さぁ〜残り僅か
2007年10月1日月が変わり過ぎ去った悲喜交々の日々、残り四分の一の3ヶ月のラストスパート。
この期間の変化は日増しに厳しくなるがとりわけ今年は残暑が長いのでその変化がひどかろう。
よって自然の恵みたる旬の食材の食欲の秋を楽しむ期間も短かろう。
10月1日の誕生日の花はマツムシソウ。
かって野山にあったこの草は園芸店か、種から育てるしかない二年草。
淡い紫の花をつける。
花が落ちた後の形が修行僧の持ってる松鐘に似てるのでこの由来の名がついたとの説もある。
花言葉はその風情さから、けなげ。
このような人探すには砂の中の砂金を捜すようなもの。
この草同様いまでは危機絶滅種
通年なら風情を楽しめる一番の季節だがもう年末である。
制服も冬服への衣替えの季節。
赤い羽根の街頭募金さえ始まる。
何も郵政民営化の初日と騒ぐ痛恨の日々の始まりの日ではない。
教え子の赤き羽なり重ねさす。。
北海道帯広十勝・池田町では自然環境が厳しい。氷点下30度夏は32度
ブドウ栽培は難しい斜めに植える枝を土に埋める。でないと枯れる。
気温が高く雨が少ない一年であったのでいいワインができるようである。
今週の週末7日のワイン祭り行ってみたいものだ。
牛肉3頭分12時間かけて焼いた牛肉にタップリの新種。
東京は気温の前日との差が12度も会ったらしい。
スペインが16度で丁度、雨の寒き東京と同じ温度だったようだ。
食材たる主食をかってのポルトガルは栗に求めたらしい。
昨日ののラジオゆえ調べてるかいたことではない
ブログから転載させていただき記録に留めると次のとおりである。
ポルトガルを語るには三つの大都市リスボン、ホルト、コインブラを知れば事足りる。
世界支配者として君臨してた422年前の天正遣欧使節の頃と何ら変わりないと乱暴に決め付ける。
せきやん未開の地ゆえに地球の歩き方でである。
敬愛する研究者の先生はそのご評価を受けられたし、この地での報告もでている。
天正遣欧少年使節の記念碑など足跡一つなかったようだ。
内向きでない視野を教えていただいている。実に感謝。
コインブラは、政治のリスボン、商工業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市で、学問都市である。
モンデゴ川を眼前にしたアルカソバ丘に、コインブラ大学を中心にして形成された風光絶景の町である。
行っても無いのによう書けたもんだ。
先月行かれたばかりの先生の言葉で解かるとチョウ強き。
1290年ディニス王によって創立されたコインブラ大学はポルトガル最古の大学。
1911年リスボン大学がにできるまでは、ポルトガル唯一の大学。
、
1537年にジョアン3世がコインブラの宮殿内に設置しリスボンとか何度かの移転の変遷に決着。
学生たちは黒いマントをはおりコインブラ・ファドは男子によってのみ歌われる。
時計塔、中央のラテン回廊。ラテン語を話すことを義務づけられていたらしい。
1998年11月、尾原悟著『ザビエル』(清水書院:人と思想156,)、
新カテドラルには、日本人最初の留学ベルナルドが葬られている。
フランシスコ・ザビエルから洗礼を受け「ベルナルド」という洗礼名は与えられた。
終始ザビエルと行動をともにした。
1551年ザビエルが日本を去るにも同行しインドに向った。
そこで、ザビエルと別れ、ヨーロッパへと向かう。
1553年日本人初のイエズス会士「ベルナルド」がリスボンで誕生する。
1554年ローマに向かいイエズス会創立者、イグナチオ・デ・ロヨラに会う。
1557年ポルトガルに戻りコインブラのコレジオで学ぶなかの病没は惜しまれる。。
新カテドラルは約100年かかって完全に完成。、
1585年12月にコインブラを訪れた天正遣欧使節の一行は、完成間際の建物を目にしたはずだ。
ベルナルドの遺体は、新カテドラルが完成するまではどこにあったんであろう。
