花のお江戸
2008年4月3日江戸学は日常生活言葉の江戸人の「粋」にある。
歌舞伎座の形なりは何も古風ぶってるからいいのではない。
それなら「主」不在の日銀本店でもいいではないか。
レンガの東京駅の本来の三階建てへの改築の必要はない。
御家人の片岡直次郎がそば屋の暖簾をくぐって言う。
「天で一本つけてくんねえ」。
もちろん抜けた形容詞の「苦み走ったいい男」である。
なにも弁当幕と揶揄され三段目の「淀九郎」に凄みを持たした演出は入らない。
河竹黙阿弥作
「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」の一場面が丁度頃よく掛るかかるがいい。
「天ぷらそばに燗酒を一本くれ」だと13文字。
どちらが粋で耳に心地よいか。
「天で一本つけてくんねえ」(11文字)
日本橋を含め界隈のその昔、歌舞伎座に
直次郎の芝居が掛かる日のそば屋は仕込みを増やしたという。
言葉とは不思議なものであることを新聞が教えてくれるので、有難く記憶にとどめる。
ブロガーは心に留め置くべし戒めでもあろう。
木曜日が一日ずれての行動のすり合わせが体に馴染まぬ不思議な経験である。
ゆえにチグハグの傷口がなおさら拡大してしまう。
何度あおうとも病的は変わらぬこと。
魑魅魍魎の世界で不思議が跋扈する巨大なるところに住みつづけると人間的感覚が麻痺しよう。
疎外なる単純なる言葉では説明もつかぬ。
この吊がわに手を結び立ち尽くす隣人一人知らぬ大都会はナンダ!
この状況に無縁なるスローライフ、シンプルライフ、清貧などの言葉がある。
シャルル・ヴァグネルは百年余り前、フランスの宗教家「簡素な生活」(講談社学術文庫)を書いた。
監修者祖田修・福井県立大学長。
「私たちは土から離れ、土の素朴な温もりや、匂いを忘れた」
昔に戻ることはできないから、自覚的に土と接する「着土」が大切だとヴァグネルにそって説く
「人との関係において善良な笑いを取り戻すことを、ヴァグネルとともに願わずにはいられない」、とも
茨城県土浦市で通行人らを次々と刃物で襲った24歳の男は、
ほとんど外出をせず、自室にこもってゲームに熱中していた。
父は外務省ノンキャリアまでマスコミは教えてくれる。
「青年に楽しみの機会を」という一項がある。
若者の健全な笑いは、未来に期待を抱かせてくれる
スローやシンプルは若者には似合わない。
爺の役割がそこに出てくる。
休載宣言は4/1日のジャズ・落語人シャレ遊びでもある。
これで検閲の恐怖が終わればよいのであるが。
図書館で煩悶手がかりもあった。
小説新潮4月号日記を書くについて著名人の日記の一部を呼んだ。
遠藤周作、吉行淳之介
新田二郎
五味康祐
立原正秋
山口瞳
坪田譲治
檀一雄
星新一
・・¥・・・・
嵐山光三郎
長谷部日出男
椎名誠
角田光代
・・・日記を論じて励ましとした。。
「週刊日本の歳時記」の創刊号に俳人宇多喜代子は
花見で疲れることを、「花疲れ」と解説した。
新聞記事にある。
先月から見られるようになった「季語と歳時記の会」のネット
「花疲れ」は検索で約700項目の季語で始め、
現在目標の5000項目に遠い1160なので、まだ載っていない。
「人出が多く、どことなく埃っぽいなかを歩きまわり
わが家に帰り着いたころにはすっかりくたびれてしまう」
故郷を持っての散策、異国の地の楽しきを実感する蕪村の心ね。
花に暮れて 我家遠き 野道かな。
何線であったか荻窪は終点でもある。
不覚にも酔いがカタコトの心地よき、慣れぬ環境で新宿を通過。
不信なる視線の乗員に目をくれず折り返しで慌てずに、一人すましていた。
田舎モン爺の開き直りの心臓は並ではない。
東京・荻窪の自宅に50年前、子供のための図書室「かつら文庫」をつくった石井桃子。
一番乗りは文芸春秋の巻頭言コラムを飾る父阿川弘之に連れられた6歳の尚ぼっちゃん。
檀フミと交誼の佐和子のことはない。
それから毎週日曜日、弁当を持って5年通い続けた慶応大教授の阿川尚之。
桃子のおばちゃんの方針は一貫して「どれでも好きな本を読みなさい」だったという
101歳までにはまだ少しの時間もあるが老いの足跡は実に怖い。
先月から見られるようになった
「季語と歳時記の会」のネット上の歳時記サイトで「花疲れ」。
約700項目の季語で始め、現在目標の5000項目に遠い1160なので、まだ載っていない。
実にしんどき疲れたる状態。
