6月1日の日記
2008年6月1日東国原効果で日曜日というのに県庁となりの物産館は賑わっている。
マスコミで国家が動くのもどうかとは思う。
皇紀2600年太平洋戦争突入前に宮崎は時代の寵児になったことが見受けられる。
八紘一宇のイデオロギー感での国つくりのお話の元になる県ゆえ
聖地参りみたいなもので沸いたんだろう。
天孫降臨の高千穂町には古事記日本書紀の物語の地があちこちにある。
興梠英樹(65)は大學で教鞭をとるこの地の人。
高千穂・三田井から氏のいわれをルーツとして読み取ろうと狩猟
興梠こうろきの里
興梠こうろき山
興梠こうろきの内裏
地名にこれらがあることを見届ける。
興梠
天皇の祖先の男性神を指す古語
神漏伎かむろきの変化
荒立神として進出してきた三田井氏の高千穂太郎との確執
神殿(こうどの)
神こう
祝詞などでは平安時代にかむろき、かむろぎが既に並立
こうろぎを嫌ってこうろきとした。
新聞記事が教える字体の大切さ。
自らの命の旅路でもある。
「万葉集」巻20には、東国から遠く九州に送られた防人の歌が収められている。
父母(ちちはは)が 頭(かしら)かき撫(な)で幸(さ)くあれて
言ひし言葉ぜ 忘れかねつる。
私の頭を撫でて、「無事でいるのだよ」と告げた両親の言葉が忘れられない
「母」の語に原文は「波波」の字をあててるそうだ。
運命の荒波に引き裂かれた親子の悲しみが一首に匂うようである一つひとつの字が放つ匂いは、1字で1音を表す万葉仮名の魅力だろう
「夜真」(山)という字を見つめていると、
月も星もない闇夜に身を横たえた山容が瞼に浮かぶ。
奈良の昔に紫香楽宮(しがらきのみや)があった滋賀県甲賀市の遺跡から、万葉歌の木簡が初めて見つかった。
巻16の中の一首で、「夜」「真」など7文字が判読できる
、いまは木簡に残るかすかな墨痕を眺めつつ、万葉びとが言葉というものに注いだ一途なまなざしに思いを寄せるのもいい
万葉集には「恋」という言葉に、「古非」や「古比」に交じって「孤悲」とあてた歌もあるらしい。
なるほど、いつの世もひとり悲しむものである。
「親男」という字を見つめていると、じ〜んと胸奥深く突き刺さる。
正確に読める人は無かろう。
これからはもう生で呼ぶことは出来ない。
「プ〜ッ、ブ〜ブ〜、ブブっ〜」やった!やった。!
パンぱん張ったるお腹をさすりサスリ言う。
「あにきヨ〜ガンバッテン・・出っト〜ジャァねっか・・」
あさの5時頃、歩くとでもなく伝って同じ部屋内のトイレに向かう。
「ヨッ・・キテェン・・・」「どんげか〜」
「出たッか〜流すな〜」
「オおッ〜出た!やったすげェ〜ぞ!テゲナ量じゃネ〜か〜」
「どら〜しりあぎっ〜」
水で洗うのを嫌がるのでテッシュで拭く。
「ヤッタネェ・・なんちぶりカッ・・」
再度大事に手にとらんがばかりに見つめる。
ほんの少し軟いだけで緑がかっているだけ。
150グラムは越えていよう。
あさの看護婦さんの記録とりの問診の回診。
「どうですか・・おシッコははありましたか。」
「はいっ!」
「お通じは・・・」
「出・・まし・・」
看護婦さんには得意そうに言ってる兄貴。
「看護婦さん!200グラム!すごかったですよ。」
「よかったですね。」
5月29日のことだ。
嬉しくて仕事を休んで一日中病室に居た。
昼食は期待にこたえてくれた。
この何日で食したの見たの初めて。
ソバの昼食をほとんど食った。
持込の刺身を五切れも食った!
