ちりゆくもの
2008年3月30日昨日の晴天は深夜から一転し本格的な雨模様に変わった。
花満開、桜咲く季節ゆえ恨めしい限り。
立花隆、筑紫哲也、立川談志・・・、知の巨人達が相次いでガンを公表。
死への恐怖を背に生への執着を克明に告白し日本人としての仕事論から
生き様を照下、勇気を与える。
データーから二年が限度の喉頭がんの談志師匠は倍以上生きその高座はますます円熟味が増している。
消え往こうとしてる至芸に磨きがかかり、人生の瞬間が惜しい。
本題から少々脱線するが義憤のことに触れたい。
落語文化復活の兆しのことだ。
隆盛を極めてた文化の講談浪曲の道を落語文化が辿ってはいないか心配である。
こことこの何度目かの落語ブームのようだ。
その中心に次世代への命をつなぐ若者が加わってるので嬉しい限りだが、
社会的経験不足からその社会的位置を高める視点が薄きことを懸念する。
NHKラジオ名人寄席は当代一の落語知識人・玉置宏(74)の豊富な人生経験で語られる珠玉の落語番組。
それが・・・消える。
2月10日放送された正蔵の大仏餅が
「1987年放送のTBSラジオで放送されたものではないか」
との好事家の指摘で責任をとり・・・玉置宏は降板。
チョットの手違いが、さも鬼の首でも取ったか如く針小膨大に伝えられ
時代を読めぬ落語好事家の若気の至りの英雄的行動が惜しまれる。
玉置宏が仲間内で語るには
関係者の使用許可を取ってない音源が含まれていて、
保存レコードの音源との取り違えがこうなったようで・・実に惜しい。口惜しい。
執拗なるものが異様にも自分のブログに今日のせきやんなる攻撃性を掲げ挑発してるのに似ている。
チョットの思考違いをあげつらい毎日論評する異様なる心理は活字媒体の持つ性格から恐怖である。
先行きの生命の危なさを感じる。
老い先なき者には生きてきた経験を伝えるにはムダな時間はない。
立花隆は文芸春秋誌上で克明に綴る手法で生を謳歌している。
特に時節柄ヘビースモーカーの筑紫哲也の説くタバコ論はいい。
老い先無く、棺おけに片足突っ込んでいる爺には人事ではない。
なにをなし、なにを後世人に託せるのか命の引継ぎ作業を団塊の世代は宿命的に背負っている。
あまりもの日本人の生きた論の世代間葛藤が生じてるからでもである。
28日放送でTBS系「NEWS23」が31日放送から、リニューアル、セットも一新と語られた。
「来週の番組リニューアルで、番組名からわたしの名前が消えます」と筑紫哲也(72)自信が発表した。
昨年5月、同番組で肺がんを告白。
現在は治療のため、重要ニュースがある時に限り「スペシャルアンカー」の形で不定期に出演中。
元共同通信編集局長の後藤謙次(58)がメーンキャスターを務めている。
ブログが伝える筑紫哲也の言葉は記憶にとどめ置かれらければ成らないもので含蓄がある。
2007年11月20日
「がんは面白い病気」と語れるようになった筑紫。
「今、無常だからこそ輝く人生を、そのありがたさを感じている」という。
もともとがヘビースモーカーなので、どんなときでも、灰皿が吸い殻の山になった。
病後、たばこをやめた。困ることが出てきた。
大好きなマージャンと原稿書き。
「一服できないと、全然面白くない」。
長年愛してきたのはハイライトとマールボロの赤。
ニコチンが強く、のどに強い圧迫感のある本物のたばこ。
多量の喫煙でも吐き気を催さないCABIN1ミリ愛用のブロガーとは流石に随分と違う一徹ぶり。
「長生きには、吸わないのがいいのか、吸うのがいいのか、議論のあるところでね。
たばこで死ぬ人も、糖尿など食い過ぎで死ぬ人もいる。
もう一つは、たばこや食に急ブレーキかけて、そのストレスで死ぬ人。屁理屈だけど」
論は勢いを増す。
「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。人類が発明した偉大な文化であり、
たばこの代わりはありませんよ。
これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」
これにはここんとこ小さくなってるブロガーも勇気百倍。
、そんな文化ががんをもたらした、・・・、
「そうとも言えない」。
「肺がんに直結しているようだけど、たばこは引き金で、本当の原因はストレスなんです」
たばこが原因だとは今でも思っていないのだ。
放送は18年間、月曜から金曜まで1秒も遅刻せずにやった東京だけにいてはこの国は見えないと、週末は講演など理由をつけては地方を回った
自分がやりたいことだから。
、
「加齢ですね。体が文句を言っても、ペースを崩さなかった。人はそもそも心身が分裂しているものなんです。美空ひばりは東京ドームで歌い終わり、ぐじゃっと倒れた。僕もそういうところ、あると思う」
30年間、朝日新聞社で記者、雑誌編集長を務め、キャスターに転身した。
活字の世界にない気遣いもあった。
がんになり、発見があった。
一つは、患者と有権者が似ていること。
「いくら情報を与えられても、自分で思うほど賢くはなれない」。
結局は他人に言われるままになる。
そして悪い結果が出れば「自分の責任」となる。
