アップできぬブログ
2007年11月15日博物館のに併設する公園での朝の弁当ほど自由で楽しき時間は無い。
思索の旅路はブログに表現する以上に自由に闊達に楽しき時間。
道脇にはミゾソバなるコンペイトウに似たる花が11月15日の今日の誕生日の花。
七五三でもある。
母と子とまれにいる父と子七五三」
日本一の中日の落合監督が野球界に貢献した人に贈られる正力松太郎賞を受賞した。
球史に残る山井∩岩瀬のブーイング完全試合を物議を醸したににもかかわらずにである。
三冠王の時には受賞を逃がしたのにこれだからわからない。
周知の如く1年間を通じて戦うペナントレースでは2位だが、クライマックス・シリーズなる銭を稼ぐのみのアメリカン方式を制して
後味の悪い、潔しを旨とする日本人に馴染まないスパーツマンシップの通じないような野球界となった。
いずれ国民性の変更を迫る宜しくなきものとなろう。
可でもなく不可でもない。
新テロ特措法が参議院に送られた。
延長された会期内の成立にはかなり波乱含み。
世論の6割以上の支持があれば衆議院に送り返され再度の強行採決で成立の道を目指すらしい。
いずれにしろ国民の民意次第というわけの責任転嫁。
政治通のもっぱらの見方だが、野球での学習効果を経ているので早速、生かされるのやモ知れぬ。
宮崎の博物館がにぎわっているがその事前勉強かもしれない。
天候も雲ひとつなくはや20度まで上昇してる。
夜半から雪との予報の北海道の人には申し訳ない神の恵み。
秋の日に3日連続の小春日よりとは季節はいつかという引っ掛け問題に使われるが今日の日を言うのであろう。
楠木の葉はイチョウなどと同じで青々と落葉の兆しさえない。
イモグスの葉が少し落ちてる程度。
それにしても毎日の芝刈り清掃はどれほどもの管理費用を使っているのか。
エンジンを使って強風を作り出しての効率化の清掃はいいとしても、落ち葉の季節さえ来ていないのに
お役所仕事なんであろうか。
落葉時期にはどうなることやら。
監視されるブログに書くことに熱意を感じない不条理は何も身の上に怒ってることだけではないようだ。
日南での印刷談合を書かねば成らなかったが休筆の悪影響から脱し切れてない環境下から筆が進まないでいたら、愛読しているブログのお方から
かわりに書いていただいている。
宮崎を愛するものが書きたくないことでもあり、大いにありがたきサポートとして読ましていただいた。
早速のクライマックス制度化に慣れたるものかと世渡りヘタの成長ブリに安堵している。
文化とはそのようなるものか。
多用されるしなやかな曲線から欧米各地で一斉に流行したアール・ヌーボー。
家具や建築に影響を与え、ガラス工芸の収集家ならエミール・ガレの名前を知らぬ人はいない。
1900(明治33)年のパリ万国博覧会で、一気に火がついたという。
そのときの日本の美術工芸品や浮世絵がこの装飾様式に大きく影響を与えた。
リトグラフの制作で名を成したアルフォンス・ミュシャもその一人。県立美術館で展覧会が開催されている。
日本人の先駆者は宮崎県出身の瑛久。常設展示で知ることができる。
このパリでデビューした作家はチェコの人。
その声が「黄金の声」とうたわれた女優サラ・ベルナールのポスター制作を手がけたことで、一躍有名になった。
展示会場の最初に出迎える「椿姫」はサラの高貴さがあふれ出す。
サラはユダヤ系オランダ人の高級娼婦と姓名不詳の父親の間に生まれている。
ついの棲家へ慣れるため毎晩、棺桶に眠ったという。
人気女優の脚色もあったかもしれないが、相当変わった人であったことは確かだろう。
晩年、足を切断しても舞台に上がり続けた。
この世紀の女優が亡くなったのは1923(大正12)年。
ミュシャはあこがれのパリを離れ、ボヘミアに戻り、スラブ民族のための制作に没頭していた。
あでやかな女性や大作も美しいが、その合間に描いた、小さな素描がいい。。
20世紀の初めのパリは日本人藤田嗣治、作家岡本かの子も愛人とともに活躍した。。
異邦人に寛大な街が奔放な芸術を生んだのだろう。
ミュシャの素描に「心貧しき者は幸いである」との聖書の言葉があった。心優しさが伝わってくる。
同じ会場の吉村作弥のエジプト展覧会はこの日曜日まで。
この展覧会のお陰か宮崎の建築物の解体からすくった。
都城市の長峯誠市長は9日、解体を決めていた市民会館について、南九州学園(宮崎市、澁谷義夫理事長)から申し入れがあった
20年間の無償貸与を受け入れることを明らかにした。
市は9月議会で可決していた解体工事費の補正予算案を12月議会で減額補正し、
来年秋にも同学園と協定書を取り交わす予定。
市によると、同学園の要望通り会館のアスベスト除去と吸音断熱材の吹き付けなど復旧工事を市が行った上で、
学園側が改修を加える。
