みどりの日

2008年5月4日
土曜日、5月3日夕方の、TBS系列の「報道特集」で岡本公三(62)の映像が流れたのには驚いた。
テレアビブ空港の銃乱射の無差別殺人鬼の国際指名手配者。

ただ、牢獄中精神を病んでて年齢からみて歩行も満足にないが特異な宗教民族国家アラブでは
英雄扱いのようで逃走中の雰囲気はない。

坂東國男と合うためレバノン・ベイルートへと
映像は変わって期待を持たせるが果たせずのレポート。
実は合ってるが高度の政治判断でカットされたとも予測した。
なんか流れから変?

9回までノーヒットでワンアウトまで来てて巨人に負けたる
昨夜のヤクルトみたいで、何処か変。?

昭和47年の浅間山荘事件が学園紛争の到達点には
なんらかの形で加わった団塊の世代にはどうにも釈然としないこの問題。
テレビ画面に悶え苦しむ魂に哀悼の意が剥き出しにさらけだされた共通項。

先般1972年の連合赤軍による浅間山荘籠城事件のドキュメンタリー映画「突入せよ」は
為政者側から表面的に映像化された。
佐々淳行の『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文藝春秋社刊)が元ネタ。
熊本の殿様。秀吉の無二の親友でありながらお家断絶の大名佐々淳家のDNAであるゆえ仕方ない。

若松孝二監督「実録・連合赤軍」
悠然とピンク映画界に名を残すがそこでの収斂の結果、金字塔を打ち立てた。

若松孝二の名は日本赤軍の黒幕として伝えられ、警察の執拗な家宅捜索を受ける
その噂がときには映画の制作を妨げた。
いまだにアメリカへ入国できないのは、アメリカ政府から“国際テロリスト”とみなされているためだ。
若松孝二は表現者であるが故に、自ら感じた国家権力へのその怒りを忘れない。

京大西部講堂で先行上映され、
5月24日の宮崎キネマ館。

映画「実録・連合赤軍」の一場面。
冬山の中、浅間山荘へ追いつめられる
 1972年の浅間山荘事件に至るまでの連合赤軍の軌跡を、時代背景を踏まえ忠実に再現した
 あさま山荘への道程。

 映画は、上映時間3時間10分の大作。
60年代のベトナム反戦や安保闘争から
新左翼運動の活動をひも解き、武装闘争による革命を志
して山岳アジトに向かった若者たちの姿をドキュメンタリータッチでつづっている。

「第58回ベルリン国際映画祭フォーラム部門」で
最優秀アジア映画賞と
国際芸術映画評論連盟賞をダブル受賞。

山田洋次監督の「かあべぇ」などが参加するコンペディション部門の授賞式。
しかし、プレゼンテーターの口に「かあべぇ」という言葉が上ることは、ついにありません。

新人賞の熊坂出監督「パーク アンド ラブホテル」、
パノラマ部門の荻上直子監督「めがね」

当事者塩見孝也も絶賛である事を自身のブログにある。
・・・・・
連合赤軍事件とその光と影は実に描きにくい対象です。
それを、実現するには、近、現代史への、透徹した見識、歴史観が必要で、今まで、この課題に優れた数々の映画監督が幾度も挑戦したも
のの、その映像化を許さなかった程の対象でした。
ドストエフスキーが幾人居ても、描けないほど、連合赤軍事件は、人を寄せ付けないような、エベレストを越えた、さらに峻厳なる高峰と
して聳立していたのでした。
それを、若松監督は見事、やり遂げた、と言って良いと思います。
「当事者」の僕としては、このような映画を、亡くなった同志達、今も獄で苦しみながら、不屈に闘い続けている同志達、傷ついて今も彷徨している人々、外国の地で、祖国日本を憧憬しつつも、帰れず、今も苦闘している同志達、連合赤軍事件の真相を知りたいと真剣に調査、研究している若い人達に対する、何よりもものはなむけ、鼓舞激励の作品と解したいと思います。
重ねて、監督にありがとうと言いたいです。
もっと、大きな視野で捉えれば、連赤事件というドラマは、日本,否、世界の民衆運動の成熟程度をシンボライズする事件でありますからこの過去の成熟程度を、民衆自身が乗り越え、新しい成熟段階に到達しない限り、或いは、その門口、端緒に立たない限り、もっと言えば、そういった萌芽の諸現象を、人間的感性の鋭さとトータルな見識、教養に於いて、捉え切る予兆能力を持った、確かな芸術家が輩出しない限り、どうしても全面的には描けない対象だと思います。
あれ以降の後退戦、迷妄が社会と民衆全体を覆っていた、約30年間を経て、心ある人々が、苦節の中で、やっとトータルな思想的、政治的視野、布陣を先駆的に獲得し始めた時、それが伝播し合う中でしか、映像化し得ない対象です。
霧が晴れ始めた時、過去が見え始め、同時に未来が見え始め、現在の位置が正確に掴め始めます。 ・・・・