旅にやみ 夢はかれのを かけめぐり
歌舞伎座の形なりは何も古風ぶってるからいいのではない。
それなら「主」不在の日銀本店でもいいではないか。
レンガの東京駅の本来の三階建てへの改築の必要はない。
御家人の片岡直次郎がそば屋の暖簾をくぐって言う。
「天で一本つけてくんねえ」。
もちろん抜けた形容詞の「苦み走ったいい男」である。
なにも弁当幕と揶揄され三段目の「淀九郎」に凄みを持たした演出は入らない。
河竹黙阿弥作
「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」の一場面が丁度頃よく掛るかかるがいい。
「天ぷらそばに燗酒を一本くれ」だと13文字。
どちらが粋で耳に心地よいか。
「天で一本つけてくんねえ」(11文字)
日本橋を含め界隈のその昔、歌舞伎座に
直次郎の芝居が掛かる日のそば屋は仕込みを増やしたという。
言葉とは不思議なものであることを新聞が教えてくれるので、有難く記憶にとどめる。
ブロガーは心に留め置くべし戒めでもあろう。
木曜日が一日ずれての行動のすり合わせが体に馴染まぬ不思議な経験である。
ゆえにチグハグの傷口がなおさら拡大してしまう。
何度あおうとも病的は変わらぬこと。
魑魅魍魎の世界で不思議が跋扈する巨大なるところに住みつづけると人間的感覚が麻痺しよう。
疎外なる単純なる言葉では説明もつかぬ。
この吊がわに手を結び立ち尽くす隣人一人知らぬ大都会はナンダ!
この状況に無縁なるスローライフ、シンプルライフ、清貧などの言葉がある。
シャルル・ヴァグネルは百年余り前、フランスの宗教家「簡素な生活」(講談社学術文庫)を書いた。
監修者祖田修・福井県立大学長。
「私たちは土から離れ、土の素朴な温もりや、匂いを忘れた」
昔に戻ることはできないから、自覚的に土と接する「着土」が大切だとヴァグネルにそって説く
「人との関係において善良な笑いを取り戻すことを、ヴァグネルとともに願わずにはいられない」、とも
茨城県土浦市で通行人らを次々と刃物で襲った24歳の男は、
ほとんど外出をせず、自室にこもってゲームに熱中していた。
父は外務省ノンキャリアまでマスコミは教えてくれる。
「青年に楽しみの機会を」という一項がある。
若者の健全な笑いは、未来に期待を抱かせてくれる
スローやシンプルは若者には似合わない。
爺の役割がそこに出てくる。
休載宣言は4/1日のジャズ・落語人シャレ遊びでもある。
これで検閲の恐怖が終わればよいのであるが。
図書館で煩悶手がかりもあった。
小説新潮4月号日記を書くについて著名人の日記の一部を呼んだ。
遠藤周作、吉行淳之介
新田二郎
五味康祐
立原正秋
山口瞳
坪田譲治
檀一雄
星新一
・・¥・・・・
嵐山光三郎
長谷部日出男
椎名誠
角田光代
・・・日記を論じて励ましとした。。
「週刊日本の歳時記」の創刊号に俳人宇多喜代子は
花見で疲れることを、「花疲れ」と解説した。
新聞記事にある。
先月から見られるようになった「季語と歳時記の会」のネット
「花疲れ」は検索で約700項目の季語で始め、
現在目標の5000項目に遠い1160なので、まだ載っていない。
「人出が多く、どことなく埃っぽいなかを歩きまわり
わが家に帰り着いたころにはすっかりくたびれてしまう」
故郷を持っての散策、異国の地の楽しきを実感する蕪村の心ね。
花に暮れて 我家遠き 野道かな。
何線であったか荻窪は終点でもある。
不覚にも酔いがカタコトの心地よき、慣れぬ環境で新宿を通過。
不信なる視線の乗員に目をくれず折り返しで慌てずに、一人すましていた。
田舎モン爺の開き直りの心臓は並ではない。
東京・荻窪の自宅に50年前、子供のための図書室「かつら文庫」をつくった石井桃子。
一番乗りは文芸春秋の巻頭言コラムを飾る父阿川弘之に連れられた6歳の尚ぼっちゃん。
檀フミと交誼の佐和子のことはない。
それから毎週日曜日、弁当を持って5年通い続けた慶応大教授の阿川尚之。
桃子のおばちゃんの方針は一貫して「どれでも好きな本を読みなさい」だったという
101歳までにはまだ少しの時間もあるが老いの足跡は実に怖い。
先月から見られるようになった
「季語と歳時記の会」のネット上の歳時記サイトで「花疲れ」。
約700項目の季語で始め、現在目標の5000項目に遠い1160なので、まだ載っていない。
実にしんどき疲れたる状態。
旅にやみ 夢はかれのを かけめぐり
コメント