安倍総理への鎮魂歌

2007年9月14日
権力への服従と不服従「身を賭した」安倍総理の最大疑問であろう。
ごくろうさんに対するはなむけとしたい。

こんなブログ耳に入る訳けないか。まぁ〜いいさぁ〜。
先もそうないし、ブロガー生きてる限り続けるもんね。

週刊誌のトップ記事を書いて雑誌社に売り込む「トップ屋」は、高度成長期の時代の寵児、時代を映す言葉。

梶山李之は酒場で「よう、トップ屋」と声をかけられたらしい。総理が産声上げた昭和30年代初めのことという

「トップモード野郎」の略語の理解ぐらいだったらしい。
銀座の焼け残りの接取建物を進駐軍が返したのは27年。
文壇酒場「姫」「ラ・モール」「おそめ」「25時」に集い
夜の蝶なる言葉が大衆化した。

トップ屋から創作に転じ、経済推理小説の分野を切りひらいて流行作家になった
時間と競り合う週刊誌の土俵で鍛えられ100枚ほどの小説ならば一晩で書き上げた筆の速さは文壇の伝説に残る。

年推計で8000枚を書いた年があったというから一日23枚。それならブログでやってる奴もいる。
過度の執筆がたたり、45歳で急逝して今年で32年。こっちつら歯痛で死に蒼状態。死が近い?

新車開発をめぐる自動車業界の熾烈な情報戦を描いた「黒の試走車」。岩波現代文庫から復刊された。

中学生の頃同級の生徒会長で野球部4番でピッチャー横山師から黒岩重吾ともども貸してもらった。
エロ部分をとりわけ拾い読みした記憶がある。友人から教わるもの多きありがたいものだ。
石坂洋二郎、石原慎太郎、源氏鶏太にこれらの領域が加わった。

短編の梶山作品に「族請」がある。
背景は下級官吏の日本人が勤める植民地化の朝鮮。

親日家の人望厚い土地の大地主に「創始改名」を命令により迫る。
「それだけはご勘弁を、祖先に申し訳ない。」
どのようにしても進まぬので強攻策が命じられる。
娘の婚約者を逮捕して拷問し、さらに懐柔策とっして徴用工
強制収容する。
それでも覆らない。
次の策は幼い孫が学校に通えないようにする。
ついに「創始改名」に協力した。
ただその人は石を抱いて古井戸に投身自殺した。

ハーマン・メルヴィルの作品に
「バートルビー」がある。
ストリー。
ウオール街に法律事務所を出した
筆写係に寡黙で勤勉なバートルビーを雇用した。
用事を頼んだ。
「しないほうがいいのですが」
拒んだ。
翌日もその後も同じ言葉を繰り返す。
仕事振りを見ていると囲われた仕事のみこなし範囲の自分にしがみつき他の仕事はしない。
ついには家にも帰らない。
いくら説明しても説得不能に陥る。
仕事が困惑二なり引っ越す。
それでもそこを離れないため捕らえられ監獄送りとなる。
牢獄でも食事を取らないため死んで発見された。

大儀がある不服従と単純なる者との対比のつもりだが
不服従を貫く姿勢は何ら変わらない。

不服従をたとえるなら
ナチSSのアイヒマン
不服従のスペシャリストの裁判ドキュメント
やさしい父と普通の家庭。
「勤勉に働き、勤務先で署名をしたに過ぎない。」
その仕事ぶりからアウシュビッツに行った人の数を知っているのか。
自己弁護はナチスの狂気のみで斬ってすてられる

似たことが先日あった。初代防衛省大臣みっともなく退院にあたり原爆投下「しょうがない」をその真意を「まだ」説明している。

服従への道はスタンレーミルグラム
服従の真理、電流の虐待
博士の命令で学生を集めての実験
実験内容は電流を流す。
副題は「アイヒマンノ実験」
あっ!それ・・・その副題・・知っている!

