モラル

2007年10月5日
ことさら早く10月5日をむかえている。
法人化の約束のリミットはいとも簡単に破られていく。
精神的図太さは深まるどころか帰って細くつながってるのさえ不思議なるほどである。

今日の誕生日の花はイタドリ。
痛みをとるがその名の由来のようで「回復」がその意である。

若芽の頃はサドガラと呼び非常に薄き皮をむき、塩をつけ食した
スッポンとは後に書物の図鑑で覚えた名だが著者が牧野富太郎であったかどうかの記憶は定かでない。

節と節の間が空間になってるので噛むと音を出す「スッポン!」
少々その噛み方に技術がいる。歯と口内と唇と舌の絶妙なる連携のもとの音の変換。

「スッカン!」「すっこん〜〜ん!」「スッポン!」ノビルや他も加わり食べながらの室外オーケストラ。
春の野原の或いは夏が待ちきれぬ早々の川遊びの堤防はいつも腹をすかしてる子らの食料基地
長じてイタドリとなる。
呼び名はあるいはそのものに間違いを感じてる部分さえ持つ不安さえ感じて書いている。
間違いだ。!かきこみがきそうである。
記憶はあてにならない。

秋晴れのどこかに杖を忘れたり
あまりものの見事なるとてつもない高さの秋の空。
忘れモンさえ誘発させる自然の織り成す季節の変化
三橋美智也は♪トンビはくるりと輪をかいたホ〜イの〜〜ホイ!♪と情感タップリ歌った。

自然の恵みは最高潮でありとあらゆる恵み物が市場にあふれ食卓を賑わす。
その生産環境を投げ捨てたのはほかでもない化石燃料社会の格差で騒がれてる現在社会の選択であった。

人材的にも化石燃料社会の資本主義的一極集中での都会偏重の社会構造にせっせと励んだ。
工業製品の世界の生産基地となった。

他方農業などの第一次的産業は凋落した。
自然環境から地球上で最高の第一次産業にあった気温下にあるのもにかかわらずである。
先進国で主食の自給率が保ててない唯一の不名誉な食と命の元が保証できてない国家である。

自給率。
コ メ94
畜産物16
油脂類 4
小 麦13
佐藤類32
魚介類59
野 菜76

米  国128
フランス122
英  国 70

この無責任体質は他人を著しく傷つけることさえ平気なる民族に変貌しつつある。
若者のみで作り上げつつあるブログ文化は特にそうである。
受け継がれてきたものの時代変化にあわせた変更でないゆえより歪である。

週刊誌と新聞では違う。
新聞に女の裸の写真は出ない。

家庭宅配と自分から書店コンビニで買う週刊誌の差ではなかろうか
日本人のすみわけの知恵の産物なのかもしれない。

週刊誌も二種に分類されている。
図書館にもサンデー毎日、読売、朝日はあるがポスト、現代はない。
グラビア写真のヌード有無の差では無いのか。

「ヘアー解禁!」はいつから許されたのかさえ明確な記憶が無い。
月曜日に飛行機に乗るのが楽しみであった。
木曜日売り出しのポスト、現代が読めるからだ。

野坂昭如が「四畳半襖の下張り」でエロ裁判で表現の自由で負けたのは知っている。

プロレスと相撲でも違うようで朝青龍に「相撲を止めてプロレスに行け!」
「ショウー」と「神事性」との認識の差であろう。
東スポは何でもありで「東スポネタ」で認知されてるほどだ。

ブログとホームページは違う。
この二つの文化の一つに最初からかかわってるので譲れない。

最初せきやんがPCはじめた頃ホームページはあったがブログの言葉は無かった。
そのプロバイダー技術が無かったんであろう。

ブログの私の認識はいささかも変わらない。
私的日記の認識である。
日記が公開されてるだけである。
始まりは日本ではそうであった。

遊びの域でたかがブログされどブログで深く悩まない。
ホームページではないんだからである。

6年間ほとんど一日も休まず書いてきた。
ウィルスが着たり、仕事の飲み方があったり、出張があっててもである。

この書くにあたり日記なんである。何を書いてもいい。
ただ、公開発信されてるので書き手の倫理が問われよう。
ウソも百篇繰り返せば真実となる。
事実にもとずかないことは書いてはいけない事件にさえ発展しよう。

人の悪口をその人と議論もせずには他に拡大していくなどのマナー違反
そうなる前に何らかの合意に至る努力をする。
書き手は間違いは素直に認めるわびる。誤解を解く努力をする。

