身の振りかた

2007年10月6日
6日の誕生日の花は葉ケイトウ。その趣意は不老不死
隠れ住む門に目立つや 葉ケイトウ。

雑草の如く犬走りの端っこから生え揃って立ち上がり成長する。
種子が熟した後、指でわずかに圧をかけ抑えるとはじけ飛ぶ。

子供ゆえ面白きさまからトビシャコの別称のホウセンカも同様であった。
葉ゲイトウとホウセンカはどう風景である。
似た状況に昨日は悩んだ。

一夜かけて書いたものがアップロードできず凹んでいる。
思い出し書くことほど辛いものはないので諦め昨日起きたその数字の使い方での強要される
実績評価の差異を瞬時の思いつきで読書の秋で図書館術と対比してみる。

企業は人である。
またその永久の繁栄は組織秩序の維持にある。

何も会社発展の野心に満ち溢れたる人の旺盛さでなく清貧高潔だけでいい。
ここに大上段に論づべき問題でもない初歩的ことで書くのさえ稚戯すぎる。

実に不思議なる歴史的事実は無血の明治革命である。
維新と言葉を変えてることにはイデオロギー対立の深刻さに為政者が作り出したる言葉なんであろう。

上野のお山の彰義隊や会津藩、東北の親幕府
最後の戦い函館に立てこもった榎本武揚、新撰組土方歳三らの抵抗はあったゆえ
無血革命の歴史的意義付けがぼやけてはいる。

フランス、イギリス、アメリカの南北戦争とを比較することで明治革命の平和的移行が
理解できる。

似たようなことが限定的に言えることは太平洋戦争での敗戦を受け入れる1945年8月15日の
敗戦の天皇の玉本放送にも見られる。

日中、太平洋戦争と大きな犠牲の元での敗戦ではあるが今日があるのも最終的にはあのときの戦争の終結に向けた足掻き掻きがあり終戦を迎ええることができたゆえである。
二つの事実は人材を保有していたからの一点に尽きる。

そしてそれを作り出した成長過程のどこにでも食料がで来る田んぼが風景があることとだ。
田んぼほど大切なものはない。

思想に何故とおまわれようが環境は極めてその人の思想を形作る。
ヘーゲル哲学を引き出すまでもなく意識は存在を決定する命題に他ならない事実がそこにある。

青田波は俳人の季語でもある。
6日NHKラジオ深夜便の朝4時から現代俳句会の会長のウダキヨコのインタビュー形式の語りでも言っていた。

夏は障子にふすまをはずしすだれかえる。器もガラス類が出てくる。
生活慣習から日本人はおりあいをつける、
歳時記はその百科事典。
田の文化がいとおしい。
自然は明治期に作られた新しい言葉であるが、その自然が失われつつある。
特に地球の水がなくなる水がめたる地球の危機である。

みずがめにまだみずのあるゆうやけかな
兵庫県伊丹市かきもり文庫に会長の師・かつらのぶこの展示会が開かれておりその考え方の一端を知ることになろう。
電話は072−782−0244が会場である。

話を戻す。
太平洋戦争は後日に譲るとして明治維新を見てみる。
高野長英も大村益次郎も橋本左内も同じ勉学の塾の出身者である。

どこかとたどって行けば大阪の緒方洪庵の適塾の出である。
その塾のあり方は同であったのか。
福翁自伝がつたえる。

まず始め入門しても何も知らぬものに如何にして教えるか。
翻刻オランダの文献が二冊ある。

「ガランマチカ」「セインタキス」
ガランマチカを教え素読を受ける傍ら講釈を聞かせる。
これを一冊読了するとその通りに教える。

ここまでが授業による指導。
次は会読10数人が一冊の原書を輪読する。

買い集めた舶来のもの医書が、窮理書10冊程度。
一種一冊しかないから各自写して自分用のテキストを作らなければ成らない。
一度に写す事にはならないから籤引きとなる
運が悪ければ毎晩夜中に写すはめになる。