28年前に客死したベルナルドという先輩とどう向き合ったんであろうか。
対面についての記録は、何も残っていない。
旧カテドラルはロマネスク様式。主要工事は1140年から1175年にかけて、
初代ポルトガル王アルフォンソ・エンリケスの命により建立。
1249年にアルフォンソ3世のポルトガル、レコンキスター国土回復戦争が終結まで要塞としての機能も果たした。
建物のトップをみるとよくわかる。
1585年12月天正遣欧使節はコインブラを訪れた
その翌々日の降誕祭には、大司教座聖堂で司教ミサを受け、キリスト生誕劇を見た。
その建物は旧カテドラルだろう。
また、イエズス会の聖堂でロヨラ修道士が日本語で説教をした。
1585年11月、再びリスボンに戻ってきた 使節一行は、ローマ教皇をはじめ諸侯との謁見を終え、。
しかしインドへ向かう航海の予定が翌年3月ということになった。
以下、『デ・サンデ天正遣欧使節記』(雄松堂出版:新異国叢書5,1969年9月)
の千々石ミゲルの発言という設定になっているコインブラ行きの経緯をのぞいてみよう。
われわれのリスボン滞在がこんなに長く延ばされなければならなくなっていたときに、
おりよくポルトガルのいわゆる「臍」(中心)と称される所にあるコインブラの市から
、同市の学林のパドレの方々がわれわれに会いたいとの熱意に燃えていられることを示す使節が、
しきりにわれわれの所へ派遣され、またその学林の有名なことについてわれわれもすでに
多くのことを聞いていたので、われわれとしてはそのとき、コインブラのパドレの方々の望みを満たすより以上に
愉快なことはなかった。……中略……コインブラに到着した。
われわれが近づくとまず第一に迎えに出て来られたのは、テントゥガル伯のご子息であられる
有名なジョアオン・ブラガンサ殿であった。このお方には、われわれがローマに赴く際、
フェリペ王の宮廷でお目にかかったことは、先に私が述べておいた。
やがて市長が参られ、その他の高官方もみえた。
最後にもっとも有名で、かつ特にもっとも尊崇すべきコインブラの司教さまであられ、
アルビカストラAlbicastrumという名家ご出身のアルフォンソ・アルビカストラさま
Alfonsus Albicastrensisがみえられた。
これらの方々はみな、他のおびただしい騎士たちと共に、イエズス会のパドレ方の学林までわれわれを案内され、
そこで会のパドレのお一人は、きわめて優雅な演説をされ、その中で、われわれを派遣された
日本の王侯たちお三方を美辞・麗句を連ね、言葉をつくして讃美し、聴衆に対して非常に快い感銘を与えられた。
その後、楽器の合奏、その他多くの一般的な祝賀の催しが行なわれた。(対話第三十より)
松田毅一『天正遣欧使節』によれば、「一行がコインブラに到着の当日、大学や諸学校は、
学生生徒が彼らを歓迎しようとして登校しないので、休講日とせねばならなくなったという」。
ミネラル・ウォーターの産地ルーゾ。源泉の湧き出るここに、空の大型ペットボトルを大量にかかえて水を汲みに
、たくさんの人々が集まってきている。テルマと呼ばれる温泉保養地にもなっているそうだ。
ちなみに、LUSOというミネラル・ウォーター(agua mineral)製品もある
。ミネラル分が少なく、軟水度世界1なのだそうだ。
LUSOは、インターネット通販で購入することも出来る。
東京都府中市にお店があるそうだ。
ブログから引用させていただきました。
最初に紹介するCDは、tsuzuの時代のサウンドです。
いずれも好企画をすばらしい演奏で現実の音に再現しています。
どのCDにも、天正遣欧少年使節の4人が帰国後、豊臣秀吉の前で演奏したのではないかと推測されている、
ジョスカン・デプレの
「Mille Regretz(千々の悲しみ)」
が収録されています。
皆川達夫氏の研究(下記参考文献を参照)によれば、
この曲は、
神聖ローマ帝国皇帝にしてスペイン王・カルロス1世とよばれたカール5世(在位1516−1556)
