東京映画祭
2007年10月21日ブログはあくまでも個人の心根を秘密裡に書く日記。
あくまで個人的な備忘録のはずだ。
なんも批判批評の対象に晒される代物ではない。
他人に論評されたり、監視覗かれる類のものではない。
ただ公開されてる以上、
たかがブログされどブログと心ひそかに堅持してるものがある。
だが、ブログの発信を性格上持ち合わせているので、あくまでも初期目的の如くの個人の密かな意見で終わらないところと成る。
NHKで作秋女子大生ブロガーの発言で明らかになったこと。
「私は定期的にあるPR会社から依頼され起業の新製品などの魅力をブログに書いて小遣いをもらっています。」
やらせではないかと疑われもした。センセンショナールをまきおこした。
昨年アメリカから入って来たブロガーを宣伝PRに利用する考え方が露呈した訳である。
、これを機に宣伝する企業側も広告代理店も意識が大きく変わったとされる。
人気俳優や歌手、キャラクターを使ってれば、モノは売れていた。
一方通行の宣伝の確実なる脆弱化の進行の証左である。
1000円程度の報酬らしい。
有名人のブログなら50万円にもなるそうである。
旅行不動産など専門別ブロガーも集められたらしい。
PRのツールとして企業に取り込まれるブロガーの自滅行為。
ブロガー集めのプロダクションさえ存在しているらしい。
生き様が硬くいわゆる要慮ワル=世渡りベタは
「会社の悪口をかかれと困るので読でます。」とか、云われると、辛い。
全くの虚脱感に陥る。
このエネルギッシュのかたまりにも欠陥があるわけだ。
せきやん殺すにゃぁ刃物はいらぬ、仲間の一人を裏切らすればいい。
欠陥を白日のもとにさらし叉それに加わったものがわかった。
見知らぬカキコでプチ炎上で困ったことを想起するからである
現に楽しみであったランキングは壊れたまま。
そのことを知り書きつ慣れてるこのカキコの人。共同謀議者ではないか。
にっくき!犯人見つけたり。
2チャンネルなどのせきやん包囲網に何らかの形で荷担された一味の一人を
自ら求めもしないのに告白している。
何のことか息子にまで言及してるモラル違反。
私と息子らは他人から言われる筋合いは無い。
犯罪に向けて法整備が整いつつあるのを御存知ないらしい。
危ないですぞ!ブログに勝手なことするの。
ブログ文化を老人の視点でその力にあわせた実験例でつくりあげんがために
日々努力してる先行き無き場末ブログの爺をからかうと。
現にカキコの人は爺から見れば年端もいかぬ社会の中心にならねばならぬ社会的使命の年齢なのに
国家発展に尽くすとの大儀、芒洋たる男のロマンの意志が低く宝の持ち腐れ。
世界に船出する先導役で活躍せねばならぬ世代なのにその気概に欠ける。
わが大和民族が呉越同舟で諸民族の植民地化の圧力を排除し生き長らえてきたのは
法のもと民族的運命共同体的モラルが他の民族を驚かせるほど確立していた
高度な民族であったからでもある。
ブログ戦争成るものをはじめて見聞きしたが、そんな流暢なことをしてるヒマは世界情勢に照らして
この国には無い。
食料自給率、唯一の資源の水さえ危ない。
それでも国家はその方向に動かない。国家機能が麻痺してるからである。
解散で民意を問わずに内閣が成立する不作為な法執行者の政治家は自らの首をしめてるに過ぎない。
あらゆる人々が持てる力を発揮して平成の明治維新に優るとも劣らぬ
維新を断行せねばならない時期である。
ブログはその一翼を担うに十分すぎる影響力がある。
選挙法でブログが違反とされてるのは何も不法文書だけが真実ではなかろう。
その威力の怖さもあるからだとみる。
小沢民主が農業死期回復の保護策の参議院選挙で訴え勝利したのに
この国会で管議員の演説中にも怒号のヤジの自民公明の与党席。
為政者と同じでこの国の瀕死の状態が見えておられぬこのブロガー。
このブロガーは自分の神から与えられし己の力を解っていないようだ。
溢れる英知を使う道をみ誤っている。
場末の老い先無き爺を相手してる余裕がこの日本民族の将来を見るときに、あるはずがない。
ブログを散見する限り、先輩者に対する尊敬語を使えない亀田家的欠陥を除けば、
権力者たちが新しきブログ文化奪取のため、潜り込ませた人々に対応できる中心英知者たちの一人になりえる。
ただ知力は両刃の剣。使いようでは善にも悪にもなる。
勧善懲悪の単純文化に一石を投じた横山光輝の鉄人28号の操縦器を
心正しき正太郎少年の手にあるや否やと似ている。