メロンも一番端っこは包丁が綺麗に入ってなく
慌てて必死で取りやすくしてやる。
先日は半分だけ食っただけだったのに。
妻たる姐さんは笑って見ておられる。
こりゃぁ〜良くなりよる。
翌30日もあさ4時トイレ!ところが・・水便
「きちっ!」
ベッドで両手をつき膝で支えての姿勢。
「なにやってんだろ?」
一時間後今度は昨朝と同じような便で昨日より量は少ないが
健康人の少量クラス。
ガスも出た。ブッ〜
「おおッ!いいぞ!イイゾ・・」
「ニャリッ・・」
バツ悪そうに恥ずかしそう。
かわいい〜とさえ思えるほど素直な純なる顔。
付添い人用のベッドを貸し出してもらう。
この1週間で初めて横になる。
下着を取り裸になってて慌ててタオルケットを
体温を見ながら着せた。
31日娘が遠くより帰ってきた。
旦那さんに挨拶一つできず、病状をしゃべる。
家につれて帰り、風呂に入れるという。
身も爽快。健康度の体力はすこぶる好調。
ただ気力が萎えていた
「どうも・・ガンにまけよるごたる。。」
「そう?か〜足の腫れははなくなったし、ポッポッしてた熱もとれてきたジャァねぇか〜」
「後は・・腹の腫れだけじゃぁが〜ウンチ・シッコはで出したし、それもヨ〜ナルジャァロ〜」
「帰るワイ〜い・」
「なんすっとか・・」
両手で指を動かす仕草。
笑い気味がほほえましい。
「ホッ!パソコンすっとじゃぁねげなぁ〜」
4人一同笑いが堪えきれない
「ルン・・ルン・・ルン・・」
・・いやぁ午後は仕事ジャァ〜・・~
車イスに乗ると一人でタイヤを回し自分でエレベーターに向かっている。
娘が直ぐに来て押している。
くるまにも乗せた。
3人を見送り仕事に向かった。
そして6月1日の携帯にきずいた14時30分頃。
12時24分。
12時49分
12時50分
何たる事。
「午前中に家から病院にきた。急に様態が悪くなった・・」
「悪い!皆を呼び寄せた・・」
病院に行くが部屋には入らない。
外で十二分解る。
兄達からの叱責はキツイ!
・・・・
「そんなはずは・・ない!」
「元気がでてきてた・・・」
病院から逃出す。
干潮は夜の10時過ぎ。時間はまだ有る。
明日の干潮は23時。
今夜が凌げるか
14時過ぎ対面から白く覆われて一人は去ったのを見ている。
いまいましい天候目!
瞼に浮かぶ。
夕方病院にいくと誰も居ない。
逝くのが早すぎたろう/
消してしまいたい衝動の自分のブログ。
小泉改革あらゆるところの競争。
皮肉ではないか。競争はたくさん。
小泉政治の継承者が精神的に参ってしまった。
「総理の隋行医歴代総理の脈を取って」がタイミングよく大和書房から刊(で)た。
医師・水町重範ノリは46年生まれの岐阜県の人。
安倍の祖父岸の妻良子は医者嫌いであったが32歳になる水町の在宅治療は受け入れた。
最後まで自宅での治療が受け入れられた。
岸は「そうなんじゃな」と山口弁もでるほど水町医師を信頼ことばで話し、家に置いた。
「わしは巣鴨のプリンスホテルで鍛えた」と豪語し健康体であった。
87年90歳で逝く。
安倍晋太郎は気さくに人間の幅のある人であった。
外務大臣でインドにあるときに急に腹痛と下痢が襲った。
事前挨拶の場で中曽根総理にヤギノミルクが出された。
匂いをかいだだけで大臣!と安倍に渡しやむえず飲まざる得なかった。
点滴中「あのヤギノミルクを総理が俺に回すからと」恨めしそうにいった。
ゴルバチョフと会うときは激やせで下着を重ね着して会談に臨んだ。
91年すい臓ガンで逝った。
安倍信三は祖父、父の気力体力を自分の身を比較して熟知していた。
9・24の病院での真相のインタビュー
政権を投げ出された国民をシラケさせた
体力の限界で投げ出さざる得なかったことと単純であった。
辞任の引き合いに出された小沢一郎もとんだとばっちりである。
クーデター説の麻生、与謝野にしてもそうであった。
早口になるのは緊張したとき。
外遊先から入院して身を引く状態であれば未だしもよかったが
ギリギリまで職務を果たそうとした。
病状を世間に伏せ体調不調を長引かせる。
病気引責での投げ出し政権の汚名責任は今では前首相だけか一人で背負っている。
周りの人々になぜにこうまでになる以前にストップできなかったのか。
魑魅魍魎の権力機構がなさせた敗北を執らないことから始まったつまずき。
亀裂は生命までに及ぶ深まりと成っていた。
2週間の空白はテロ特措法にいよいよ日にちをなくしてしまった。
教育三法、防衛省の昇格。憲法改正の投票法。
そりゃぁ〜これほどまでにやれば神の国、罰も当たろう。
正規なる手続きたる選挙の洗礼さえ受けていないのに法案だけ成立させている。。
敗北した参議院選挙なんて選挙ではないらしいの論意からだ。
小泉安倍の土俵の衆議院権力の選挙の洗礼無しのやりたい放題。
選挙の洗礼さえ受けていない。
国民の付託もないのに戦後レジームの脱却を果たしえた。
女王なら許されようが宰相には認められてない。
復活!九州地区ブログランキング参加!
