快進撃ヤマダ電機
2007年9月7日宮崎市内を包み込んでた地域の中心町村は佐土原町田野町と平成の大合併で
県都宮崎市に「吸収」されてしまった。
県下44市町村は一挙に31になった。
合併は地域の核としての機能の、商店、理髪店、食堂など無くなっていくのが定番。
唯一の大企業たる役場が支所に変更され権力不在、経済の中心が消失するからである。
伊東家の支配した日向の中心地都於郡。
400年前と同じ四つの大字が今も変わらずある。鹿野田、荒武、岩爪、山田。
昭和20〜30年代都於郡村山田は5集落でその一つ川原は30戸ぐらいの民家集落であった。、
お店2軒、豆腐店、ラジオ店、パチンコ貸し本店、理髪店、製材所があった。
都於郡村が西都市に合併吸収されてからの推移は激しかった。
消費者たる地域住民はいい加減なもの。
モータリゼーション化ともあいまって、西都市の中心、妻の町に買い物に出かけた。
いまはお店一軒。ガソリンスタンドがあるのみ。
清武町は合併推進派の町長を生み出し国富町は独自に検討中である。
先端技術の誘致企業で栄える清武町の財政はまだいいだろうがが、
目立つ輸出産業もなく窮屈なる財政の農業中心の国富町は良くぞ独立自立を選択したものである。
三位一体改革なる美辞麗句の元、地方の仕事は増やされ補助金は減らされ
独自に収益源を求めさせらる田舎自治体はひとたまりもなかった。
道路など公共事業をしようにも地元負担金が無い。
公共事業の多くが同じような状況である。
勢い予算化した国の金は地元負担金持ち出しが耐えうる大都市のみに投下される。
更なる地域間格差現象が生じている。
小泉竹中政治の5年間で地方は疲弊してどこも夕張町状態。
田舎の生活の場は高校、映画館パチンコなどの娯楽の店舗が無かっただけでの不便であったが
小泉改革が加わり、山村の中核町村は高校だけでなく医者が無い商店が無い郵便業務がなくなると
基幹施設が廃墟寸前、村町は寂びれる一方。
車の免許を手放す世代に公共の足バスは間引きさらに運行しなくなる。
独立の町村運営の苦悩は理解するが合併は全国の歴史の経過からしても
中心部商店街は寂れていこう。
あくなき利益追求の資本はモタリゼーションの発達さえ見逃さず
どんな田舎の住まい地域さえ資本の本性を剥き出しにして資本の目指す利益を貫徹させ
セッセと吸い上げた利益は本社の東京に送られ新たに投資される。
二十四時間開店の便利なコンビニは地元店を確実に潰すが採算割れになると店舗を閉鎖セル。
たちまち唯一の買い物店がなくなりお年寄りの多い地域は困ってしまう。
より人口を維持してる田舎町は、郊外に大型店舗で旧街はシャッター街を作っていく。
資本の思惑とおり、いとも簡単に日本の場合は進んでいくのであろうか。
何故にお決まりのケースが防げないのか。
そこに住む人の生活が基本ではない。資本進出が先にある。
だが、利益が上がらなくなるとミス越せばたちまち引き上げ地域での買い物は不便となる。
小藩分立の日向の国は県都宮崎市街は存在してなかった。
今の中心地は大淀川の氾濫任せの葦野ヶ原であった。
大淀川右岸赤江は荷物の集積地として栄えたが飫肥藩領。
宮崎近郊で唯一栄えていたのは本庄の街であった。
太平洋戦争前の下本庄は畑と桑畑のみで農業高校のみがポツンとあった。
国富町・本庄は六日町、十日町で町が形成されていた。
その二つに挟まれた稲荷町は神社の社務所のみで藪が茂り、民家は無かった。
神社前は稲荷馬場と呼ばれる流鏑馬の場所であった。
稲荷町は六日町の豪商和泉屋の援助を受けていた稲荷神社の鳥居前町として発達した。
遊里色町は天領の地として江戸期からと思っていたが、そうではなかったようだ。
県立図書館に6枚の稲荷町変遷の大地図がある。
貴重なるセピア色の写真が繁栄振りを示している。
数々の付属展示物が涼秋を誘う。
偶然にもこのブログでは義門寺を先日記述しているのでタイムリーな企画である。
地元の国富町を語る会の地道な努力熱意地元愛である。
天領の地の気概と町を愛するこの人たちが存在することが
合併の先に起こる町の衰退を食い止めた。
病院旅館銭湯タクシー写真館、そして日の出、花月の茶屋(置屋まねきや)
展示してある貴重なる資料
あくがきは現在の前月の売上付きの花街パンフレット。
芸者別売上番付が出ている。売れっ子芸者がすぐ解かる。
店と芸者数も書いてある。
ニ葉3、花月6、湖月楼7、一二三亭1、一利喜6、
稲荷町約60軒のうち26軒が茶屋関係の家々であり、隆盛ぶりが偲べる。