アスベスト除去工事は来年1月以降に始まり、8月ごろ完了予定。その後、無償貸与の協定書を締結し、学園側が改修工事に着手し、改修費は3億円。
貸与期間中の改修、維持管理費や事故などによる人的
、物的損害の保障などすべての経費は学園が負担する。
周知のように、都城の市民会館はわが国の貴重な建築物。」
黒川起章以前の代表的な建築家・菊竹清訓の設計で扇が広がった形はいい。
1966年に開館。
メタボリズムという理念を体現した日本モダニズム建築の傑作として知られている。
解体か存続か」に揺れた同会館問題が投げかけた意味は2点ある。
一つは、市財政と「公共建築」の関係。
もとより財政が自治体運営の土台であるのは言うまでもない。
だが、財政論のみで、つまり維持・管理ができないという理由だけで存廃が決定されれば、街の一つの風景と化し極めて高い公共性を持った建築物の「社会的意味」が失われる。
お江戸の同潤会の建物を壊す愚は繰り返すべきでない。
同会館の建設にも多額の税金が投入され、しかも40年にわたって市民文化の発信源になっていたのである。
整理するにはそれなりの理由がいる。
もう一つは、同会館の建築的価値が地元にとどまらず、戦後日本のモダニズム建築という文脈でとらえられるスケールを持っていたことだ。
建築運動としてのメタボリズムは、「進歩」「希望」などに象徴される近代化の貪欲どんよくなエネルギーを表象している。
会館の異形の相貌、大空に向かってダイナミックに飛翔ひしょうするイメージはその端的な表現。
戦後日本は飛躍的な発展を遂げ、主要な街並みをメタボリズム建築が飾った後に、
全国で消滅の危機にあるその代表的建物が同会館だった。
戦後の活力に満ちた時代の記憶が、同会館の風景に刻まれている。
解体が惜しまれたのも当然である。
タイムリミット寸前で「拾う神」に恵まれた幸運もあるが、これから「活用」の新たな段階に入る同会館。
都城の都市文化が、歴史・建物・景観を取り込んだ街づくりに挑む。度こそ防衛利権解明へ期待
南九州学園は高鍋から都城にキャンバスを移転して騒然と鳴っていたのに失点をカバーした形になる。
それにしてもしない祇園町にある広大な新築の校舎にあらtに新しき体育館をもう直ぐ竣工させようとしている。
医は忍術ならず算術とかいったものだが、教育機関でこれである。
よくわからぬ錬金術の教育機関。
いずれにうつけお役所を利用しての拡大膨張振り。
フム〜。
思索の旅路はブログに表現する以上に自由に闊達に楽しき時間。
道脇にはミゾソバなるコンペイトウに似たる花が11月15日の今日の誕生日の花。
七五三でもある。
母と子とまれにいる父と子七五三」
日本一の中日の落合監督が野球界に貢献した人に贈られる正力松太郎賞を受賞した。
球史に残る山井∩岩瀬のブーイング完全試合を物議を醸したににもかかわらずにである。
三冠王の時には受賞を逃がしたのにこれだからわからない。
周知の如く1年間を通じて戦うペナントレースでは2位だが、クライマックス・シリーズなる銭を稼ぐのみのアメリカン方式を制して
後味の悪い、潔しを旨とする日本人に馴染まないスパーツマンシップの通じないような野球界となった。
いずれ国民性の変更を迫る宜しくなきものとなろう。
可でもなく不可でもない。
新テロ特措法が参議院に送られた。
延長された会期内の成立にはかなり波乱含み。
世論の6割以上の支持があれば衆議院に送り返され再度の強行採決で成立の道を目指すらしい。
いずれにしろ国民の民意次第というわけの責任転嫁。
政治通のもっぱらの見方だが、野球での学習効果を経ているので早速、生かされるのやモ知れぬ。
宮崎の博物館がにぎわっているがその事前勉強かもしれない。
天候も雲ひとつなくはや20度まで上昇してる。
夜半から雪との予報の北海道の人には申し訳ない神の恵み。
秋の日に3日連続の小春日よりとは季節はいつかという引っ掛け問題に使われるが今日の日を言うのであろう。
楠木の葉はイチョウなどと同じで青々と落葉の兆しさえない。
イモグスの葉が少し落ちてる程度。
それにしても毎日の芝刈り清掃はどれほどもの管理費用を使っているのか。
エンジンを使って強風を作り出しての効率化の清掃はいいとしても、落ち葉の季節さえ来ていないのに
お役所仕事なんであろうか。
落葉時期にはどうなることやら。
監視されるブログに書くことに熱意を感じない不条理は何も身の上に怒ってることだけではないようだ。
日南での印刷談合を書かねば成らなかったが休筆の悪影響から脱し切れてない環境下から筆が進まないでいたら、愛読しているブログのお方から
かわりに書いていただいている。
宮崎を愛するものが書きたくないことでもあり、大いにありがたきサポートとして読ましていただいた。
早速のクライマックス制度化に慣れたるものかと世渡りヘタの成長ブリに安堵している。