ドキュメンタリー映画「実録・連合赤軍」には内部からの映像化がスクリーンに投影された。
凄惨なる革命の美名の下のリンチで撲殺さる目の前の兄を救えない弟。
「勇気がなかった。」

篭城のためでの食糧管理下、お菓子を盗み喰いし、「総括」を迫られ、
「センベイ一枚に革命があるというのか!」
機動隊との乱射銃撃戦の最中の幹部と組織決定にはぐれるものとの確執と容赦ない激論。

国内での革命運動と精鋭化したセクト手段内部の凄惨なるリンチ殺人事件も暴かれた。
相撲界の先のリンチ死の力士みたいなもの。

国際的革命への分派運動の一つが国際連合赤軍。
改革運動は霧散塵散し大衆の意見を集束すべき政党もその機能を果たしえなかった。

主体性無き浮遊する米追従一辺倒のみの国家となってしまった。
さらに一皮剥かれた社会主義国の実態は独裁者の天国国家。

理想社会の瓦解は反社会主義のキャンペーン通りでもあり、
反共のレッテルとの思想闘争で凌いできた側の
イデオロギー闘争の終焉の決着は大きかった。
政治運動のみならず、哲学や文学もその社会的立場を失った。

社会を担ってきた団塊の世代が社会的定年を迎える。
民族年齢構成で最大を占める戦後ウメや増やせよで生み出された世代。

次世代につなぐ次なる若者世代はどうしているのか。
運動をつなぎきれなかった苦悩の世代でもある。

37年後の東大、東京芸大、京大で3月末〜4月初め。
思想界に君臨するアントニオ・ネグリのシンポジュームが
本人の来日が実現できない中、開催され会場はそれでも満席。

「芸術派天使の産物などではない。
  すべてのひとがみな天使であるということの肯定なのだ。」

ネグリの言う「日曜画家」
労働そして搾取としての工場と
芸術者の自由の場の日曜の字義通りのカンバス。

日曜画家はもはや存在しないであろう
ネグリの主張である。

工場という棺おけに閉じ込められるのはゴメンだ。
これからは好きな時間に好きな場所で働きたい。
好きな時間で好きな絵を描きたい。

68年5月。
労働者や学生達は新たな労働のあり方を勝ち取った。

しかし70年代初めにはそれは経営者に都合のいい形にそのままそっくり吸収された。
いつでもどこでも人々を働かさせるための装置として。

工場の社会化。
こうした事態のネグリの呼び方。

工場というカンバスにすっぽり社会全体が飲み込まれた。
「マルチュード」と呼ぶ。
私たち全員の呼び名である。

日曜日だって携帯で仕事に借り出され、
自宅にはパソコンで自発的仕事を続けるよう強要されている。

工場の社会化と労働の質的変容にその可能性を見出す。
知性や感性が労働の中心になりつつある。

一人一人の頭脳それ自体が不変資本、生産手段になりつつある。
経営者によって準備された設備や機械に頼らなくても
自分達だけで生産しうるということである。

経営者の方こそが私たちに寄生しなければ、
取り分を確保できない状況にある。

みな天使であり、経営者はこの天使達の創造的工場に
資本のブェールを被せただけ。でしか延命の道はない。

マルチュードは社会化した工場の下社会化した芸術がある。
創造力に満ちた己探しを初めry時期に来ている。

団塊の世代が無垢の行動でベトナム戦争反対!公平なる配分と
目指したる到達点がネグリの思想で完成される。

廣瀬純竜谷大教授訳書「未来派左翼・・グローバル民主主義の可能性を探る」
ネグリ著に詳しい。

団塊世代の社会的総退場。とインターネットの普及の現状。
マルチュードに芸術は可能か。
ネグリを見ることさえ出来なかった国の未来は暗惇、混沌としている。

ガソリン国会を逃げ切った福田内閣は次なる課題は医療制度。
小泉改革なるものの実行化の冷や飯食い。

年間百万の死、最後にいたるあり方の75歳以上はいかようにあるべきか。
金の切れ目が人間の尊厳性の切れ目たる医療制度に表現されている国家。。。
終末期医療の国の責務は医療制度の簡略化であるに過ぎない。

みどりの日というが国家制度合ってのことであろう。
安全安心なくしてこのテーマでの休日はない。

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