今のところ自分の置いてる位置があまりにも低すぎる。
もっと力があるのゆえ残念で仕方ない。
偉人・西郷隆盛などとの出合いが無いからなんであろう。
ただ大西郷でさえ初期は小物であった。
主君斉彬から
「東湖をみずして佐内を見よ」との敬愛する人からの心痛なる意見があって
しぶしぶ時代に早き水戸学を捨て幕末四賢の橋本佐内に会い従い学ぶ。
緒方洪庵の適塾の塾頭も勤め、主君春嶽候と共に幕末を回天した佐内。
オット!回天ととか使うとまた言葉尻の揚げ足を取られそうである。
大意でなく間違い探しのブログ戦争を御趣味とされてる小人ゆえ持ってる知恵の使いどころを誤っておられる。
矛先をもっと大きく、いい国家作りに向けねば能力ある自分がかわいそうではないか。
もっと国家を動かしてる人々と戦わねば。
だがそうすると権力は化けの皮を剥き襲い掛かってこよう。
ブログ文化草創期の時期ゆえ貴重なる年月である。
佐高信金子勝立花隆筑紫哲也・・わが身を賭け真剣に国家と対峙し
国家の舵取りを必死に正しきものにしようと足掻き生きている。
老い先無き爺どもである。
明治を造った若き優秀な世代はこの時代には場末ブログで戦争してエネルギーが残っていない。
いつまでも成長無きブログサーフィンで刺激を求め徘徊して戦争を挑んでる繰り返してる時期は卒業がいい。
このようなことが惹起する限り年寄りブロガーは怖くてブログ文化から退散するしかない。
慟哭でブログアップをしなかったのはこれらの理由からである。
7年近く続けてきたブログから撤退を真剣に考えた。
立ち向かう相手と意気消沈する相手があることで元気を取り戻した。。
このブロガーの秘めてるものは獲物を捕獲す入る寸前の獣のの香りを爺の世間経験から嗅覚的に感じ取る。
ゲバルトのためには大きな精力的、なかまがまず死を低めた暴虐の対象であったる前衛党の末路。
その集大成の浅間山荘事件は映画にもなった。
危機管理内閣室長の東京石原選挙対策委員長を務めた佐々淳行はこのとき現地行動責任者。
神戸震災では革新の旗手たる村山社会党内閣はなんら生かせなかった。
インターネットの世界文化と菱の代紋組織が初期神戸をすくった現実。
一億二千万のこの民族を食わしてくれる国家作りの戦士の一人にいつなっていただけるのか。
息子ほどの若きクセにつまらぬもにエネルギーを裂くべきでない。
両親一族をを悲しませるな。その天意を腐らせるな。
洋の東西を問わず亀田家以外は長幼のジョの警護を持って接するのがその人の人格を決めえる。
シューベルトでさえモーツアルトの隣に眠る事実は先輩の生きてきた偉業を称えてることである。
どのようにしても超えることができぬもの。
せきやんの年齢を超ええることである。
残念ながら厳粛なる事実である。
加齢は平等に一年ひとつしか年は加わらない。
両親をこえたる年端の子がいることを天地がひっくり変わろうと聞いたことが無い。
天邪鬼は義理の両親と子の逆転関係を持ってあげつらおうとしようが
まさに今やってることそのもの徒労にすぎない。
ブログの支配者権力者のごとき振る舞い言動はやめたまえ!忠告しとこう。
まだこれでもブログ戦争をしたい。
も〜〜〜餓鬼!オシリペンペンしちゃうぞ〜
NHK深夜便イブモンタン・小椋桂作品から癒しで貢献した人生。
小椋桂・・この汽車は・・歌ってみるがいい。
人生そのものだ。
真っ白な道。作詞は依頼してのもの。私そのものと感情移入する。。
人さまざまなる社会貢献で社会は進歩していく。
人生とは一体なんなのか。
人生の永久のテーマのはずである。
アメリカ発の住宅不良債権がファンドに潜り込んでしまい
経済的混迷が背景にありながらの好調なる世界経済。
計画性なき市場本位主義の資本主義経済の持つ宿悪。
不確定な見えざる手や白馬の騎士などが救世主として希望をかける砂上の楼閣のバクチ世界経済。
アメリカがクシャミをすれば日本が風邪引く経済状況はなんら解決してないアメリカ頼み。
問われてるテロ特措法のいくえ如何が主権国家たる日本の国威発露、真の自主独立の中での世界連帯となろう。
どうしても、出動してる給油の艦隊を一度引き上げる老獪なる政治手法は低頭・福田内閣の性格を現している。
配置された大臣経験者。
高村正彦外務大臣は99年の周辺事態法のときの外務大臣。
どんな追及も無難にかわし「スーパー政府委員」とあだ名がついた。
日本軍が始めて海外へ飛出す道筋をつけた。そして今次の同じポスト。、