文化とはそのようなるものか。
多用されるしなやかな曲線から欧米各地で一斉に流行したアール・ヌーボー。
家具や建築に影響を与え、ガラス工芸の収集家ならエミール・ガレの名前を知らぬ人はいない。
1900(明治33)年のパリ万国博覧会で、一気に火がついたという。
そのときの日本の美術工芸品や浮世絵がこの装飾様式に大きく影響を与えた。
リトグラフの制作で名を成したアルフォンス・ミュシャもその一人。県立美術館で展覧会が開催されている。
日本人の先駆者は宮崎県出身の瑛久。常設展示で知ることができる。
このパリでデビューした作家はチェコの人。
その声が「黄金の声」とうたわれた女優サラ・ベルナールのポスター制作を手がけたことで、一躍有名になった。
展示会場の最初に出迎える「椿姫」はサラの高貴さがあふれ出す。
サラはユダヤ系オランダ人の高級娼婦と姓名不詳の父親の間に生まれている。
ついの棲家へ慣れるため毎晩、棺桶に眠ったという。
人気女優の脚色もあったかもしれないが、相当変わった人であったことは確かだろう。
晩年、足を切断しても舞台に上がり続けた。
この世紀の女優が亡くなったのは1923(大正12)年。
ミュシャはあこがれのパリを離れ、ボヘミアに戻り、スラブ民族のための制作に没頭していた。
あでやかな女性や大作も美しいが、その合間に描いた、小さな素描がいい。。
20世紀の初めのパリは日本人藤田嗣治、作家岡本かの子も愛人とともに活躍した。。
異邦人に寛大な街が奔放な芸術を生んだのだろう。
ミュシャの素描に「心貧しき者は幸いである」との聖書の言葉があった。心優しさが伝わってくる。
同じ会場の吉村作弥のエジプト展覧会はこの日曜日まで。
この展覧会のお陰か宮崎の建築物の解体からすくった。
都城市の長峯誠市長は9日、解体を決めていた市民会館について、南九州学園(宮崎市、澁谷義夫理事長)から申し入れがあった
20年間の無償貸与を受け入れることを明らかにした。
市は9月議会で可決していた解体工事費の補正予算案を12月議会で減額補正し、
来年秋にも同学園と協定書を取り交わす予定。
市によると、同学園の要望通り会館のアスベスト除去と吸音断熱材の吹き付けなど復旧工事を市が行った上で、
学園側が改修を加える。
アスベスト除去工事は来年1月以降に始まり、8月ごろ完了予定。その後、無償貸与の協定書を締結し、学園側が改修工事に着手し、改修費は3億円。
貸与期間中の改修、維持管理費や事故などによる人的
、物的損害の保障などすべての経費は学園が負担する。
周知のように、都城の市民会館はわが国の貴重な建築物。」
黒川起章以前の代表的な建築家・菊竹清訓の設計で扇が広がった形はいい。
1966年に開館。
メタボリズムという理念を体現した日本モダニズム建築の傑作として知られている。
解体か存続か」に揺れた同会館問題が投げかけた意味は2点ある。
一つは、市財政と「公共建築」の関係。
もとより財政が自治体運営の土台であるのは言うまでもない。
だが、財政論のみで、つまり維持・管理ができないという理由だけで存廃が決定されれば、街の一つの風景と化し極めて高い公共性を持った建築物の「社会的意味」が失われる。
お江戸の同潤会の建物を壊す愚は繰り返すべきでない。
同会館の建設にも多額の税金が投入され、しかも40年にわたって市民文化の発信源になっていたのである。
整理するにはそれなりの理由がいる。
もう一つは、同会館の建築的価値が地元にとどまらず、戦後日本のモダニズム建築という文脈でとらえられるスケールを持っていたことだ。
建築運動としてのメタボリズムは、「進歩」「希望」などに象徴される近代化の貪欲どんよくなエネルギーを表象している。
会館の異形の相貌、大空に向かってダイナミックに飛翔ひしょうするイメージはその端的な表現。
戦後日本は飛躍的な発展を遂げ、主要な街並みをメタボリズム建築が飾った後に、
全国で消滅の危機にあるその代表的建物が同会館だった。
戦後の活力に満ちた時代の記憶が、同会館の風景に刻まれている。
解体が惜しまれたのも当然である。
タイムリミット寸前で「拾う神」に恵まれた幸運もあるが、これから「活用」の新たな段階に入る同会館。
都城の都市文化が、歴史・建物・景観を取り込んだ街づくりに挑む。度こそ防衛利権解明へ期待
南九州学園は高鍋から都城にキャンバスを移転して騒然と鳴っていたのに失点をカバーした形になる。
それにしてもしない祇園町にある広大な新築の校舎にあらtに新しき体育館をもう直ぐ竣工させようとしている。
医は忍術ならず算術とかいったものだが、教育機関でこれである。
よくわからぬ錬金術の教育機関。
いずれにうつけお役所を利用しての拡大膨張振り。
フム〜。
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