・・・元気ください・・・
お願いいたします
プチッ!
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マスコミで国家が動くのもどうかとは思う。
皇紀2600年太平洋戦争突入前に宮崎は時代の寵児になったことが見受けられる。
八紘一宇のイデオロギー感での国つくりのお話の元になる県ゆえ
聖地参りみたいなもので沸いたんだろう。
天孫降臨の高千穂町には古事記日本書紀の物語の地があちこちにある。
興梠英樹(65)は大學で教鞭をとるこの地の人。
高千穂・三田井から氏のいわれをルーツとして読み取ろうと狩猟
興梠こうろきの里
興梠こうろき山
興梠こうろきの内裏
地名にこれらがあることを見届ける。
興梠
天皇の祖先の男性神を指す古語
神漏伎かむろきの変化
荒立神として進出してきた三田井氏の高千穂太郎との確執
神殿(こうどの)
神こう
祝詞などでは平安時代にかむろき、かむろぎが既に並立
こうろぎを嫌ってこうろきとした。
新聞記事が教える字体の大切さ。
自らの命の旅路でもある。
「万葉集」巻20には、東国から遠く九州に送られた防人の歌が収められている。
父母(ちちはは)が 頭(かしら)かき撫(な)で幸(さ)くあれて
言ひし言葉ぜ 忘れかねつる。
私の頭を撫でて、「無事でいるのだよ」と告げた両親の言葉が忘れられない
「母」の語に原文は「波波」の字をあててるそうだ。
運命の荒波に引き裂かれた親子の悲しみが一首に匂うようである一つひとつの字が放つ匂いは、1字で1音を表す万葉仮名の魅力だろう
「夜真」(山)という字を見つめていると、
月も星もない闇夜に身を横たえた山容が瞼に浮かぶ。
奈良の昔に紫香楽宮(しがらきのみや)があった滋賀県甲賀市の遺跡から、万葉歌の木簡が初めて見つかった。
巻16の中の一首で、「夜」「真」など7文字が判読できる
、いまは木簡に残るかすかな墨痕を眺めつつ、万葉びとが言葉というものに注いだ一途なまなざしに思いを寄せるのもいい
万葉集には「恋」という言葉に、「古非」や「古比」に交じって「孤悲」とあてた歌もあるらしい。
なるほど、いつの世もひとり悲しむものである。
「親男」という字を見つめていると、じ〜んと胸奥深く突き刺さる。
正確に読める人は無かろう。
これからはもう生で呼ぶことは出来ない。
「プ〜ッ、ブ〜ブ〜、ブブっ〜」やった!やった。!
パンぱん張ったるお腹をさすりサスリ言う。
「あにきヨ〜ガンバッテン・・出っト〜ジャァねっか・・」
あさの5時頃、歩くとでもなく伝って同じ部屋内のトイレに向かう。
「ヨッ・・キテェン・・・」「どんげか〜」
「出たッか〜流すな〜」
「オおッ〜出た!やったすげェ〜ぞ!テゲナ量じゃネ〜か〜」
「どら〜しりあぎっ〜」
水で洗うのを嫌がるのでテッシュで拭く。
「ヤッタネェ・・なんちぶりカッ・・」
再度大事に手にとらんがばかりに見つめる。
ほんの少し軟いだけで緑がかっているだけ。
150グラムは越えていよう。
あさの看護婦さんの記録とりの問診の回診。
「どうですか・・おシッコははありましたか。」
「はいっ!」
「お通じは・・・」
「出・・まし・・」
看護婦さんには得意そうに言ってる兄貴。
「看護婦さん!200グラム!すごかったですよ。」
「よかったですね。」
5月29日のことだ。
嬉しくて仕事を休んで一日中病室に居た。
昼食は期待にこたえてくれた。
この何日で食したの見たの初めて。
ソバの昼食をほとんど食った。
持込の刺身を五切れも食った!