石破防衛大臣にしてもそうである。「爆笑問題・大田光総理大臣」にも出演も常連。
給油問題の切り札、パフォーマンスやその場処理でなく保守政治家の本領発揮。
単純に国益国益と叫ぶ、安倍や久間の極右政治家の単純性とは大きく違う。
軍事そのもの、戦争そのものに敏感に即物的に反応する国民はその政策に喝采する。
国民はこの現実処理的政治にまたもや翻弄されるのであろう。
テロ特措法が国民の意見としてどうするのだとド〜ンと国民意見を求め投げ出される。
自民党本領の福田内閣の底力に国民はまた騙されよう。
見てくれと本性としての好戦的体質の本性。
安倍のように威高く戦後レジームを叫ばず粛々と憲法改正への地ならしを進めよう。
まずはk財政基盤の確立。インフレ政策の地ならしの物価高の追認である。
久しぶりの20年ぶりに聞く物価高、インフレ政策は悠然とされ、それを物語っている。
もちろん増税のシナリオが追従してくるのは歴史の指し示してきた事実。
狙われるのは消費税。消費税内閣の福田内閣であろう。
戦争経済を目指す、まさに災害は忘れた頃にやってくる。
みかけの穏便な福田康夫の政治スタンスの本領発揮。
見た目の人と実際との大違いである。
似たような事はよくあることである。
自転車はれっきとした車。
歩道でなく車道しか法上は走れない。
日常の常識はそうではなくほとんどの人が間違いを容認している。
歩道では降りて押して歩くのが正しいあり方である。
ただ車道を走るのは怖い。
車の方だって運転してみればわかるが車道を走る自転車が怖い。
よって「チンリ〜ン」と我が物顔で歩道を通過すのを歩行者も含め間違って認めている風景。
ところでその自転車振興会会長を見れば驚く。
NHK美人アナの下重暁子なんである。
テレビで見ないなぁ〜と思ってたら著書のエッセーがいい。
するとナント、日本ペンクラブの理事。
その後のポストである。
本気で競輪事業の振興はってんにさえ勤めている。
宮崎・清武にも場外発券場がオープンするが来宮するのか。
自転車のペダルを踏めば渋谷、赤坂、青山の地形が名のお住まい近くの江戸。
宮崎にも似た地名状況の黒谷、鹿発坂、青山が京街を目指した伊東家の知名に自転車探査の宮崎でみれる。
秋の最高の日々が続いている宮崎。
どうみても自転車で颯爽と表参道を闊歩してるが如しでもない。
自転車で闊歩もせきやん流でもあるが。
素性見てくれからしてどうも自転車に乗れそうも無いし、ましてや博徒ができようや。
趣味がバレーを踊ることとオペラ鑑賞ときてもなんら違和感も無い。
福田・石破・高村の布陣に小沢・管・鳩山を対峙させてもテロ特措法の混迷度がみえてくる。
状況は独り立ちしきれぬ脱亜入欧の貧相なる国民意識である。
平和ボケの飽食民族はマンガ、孤立化した環境の薄っぺらな自己本位主義で地球レベルでの自己意見は無い。
瑞穂の国の集団助け合い政治経済民族の本領がとわれと右往左往する政治判断となろう。
選民たるバッジ族の仕事放棄であり、無責任体制の蔓延化であることの証左である。
戦争無き平和な地球環境をめざし先人は全知能を傾けてきた。
宇宙に人を送り、全世界規模での食料を中心たる移動手段の恒常化の社会システムを構築した。
かって経済原論で社会を分析したマルクスは発禁になるのを恐れイソップ物語で書かざる得なかったと
資本論の改題序文で読書に当たっての注意事項を書き留めた。
文化面では特にその傾向をもつ。
映画ファンなら「東京」から目が離せない。
開幕した東京国際映画祭。エントリーは15作品。健闘できるか中井喜一作品もある。
、東京を描いた戦後の傑作50本が特別に上映される。
新聞が報じている。
千代田区の神保町シアターで始まる企画も、昭和30年代の東京を舞台にした作品の特集だ。
『煙突の見える場所』『東京暮色』『新宿泥棒日記』……。
映画祭のラインアップはこの大都会の変容そのものだ。
片や神保町シアターの番組には、地方から無数の若者が集まった高度成長期を見つめた作品が多い。
資本主義的経済体制に急変した地方にある労働力を都会に吸収し価値を生み出し企業は力をつけた。
剰余価値だの搾取だのG-Wなる記号的説明など要らない。賃金価格利潤だけで十分である。
映画人にとって、あらゆるものをのみ込み膨張を続ける東京という怪物は最高の題材に違いない。
そんな東京のエネルギーの源は「法人二税」。
圧倒的な数の企業が、年間2兆4000億円もの事業税と都民税を落とす。
