甘茶でカッポレ

2008年4月7日
江戸学は や!おもしろきや おぞましきや
お釈迦様でもないわいに。
たれがいわれをしるまいて。
ましてや日向の田舎人。
知るはずなし、語れるはず無しき。
おめでたきや お釈迦様にこう日。

出久根達郎、野口武彦と江戸学の達人の文章は一字一句見逃せぬ知の巨人で頼もしい。
古事記日本書紀の記紀の多くの舞台を占める日向人は興味を覚える記述がある。

新宿区下落合二丁目氷川神社はクシイイナタヒメノミコトを祀る
江戸名所図会では女体の宮と称した

高田の氷川明神はスサノウノミコトの男体の宮
一対にシテ夫婦の宮。
土俗には在原業平と二条后に配する誤伝も広まった。

女体社は関東一円に分布
由来は諸説あるが、立地条件周辺環境という点で顕著な特徴を持つ。
大部分が河川や用水に沿って鎮座する事実。

牛山佳吉著「小さき社の列島史」
船霊信仰との関連を指摘。
地名の落合は妙正寺川と神田川合流が語源。
それは全国共通で宮崎の落合姓も例外ではない。

古地図では他にもいくつもの支流細流が二つの川に注ぎ込んでおり、
このあたり一体が水郷というほどの湿地帯であった事を意味している。

東京は人の住めない湿地帯。
そして痩せこけた武蔵野台地。
秀吉の関東移封を家康は沼地解消で禄高増を目指し領地拡大と家臣に説いた。

治水工事で神田上水に整備される以前の古神田川。
ふだんは人と荷物を載せた上下する水路だがいったん大雨が降れば氾濫する原始の暴れ川の風景である。

川岸に船運を守ってくれる船霊様の社があって不思議はない。
船霊は女体と決まっている。
三遊亭円生の噺、三十石船の伸びある歌声からさえ豊穣の喜びを感ずる。、
時代劇ものの最もなる時代考証の船着場の風景を思い起こせばいい。

西武新宿線中井駅から妙正寺川に沿って歩くと
下落合駅少し過ぎたるところで川の流れは突然視界から蒸発する。

陰も形もなくなる。
NHKが以前放映したとおりである。
辰巳橋の小さな失地点からはっきり見える。

妙正寺川はそれから地下に潜り下流の高戸橋で神田川と合流するまで暗渠となる
川が姿を消す地点に鎮座が女体の社とは何か暗合じみて感動さえ覚ゆ。
コンクリートに閉じ込め地下に閉じ込めた水の気配が立ち上る。

近くにおとめ山がある。
ただし乙女でなくお鷹場の御留山だ。

この歴史は殿様の落語の噺の舞台でもある。
人情噺の三遊派でなくとも滑稽を真髄とする柳派のお家芸にも伝わる。
宮崎の人たる二代目小さんの笠碁、目黒のサンマの背景地。

チリトテチンが火をつけた落語ブームなんだそうな。
それにしても末広鈴本の4月の上中下席、香盤を見る限り学芸会程度。
新人のみを並べただけで出し物に工夫がない。

寄席側もなめられたものだ。
これでは独演会でしか落語は楽しめない。

より老舗鈴本に電車で移動すると福神漬けのお茶漬け程度の看板に誰が2500円も払うか。
若手中心で真打は漫才のあしたひろし順子ぐらい。
昼席トリに円生をしくじった川柳川柳程度。

当時のぬう生のときの著作の新書を思い出す。
懐かしきの歌の出し物はこの人の十八番。
三遊亭にあわぬ芸風ゆえやむ得ぬこと。
さりとて新作の雄・三遊亭円丈師匠までになれ得ば異端ながら円生も許したろうに
破門の意味が理解できてない川柳のそれでも懐かしき歌の芸。

鈴本の先の席亭鈴木肇、末広亭の先の席亭・北村銀太郎銀の書き残したる記録文。
地元江戸学に精通される博学で二冊の著書を読んだ記憶がある。
安藤鶴雄の旺文社文庫に納まる二冊も同様だ。

譚海(たんかい)に利根川の水中で暮らしてる人間のお話がある。

水辺でなく川の中に住む。
上流の布施から大宝のあたりで見られたという。

その人間は魚などを補食して水中に棲息し、五-60日ぐらい全く

水からでない。
よほど飢え迫られたときは
停泊中の船に食べ残しを乞うこともある。
船頭達が目のあたりにした事実であり、
決して河童や人魚のたぐいでなかった保証付きだ。

安永のはじめ1772年頃よく行き会ったがその後どこに言ったのか。
バッタリいなくなった。
奇怪な水棲人
正体はいまだ不明である。

利根川の水は縦横に張り巡らされた運河網で江戸の隅田川に繋がっている。
水路伝いに江戸に泳ぎ着いたら川に漂う溺死死体の多さに驚いた。

溺死者を土左衛門と呼ぶようになった起源
享保9年(1724)
番付けに見える成瀬川土左衛門
ブヨブヨ肥満、まるで水死人みたいと冗談にしたのに始まるそうだ。。

八百屋お七の芝居にでてくる土左衛門伝吉と言う役も
成瀬川に名を借りたもの。
山東京伝近世奇跡考が教える。。

黙阿弥の三人吉三
「見るたびに引き上げちゃ葬むるのでアダ名のように私が事を土左衛門爺伝吉といひます」
と名セリフ

この白浪劇、外題に吉三とあるように八百屋お七の世界が下敷き。
お嬢吉三振袖のお七の形をしている。

松浦静山著「続甲子夜話」
本所の水死堂の庵を建てた奇特な男の記事がある。

船頭の頃から隅田川に漂う水死人引き上げて葬っていた
腐乱死体のヒモの首に百両がゆあえてあったので発心。
その金でお堂を建てたというお話だ。
土左衛門伝吉のモデルやもしれない。

九死に蘇った人アリ。
柔道王たる日向の人・井上康生が首の皮一枚残し29日の場に賭けえた。
5月の国家の威信をかけ世界最高峰のチョモランマ(エベレスト8848M)に登頂する聖火リレー見たいなるもの。
チベットでの国威発揚が世界はどう受け取るか。

失ったものの回復ほど容易ではない。
唯一の道は清き生き様を真剣に晒すしかない。

江戸っ子は 皐月の鯉の吹流し 口先ばかりで、はらわたはなし。
ええぃ!甘茶でカッポレ!だい。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索