「底にあるのは、人間は賢者になれるという壮大なフィクション。世界経済の影響で酪農家が破産すれば、『お前の責任』と言われ、フリーターや社会からこぼれる人が叱責される。
でも、弱い患者と同じく、有権者にすべての責任があるわけじゃない」
ごく自然に東洋医学に向かった。
「僕の体は空爆されたイラクみたいなもの。放射線でがんはほぼ撃退したけど、体中が被爆している。西洋医学は敵を攻めるばかりだが、東洋医学は、がんを生む体にならないようにすることを心がける。それが自分には合っている」と、
今は月の半分を奈良の東洋医学専門家、松元密峰のもとで過ごす。
放射線医療の後遺症でのどが膨れ上がったとき、はり治療などで救われたためだ。
「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、気持ちに左右されるものはない」と言う。
「心臓が急に止まるのと違い、余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。年数はわからない。
ラッキーだと延びるし、短い人もいる」
日々、「ありがたい」と思うことがある。
「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」
「僕がキャスターを始めたころ、朝日新聞では、テレビは下賤(げせん)なメディアで一度さわったら体が腐る、とさえ言われた」。
それでも、テレビに移ったのは、新聞に限界を感じていたからだ。「何百万も部数があるから、書いたものが相手に届くと思っていた。でも、ある時気づいたのは、ほとんど何も届かない。特に国際報道は、どんなに大変な思いをしても何も届かない。多くの人に届けるには、テレビが手っ取り早いと気づいたんです
今は週に1回、立命館大で講義し、あとは「源氏物語」を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。
「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、なんだろうと思う。
これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。
そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。
その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」
朝日の天声人語さえ今日が読みおさめ。
横長の形ばかりの変更なら良いのだが・・・
花満開、桜咲く季節ゆえ恨めしい限り。
立花隆、筑紫哲也、立川談志・・・、知の巨人達が相次いでガンを公表。
死への恐怖を背に生への執着を克明に告白し日本人としての仕事論から
生き様を照下、勇気を与える。
データーから二年が限度の喉頭がんの談志師匠は倍以上生きその高座はますます円熟味が増している。
消え往こうとしてる至芸に磨きがかかり、人生の瞬間が惜しい。
本題から少々脱線するが義憤のことに触れたい。
落語文化復活の兆しのことだ。
隆盛を極めてた文化の講談浪曲の道を落語文化が辿ってはいないか心配である。
こことこの何度目かの落語ブームのようだ。
その中心に次世代への命をつなぐ若者が加わってるので嬉しい限りだが、
社会的経験不足からその社会的位置を高める視点が薄きことを懸念する。
NHKラジオ名人寄席は当代一の落語知識人・玉置宏(74)の豊富な人生経験で語られる珠玉の落語番組。
それが・・・消える。
2月10日放送された正蔵の大仏餅が
「1987年放送のTBSラジオで放送されたものではないか」
との好事家の指摘で責任をとり・・・玉置宏は降板。
チョットの手違いが、さも鬼の首でも取ったか如く針小膨大に伝えられ
時代を読めぬ落語好事家の若気の至りの英雄的行動が惜しまれる。
玉置宏が仲間内で語るには
関係者の使用許可を取ってない音源が含まれていて、
保存レコードの音源との取り違えがこうなったようで・・実に惜しい。口惜しい。
執拗なるものが異様にも自分のブログに今日のせきやんなる攻撃性を掲げ挑発してるのに似ている。
チョットの思考違いをあげつらい毎日論評する異様なる心理は活字媒体の持つ性格から恐怖である。
先行きの生命の危なさを感じる。
老い先なき者には生きてきた経験を伝えるにはムダな時間はない。
立花隆は文芸春秋誌上で克明に綴る手法で生を謳歌している。
特に時節柄ヘビースモーカーの筑紫哲也の説くタバコ論はいい。
老い先無く、棺おけに片足突っ込んでいる爺には人事ではない。
なにをなし、なにを後世人に託せるのか命の引継ぎ作業を団塊の世代は宿命的に背負っている。
あまりもの日本人の生きた論の世代間葛藤が生じてるからでもである。
28日放送でTBS系「NEWS23」が31日放送から、リニューアル、セットも一新と語られた。
「来週の番組リニューアルで、番組名からわたしの名前が消えます」と筑紫哲也(72)自信が発表した。
昨年5月、同番組で肺がんを告白。
現在は治療のため、重要ニュースがある時に限り「スペシャルアンカー」の形で不定期に出演中。