これをもっと地方に手厚く配分しようという構想が政府・与党内に浮かんできた。
二税を人口などを基にして見直すと、東京都の税収は半分以下にも減るという。
都が猛反発するのも無理はない。
往年の多くの映画は、東京が集団就職の青年をはじめ地方の力を借りて成長する姿を映し出している。
その恩は忘れないけれど、あまり派手な恩返しをすれば首都も弱ってしまう
。映画祭では若き日の石原慎太郎知事の主演作『危険な英雄』も見られる。
税をめぐる今度のドラマ。全国の知事の振る舞いはいかに。
語句率行政法人たることは大学でさえ容赦しなかった。ただどうであろう。
東京にある大学は土地の切り売りでさえ生き延びられる。
地価の格差が急速に広がっている。
平均住宅地価が東京の1割に満たない道県は2002年の5から07年は19に増えた。
これは全都道府県の4割にものぼる。
都市再開発で東京の地価は上がる一方、地方は下げどまらない。
地方の不満は爆発寸前だ。先日は四国の面々。橋本知事もみえ、兄龍太郎を髣髴させていた。
07年の都道府県地価調査の内容は衝撃的。
住宅地の都道府県別価格指数(東京・100)で10を割る道県が19と
、06年の13から増加。
岩手、新潟、山梨、岡山、山口、佐賀の各県が新たに東京対比でひとケタ台に沈んだ。
「資本の論理」で土地の優劣が鮮明に成ったる成熟爛漫の資本主義経済体制。
平均価格指数が最も低かったのは秋田県の5.9で、東京のおよそ17分の1。
県の住宅地平均で、これだけ東京と差が開くことは過去10年にはなかった。
平均ではなく個別地点で比べると、住宅地で最も高いのは東京都千代田区五番町の1平方メートル当たり315万円。
これに対して人口10万人以上の市の住宅価格で最も低い地点は新潟県上越市にあってその価格は1280円。
五番町の2460分の1となっている。
格差が広がったのはその土地があげる収益を基準に地価を決め始めたためだ。
ヒト、モノ、カネが集まる東京は住宅地の収益性向上が期待できる。
規制緩和によって再開発が相次ぎ、住宅の高層化も進んだ。そのため、地価に上昇圧力がかかる状況が続いている。
一方、過疎化、高齢化が進む地方は収益が見込みにくい。
需要が少ないので高層化も進まず、地価がずるずる下がり続けている。
地価に資本の論理を取り入れた結果、土地の優劣が鮮明になった格好だ。
政策との関連で見ると、小泉純一郎首相が2001年に都市再生本部をもうけ都市再開発を促した。
それが東京での再開発ブームを巻き起こし、日本経済をデフレスパイラルの危機から救ったのは事実だ。
ただ、東京の地価上昇は全国に波及せず、地価格差の拡大という副作用をもたらした。
東京の持ち家比率(住宅総数に対する持ち家総数の比率)は40%代半ばなのに対し、富山や秋田の比率は80%に迫る。
地方では地価下落に伴う逆資産効果は無視できず、それが格差の痛みを大きくしている面もある。
住宅地の都道府県別価格指数
(価格指数:東京都=100)
都道府県 2002年 2007年
北海 8.6 6.6
青森 9.0 7.1
岩手 12.1 8.9
宮城 15.3 11.5
秋田 9.2 5.9
山形 11.0 7.1
福島 10.6 7.4
茨城 17.2 11.4
栃木 18.3 12.5
群馬 15.7 10.6
埼玉 42.6 34.0
千葉 28.5 23.5
東京 100.0 100.0
神奈 67.2 53.7
新潟 13.3 9.1
富山 16.0 10.8
石川 20.4 14.9
福井 16.7 11.7
山梨 14.4 9.4
長野 11.5 7.4
岐阜 15.2 11.0
静岡 28.9 21.8
愛知 35.8 29.8
三重 14.8 10.8
滋賀 20.0 15.4
京都 44.3 32.9
大阪 60.7 46.2
兵庫 37.1 28.3
奈良 25.6 18.5
和歌 18.8 12.9
鳥取 11.7 8.2
島根 8.9 7.6
岡山 14.2 9.8
広島 20.5 16.7
山口 13.5 9.5
徳島 18.5 12.7
香川 19.0 12.6
愛媛 17.4 13.0
高知 16.4 13.4
福岡 19.1 14.3
佐賀 9.1 7.1
長崎 11.8 8.4
熊本 11.9 8.6
大分 11.5 8.6
宮崎 10.0 8.0
鹿島 11.1 9.2
沖縄 16.1 11.9