お気に入り「「皇帝の歌」といわれている。
それゆえ秀吉の前で演奏される曲として選ばれた
皆川達夫
「JOSQUIN : Motets & chansons」
演奏:ヒリアード・アンサンブル
Rec.1983.2
Virgin Classics 7243 5 61302 2 7(輸入盤)
ルネサンス期を代表するジョスカン・デプレのモテットとシャンソンを集めたアルバム。“Mille Regretz(千々の悲しみ)”はもちろん、“アヴェ・マリア”や“オケゲムの死を悼む挽歌”など、全13曲約50分収録されています。ヒリアード・アンサンブルによる演奏は、モテットの複雑なポリフォニーを、完璧な技巧で、しかも敬虔に歌い上げ、一方生き生きとしたリズムでシャンソンを弾ませていきます。天上の音楽と地上の音楽、その静謐と愉悦の交錯する音空間に浸っていると、時の経過も忘れてしまいます。
「Francisco Xavier」
演奏:つのだたかし & アンサンブル・エクレジア
Rec.1998.9
女子パウロ会 10046(国内盤)
フランシスコ・ザビエルの生まれた16世紀初めのスペインに始まり、イグナチウス・ロヨラと出会ったパリ
そしてヴェネツィアからローマへ、さらにポルトガル王ジョアン3世の命によりリスボンを発って東洋へ
、そしてついに日本へと、彼の足跡を辿りつつ、その地でその時々に流れていたであろう音楽を演奏しています
。最後は当時長崎のコレジオで出版された「さからめんた提要」にも載っているグレゴリオ聖歌で
閉じられます。
「CARLOS ? − Mille Regretz」
演奏:ジョルディ・サバール指揮 & エスペリオンXX?
Rec.2000.2&5
ALIA VOX AV9814(輸入盤)
スペイン皇帝カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)がお気に入りだった
「皇帝の歌」(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)をはじめ
、即位式典で、婚礼式典で、出征に際して、戦争終結を祝って、退位を記念して、そして薨去に際して、
それぞれの場面で演奏されたであろう曲を、世俗曲・宗教曲とりまぜて、カウンターテナーを含めた
男声と古楽器伴奏からなるサバール指揮エスペリオンXX?が、考証にもとづいて演奏しています
。敬虔なポリフォニー曲あり、愉悦に満ちた舞踊的な曲ありと、中世の多面的な音が実に生き生きと
再現されています。
「CARLOS Maximus−Musik im Leben Karls V」
演奏:アレクサンダー・ブラッチリー指揮 & ポメリウム
Rec.1999.11
GLISSANDO 779 008−2(輸入盤)
UNIVERSAL MUSIC UCCK−1001(国内盤)
同企画のサバール指揮エスペリオンXX?が、古楽器による伴奏付きだったのに対し、このCDでは
2曲のギター(ビウエラ)ソロ以外は、女声&カウンターテナーを含めた男声によるアカペラでの
演奏です。もちろん収録曲には「皇帝の歌」(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)
をはじめ、皇帝カール5世の生涯に鳴り響いた音楽を取り上げています。ここで演奏されるシャンソンと
モテトゥスは、いずれも静謐かつ透明なポリフォニー曲で占められており、
さながら教会の石の空間に広がる音の宇宙とでもいうべきひと時を味わうことができます。
「CANCION DEL EMPERADOR」
演奏:ホセ・ミゲル・モレーノ(ビウエラ)
Rec.1998.4
GLOSSA GCD920108(輸入盤)
ビウエラとは、15世紀から16世紀にスペインで流行ったギターのような楽器のこと。ここでは、
