麻生太郎 (世襲五世)総理の孫大久保利通のひひ孫
麻生友達世襲舌禍危機内閣
首相 麻生太郎(世襲5世)
総務相 鳩山邦夫(世襲4世)
法務相 森 英介(世襲3世)
外務相 中曽根弘文(世襲2世)
財務・金融相 中川昭一(世襲2世)
文部科学相 塩谷 立(世襲2世)
農林水産相 石破 茂(世襲2世)
経済産業相 二階俊博(世襲2世)
防衛相 浜田靖一(世襲2世)
官房長官 河村建夫(世襲2世)
行政改革担当相 甘利明(世襲2世)
消費者行政 野田聖子(世襲2世)
少子化・男女 小渕優子(世襲3世)
新幹事長・ 細田博之(世襲2世)
地盤看板カバンなき田舎の宮崎・中山建設大臣の焦り解るでしょう?
バカヤロウ!お国のお話の時期でャあ~ない!
神話の国の人の、のんびりやさんの舌禍じゃぁなく
この人、確信犯だろう。
東大出た官僚だぞ!
じゃぁ~金時計組の蝶収集の鳩山はなんじゃぁ~。
お友達だもの。
金融二つを兼ねる中川は・・
アレ弟分!
ナンチュウ・・内閣やぁ~~。
よ~くみろ!核武装内閣ではないか。
そういえば・・
アフガン特措法の危険さ丸出しの代弁者・中山なり彬!
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西武!渡辺監督オメデトウ!
コメント
この人を再度、通したら、宮崎人は馬鹿だと思われるでしょうねぇ~。田中角栄ほどには大型の時代に要望されたほどの確信犯でもないし・・・。時代遅れの小物だもん。全く未来の見えない方でしたね。