あくまで個人的な備忘録のはずだ。
なんも批判批評の対象に晒される代物ではない。
他人に論評されたり、監視覗かれる類のものではない。
ただ公開されてる以上、
たかがブログされどブログと心ひそかに堅持してるものがある。
だが、ブログの発信を性格上持ち合わせているので、あくまでも初期目的の如くの個人の密かな意見で終わらないところと成る。
NHKで作秋女子大生ブロガーの発言で明らかになったこと。
「私は定期的にあるPR会社から依頼され起業の新製品などの魅力をブログに書いて小遣いをもらっています。」
やらせではないかと疑われもした。センセンショナールをまきおこした。
昨年アメリカから入って来たブロガーを宣伝PRに利用する考え方が露呈した訳である。
、これを機に宣伝する企業側も広告代理店も意識が大きく変わったとされる。
人気俳優や歌手、キャラクターを使ってれば、モノは売れていた。
一方通行の宣伝の確実なる脆弱化の進行の証左である。
1000円程度の報酬らしい。
有名人のブログなら50万円にもなるそうである。
旅行不動産など専門別ブロガーも集められたらしい。
PRのツールとして企業に取り込まれるブロガーの自滅行為。
ブロガー集めのプロダクションさえ存在しているらしい。
生き様が硬くいわゆる要慮ワル=世渡りベタは
「会社の悪口をかかれと困るので読でます。」とか、云われると、辛い。
全くの虚脱感に陥る。
このエネルギッシュのかたまりにも欠陥があるわけだ。
せきやん殺すにゃぁ刃物はいらぬ、仲間の一人を裏切らすればいい。
欠陥を白日のもとにさらし叉それに加わったものがわかった。
見知らぬカキコでプチ炎上で困ったことを想起するからである
現に楽しみであったランキングは壊れたまま。
そのことを知り書きつ慣れてるこのカキコの人。共同謀議者ではないか。
にっくき!犯人見つけたり。
2チャンネルなどのせきやん包囲網に何らかの形で荷担された一味の一人を
自ら求めもしないのに告白している。
何のことか息子にまで言及してるモラル違反。
私と息子らは他人から言われる筋合いは無い。
犯罪に向けて法整備が整いつつあるのを御存知ないらしい。
危ないですぞ!ブログに勝手なことするの。
ブログ文化を老人の視点でその力にあわせた実験例でつくりあげんがために
日々努力してる先行き無き場末ブログの爺をからかうと。
現にカキコの人は爺から見れば年端もいかぬ社会の中心にならねばならぬ社会的使命の年齢なのに
国家発展に尽くすとの大儀、芒洋たる男のロマンの意志が低く宝の持ち腐れ。
世界に船出する先導役で活躍せねばならぬ世代なのにその気概に欠ける。
わが大和民族が呉越同舟で諸民族の植民地化の圧力を排除し生き長らえてきたのは
法のもと民族的運命共同体的モラルが他の民族を驚かせるほど確立していた
高度な民族であったからでもある。
ブログ戦争成るものをはじめて見聞きしたが、そんな流暢なことをしてるヒマは世界情勢に照らして
この国には無い。
食料自給率、唯一の資源の水さえ危ない。
それでも国家はその方向に動かない。国家機能が麻痺してるからである。
解散で民意を問わずに内閣が成立する不作為な法執行者の政治家は自らの首をしめてるに過ぎない。
あらゆる人々が持てる力を発揮して平成の明治維新に優るとも劣らぬ
維新を断行せねばならない時期である。
ブログはその一翼を担うに十分すぎる影響力がある。
選挙法でブログが違反とされてるのは何も不法文書だけが真実ではなかろう。
その威力の怖さもあるからだとみる。
小沢民主が農業死期回復の保護策の参議院選挙で訴え勝利したのに
この国会で管議員の演説中にも怒号のヤジの自民公明の与党席。
為政者と同じでこの国の瀕死の状態が見えておられぬこのブロガー。
このブロガーは自分の神から与えられし己の力を解っていないようだ。
溢れる英知を使う道をみ誤っている。
場末の老い先無き爺を相手してる余裕がこの日本民族の将来を見るときに、あるはずがない。
ブログを散見する限り、先輩者に対する尊敬語を使えない亀田家的欠陥を除けば、
権力者たちが新しきブログ文化奪取のため、潜り込ませた人々に対応できる中心英知者たちの一人になりえる。
ただ知力は両刃の剣。使いようでは善にも悪にもなる。
勧善懲悪の単純文化に一石を投じた横山光輝の鉄人28号の操縦器を
心正しき正太郎少年の手にあるや否やと似ている。
今のところ自分の置いてる位置があまりにも低すぎる。
もっと力があるのゆえ残念で仕方ない。
