さぁ〜て

2008年5月27日
今日の誕生日の花は・・エビネ
花言葉は・・・・・・・謙虚な恋

福田内閣の支持率の低さに愚直なまでのそっけなさが上げられる。
映像は無残にもその人の言動を針小膨大にも炙り出す。
映像は編集者やテレビ目的に合った形の人物像さえ作り出してしまう。

横浜検閲所で野菜粉砕作業に従事してる検閲官に聞く福田総理。
「・・八百屋さん・・・」
KY(空気が読めない)どこではない。
リップ・サービスがオジャン〜〜

陳情の人の説明
遺族の手紙を片手で受け取る。
「工夫して切り抜けていくことが大事だ」
・・・・アジャパ〜

「物価が上がる。しょうがないのだから・・」
桜を見る会でのインタビュー

東国原知事は昨日の自民党大会でしゃべる。
「5年で変わらねば私がひっくり返す。」
中央政治指向の馬脚をあらわす。

東国原知事は1週間6社のテレビに出演。
詳細には128番組22,5時間。

ただ良くやっている。
  風評被害の逆境を逆バネで5倍の売上の鶏肉。。
  07年4月〜12月観光客29万人を県庁に呼んだ。
  物産館の14倍の売上。

ただそれは、表面だけとの批判。
宮崎の友好求人倍率0,6、全国0,96
66件の倒産と昨年より22件増
経済的基礎はない。マスコミに依拠して
観光事業傾斜の一辺倒。

まぁ〜よくしゃべるわ・・

北島俊郎の著書から一分間の言葉数。

     一分間の言葉   計測
阿波加四郎 210 73歳時の黄金バッド
鈴木勝丸 400 68歳レコード盤
NHK昼のニュース460  実況
競馬の放送 700  実況
久米宏 800  実況
ツービート 640  実況
リガール
千太・万太 360 34年頃
徳川無声 250  ラジオ宮本武蔵  

「限界集落」という呼称の変更を、中山間地の人たちが希望している
「限界という表現は「寂しい」と。

宮崎では配慮なき言葉が相手の状況を考えず、いたるところで
無残な言葉がぶっつけられる。

全国では法の問題でなく事案として配慮されている

 京都府綾部市・・・「水源の里」、いち早く条例化して再生に着手。
 山口県では・・・・「小規模・高齢化集落」と言い換え、
 長野県では・・・・「生涯現役集落」との乎称。

官庁の農水省・・・・「無住化危惧集落」
   国交省・・・・「維持・存続が危ぶまれる集落」。

 もちろん言い換えて問題が解決するわけではない。
「過疎」の段階をはるかに超え、より深刻な集落状況を表す
「限界」という言葉の内実は何も変わらない。
だがこの学問的概念には、当事者の「切実な思い」が反映されていない。

健康保険の改悪に野党から対決法案が提出された。
75歳以上の健康保険の「前期・後期高齢者・・・」

これでは姥捨てやまだ・・と時代がかった言葉が乱れ飛ぶ。

 「一体何をもって限界というのだろうか。
人が多くても町にはない『和』と『共同』と
山に住む『誇り』を持つ人々の姿に限界などありません」。

地元紙が門川町、坂本玲子さん(52)の言葉を伝える。
妹が住む諸塚村立岩の祭りを見ての感慨からのこと。 

小田切徳美・明治大農学部教授。
「中山間地には人、土地、地域社会の3段階の空洞化がある。
   4つ目の「誇りの空洞化」が加わると危機的になる。
        何としても阻止したい」。

 山本直之・宮崎大農学部教授
「本質を覆い隠さずに、例えば『要振興集落』のような言い換えは必要」。
、中山間地の人の「おらがムラ」の誇りは宝だ。
  言葉が心の資源を奪ってはなるまい。

もの言えば・・唇さむし・・言論風圧の状況は映画靖国の上映中止だけでなく
ブログの世界にさえチェックでの恐怖として自由闊達なる表現を奪っている。
職場はモット酷い。
会社発展の讒言、行為であろうと即刻その場での首だとの結論に至る。
世相万事が之で歴史の隠喩で表現せざる得ない状況が続いている。

人物は西郷隆盛に尽きる。
菅原道真も源義経も南方熊楠さえも睥睨させよう。
敬天愛人の生き様が日本人にあう。
清濁併せ呑むおおらかさが右翼左翼から日本人の原点とされてるところである。

頭山満、北一輝、赤報隊相良総三、宮崎淫天、四元義隆、児玉誉士夫、鈴木邦男
安岡正篤、重信房子、土井たか子・・志し高き人に全国に四つもある南州神社を奉じない人はいない。
戊辰戦争敗者の大将榎本武揚さえ明治政府の要人にむかえいれ、酔っ払いさえ封印したのも南州翁。

戦後60年代多くの学生青年はこの国の将来を政治行動に託し自分も国会周辺に身を置いたものだ。
北小路敏、盲目の黒田寛一らの初期ブンドは前衛党まで昇華してしまった。
浅間山荘の悲劇は日本の民主主義の悲劇であった。

ションベン小僧は小市民的退廃民主主義を喝破し感心している。
サピオ小林よしのり風のご意見は共感を得よう。

新しき文化の創造期たるブログ文化の欠けてるもの。
ブロガーはやさしくあれ!である。
匿名性も有り日本人が試されている。

日本で初の電子計算機は1956年(昭和31年)に生まれている
開発したのは電機メーカーではない。
新聞がおしえてくれた。
富士フイルムである

カメラには屈折率の異なるレンズを何枚も使う
、最適の組み合わせを計算するのが大変で、当時は専門家を動員して数か月かかったという。

必要は発明の母、手間を省きたい一心が国産第1号に結晶したらしい

レンズとはそれほど複雑なのだろう.
人の目も一種のレンズだが、こちらは作り方より使い方、
とりわけ人物鑑定の目配りがむずかしい。

あとでお目が高いと褒められることもあれば、
目の曇りを批判されることもある

富士フイルムホールディングス社長、古森重隆氏の場合がどちらになるかはまだ分からない。
委員長を務めるNHK経営委員会でNHKの会長に福地茂雄・アサヒビール相談役を選出した人。
当然、委員長の強い意向が働いての人選

その過程では、一部委員が古森委員長の議事進行を
「独断的」だとして抗議の記者会見を開く異例の出来事もあった。

組織を掌握し、仕事を通じて答えは出る。
ピンぼけは許されない。

私的けいざいの蓄積に無縁の職場の9ヶ月であった.
巷の世相を一身にに感じて生きた否!生き延びた執念の時期であった。
百万巻の書で学べぬものを教えていただいたよりよき最良の職場。

辛きを辛抱してふふ〜んと笑い飛ばして
神の来復をひたすら待った大変な修行であった。

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