聖火りれー
2008年4月20日精神状態が尋常ではない。
三度目のチャンピオンベルトを巻きつづけることが出きるか
地元宮崎での会場を選定して凱旋勝利を目論んでいたが、
ウェルター級チャンピオン湯場がKO負けした。
地元民としての悔しさは昇華してスポーツの清清しさで納得させられている。
象徴たるはオリンピックであろうがどうにも趣が違うようだ。
、北京五輪の26日の長野でのオリンピック聖火リレーが紛糾し始めた
聖火に胸ときめかせた経験を持つ世代は、そもそも聖火をやる必要があるのであろうか疑問である。
善光寺の出発点返上には近頃の日本にないスッキリした思いを持つ。
これも過去の経験則が生きたのか。
東京オリンピックのときは宮崎が聖火の出発点であった。
昭和15年紀元2600年の戦争の記憶を見届けてきたモニュメントの八紘台の途中にハニワの聖火台が設置され歴史の織り成す平和の光景が全国、全世界に届けられた。
八紘一宇の侵略の思想のシンボル塔に平和の白き使者の鳩がが澄んだ青い空に夜空の満月に飛んだ。
まさに歴史を秘めた宮崎ならではの出来事であった。
こよいは東の空に満月が昇る。
月の出と日の入りは、ほぼ同じになる。
菜の花や月は東に日は西に
と蕪村が詠んだのは、いまごろのことか。
東の空には「おぼろの満月」が浮かあの日の再現の普遍の月日の連続性。
冬の夜の「冴(さ)え」に対し、春の宵は「おぼろ」である。
湿気を含んで潤んだ大気が、ものうい気分をかもし出す。
昼間は霞と言い、日が落ちてからを「おぼろ」
太陰暦民族の血が騒ぐ満月夜の朧月である。
満月をとってくれとはわが子かな。
長野五輪では10年前の2月7日。
天女に扮した点火者の伊藤みどりに聖火を引き継いだ最終聖火ランナーの一人が義足のマラソンランナー、クリス・ムーンであったと新聞が伝え記憶が蘇る。
「地雷禁止国際キャンペーン」がノーベル平和賞を受賞したのがヒント。
英国生まれで陸軍退役後、非政府組織活動に入り、95年にモザンビークで地雷撤去作業中に地雷が爆発、右手と右脚の下部を失った。だがムーンさんは義足で走ることで、かえって対人地雷廃絶を世界中に強くアピールできるようになった
長野が「平和の願い」を聖火に託すことに成功したあの日。
まだ神の力の善光寺さんの力を借りずに運営されたオリンピック。
信濃の人々のお国の自慢は善光寺さん。
奇怪なる字体発音での「牛に引かれて善光寺参り」その教えでの国。
牛に引かれて・・牛車?・・公家の乗り物?
理解しがたき知られわたる言葉。
流石に学問教育の県。長野らしさ。
昔、信濃の国小諸=長野県に強欲でけちな老婆がいた。
ある日、川にさらしていた白布を牛が角に引っかけて逃げた。
老婆が後を追いかけると、そこは善光寺の境内。
如来堂に入ると牛はいなかったが、白布が観世音菩薩の首に掛かっていた。老婆は仏様が善光寺へ導いてくれたことを知り、悪行を反省して仏恩に感謝した…。
有名な「牛に引かれて善光寺参り」のいわれである。
転じて、幸運は偶然にめぐってくることも指す。
このように書くことでご利益にあやかりたいものだが
されど遠く如何ともしがたい。
かって日向西都の先人はくじ引きでムラの総代で関東人の富士参りみたいに金毘羅さんともども善光寺さんを参った。
貧乏人同士の生活の知恵たる助け合いでの代表者を通じて夢の実現は農耕民族の知恵でもあった賢き先哲の生活ぶりで今に生かしたい。
無宗派だけに全国の善男善女の尊崇を集め、お参りは古くから庶民の夢。
「遠くとも一度は詣まいれ善光寺」の言葉がそれだ。
善光寺=長野市で、本堂下の真っ暗な通路を回る「戒壇巡り」を体験された方々少なくないだろう。
その「庶民の仏様」が怒った。
「チベットの仏教者が立ち上がり、それに対する弾圧が行われ、憂慮していた」。
同じ仏教者として苦渋の決断だったのは想像に難くない。
法衣で会見した僧侶の表情から、あの「善光寺さん」の穏やかさは
消えている。
芸ではない真剣さは法衣と言うドクトクのファションも手伝ってダライラマを髣髴させる。
円生百選に古典落語「お血脈」はある。
信濃の善光寺が参詣者に授ける「おけちみゃく血脈のごいん御印」は御利益が絶大で、いただいた人は皆、極楽往生してしまう。
地獄がさびれて困った閻魔さまは、石川五右衛門に御印を盗むよう命じた
信濃の善光寺ゆえ相応しきお噺
仏語の「血脈」は仏道の教えがお釈迦さまから弟子へ、そのまた弟子へ代々伝えられることを血縁にたとえた言葉である。
仏道では仏・法・僧を「三宝」と呼ぶ
「世の中は三つの“ほう”で治まるようで…」
「仏法、鉄砲、女房でございます」と客席をくすぐる高座の円楽師匠が髣髴。。
強くなり過ぎたる女房はさておき、鉄砲で仏法を治めるようなことがあってはならない。
オリンピックのシンボルたる聖火リレーが通常でないのはここにある。
平和国家に住んでるのは元気の名古屋の良心平和のイラク派遣違憲判決もあり、実に有難い
。政府にとってもチベット族の住民にとっても、
善光寺にとってチベット仏教の僧侶たちは血を分けた同胞なんだろう
混乱の収拾に御利益のある「御印」は対話のみである。