ホセ・ミゲル・モレーノ&ルールデス・ウンシーリャによる復元によるものが使われています
スペイン・ルネサンス期にビウエラのために作曲されたソロ曲が約60分16曲が収録され
、最後はスペイン皇帝カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)お気に入りの「皇帝の歌」
(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)で締めくくられています。
「MORALES:MISSA MILLE REGRETZ」
演奏:ヒリアード・アンサンブル
Rec.1997
JUNTA DE ANDALUCIA DS−0101(輸入盤)
カウンターテナー2、テナー3、バリトン1の計6人からなる名コーラス・グループ“ヒリアード・アンサンブ
ル”がついに録音してくれました。CRISTOBAL DE MORALES(1500−1553)によるこのミサ曲は、
「皇帝の歌(Mille Regretz)」のメロディをもとに作曲されています。スペイン・ルネサンス期を代
表する名曲です。このCDでは、最後に原曲となったジョスカン・デプレの「Mille Regretz」も収録
されています。
「Danses de la Renaissance」
演奏:Rene Clemencic 指揮 & CLEMENCIC CONSORT
Rec.1972/73?
harmonia mundi FRANCE HMC 90610(輸入盤)
ルネッサンス期の舞曲から9曲と、中世の舞曲から4曲を収録。そのうちルネッサンス舞曲の3曲目に収録
されている「TIELMANN SUSATO」という組曲は、7つの部分からなっていて、その第1番目に“Mille Re
gretz”のメロディを用いたPavaneが収録されています。器楽曲を中心にしたこのアルバムは、中世〜ルネッ
サンス期の人々の日常の息遣いが伝わってくるような、軽快な音楽で満ち溢れています。
千々の悲しみ(Mille Regretz)」を聴くことのできるHPを紹介します。
海外のサイトで聴くことができます。
click here
次のサイトでは、楽譜を見ることが出来ます。
click here
(pdfファイルになっているので、Acrobat Readerが必要です。)
この期間の変化は日増しに厳しくなるがとりわけ今年は残暑が長いのでその変化がひどかろう。
よって自然の恵みたる旬の食材の食欲の秋を楽しむ期間も短かろう。
10月1日の誕生日の花はマツムシソウ。
かって野山にあったこの草は園芸店か、種から育てるしかない二年草。
淡い紫の花をつける。
花が落ちた後の形が修行僧の持ってる松鐘に似てるのでこの由来の名がついたとの説もある。
花言葉はその風情さから、けなげ。
このような人探すには砂の中の砂金を捜すようなもの。
この草同様いまでは危機絶滅種
通年なら風情を楽しめる一番の季節だがもう年末である。
制服も冬服への衣替えの季節。
赤い羽根の街頭募金さえ始まる。
何も郵政民営化の初日と騒ぐ痛恨の日々の始まりの日ではない。
教え子の赤き羽なり重ねさす。。
北海道帯広十勝・池田町では自然環境が厳しい。氷点下30度夏は32度
ブドウ栽培は難しい斜めに植える枝を土に埋める。でないと枯れる。
気温が高く雨が少ない一年であったのでいいワインができるようである。
今週の週末7日のワイン祭り行ってみたいものだ。
牛肉3頭分12時間かけて焼いた牛肉にタップリの新種。
東京は気温の前日との差が12度も会ったらしい。
スペインが16度で丁度、雨の寒き東京と同じ温度だったようだ。
食材たる主食をかってのポルトガルは栗に求めたらしい。
昨日ののラジオゆえ調べてるかいたことではない
ブログから転載させていただき記録に留めると次のとおりである。
ポルトガルを語るには三つの大都市リスボン、ホルト、コインブラを知れば事足りる。
