心根
2008年2月29日月末で数字挙げに血走ってる人の横柄さが目立ちすぎ耐えられずリタイア。
電話格闘技は平静ゆえ出来うる仕事で修業中とはいえ36計逃げるにしかず。
辛抱我慢の堪忍袋が危うく破ける寸前。
いやはやこの歳にして、許せエヌ組織総体のモラルとしての不正には青春の血が滾る。
チャンバラ世代の団塊の世代はとりわけ暴力が嫌いである。
自分の血や肉に溢れがばかりの暴力性を兼ね備えているゆえだ。
暴力容認の世相を日常に味わい経験した人格形成期の異常なる環境で育ったからでもある。
それは47年だったか浅間山荘事件で身内への筆舌に尽くしがたき身内内リンチで潜む暴力性を生み、暴かれた。
昨年は映画に結実しで、社会改革運動に潜んでしまった倫理性として、そのことも問われた。
時代劇作家への期待は世相が人気作家を輩出したこともあり、活劇的読み物がベストセラー。
戦前戦後と27年間も雑誌で連載が続いたのは野村胡堂の「銭形平次捕物控」。
映画やテレビ時代劇にもなった。
司馬遼太郎は時代劇ものを決定的に変え、歴史性を持たせたゆえ新ジャンル扱い的時代劇作家。
現代人が支持する最も人気の作家となった。
週刊朝日では今も趣を変え連載されている人気の読み物である。
野村胡堂は「銭形平次捕物控」で大成し経済的にも心配なき生活環境となった時代活劇作家。
野村胡堂が寄付したソニー株式、約1億円相当を基金に設立された野村学芸財団
死去する直前の1963年2月設立された。
新聞によると
この45年の間に、大学生を中心に1066人に奨学金を支給し、654件の研究に助成してきた。
返還義務はない。
低金利時代は胡堂の財団にも容赦なく襲い元金を取り崩しながらの運営となっている
胡堂は、東大を中退している。
岩手県彦部村=現・紫波町の村長の父親が村おこし事業に失敗し、
私財も失った末に亡くなってしまったからだ
「貧しさで学業を途中であきらめざるを得ないような若者は、自分だけで十分だ」という思いがあった。
妻ハナが賢夫人で
「奨学生から同じ気持ちを持った人が出てくれれば」と願っていたという
紫波町にある胡堂の記念館館長、野村晴一。、
「胡堂は侍が嫌いだった。身分差別が残る、江戸時代からの封建制度を憎んでいた。
子どもの時はいじめられっ子で、弱い人の立場がわかる人だった」
そんな当人の気持ちが、銭形平次には投影されている。
儀を見てせざるは言う無きなり。
陽明学の徒の心情は日本人奥底に伝えられている。
小生も人一倍、艱難辛苦に立ち向かう。
ブログなるものに身を寄せ書き連ねるに矜持せねばならぬ胡堂の書き手の精神性。
その形態から凶暴性を帯びる風潮から脱却せねばならぬ事を読み解くヒントがあるような気がしている。
これでも一顧駄もせず、一向に租借しえずダメなら続けて読売誌から拾ってみる。
NHKラジオ話の泉であの人を誉めぬ毒舌の申し子・談志にして最高の芸人との賛辞を得た「森繁」。
「知床の岬に はまなすの咲くころ…」ではじまる
「知床旅情」の詞・曲の森繁久弥はあまりにも有名なこと。
その同じメロディーに森繁が別の詞をつけた、もう一曲があるという
伊東四朗のエッセー「この顔で悪いか!」(集英社)にある。
♪(二番)♪
「最果ての番屋に/命の灯ちらちら/
トドの鳴く夜は/愛し子が瞼に/
誰に語らむ/このさびしさを/
ランプの火影(ほかげ)に/
海鳴りばかり/」
灯台守、岬が名画になりリバイバル的人気が続いたのは海に生きる人の共感があったからであろうと
山育ちにかかわらず心情が響き読み取れる団塊の世代。
真っ暗な働く場の海のことである。
海に生きる人にとっては番屋の灯や灯台の明かりに限るまい。
漁船が右舷にともす緑色の灯、左舷にともす赤色の灯も、
「おれはここにいるぞ、!」
と告げて船同士が衝突を未然に防ぎ合う「命の灯」なんだろう。