三度目のチャンピオンベルトを巻きつづけることが出きるか
地元宮崎での会場を選定して凱旋勝利を目論んでいたが、
ウェルター級チャンピオン湯場がKO負けした。
地元民としての悔しさは昇華してスポーツの清清しさで納得させられている。
象徴たるはオリンピックであろうがどうにも趣が違うようだ。
、北京五輪の26日の長野でのオリンピック聖火リレーが紛糾し始めた
聖火に胸ときめかせた経験を持つ世代は、そもそも聖火をやる必要があるのであろうか疑問である。
善光寺の出発点返上には近頃の日本にないスッキリした思いを持つ。
これも過去の経験則が生きたのか。
東京オリンピックのときは宮崎が聖火の出発点であった。
昭和15年紀元2600年の戦争の記憶を見届けてきたモニュメントの八紘台の途中にハニワの聖火台が設置され歴史の織り成す平和の光景が全国、全世界に届けられた。
八紘一宇の侵略の思想のシンボル塔に平和の白き使者の鳩がが澄んだ青い空に夜空の満月に飛んだ。
まさに歴史を秘めた宮崎ならではの出来事であった。
こよいは東の空に満月が昇る。
月の出と日の入りは、ほぼ同じになる。
菜の花や月は東に日は西に
と蕪村が詠んだのは、いまごろのことか。
東の空には「おぼろの満月」が浮かあの日の再現の普遍の月日の連続性。
冬の夜の「冴(さ)え」に対し、春の宵は「おぼろ」である。
湿気を含んで潤んだ大気が、ものうい気分をかもし出す。
昼間は霞と言い、日が落ちてからを「おぼろ」
太陰暦民族の血が騒ぐ満月夜の朧月である。
満月をとってくれとはわが子かな。
長野五輪では10年前の2月7日。
天女に扮した点火者の伊藤みどりに聖火を引き継いだ最終聖火ランナーの一人が義足のマラソンランナー、クリス・ムーンであったと新聞が伝え記憶が蘇る。
「地雷禁止国際キャンペーン」がノーベル平和賞を受賞したのがヒント。
英国生まれで陸軍退役後、非政府組織活動に入り、95年にモザンビークで地雷撤去作業中に地雷が爆発、右手と右脚の下部を失った。だがムーンさんは義足で走ることで、かえって対人地雷廃絶を世界中に強くアピールできるようになった
長野が「平和の願い」を聖火に託すことに成功したあの日。
まだ神の力の善光寺さんの力を借りずに運営されたオリンピック。
信濃の人々のお国の自慢は善光寺さん。
奇怪なる字体発音での「牛に引かれて善光寺参り」その教えでの国。
牛に引かれて・・牛車?・・公家の乗り物?
理解しがたき知られわたる言葉。
流石に学問教育の県。長野らしさ。
昔、信濃の国小諸=長野県に強欲でけちな老婆がいた。
ある日、川にさらしていた白布を牛が角に引っかけて逃げた。
老婆が後を追いかけると、そこは善光寺の境内。
如来堂に入ると牛はいなかったが、白布が観世音菩薩の首に掛かっていた。老婆は仏様が善光寺へ導いてくれたことを知り、悪行を反省して仏恩に感謝した…。
有名な「牛に引かれて善光寺参り」のいわれである。
転じて、幸運は偶然にめぐってくることも指す。
このように書くことでご利益にあやかりたいものだが
されど遠く如何ともしがたい。
かって日向西都の先人はくじ引きでムラの総代で関東人の富士参りみたいに金毘羅さんともども善光寺さんを参った。
貧乏人同士の生活の知恵たる助け合いでの代表者を通じて夢の実現は農耕民族の知恵でもあった賢き先哲の生活ぶりで今に生かしたい。
無宗派だけに全国の善男善女の尊崇を集め、お参りは古くから庶民の夢。
「遠くとも一度は詣まいれ善光寺」の言葉がそれだ。
善光寺=長野市で、本堂下の真っ暗な通路を回る「戒壇巡り」を体験された方々少なくないだろう。
その「庶民の仏様」が怒った。
「チベットの仏教者が立ち上がり、それに対する弾圧が行われ、憂慮していた」。
同じ仏教者として苦渋の決断だったのは想像に難くない。
法衣で会見した僧侶の表情から、あの「善光寺さん」の穏やかさは
消えている。
芸ではない真剣さは法衣と言うドクトクのファションも手伝ってダライラマを髣髴させる。
円生百選に古典落語「お血脈」はある。
信濃の善光寺が参詣者に授ける「おけちみゃく血脈のごいん御印」は御利益が絶大で、いただいた人は皆、極楽往生してしまう。
地獄がさびれて困った閻魔さまは、石川五右衛門に御印を盗むよう命じた
信濃の善光寺ゆえ相応しきお噺
仏語の「血脈」は仏道の教えがお釈迦さまから弟子へ、そのまた弟子へ代々伝えられることを血縁にたとえた言葉である。
仏道では仏・法・僧を「三宝」と呼ぶ
「世の中は三つの“ほう”で治まるようで…」
「仏法、鉄砲、女房でございます」と客席をくすぐる高座の円楽師匠が髣髴。。
強くなり過ぎたる女房はさておき、鉄砲で仏法を治めるようなことがあってはならない。
オリンピックのシンボルたる聖火リレーが通常でないのはここにある。
平和国家に住んでるのは元気の名古屋の良心平和のイラク派遣違憲判決もあり、実に有難い
。政府にとってもチベット族の住民にとっても、
善光寺にとってチベット仏教の僧侶たちは血を分けた同胞なんだろう
混乱の収拾に御利益のある「御印」は対話のみである。
コメント