世界支配者として君臨してた422年前の天正遣欧使節の頃と何ら変わりないと乱暴に決め付ける。
せきやん未開の地ゆえに地球の歩き方でである。
敬愛する研究者の先生はそのご評価を受けられたし、この地での報告もでている。
天正遣欧少年使節の記念碑など足跡一つなかったようだ。
内向きでない視野を教えていただいている。実に感謝。
コインブラは、政治のリスボン、商工業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市で、学問都市である。
モンデゴ川を眼前にしたアルカソバ丘に、コインブラ大学を中心にして形成された風光絶景の町である。
行っても無いのによう書けたもんだ。
先月行かれたばかりの先生の言葉で解かるとチョウ強き。
1290年ディニス王によって創立されたコインブラ大学はポルトガル最古の大学。
1911年リスボン大学がにできるまでは、ポルトガル唯一の大学。
、
1537年にジョアン3世がコインブラの宮殿内に設置しリスボンとか何度かの移転の変遷に決着。
学生たちは黒いマントをはおりコインブラ・ファドは男子によってのみ歌われる。
時計塔、中央のラテン回廊。ラテン語を話すことを義務づけられていたらしい。
1998年11月、尾原悟著『ザビエル』(清水書院:人と思想156,)、
新カテドラルには、日本人最初の留学ベルナルドが葬られている。
フランシスコ・ザビエルから洗礼を受け「ベルナルド」という洗礼名は与えられた。
終始ザビエルと行動をともにした。
1551年ザビエルが日本を去るにも同行しインドに向った。
そこで、ザビエルと別れ、ヨーロッパへと向かう。
1553年日本人初のイエズス会士「ベルナルド」がリスボンで誕生する。
1554年ローマに向かいイエズス会創立者、イグナチオ・デ・ロヨラに会う。
1557年ポルトガルに戻りコインブラのコレジオで学ぶなかの病没は惜しまれる。。
新カテドラルは約100年かかって完全に完成。、
1585年12月にコインブラを訪れた天正遣欧使節の一行は、完成間際の建物を目にしたはずだ。
ベルナルドの遺体は、新カテドラルが完成するまではどこにあったんであろう。
28年前に客死したベルナルドという先輩とどう向き合ったんであろうか。
対面についての記録は、何も残っていない。
旧カテドラルはロマネスク様式。主要工事は1140年から1175年にかけて、
初代ポルトガル王アルフォンソ・エンリケスの命により建立。
1249年にアルフォンソ3世のポルトガル、レコンキスター国土回復戦争が終結まで要塞としての機能も果たした。
建物のトップをみるとよくわかる。
1585年12月天正遣欧使節はコインブラを訪れた
その翌々日の降誕祭には、大司教座聖堂で司教ミサを受け、キリスト生誕劇を見た。
その建物は旧カテドラルだろう。
また、イエズス会の聖堂でロヨラ修道士が日本語で説教をした。
1585年11月、再びリスボンに戻ってきた 使節一行は、ローマ教皇をはじめ諸侯との謁見を終え、。
しかしインドへ向かう航海の予定が翌年3月ということになった。
以下、『デ・サンデ天正遣欧使節記』(雄松堂出版:新異国叢書5,1969年9月)
の千々石ミゲルの発言という設定になっているコインブラ行きの経緯をのぞいてみよう。
われわれのリスボン滞在がこんなに長く延ばされなければならなくなっていたときに、
おりよくポルトガルのいわゆる「臍」(中心)と称される所にあるコインブラの市から
、同市の学林のパドレの方々がわれわれに会いたいとの熱意に燃えていられることを示す使節が、
しきりにわれわれの所へ派遣され、またその学林の有名なことについてわれわれもすでに
多くのことを聞いていたので、われわれとしてはそのとき、コインブラのパドレの方々の望みを満たすより以上に
愉快なことはなかった。……中略……コインブラに到着した。
われわれが近づくとまず第一に迎えに出て来られたのは、テントゥガル伯のご子息であられる