文学作品への舌鋒に中森明夫は予断を与えない。
回りくどくなったが、安倍総理の胸中を察すると
純粋右翼の2・26で散っていく青年将校をダブラする。
黒幕真垣大将の知らぬ存ぜぬ。との対比そのもの。

5代目小さんいつのまにか反乱軍で戦っている。
弟子たる談志曰く「小さんがいったから負けた」

性格からか岸信介の亡霊からくるのか不服従・服従。
生真面目さは明智光秀なみ。
小泉の財産は宿題のお荷物。その整理係。
協力の無い孤立無援の中の右傾化志向政治。

郵政民営化での反執行部それも離党させられての面々。
それに輪を賭けたる他党の結党にまで走ったる警察権力の亀井国民新党。
小泉の亡霊が飛び回っている。ミニタリー志向に拍車をかけた正面突破。

社会学者マックスウエーバーの言葉をかりるまでも無く
責任感洞察力の不足。司令塔たる部下の不足。

戦後最大の黒幕歴史の証人・瀬島龍三(95)が記憶を持って逝った
50万シベリア抑留レイテ10数万
戦争指導のほとんどに参謀として関わっている。
無責任宿阿を閻魔様は仲良くしてくれるのであろうか。
大本営参謀関東軍参謀旧満州着任そして、11年間抑留。
「中曽根ごときの参謀などしたことはない」と歯牙にもかけない。
安倍の参謀と比して象徴的である。

古賀山崎谷垣正面きっての違いがある。
党内的には小泉絶やしの旧田中派=宏池会の包囲網。他派閥の小泉=安倍憎しの伸張。

政治信条思想的一番近い平沼赳夫復党に対する小泉側からの巻き返し
便りの閣内は足引張りばかりで自爆の連続初めての現職大臣の自殺。
さいごの賭けである改造内閣
与謝野、麻生のチカラの増長。罠にはまって万事休す

小池を中心に小泉がわからの最後の綱引き。
実はこれらは全く野党・民主の攻撃は無い自陣営内のこと。

友党公明党の力なくして選挙が戦えないほどに疲弊した自民党組織。

これに小沢一郎のの壁が立ちはだかる。
刀の柄に手をかけただけで相手の首が切れた。

ゲンダイ若者考に3Sを掲げるのは岩見毎日論説委員。
すり足、座り込み、睡眠不足の3Sである。
睡眠不足はゲーム、ケイタイ、インター・ネットの時間のため。

暗然とした気分この国の行く末、
貧相なこれらに誰も大人は社会は注意しない

安倍政治の教育改革が光を差した。
武道の必修が織り込まれた。

機械陸上必須の現状。
武道とダンス
武道ダンス球技
地域によってはナギナタ、弓道、相撲、柔道、剣道
2011年から実施のようである。

我らの頃は柔道、剣道は中学体育では必須であったがいつから変わったのだろうか。
私なんぞは中一体育館が珍しく昼休みなんかしてやってると上級生が邪魔で出れという。

頑として聞かぬゆえボットリ頭から逆落とし。
一瞬気を失った。
午後一吐き気、これは危険である。
その夜は学校の保健室宿泊。

脊髄の水を抜いたり
「おっ!よかった。」血の混じりけが無かった。
なんでぼ;つ〜〜としていたのか。

大体中学校番長であるのを知っていて向かっていってる部分があった。
一年生20数人には「出れ!」に従ったので突っ張ったのが目立った。
「こっち面~なにいってるんだィ〜〜い。」
一瞬の決着。
柔道の猛者だも〜〜ん背の高さなんか。肩までも無い。
向こう意気だけで素手で勝てるはずが無い。
この後遺症はズ〜〜ッと響いた。

高校時代での坐骨神経痛で歩けない痛さ
青春期の体を作らねばならぬ時期に鍛えられずこれは「痛かった」実に。
易い楽を選ぶ
強制の発揮が教育礼節
節度ある人間形成。
安倍政権の唯一の成果。

テロ特措法に職を賭したらしんだがナンカ違うんだナァ〜、
最後までky空気が読めない状態だったな〜。天然だったんだ〜
所信表明をなぜさせたんだろう。

小沢が党首討論をその日の昼、蹴ったのが理由になっている。
さらば問わん!

麻生に2〜3日前に辞意ををもらしてるらしいが小沢の会談拒否と日にちがずれてませんか。?