元共同通信編集局長の後藤謙次(58)がメーンキャスターを務めている。
ブログが伝える筑紫哲也の言葉は記憶にとどめ置かれらければ成らないもので含蓄がある。
2007年11月20日
「がんは面白い病気」と語れるようになった筑紫。
「今、無常だからこそ輝く人生を、そのありがたさを感じている」という。
もともとがヘビースモーカーなので、どんなときでも、灰皿が吸い殻の山になった。
病後、たばこをやめた。困ることが出てきた。
大好きなマージャンと原稿書き。
「一服できないと、全然面白くない」。
長年愛してきたのはハイライトとマールボロの赤。
ニコチンが強く、のどに強い圧迫感のある本物のたばこ。
多量の喫煙でも吐き気を催さないCABIN1ミリ愛用のブロガーとは流石に随分と違う一徹ぶり。
「長生きには、吸わないのがいいのか、吸うのがいいのか、議論のあるところでね。
たばこで死ぬ人も、糖尿など食い過ぎで死ぬ人もいる。
もう一つは、たばこや食に急ブレーキかけて、そのストレスで死ぬ人。屁理屈だけど」
論は勢いを増す。
「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。人類が発明した偉大な文化であり、
たばこの代わりはありませんよ。
これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」
これにはここんとこ小さくなってるブロガーも勇気百倍。
、そんな文化ががんをもたらした、・・・、
「そうとも言えない」。
「肺がんに直結しているようだけど、たばこは引き金で、本当の原因はストレスなんです」
たばこが原因だとは今でも思っていないのだ。
放送は18年間、月曜から金曜まで1秒も遅刻せずにやった東京だけにいてはこの国は見えないと、週末は講演など理由をつけては地方を回った
自分がやりたいことだから。
、
「加齢ですね。体が文句を言っても、ペースを崩さなかった。人はそもそも心身が分裂しているものなんです。美空ひばりは東京ドームで歌い終わり、ぐじゃっと倒れた。僕もそういうところ、あると思う」
30年間、朝日新聞社で記者、雑誌編集長を務め、キャスターに転身した。
活字の世界にない気遣いもあった。
がんになり、発見があった。
一つは、患者と有権者が似ていること。
「いくら情報を与えられても、自分で思うほど賢くはなれない」。
結局は他人に言われるままになる。
そして悪い結果が出れば「自分の責任」となる。
「底にあるのは、人間は賢者になれるという壮大なフィクション。世界経済の影響で酪農家が破産すれば、『お前の責任』と言われ、フリーターや社会からこぼれる人が叱責される。
でも、弱い患者と同じく、有権者にすべての責任があるわけじゃない」
ごく自然に東洋医学に向かった。
「僕の体は空爆されたイラクみたいなもの。放射線でがんはほぼ撃退したけど、体中が被爆している。西洋医学は敵を攻めるばかりだが、東洋医学は、がんを生む体にならないようにすることを心がける。それが自分には合っている」と、
今は月の半分を奈良の東洋医学専門家、松元密峰のもとで過ごす。
放射線医療の後遺症でのどが膨れ上がったとき、はり治療などで救われたためだ。
「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、気持ちに左右されるものはない」と言う。
「心臓が急に止まるのと違い、余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。年数はわからない。
ラッキーだと延びるし、短い人もいる」
日々、「ありがたい」と思うことがある。
「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」
「僕がキャスターを始めたころ、朝日新聞では、テレビは下賤(げせん)なメディアで一度さわったら体が腐る、とさえ言われた」。
それでも、テレビに移ったのは、新聞に限界を感じていたからだ。「何百万も部数があるから、書いたものが相手に届くと思っていた。でも、ある時気づいたのは、ほとんど何も届かない。特に国際報道は、どんなに大変な思いをしても何も届かない。多くの人に届けるには、テレビが手っ取り早いと気づいたんです
今は週に1回、立命館大で講義し、あとは「源氏物語」を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。
「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、なんだろうと思う。
これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。
そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。
その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」
朝日の天声人語さえ今日が読みおさめ。
横長の形ばかりの変更なら良いのだが・・・
コメント