有名なジョアオン・ブラガンサ殿であった。このお方には、われわれがローマに赴く際、
フェリペ王の宮廷でお目にかかったことは、先に私が述べておいた。
やがて市長が参られ、その他の高官方もみえた。
最後にもっとも有名で、かつ特にもっとも尊崇すべきコインブラの司教さまであられ、
アルビカストラAlbicastrumという名家ご出身のアルフォンソ・アルビカストラさま
Alfonsus Albicastrensisがみえられた。
これらの方々はみな、他のおびただしい騎士たちと共に、イエズス会のパドレ方の学林までわれわれを案内され、
そこで会のパドレのお一人は、きわめて優雅な演説をされ、その中で、われわれを派遣された
日本の王侯たちお三方を美辞・麗句を連ね、言葉をつくして讃美し、聴衆に対して非常に快い感銘を与えられた。
その後、楽器の合奏、その他多くの一般的な祝賀の催しが行なわれた。(対話第三十より)
松田毅一『天正遣欧使節』によれば、「一行がコインブラに到着の当日、大学や諸学校は、
学生生徒が彼らを歓迎しようとして登校しないので、休講日とせねばならなくなったという」。
ミネラル・ウォーターの産地ルーゾ。源泉の湧き出るここに、空の大型ペットボトルを大量にかかえて水を汲みに
、たくさんの人々が集まってきている。テルマと呼ばれる温泉保養地にもなっているそうだ。
ちなみに、LUSOというミネラル・ウォーター(agua mineral)製品もある
。ミネラル分が少なく、軟水度世界1なのだそうだ。
LUSOは、インターネット通販で購入することも出来る。
東京都府中市にお店があるそうだ。
ブログから引用させていただきました。
最初に紹介するCDは、tsuzuの時代のサウンドです。
いずれも好企画をすばらしい演奏で現実の音に再現しています。
どのCDにも、天正遣欧少年使節の4人が帰国後、豊臣秀吉の前で演奏したのではないかと推測されている、
ジョスカン・デプレの
「Mille Regretz(千々の悲しみ)」
が収録されています。
皆川達夫氏の研究(下記参考文献を参照)によれば、
この曲は、
神聖ローマ帝国皇帝にしてスペイン王・カルロス1世とよばれたカール5世(在位1516−1556)
お気に入り「「皇帝の歌」といわれている。
それゆえ秀吉の前で演奏される曲として選ばれた
皆川達夫
「JOSQUIN : Motets & chansons」
演奏:ヒリアード・アンサンブル
Rec.1983.2
Virgin Classics 7243 5 61302 2 7(輸入盤)
ルネサンス期を代表するジョスカン・デプレのモテットとシャンソンを集めたアルバム。“Mille Regretz(千々の悲しみ)”はもちろん、“アヴェ・マリア”や“オケゲムの死を悼む挽歌”など、全13曲約50分収録されています。ヒリアード・アンサンブルによる演奏は、モテットの複雑なポリフォニーを、完璧な技巧で、しかも敬虔に歌い上げ、一方生き生きとしたリズムでシャンソンを弾ませていきます。天上の音楽と地上の音楽、その静謐と愉悦の交錯する音空間に浸っていると、時の経過も忘れてしまいます。
「Francisco Xavier」
演奏:つのだたかし & アンサンブル・エクレジア
Rec.1998.9
女子パウロ会 10046(国内盤)
フランシスコ・ザビエルの生まれた16世紀初めのスペインに始まり、イグナチウス・ロヨラと出会ったパリ
そしてヴェネツィアからローマへ、さらにポルトガル王ジョアン3世の命によりリスボンを発って東洋へ
、そしてついに日本へと、彼の足跡を辿りつつ、その地でその時々に流れていたであろう音楽を演奏しています
。最後は当時長崎のコレジオで出版された「さからめんた提要」にも載っているグレゴリオ聖歌で
閉じられます。
「CARLOS ? − Mille Regretz」
演奏:ジョルディ・サバール指揮 & エスペリオンXX?