これを一字で言うとなんというか。
安倍に聞くといい。「超矛盾」・・あの一字で・・・

責任かぶせられた小沢もたまったもんじゃYぁない。
ハトがまめくって状態。
問題のすり替え。
政治信条のこの国の美しくはない。

総裁候補が現れてきた。
票の総数は528票、地方県連3票

町村派古賀
山崎谷垣
津島額賀
福田麻生
no2幹事長本命も危うい。
少数派推薦人不足、盟友の動き。一蓮托生のけん制包囲網

遠藤大臣の後継者を決める政権で求心力は無くなった。

総理「詳細に説明を聞いていない。きちんと説明していかなければならない。」

麻生「世間にとおる説明かどうか」
与謝野「守るという話と守れるという話しは別」

次期大臣選定はまったく蚊帳の外におかれた。
実権が無い現われで実質政治空白状態にあった。
代えるべきである

幹事長、官房長官変更後の反小泉の日増しのうねり。
小泉政治の粛清独裁体制が党内民主主義を奪っていた。

敗北責任をとらず居残りは麻生からさえ支持を得た。
幹事長中川、参議院青木、後継者森さえ批判しない。

党には次のリーダーが出れない状況が醸成していた悲劇。
対抗してくるのでなく少しずつ迫ってくる。

鈍感に学ぶ出来だ。瀬島龍三である。
東条英機は好きでない目立ちたがりゆえ。
昭和13年陸軍大学校首席。

赤穂浪士を好んでいた。
菅谷貞彦(68)テレビ東京会長
赤穂浪士四十七士菅谷半之丞政利の家系

羽左間重彰フジサンケイ会長も子孫である。
三人で会を作る話が進んでいた。

社長ゆえ取材を受けたのに作家ならと断わられた経緯、の魚住昭権威主義はなんだったのかと批判する。
沈黙ノフアイルを著した。謎のママと語る。

山崎豊子不毛地帯でも描かれてるが取材も核心は上手くいかなかった
沈黙は我は国家なりの誇り。
墓場まで持っていった。

作戦課長服部卓四郎が辻政信をつかい会戦に引っ張り込んだ。の質問にも明確に意見を述べてない。
共産党宮本顕治と同じである。
グルメ酒飲みゴルフマージャンにえんがなく、タバコのみはなくなるまでやった。
聖路加病院理事長日野原重明(95)11年生まれで同期
「シベリア抑留中寒くて厳しい重労働の中で唯一ホット出来たのがたばこだったのです。」

商業の力が解かって織田信長。
秀吉が能力を発揮できたのは武田や今川でなく織田信長に仕えたので才覚が発揮できた。

秀吉は米を買い続けた。鳥取攻めは物価が二倍になった。
城内から出さえ米の売りが出た。
よってろう城が出来ず秀吉の軍門に下った。

織田信長は天下取りを目指し評価機能化した。
秀吉45歳で100万石を動かし総て織田信長尽くすべき考えた。
近江20万石、播磨但馬50万石、因幡40万石

織田家きっての古来よりの家臣団林通勝、佐久間信盛
私財蓄財、働きぶりに断が下され追放された革新的方針。
荒木村重は悲惨な最期となった。

光秀と秀吉の差はなんで会ったのか。
良い面のみの秀吉
割り切れなかった光秀

比叡山焼き討ち光秀は反対した。
結果光秀は一人残さず惨殺した。
北部の木下藤吉郎陣に逃げた僧兵らは助かるものが多かった。
几帳面さ世渡りの才覚が対照的に出ている、

名参謀・竹中半兵衛は遺言を秀吉に残す
傲慢を慎み恨みをかわぬように最善の注意をする。
織田信長から滅ぼされぬ極意
陰のようになりなされ。である。
韜晦兵法の極意は常にわが身を人に垂らし・・すりこぎでいきなされ

1591年秀長死ぬと豊臣家は反対する諌める者がいなかった。

徳川権力260年を支えた最大の参謀は老中。
譜代最高の家柄の四天王4家酒井本多榊原伊井が当たったわけではない。
大老は例外ではある。

老中は将軍の側で補佐役で政治を助ける立場であった。
それほど禄高をもたぬ譜代大名が勤める慣例があった。

家康の頃は年寄りがあり、職務はただ、伝えるだけ。
の家光3代の時は小姓、組番頭、若年寄り、6人衆があった。
家綱4代目は11歳で全国統治をした。

5代目綱吉傍流から宗家を継いだ
小姓が無いので御用人柳沢吉保の活躍
8代吉宗で廃止
9代目家重言語不明瞭で復活。

奏者番綱吉安定した時代。
寺社奉行大阪奉行城代家老京都所司代
キャリアが老中になった。

綱吉のときはワイロで出世が買えた。
11代家斎12台家慶
相性で抜擢されたのは政権が長くなったから。

決済は将軍
幕末は天皇に頼る
悪口権力を握るものの宿命
所詮権力者も諸行無常である。

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