メロンも一番端っこは包丁が綺麗に入ってなく
慌てて必死で取りやすくしてやる。
先日は半分だけ食っただけだったのに。
妻たる姐さんは笑って見ておられる。
こりゃぁ〜良くなりよる。
翌30日もあさ4時トイレ!ところが・・水便
「きちっ!」
ベッドで両手をつき膝で支えての姿勢。
「なにやってんだろ?」
一時間後今度は昨朝と同じような便で昨日より量は少ないが
健康人の少量クラス。
ガスも出た。ブッ〜
「おおッ!いいぞ!イイゾ・・」
「ニャリッ・・」
バツ悪そうに恥ずかしそう。
かわいい〜とさえ思えるほど素直な純なる顔。
付添い人用のベッドを貸し出してもらう。
この1週間で初めて横になる。
下着を取り裸になってて慌ててタオルケットを
体温を見ながら着せた。
31日娘が遠くより帰ってきた。
旦那さんに挨拶一つできず、病状をしゃべる。
家につれて帰り、風呂に入れるという。
身も爽快。健康度の体力はすこぶる好調。
ただ気力が萎えていた
「どうも・・ガンにまけよるごたる。。」
「そう?か〜足の腫れははなくなったし、ポッポッしてた熱もとれてきたジャァねぇか〜」
「後は・・腹の腫れだけじゃぁが〜ウンチ・シッコはで出したし、それもヨ〜ナルジャァロ〜」
「帰るワイ〜い・」
「なんすっとか・・」
両手で指を動かす仕草。
笑い気味がほほえましい。
「ホッ!パソコンすっとじゃぁねげなぁ〜」
4人一同笑いが堪えきれない
「ルン・・ルン・・ルン・・」
・・いやぁ午後は仕事ジャァ〜・・~
車イスに乗ると一人でタイヤを回し自分でエレベーターに向かっている。
娘が直ぐに来て押している。
くるまにも乗せた。
3人を見送り仕事に向かった。
そして6月1日の携帯にきずいた14時30分頃。
12時24分。
12時49分
12時50分
何たる事。
「午前中に家から病院にきた。急に様態が悪くなった・・」
「悪い!皆を呼び寄せた・・」
病院に行くが部屋には入らない。
外で十二分解る。
兄達からの叱責はキツイ!
・・・・
「そんなはずは・・ない!」
「元気がでてきてた・・・」
病院から逃出す。
干潮は夜の10時過ぎ。時間はまだ有る。
明日の干潮は23時。
今夜が凌げるか
14時過ぎ対面から白く覆われて一人は去ったのを見ている。
いまいましい天候目!
瞼に浮かぶ。
夕方病院にいくと誰も居ない。
逝くのが早すぎたろう/
消してしまいたい衝動の自分のブログ。
小泉改革あらゆるところの競争。
皮肉ではないか。競争はたくさん。
小泉政治の継承者が精神的に参ってしまった。
「総理の隋行医歴代総理の脈を取って」がタイミングよく大和書房から刊(で)た。
医師・水町重範ノリは46年生まれの岐阜県の人。
安倍の祖父岸の妻良子は医者嫌いであったが32歳になる水町の在宅治療は受け入れた。
最後まで自宅での治療が受け入れられた。
岸は「そうなんじゃな」と山口弁もでるほど水町医師を信頼ことばで話し、家に置いた。
「わしは巣鴨のプリンスホテルで鍛えた」と豪語し健康体であった。
87年90歳で逝く。
安倍晋太郎は気さくに人間の幅のある人であった。
外務大臣でインドにあるときに急に腹痛と下痢が襲った。
事前挨拶の場で中曽根総理にヤギノミルクが出された。
匂いをかいだだけで大臣!と安倍に渡しやむえず飲まざる得なかった。
点滴中「あのヤギノミルクを総理が俺に回すからと」恨めしそうにいった。
ゴルバチョフと会うときは激やせで下着を重ね着して会談に臨んだ。
91年すい臓ガンで逝った。
安倍信三は祖父、父の気力体力を自分の身を比較して熟知していた。
9・24の病院での真相のインタビュー
政権を投げ出された国民をシラケさせた
体力の限界で投げ出さざる得なかったことと単純であった。
辞任の引き合いに出された小沢一郎もとんだとばっちりである。
クーデター説の麻生、与謝野にしてもそうであった。
早口になるのは緊張したとき。
外遊先から入院して身を引く状態であれば未だしもよかったが
ギリギリまで職務を果たそうとした。
病状を世間に伏せ体調不調を長引かせる。
病気引責での投げ出し政権の汚名責任は今では前首相だけか一人で背負っている。
周りの人々になぜにこうまでになる以前にストップできなかったのか。
魑魅魍魎の権力機構がなさせた敗北を執らないことから始まったつまずき。
亀裂は生命までに及ぶ深まりと成っていた。
2週間の空白はテロ特措法にいよいよ日にちをなくしてしまった。
教育三法、防衛省の昇格。憲法改正の投票法。
そりゃぁ〜これほどまでにやれば神の国、罰も当たろう。
正規なる手続きたる選挙の洗礼さえ受けていないのに法案だけ成立させている。。
敗北した参議院選挙なんて選挙ではないらしいの論意からだ。
小泉安倍の土俵の衆議院権力の選挙の洗礼無しのやりたい放題。
選挙の洗礼さえ受けていない。
国民の付託もないのに戦後レジームの脱却を果たしえた。
女王なら許されようが宰相には認められてない。
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