偉人・西郷隆盛などとの出合いが無いからなんであろう。
ただ大西郷でさえ初期は小物であった。
主君斉彬から
「東湖をみずして佐内を見よ」との敬愛する人からの心痛なる意見があって
しぶしぶ時代に早き水戸学を捨て幕末四賢の橋本佐内に会い従い学ぶ。
緒方洪庵の適塾の塾頭も勤め、主君春嶽候と共に幕末を回天した佐内。
オット!回天ととか使うとまた言葉尻の揚げ足を取られそうである。
大意でなく間違い探しのブログ戦争を御趣味とされてる小人ゆえ持ってる知恵の使いどころを誤っておられる。
矛先をもっと大きく、いい国家作りに向けねば能力ある自分がかわいそうではないか。
もっと国家を動かしてる人々と戦わねば。
だがそうすると権力は化けの皮を剥き襲い掛かってこよう。
ブログ文化草創期の時期ゆえ貴重なる年月である。
佐高信金子勝立花隆筑紫哲也・・わが身を賭け真剣に国家と対峙し
国家の舵取りを必死に正しきものにしようと足掻き生きている。
老い先無き爺どもである。
明治を造った若き優秀な世代はこの時代には場末ブログで戦争してエネルギーが残っていない。
いつまでも成長無きブログサーフィンで刺激を求め徘徊して戦争を挑んでる繰り返してる時期は卒業がいい。
このようなことが惹起する限り年寄りブロガーは怖くてブログ文化から退散するしかない。
慟哭でブログアップをしなかったのはこれらの理由からである。
7年近く続けてきたブログから撤退を真剣に考えた。
立ち向かう相手と意気消沈する相手があることで元気を取り戻した。。
このブロガーの秘めてるものは獲物を捕獲す入る寸前の獣のの香りを爺の世間経験から嗅覚的に感じ取る。
ゲバルトのためには大きな精力的、なかまがまず死を低めた暴虐の対象であったる前衛党の末路。
その集大成の浅間山荘事件は映画にもなった。
危機管理内閣室長の東京石原選挙対策委員長を務めた佐々淳行はこのとき現地行動責任者。
神戸震災では革新の旗手たる村山社会党内閣はなんら生かせなかった。
インターネットの世界文化と菱の代紋組織が初期神戸をすくった現実。
一億二千万のこの民族を食わしてくれる国家作りの戦士の一人にいつなっていただけるのか。
息子ほどの若きクセにつまらぬもにエネルギーを裂くべきでない。
両親一族をを悲しませるな。その天意を腐らせるな。
洋の東西を問わず亀田家以外は長幼のジョの警護を持って接するのがその人の人格を決めえる。
シューベルトでさえモーツアルトの隣に眠る事実は先輩の生きてきた偉業を称えてることである。
どのようにしても超えることができぬもの。
せきやんの年齢を超ええることである。
残念ながら厳粛なる事実である。
加齢は平等に一年ひとつしか年は加わらない。
両親をこえたる年端の子がいることを天地がひっくり変わろうと聞いたことが無い。
天邪鬼は義理の両親と子の逆転関係を持ってあげつらおうとしようが
まさに今やってることそのもの徒労にすぎない。
ブログの支配者権力者のごとき振る舞い言動はやめたまえ!忠告しとこう。
まだこれでもブログ戦争をしたい。
も〜〜〜餓鬼!オシリペンペンしちゃうぞ〜
NHK深夜便イブモンタン・小椋桂作品から癒しで貢献した人生。
小椋桂・・この汽車は・・歌ってみるがいい。
人生そのものだ。
真っ白な道。作詞は依頼してのもの。私そのものと感情移入する。。
人さまざまなる社会貢献で社会は進歩していく。
人生とは一体なんなのか。
人生の永久のテーマのはずである。
アメリカ発の住宅不良債権がファンドに潜り込んでしまい
経済的混迷が背景にありながらの好調なる世界経済。
計画性なき市場本位主義の資本主義経済の持つ宿悪。
不確定な見えざる手や白馬の騎士などが救世主として希望をかける砂上の楼閣のバクチ世界経済。
アメリカがクシャミをすれば日本が風邪引く経済状況はなんら解決してないアメリカ頼み。
問われてるテロ特措法のいくえ如何が主権国家たる日本の国威発露、真の自主独立の中での世界連帯となろう。
どうしても、出動してる給油の艦隊を一度引き上げる老獪なる政治手法は低頭・福田内閣の性格を現している。
配置された大臣経験者。
高村正彦外務大臣は99年の周辺事態法のときの外務大臣。
どんな追及も無難にかわし「スーパー政府委員」とあだ名がついた。
日本軍が始めて海外へ飛出す道筋をつけた。そして今次の同じポスト。、
石破防衛大臣にしてもそうである。「爆笑問題・大田光総理大臣」にも出演も常連。