おたく大臣の知恵とは思えぬが、姑息な保身術のどちらに見えたかの情報操作をしてる人間味の無い役人根性が卑しい。
わが海軍のイージス艦は千葉県沖で衝突の12分前その後の供述のそれ以上も前に漁船の灯火に気づきながら、
衝突1分前まで自動操舵装置で航行をつづけた。
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」。
江戸時代の俳人・小林一茶の句だが、
同じそこのけでもこの句と海難事故のそれとは他者を思う心で決定的に違う。
「命の灯」を蹴散らしてどうする。
「我と来て 遊べや 親のない雀」
「やせ蛙 負けるな 一茶ここにあり」
一茶の句の代表句同様、
「そこのけそこのけ」の言葉にも人情味があふれるが殺戮集団の軍にはそれは無い。。
親の吉清治夫(58)と一緒に冷たい海に投げ出された長男の哲大(23)
ホームレスの人たちに魚を贈り、年上を敬う敬虔な心を持つなど
誰からも慕われる心優しい「愛し子」という
この青年の逸話を聞くにつれ虚構に生きるブログ人の荒れたる心のむなしさを知る。
嗚呼!この寒き大海のもずくとなってどこをさ迷よわん!
神よ!モーゼに海を割って道を作ってやった如く
敬虔なる仏教徒の国にも奇跡を呼び起こしてはくれぬものか。
うらさびしきブログ人にも・・・。
その落差は・・・あまりにもむなしく・・むごい。
ブログの発展を祈念し、邁進することを強く誓わん!
チビッコとブログ人の小面憎さは同質だ。
辛抱・・・我慢・・・この指とまれ!・・
一人ひとりの共感者の「命の灯」の応援を頼りに
社会やブログの海の難事、公海の荒海を老船長が舵を切る。
♪ロウ〜・・アンド・・ロウ〜♪
はてはて出港できるや否や、用意周到・・ぬかりはないか・・心もとない。
ブログ人の悩みは尽きぬ。
余命幾ばくも無いものの断崖絶壁より望む心情が理解できる。
電話格闘技は平静ゆえ出来うる仕事で修業中とはいえ36計逃げるにしかず。
辛抱我慢の堪忍袋が危うく破ける寸前。
いやはやこの歳にして、許せエヌ組織総体のモラルとしての不正には青春の血が滾る。
チャンバラ世代の団塊の世代はとりわけ暴力が嫌いである。
自分の血や肉に溢れがばかりの暴力性を兼ね備えているゆえだ。
暴力容認の世相を日常に味わい経験した人格形成期の異常なる環境で育ったからでもある。
それは47年だったか浅間山荘事件で身内への筆舌に尽くしがたき身内内リンチで潜む暴力性を生み、暴かれた。
昨年は映画に結実しで、社会改革運動に潜んでしまった倫理性として、そのことも問われた。
時代劇作家への期待は世相が人気作家を輩出したこともあり、活劇的読み物がベストセラー。
戦前戦後と27年間も雑誌で連載が続いたのは野村胡堂の「銭形平次捕物控」。
映画やテレビ時代劇にもなった。
司馬遼太郎は時代劇ものを決定的に変え、歴史性を持たせたゆえ新ジャンル扱い的時代劇作家。
現代人が支持する最も人気の作家となった。
週刊朝日では今も趣を変え連載されている人気の読み物である。
野村胡堂は「銭形平次捕物控」で大成し経済的にも心配なき生活環境となった時代活劇作家。
野村胡堂が寄付したソニー株式、約1億円相当を基金に設立された野村学芸財団
死去する直前の1963年2月設立された。
新聞によると
この45年の間に、大学生を中心に1066人に奨学金を支給し、654件の研究に助成してきた。
返還義務はない。
低金利時代は胡堂の財団にも容赦なく襲い元金を取り崩しながらの運営となっている
胡堂は、東大を中退している。
岩手県彦部村=現・紫波町の村長の父親が村おこし事業に失敗し、
私財も失った末に亡くなってしまったからだ
「貧しさで学業を途中であきらめざるを得ないような若者は、自分だけで十分だ」という思いがあった。
妻ハナが賢夫人で