ブログとはなにか。
ブログは個人の敷地内の理解でいいんではないか。

挨拶をして書きこみはOK、
身内としてのリンクしてればまったく別である。
見知らぬ人が敷地に無断で立ち入ったら財産権の侵害。不法侵入。

無差別はトウゼンダメである。
すでに知ってる仲、身内は逆に別である。
リンク者同志は身内ではないのか。身内であるとの認識。

苦い経験がある。
誤解を解こうと侘びを書き込みするも許していただけなかった。

カウンターの周りで順位を決めるプロバイダーに登録したとき
カウンターアップのお願いを
     リンクをして頂いてる方
    、のぞきにおいでいただいた方
に限りカウンターが回るようにお願いした。

ところがお一人は立腹激昂された。若き名古屋の女性である。
この方は私のブログに自分からリンク申し込みをされ、お互い楽しくやり取りをしていた、仲である。
それが急にせきやんがランキング登録をしたのでお願いをした。
「順位アップにご協力してください。」
それが「ウザイ!」みたいになり
リンクしてるもの同志でさえ混乱が起きたのには参った、滅入った。

何度もお詫びするも許してもらえず
おゆるしのお願いのこちらからの書き込みはスグ消去。
仲良しの方の同情を買う非法な作戦とわたしはみた。

こちらにしてみれば悪いことしてない認識もありながら相手が怒ってる以上は
まず詫びようでと書き込みするが受け入れられない。

キモチワリィとか取り合わない。
「バカ死ねクソ爺!」エスカレートするばかり。
実に困ったものであった。

8月27日「なんともうしましょうか」で書いた。ら
特殊な言語とは何たることだとで噛み付いてきた。
バカな書込みがあった。
ことはこうである。
書き出しの一部再掲

日本人の説明ほど難儀するものはなかろう。
特殊な言語と秘めたる人間性が世界に類を見ないからである。
文学の世界でノーベル賞受賞が遅れたのもそこにあった。

阿部公房、三島由紀夫等の世界向け翻訳の積極化が遅まきながら認知され
心を描くより難解な川端康成が代表受賞でその後大江健三郎が続いた。

哲学的で内にこもり、謎の笑い、繰り返されるおじき。
阿吽の呼吸、で読み取るYES,NOのシグナル。

よって他国人には「NO!といえない日本人」文化となる。
ただ、成り行きを覚え形式に従えば無限の領域の日本の諸文化の域である。
このような高度なやさしき民族がどこにいようか。

茶の湯のわびさびで日本文化が発信されるが鍛錬、練り上げられたもので
ひとくくりできるものではない。それぞれの日本人論の奥伝は「道」に連なる。

庶民たる万民までには伺われぬが少なくとも日本人はそれを教養として矜持している。
遊び心、間の芸たる歌舞伎落語講談等の話芸全般の要素が
狭い島国ゆえ生活には必要不可欠。いたわり配慮とは又違うもの。
世界レベルで比較して見ればよい。

国際物理論文コンテストに連続入賞した。
国際物理オリンピックという似たものがあるがそちらではない。
より独創性が問われるほうで、地道な研究成果だ。

小石川高・小田信太郎君入賞おめでとう。
凹面鏡の反射光に関する常識を覆したそうだ(スミマセン!なんのこっちゃ〜〜??)(笑)。

電磁気現象の常識を覆した昨年に続いての日本人高校生の連続の成果。
指導教諭は上条隆志(59)

この「特殊」がいけないらしい。
名も名乗らずのかきこみであったが、モラルが問われる。

世界柔道での井上の精神的未熟さ。鈴木の幻のあの鈴木の試合は一本でしょう。結果は負け。・

見知らぬ人から監視されている不気味さはヒッチコックの映画の比ではない。
ブログに怖い書き込みをされたときである。

「死ね!」とかではないが心理状態似たようなものでよくない。
マスコミ包囲網でノイローゼ気味になった朝青龍をチョット許そうとさえなる。

どのような心理状態になるのか。
他人に問うように自分にも問い直してみたい。

誹謗中傷が不気味で理由が一切解からない。
便利な日常的ネット社会の隙間である。
何故ひ弱か、便利さに支配されてるからだ。

被害者は傷は深いのに
     加害者は面白半分。

人間不信VS面白半分が増長する。

加害者は自分の内面にある抑圧感情を発散、
瞬間全能感を味わってる支配欲に気付かないのだろう。

匿名なら何をしてもよい。
対人モラルの欠落。

否!断じて否!そんな生易しいものではない。
人格のゆがみに慄然とする。

政治や権力権威は自由に批判してもよかろう。
巨大ガリバー痛くも痒くもない。
民主主義言論の自由であろう。
自由なる言論空間の域であろう。
多用なる可能性を抑制寸べきでない。

似ていても全く異質の匿名での個人書きこみ。
ただ、匿名個人攻撃はいけない。
他者を傷つける情報を発信しても責任を取らないでいられる。

そこまで容認してるのか。

救済の社会システムが必要である。
ネット社会は未熟ゆえその負の側面がある。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索