1857年から塾長を勤めていたので塾生の難儀さ不便さを目の前にしてた
福沢諭吉は幕末3度の洋行の機会があった。

慶応3年幕府が買い求めた軍艦受け取りに正使小野友五郎に随行。
本業の通訳を逃げ回り、書籍購入に奔走。
四千両からの原書を購入。
辞書地理所歴史者
今まで見向きもされなかった経済法律書を40部ずつそろえた。
塾生がめいめいもてるようにのことからだ。

正使小野の幕府の書籍が卸値で買えると知って自分の分もいっしょに購入させようと滑り込ませたという。
運賃でも公の荷物に入れ公金勘定にした。

正使小野友五郎は帰国すると神奈川奉行に差し押さえさせ告発。
自分も管理不行き届きで進退伺いをだした。
取り締まり不行届出の進退伺いである。

外国奉行から
「御用中不都合の次第あり、謹慎申しつくる」
命をたまわった不名誉な事実の福沢諭吉。
志の国家的一大事の建国一途の将来の想いからとはいえ犯罪との断罪の事実はある。

もっとも幕府崩壊で放免となる。法知識が弱いが未決囚であることには違いない。
明治の新聞王福地源一郎に告白している。

商人からのコミッションや運賃その他併せてて一万五千弗利得した。
問題は書籍の置き場である。

芝の新銭座に、明治初年
慶応4年有馬藩中屋敷が買ってあった

請けで建物建設に入る。
できるだけ安く完成させる想いからであろう。

歴史と照らし合わせれば驚くことに官軍上洛で江戸中が騒いでる最中である、
大工左官飛びついて請け飯が食えれば結構と破格の安さで請け負わせた。

中津の奥平家の長屋を買って移築。
150坪を4百両で仕上げた、

その当初の塾生は幕末の動乱で18人。
明治4年図書室設置を設置した。

新銭座から三田の島原藩邸跡移った後である。
「月波楼」と建物はなずけられた。

図書は寄付で備えられ充実していく。
ゆかりの馬場辰猪、目賀田種太郎金子堅太郎も寄贈
「慶応義塾書館」の蔵書印を捺しおさめた。

中国流解釈では「書館」=娼楼を意味してたが気にしなかった。
校舎配置図から見ると品川沖を望む絶好地に図書館は配置された。

近代図書館の性格機能との規則は文明開化の音がする。

蔵書目録をそろえること
至極当然なこのことの初期的処理から整理は始まる。
細かな取り決めも実施された。
蔵書を売り払うときは古書売り払いの印を押すこと

貸出日は何日である
貸し出し方法はどうする

一年に三度、内外社中借用の書籍を皆集め蔵書目録と引き合わすこと
書籍九両として
借用した社長から金を納めさせること
一銀9文、4文5分
即物的で高い焼種油ゆえ必要以上はは消し、そのときの市に従い代金を償はしむ可し

和服姿の熟生がまるい形の机で灯火には代金を取った。
本を読んだ風景が想像できる

寄宿舎学外の公開であった。
素晴らしいことである。
草創期の人材は断片メモじかんがにゆえである。

門野幾之進(1856〜1938)
土佐16で教員16年校長
31年大学えひめ菅学応1868〜1932
平山幹次

田中一貞(1872〜1911)
エール、パリ大学
1858創建安政5年明治41年50周年

和田英作(1874〜1959)
武将が馬から降り自由の女神に対する構図
下辺ラテンゴでペン派遣より強し。
大正4年12月13日。
小川三相
20年5・25空襲

水上滝太郎
馬場孤蝶泉鏡花
49年12月復元
東京書籍菅等許プ図書館の前身
慶応の図書館のことである。

会社の発展充実も似たようなことであろう。
目先の売上のみでは人材は育たない。

恐怖政治に似たるものでは発展するはずがない。
内外に結末が例示がある。
相撲への親方の顛末であり、タイをミャンマーと凶変させた1988年以来の軍政政治の国みたいなもの。
コンゴがザイールもそうである。

ビルマの竪琴では現地に残る責任者の立場にあったものの責任感である。
責任のとり方がいずれにしろはっきりすることである。
売上の数字は給与と対比されてのみ真実性を増す。
企業は人なり企業は正しき扱い方の数字なり。

1969年(昭和44年)お役所、松戸にすぐやる課
ガできた日が10月6日の今日である。

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