「奨学生から同じ気持ちを持った人が出てくれれば」と願っていたという
紫波町にある胡堂の記念館館長、野村晴一。、
「胡堂は侍が嫌いだった。身分差別が残る、江戸時代からの封建制度を憎んでいた。
子どもの時はいじめられっ子で、弱い人の立場がわかる人だった」
そんな当人の気持ちが、銭形平次には投影されている。
儀を見てせざるは言う無きなり。
陽明学の徒の心情は日本人奥底に伝えられている。
小生も人一倍、艱難辛苦に立ち向かう。
ブログなるものに身を寄せ書き連ねるに矜持せねばならぬ胡堂の書き手の精神性。
その形態から凶暴性を帯びる風潮から脱却せねばならぬ事を読み解くヒントがあるような気がしている。
これでも一顧駄もせず、一向に租借しえずダメなら続けて読売誌から拾ってみる。
NHKラジオ話の泉であの人を誉めぬ毒舌の申し子・談志にして最高の芸人との賛辞を得た「森繁」。
「知床の岬に はまなすの咲くころ…」ではじまる
「知床旅情」の詞・曲の森繁久弥はあまりにも有名なこと。
その同じメロディーに森繁が別の詞をつけた、もう一曲があるという
伊東四朗のエッセー「この顔で悪いか!」(集英社)にある。
♪(二番)♪
「最果ての番屋に/命の灯ちらちら/
トドの鳴く夜は/愛し子が瞼に/
誰に語らむ/このさびしさを/
ランプの火影(ほかげ)に/
海鳴りばかり/」
灯台守、岬が名画になりリバイバル的人気が続いたのは海に生きる人の共感があったからであろうと
山育ちにかかわらず心情が響き読み取れる団塊の世代。
真っ暗な働く場の海のことである。
海に生きる人にとっては番屋の灯や灯台の明かりに限るまい。
漁船が右舷にともす緑色の灯、左舷にともす赤色の灯も、
「おれはここにいるぞ、!」
と告げて船同士が衝突を未然に防ぎ合う「命の灯」なんだろう。
おたく大臣の知恵とは思えぬが、姑息な保身術のどちらに見えたかの情報操作をしてる人間味の無い役人根性が卑しい。
わが海軍のイージス艦は千葉県沖で衝突の12分前その後の供述のそれ以上も前に漁船の灯火に気づきながら、
衝突1分前まで自動操舵装置で航行をつづけた。
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」。
江戸時代の俳人・小林一茶の句だが、
同じそこのけでもこの句と海難事故のそれとは他者を思う心で決定的に違う。
「命の灯」を蹴散らしてどうする。
「我と来て 遊べや 親のない雀」
「やせ蛙 負けるな 一茶ここにあり」
一茶の句の代表句同様、
「そこのけそこのけ」の言葉にも人情味があふれるが殺戮集団の軍にはそれは無い。。
親の吉清治夫(58)と一緒に冷たい海に投げ出された長男の哲大(23)
ホームレスの人たちに魚を贈り、年上を敬う敬虔な心を持つなど
誰からも慕われる心優しい「愛し子」という
この青年の逸話を聞くにつれ虚構に生きるブログ人の荒れたる心のむなしさを知る。
嗚呼!この寒き大海のもずくとなってどこをさ迷よわん!
神よ!モーゼに海を割って道を作ってやった如く
敬虔なる仏教徒の国にも奇跡を呼び起こしてはくれぬものか。
うらさびしきブログ人にも・・・。
その落差は・・・あまりにもむなしく・・むごい。
ブログの発展を祈念し、邁進することを強く誓わん!
チビッコとブログ人の小面憎さは同質だ。
辛抱・・・我慢・・・この指とまれ!・・
一人ひとりの共感者の「命の灯」の応援を頼りに
社会やブログの海の難事、公海の荒海を老船長が舵を切る。
♪ロウ〜・・アンド・・ロウ〜♪
はてはて出港できるや否や、用意周到・・ぬかりはないか・・心もとない。
ブログ人の悩みは尽きぬ。
余命幾ばくも無いものの断崖絶壁より望む心情が理解できる。
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