給油問題の切り札、パフォーマンスやその場処理でなく保守政治家の本領発揮。
単純に国益国益と叫ぶ、安倍や久間の極右政治家の単純性とは大きく違う。
軍事そのもの、戦争そのものに敏感に即物的に反応する国民はその政策に喝采する。
国民はこの現実処理的政治にまたもや翻弄されるのであろう。
テロ特措法が国民の意見としてどうするのだとド〜ンと国民意見を求め投げ出される。
自民党本領の福田内閣の底力に国民はまた騙されよう。
見てくれと本性としての好戦的体質の本性。
安倍のように威高く戦後レジームを叫ばず粛々と憲法改正への地ならしを進めよう。
まずはk財政基盤の確立。インフレ政策の地ならしの物価高の追認である。
久しぶりの20年ぶりに聞く物価高、インフレ政策は悠然とされ、それを物語っている。
もちろん増税のシナリオが追従してくるのは歴史の指し示してきた事実。
狙われるのは消費税。消費税内閣の福田内閣であろう。
戦争経済を目指す、まさに災害は忘れた頃にやってくる。
みかけの穏便な福田康夫の政治スタンスの本領発揮。
見た目の人と実際との大違いである。
似たような事はよくあることである。
自転車はれっきとした車。
歩道でなく車道しか法上は走れない。
日常の常識はそうではなくほとんどの人が間違いを容認している。
歩道では降りて押して歩くのが正しいあり方である。
ただ車道を走るのは怖い。
車の方だって運転してみればわかるが車道を走る自転車が怖い。
よって「チンリ〜ン」と我が物顔で歩道を通過すのを歩行者も含め間違って認めている風景。
ところでその自転車振興会会長を見れば驚く。
NHK美人アナの下重暁子なんである。
テレビで見ないなぁ〜と思ってたら著書のエッセーがいい。
するとナント、日本ペンクラブの理事。
その後のポストである。
本気で競輪事業の振興はってんにさえ勤めている。
宮崎・清武にも場外発券場がオープンするが来宮するのか。
自転車のペダルを踏めば渋谷、赤坂、青山の地形が名のお住まい近くの江戸。
宮崎にも似た地名状況の黒谷、鹿発坂、青山が京街を目指した伊東家の知名に自転車探査の宮崎でみれる。
秋の最高の日々が続いている宮崎。
どうみても自転車で颯爽と表参道を闊歩してるが如しでもない。
自転車で闊歩もせきやん流でもあるが。
素性見てくれからしてどうも自転車に乗れそうも無いし、ましてや博徒ができようや。
趣味がバレーを踊ることとオペラ鑑賞ときてもなんら違和感も無い。
福田・石破・高村の布陣に小沢・管・鳩山を対峙させてもテロ特措法の混迷度がみえてくる。
状況は独り立ちしきれぬ脱亜入欧の貧相なる国民意識である。
平和ボケの飽食民族はマンガ、孤立化した環境の薄っぺらな自己本位主義で地球レベルでの自己意見は無い。
瑞穂の国の集団助け合い政治経済民族の本領がとわれと右往左往する政治判断となろう。
選民たるバッジ族の仕事放棄であり、無責任体制の蔓延化であることの証左である。
戦争無き平和な地球環境をめざし先人は全知能を傾けてきた。
宇宙に人を送り、全世界規模での食料を中心たる移動手段の恒常化の社会システムを構築した。
かって経済原論で社会を分析したマルクスは発禁になるのを恐れイソップ物語で書かざる得なかったと
資本論の改題序文で読書に当たっての注意事項を書き留めた。
文化面では特にその傾向をもつ。
映画ファンなら「東京」から目が離せない。
開幕した東京国際映画祭。エントリーは15作品。健闘できるか中井喜一作品もある。
、東京を描いた戦後の傑作50本が特別に上映される。
新聞が報じている。
千代田区の神保町シアターで始まる企画も、昭和30年代の東京を舞台にした作品の特集だ。
『煙突の見える場所』『東京暮色』『新宿泥棒日記』……。
映画祭のラインアップはこの大都会の変容そのものだ。
片や神保町シアターの番組には、地方から無数の若者が集まった高度成長期を見つめた作品が多い。
資本主義的経済体制に急変した地方にある労働力を都会に吸収し価値を生み出し企業は力をつけた。
剰余価値だの搾取だのG-Wなる記号的説明など要らない。賃金価格利潤だけで十分である。
映画人にとって、あらゆるものをのみ込み膨張を続ける東京という怪物は最高の題材に違いない。
そんな東京のエネルギーの源は「法人二税」。
圧倒的な数の企業が、年間2兆4000億円もの事業税と都民税を落とす。
これをもっと地方に手厚く配分しようという構想が政府・与党内に浮かんできた。
