みっともない

2008年6月24日
今日の誕生日の花は・・・・レンゲツツジ
花言葉は・・・・・情熱

 
いや〜ぁ〜実に爽快なるものを読ましていただいたんでお裾分け。
タバコをブログ・アップを考えてたのに急遽やりかえたい衝動でモヤモヤ。。

昨夜退去の相談を受けてたので早朝から伺う。
随分と御説を拝聴させていただいた。、
書類などを点検してみると
実情は随分と違うものがある。

転居先確認とかで一日中費やし棒に振る、持ち前のお世話好き。
ラジオ深夜便で教えていただいた、ひばりの追憶のリンゴの日の時間の経過がそうさせたのかもしれない。
それでも今日は愉快。

なぜか。楽しき人に新聞などバーチャルで出会えた。
おそらく日本一の感覚で文字を書いてる人・エッセイスト三宮麻由子(41)
 何ゆえか。
幼児期に失明し、音を通じてドラマ番組を楽しんでいるというから底抜けの明るさを感じる。
例えば茶をいれる場面。

、湯の代わりに冷水でごまかしているかどうか、
  「音で分かる」
      という。
ホントだろうか。
それが裏付けがあるようだ。
効果音の専門家によれば、温度が3度違うと湯の音は変わるらしい

。一方、時代劇は一般に芸が細かく、使う鳥の声も描き分けているという。
夏はオオルリ、秋はヒヨドリ、山奥ではハシボソガラスといった具合。

長屋の場面では、足音の反響の変化で長屋の空間の広ささえ描き出す。
「そっと耳を澄ませば」集英社文庫。
最後のくだりなんか
文楽円生の一席の落語の名演、かたりをを髣髴させる。

 音を映像代わりに暮らすエッセイスト三宮麻由子、
ヘレン・ケラー賞ってなかったのか。
雨を描いた美しい文章。

音を立てない町並みは、普段は無に等しい存在だが、雨の日に一変する。
トタン屋根、門柱、路面、それぞれに当たる雨粒が「カアン」「キーン」と
異なる音を紡ぎ、町の輪郭をうっすらと浮かび上がらせる。
特に梅雨時のまっすぐな雨は最も雄弁という。
唸ってしまう。

クロサワが巨匠たる所以は人の忌み嫌うものをエンターテェメントの映画化したことになる。
羅生門は雨をスクリーンに描き世界の人々の考え方を変え、
映画館の入館者が減ると言われてた雨で人々をスクリーンにひきつけた。

 限界地域との田舎の里に泊まれば、静かな夜中、川音に気づくだろう。
多くの集落は生活用水の使える川辺に作られてきたからだ。

文明開始以来、川音は人類の耳から一時も離れなかったに違いない。
CDで見つけることが出来る癒しの名曲・自然界の音が危険信号を含む多くの情報で彩られる
一方で、車や工場などの人工音に包囲されている日常。

無機的な音の暴力から心身を守ろうと、身構え、耳をふさぎ
、音に関心を向けないよう努めている。

 憂うつな梅雨だが、人類のはるかな歴史に思いをはせ、
     雨の語り口に耳を傾けるひとときがあってもいい。
水はわが国の唯一の資源でもある。

大島透は論説委員でなく報道部。
ウナル文章ゆえ今後筆致を見習いたく再掲させていただいた。

もう一つ毎日新聞の寸評が光る。

 つくづく日本語は素晴らしい言葉だと思う
お役人が深夜帰宅するタクシーで缶ビールやピーナツの接待を受けていた問題、
福田首相
「」
と苦言を呈した。
倫理うんぬんと言うより、胸にストンと落ちた。
なかなかの言語感覚。

 ノーベル平和賞受賞者、マータイさんの
「モッタイナイ」。
天を恐れぬ振る舞いに浴びせる
「罰当たり」。
それにこの「みっともない」という恥の感覚。

「みっともない」「モッタイナイ」「罰当たり」。
三つの日本語で、私たちが身を律するには十分だろう。

 山折哲雄宗教学者
「もったいないを三つのR(削減・再使用・リサイクル)で表す事が多いが、もう一つ、リスペクトを加えたい」
と言い

“句仏上人”・大谷光演・東本願寺第23世法主(1875〜1943)の句
「勿体(もたい)なや祖師は紙衣(かみこ)の九十年」
を紹介していた。
乞食してても生きられ、高貴な希望で心は錦。

なんか解るようでわかんないが解説がないほうが
日本人特有の曖昧さを残してわかりやすく、一緒に唸りたい。

弾圧に耐え、布教に努めた親鸞聖人を
敬う心(リスペクト)がこもっている。

高級腕時計をしてどこを目指すか、祇園を歩くお坊さん。
あれはみっともないのか、罰当たりなのか。
榊原雅晴の提供するみる目はさえる。

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