Rec.2000.2&5
ALIA VOX AV9814(輸入盤)
スペイン皇帝カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)がお気に入りだった
「皇帝の歌」(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)をはじめ
、即位式典で、婚礼式典で、出征に際して、戦争終結を祝って、退位を記念して、そして薨去に際して、
それぞれの場面で演奏されたであろう曲を、世俗曲・宗教曲とりまぜて、カウンターテナーを含めた
男声と古楽器伴奏からなるサバール指揮エスペリオンXX?が、考証にもとづいて演奏しています
。敬虔なポリフォニー曲あり、愉悦に満ちた舞踊的な曲ありと、中世の多面的な音が実に生き生きと
再現されています。
「CARLOS Maximus−Musik im Leben Karls V」
演奏:アレクサンダー・ブラッチリー指揮 & ポメリウム
Rec.1999.11
GLISSANDO 779 008−2(輸入盤)
UNIVERSAL MUSIC UCCK−1001(国内盤)
同企画のサバール指揮エスペリオンXX?が、古楽器による伴奏付きだったのに対し、このCDでは
2曲のギター(ビウエラ)ソロ以外は、女声&カウンターテナーを含めた男声によるアカペラでの
演奏です。もちろん収録曲には「皇帝の歌」(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)
をはじめ、皇帝カール5世の生涯に鳴り響いた音楽を取り上げています。ここで演奏されるシャンソンと
モテトゥスは、いずれも静謐かつ透明なポリフォニー曲で占められており、
さながら教会の石の空間に広がる音の宇宙とでもいうべきひと時を味わうことができます。
「CANCION DEL EMPERADOR」
演奏:ホセ・ミゲル・モレーノ(ビウエラ)
Rec.1998.4
GLOSSA GCD920108(輸入盤)
ビウエラとは、15世紀から16世紀にスペインで流行ったギターのような楽器のこと。ここでは、
ホセ・ミゲル・モレーノ&ルールデス・ウンシーリャによる復元によるものが使われています
スペイン・ルネサンス期にビウエラのために作曲されたソロ曲が約60分16曲が収録され
、最後はスペイン皇帝カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)お気に入りの「皇帝の歌」
(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)で締めくくられています。
「MORALES:MISSA MILLE REGRETZ」
演奏:ヒリアード・アンサンブル
Rec.1997
JUNTA DE ANDALUCIA DS−0101(輸入盤)
カウンターテナー2、テナー3、バリトン1の計6人からなる名コーラス・グループ“ヒリアード・アンサンブ
ル”がついに録音してくれました。CRISTOBAL DE MORALES(1500−1553)によるこのミサ曲は、
「皇帝の歌(Mille Regretz)」のメロディをもとに作曲されています。スペイン・ルネサンス期を代
表する名曲です。このCDでは、最後に原曲となったジョスカン・デプレの「Mille Regretz」も収録
されています。
「Danses de la Renaissance」
演奏:Rene Clemencic 指揮 & CLEMENCIC CONSORT
Rec.1972/73?
harmonia mundi FRANCE HMC 90610(輸入盤)
ルネッサンス期の舞曲から9曲と、中世の舞曲から4曲を収録。そのうちルネッサンス舞曲の3曲目に収録
されている「TIELMANN SUSATO」という組曲は、7つの部分からなっていて、その第1番目に“Mille Re
gretz”のメロディを用いたPavaneが収録されています。器楽曲を中心にしたこのアルバムは、中世〜ルネッ
サンス期の人々の日常の息遣いが伝わってくるような、軽快な音楽で満ち溢れています。
千々の悲しみ(Mille Regretz)」を聴くことのできるHPを紹介します。
海外のサイトで聴くことができます。
click here
次のサイトでは、楽譜を見ることが出来ます。
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(pdfファイルになっているので、Acrobat Readerが必要です。)
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