二税を人口などを基にして見直すと、東京都の税収は半分以下にも減るという。
都が猛反発するのも無理はない。
往年の多くの映画は、東京が集団就職の青年をはじめ地方の力を借りて成長する姿を映し出している。
その恩は忘れないけれど、あまり派手な恩返しをすれば首都も弱ってしまう
。映画祭では若き日の石原慎太郎知事の主演作『危険な英雄』も見られる。
税をめぐる今度のドラマ。全国の知事の振る舞いはいかに。
語句率行政法人たることは大学でさえ容赦しなかった。ただどうであろう。
東京にある大学は土地の切り売りでさえ生き延びられる。
地価の格差が急速に広がっている。
平均住宅地価が東京の1割に満たない道県は2002年の5から07年は19に増えた。
これは全都道府県の4割にものぼる。
都市再開発で東京の地価は上がる一方、地方は下げどまらない。
地方の不満は爆発寸前だ。先日は四国の面々。橋本知事もみえ、兄龍太郎を髣髴させていた。
07年の都道府県地価調査の内容は衝撃的。
住宅地の都道府県別価格指数(東京・100)で10を割る道県が19と
、06年の13から増加。
岩手、新潟、山梨、岡山、山口、佐賀の各県が新たに東京対比でひとケタ台に沈んだ。
「資本の論理」で土地の優劣が鮮明に成ったる成熟爛漫の資本主義経済体制。
平均価格指数が最も低かったのは秋田県の5.9で、東京のおよそ17分の1。
県の住宅地平均で、これだけ東京と差が開くことは過去10年にはなかった。
平均ではなく個別地点で比べると、住宅地で最も高いのは東京都千代田区五番町の1平方メートル当たり315万円。
これに対して人口10万人以上の市の住宅価格で最も低い地点は新潟県上越市にあってその価格は1280円。
五番町の2460分の1となっている。
格差が広がったのはその土地があげる収益を基準に地価を決め始めたためだ。
ヒト、モノ、カネが集まる東京は住宅地の収益性向上が期待できる。
規制緩和によって再開発が相次ぎ、住宅の高層化も進んだ。そのため、地価に上昇圧力がかかる状況が続いている。
一方、過疎化、高齢化が進む地方は収益が見込みにくい。
需要が少ないので高層化も進まず、地価がずるずる下がり続けている。
地価に資本の論理を取り入れた結果、土地の優劣が鮮明になった格好だ。
政策との関連で見ると、小泉純一郎首相が2001年に都市再生本部をもうけ都市再開発を促した。
それが東京での再開発ブームを巻き起こし、日本経済をデフレスパイラルの危機から救ったのは事実だ。
ただ、東京の地価上昇は全国に波及せず、地価格差の拡大という副作用をもたらした。
東京の持ち家比率(住宅総数に対する持ち家総数の比率)は40%代半ばなのに対し、富山や秋田の比率は80%に迫る。
地方では地価下落に伴う逆資産効果は無視できず、それが格差の痛みを大きくしている面もある。
住宅地の都道府県別価格指数
(価格指数:東京都=100)
都道府県 2002年 2007年
北海 8.6 6.6
青森 9.0 7.1
岩手 12.1 8.9
宮城 15.3 11.5
秋田 9.2 5.9
山形 11.0 7.1
福島 10.6 7.4
茨城 17.2 11.4
栃木 18.3 12.5
群馬 15.7 10.6
埼玉 42.6 34.0
千葉 28.5 23.5
東京 100.0 100.0
神奈 67.2 53.7
新潟 13.3 9.1
富山 16.0 10.8
石川 20.4 14.9
福井 16.7 11.7
山梨 14.4 9.4
長野 11.5 7.4
岐阜 15.2 11.0
静岡 28.9 21.8
愛知 35.8 29.8
三重 14.8 10.8
滋賀 20.0 15.4
京都 44.3 32.9
大阪 60.7 46.2
兵庫 37.1 28.3
奈良 25.6 18.5
和歌 18.8 12.9
鳥取 11.7 8.2
島根 8.9 7.6
岡山 14.2 9.8
広島 20.5 16.7
山口 13.5 9.5
徳島 18.5 12.7
香川 19.0 12.6
愛媛 17.4 13.0
高知 16.4 13.4
福岡 19.1 14.3
佐賀 9.1 7.1
長崎 11.8 8.4
熊本 11.9 8.6
大分 11.5 8.6
宮崎 10.0 8.0
鹿島 11.1 9.2
沖縄 16.1 11.9
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