大正10年「本荘町治要綱」
今で言う町政基本計画みたいなもの。
教育の項を抜き出してみる。
ニ・教育
1、校地
イ、位置
森永校は大字・・・・略・・・
本庄校は大字本庄学区域の中央にあり土地高燥にして衛生上に害なく又児童の通学にも便利なり。
然れども近年学校に接近せる稲荷町の料理飲食店の発展は児童教養上適当なりと云うべからず。
「児童教養上適当ナリト云ウベカラズ。」
もっともこれを書いてる役場職員が一番利用したはずとの予測が立つことは言うまでも無い。
役場内には商業振興課もあるはずで今は役場職員にこのような認識は無いであろうが凋落を親身に受け止め
地域再生の道をどう求め孤高の独立行政をどう進めるのか。課題は大きい。
財政合理化のみの論理に軽々しい合併促進を危ぶみ
住民の地域への帰属意識の喪失をなくすのを懸念する。
国際化だのグローバル化だのの掛け声で大店法の改正が行われ大型量販店やコンビニが地方進出を可能にした。
どこの町も金太郎飴の如き画一化した町。
その結果地方商店街が閉店を含む再編閉店町の縮小が進行している。
かっての稲荷町の活気を知っている人。
それだけに現状への深い思いがある。
六日町の本六座の映画館に対抗しての稲荷町。
映画館の建設は稲荷の人を対象に株を発行して昭和28年に建設した。
一株1000円8000株実質は2000株発行。
2000000円で「中央館を建設j。
亀井芳太郎社長は地域の生活に映画の潤いを与えた。。
昭和38年9月テレビに席巻され閉館。
平成18年度に昭和62年鉄筋二階建てで建設された「国富会館」が閉鎖となった
稲荷町の象徴の「日の出」の宴会場、の跡に改称伝統を引きついでいた。
日野、いちい、正八、日の出、経営者が変わるごと改称されつづけてこられた。。
今年1月篤志家たちの努力で真っ暗な建物に明かりが着いた。
「稲荷会館」として経営のメドを建てた。
町を愛する人々がいる。
鉄道が道路に負けた「AERA」NO39P70にある。
一面の真理ではあるが、資本の性格が真に理解されてない。
文系の記者でも経済学をサボり教養程度の資本論にさえ取り組んでない履修不足を露呈している。
ただ、せっかくのレポでもアリこれに従ってみてみたい。
「若桜街道通り」1kmはJR鳥取駅の駅前一直線。
地価の全国一の下落率はここである。
1平米21万5千円、15年前から73万も下がっている。(坪72万いい値ジャン!)
日曜日人影が無い。シャッター通り。
さらに拍車をかけることがおこった
。
ジャスコ鳥取店。リニューアルオープン。ご存知のとおり資本的にはジャスコ=イオン
北西3km「南隈メガモール」
国道9号と29号の要衝にスパー、ホームセンター、飲食店。
KY、大ショッピング街だ
中核がジャスコ3万2800平方を拡大、山陰最大の4万9500平方を誇る。
専門店55→111に成る。
社会はすっかりマイカー時代になった。
対立のひずみだ。
三浦展「下流社会」
「社会の変化は至るところのファースト風土化」
交通の変遷で商売が廃れる。
「苦しいがそれは必然だ、だから商売人は苦しい努力をしないと保護行政を求めるようではダメだ。」
誰もいない。歩く人がいないのだ。瀕死の町JR鳥取駅の駅前「若桜街道通り」1
そこで市街地活性化を目指す商業施設「パレットとっとり」を建設。
10億円を市が負担。
必死に活性化策を探っている。
「ぱれっとたうん」似た名だ、こちらは前橋。
県庁所在地下落率トップは北関東前橋市。
現在の縮図を象徴している
68,3パーセントの免許取得率は日本一らしい。
とくに女性の取得率の高さ。
商都の高崎・行政都市の前橋。
前橋は政治力は弱い。
福田中曽根はいずれも高崎。
よって高崎は新幹線も止まり、市役所は100mもある。
他方佐田JR前橋は1時間1本〜2本
かっては北関東で一番のアーケード街。
生糸の栄えた都市
赤城山ろくの養蚕農家がマユを現金に換え買い物をした。
85年以降デパートは5店舗が撤退、地元資本1店舗のみ。
映画館も全滅。
コンビに探しさえ苦労する。更地は駐車場。
馬場川とおり
高校も郊外に移転・前橋」
9万4000平米。、映画も9スクリーン
300万人がこの3ヶ月で記録。
これでは予測の年間800万を上回る。
郊外の賑わいと〜〜ンと静まる中心街。
バス停留所のベンチはだれも座ってない中心街。
ヤマダ電機本社は前橋。1兆5000億円の売上を誇る。。
ヤマダ電機社長・山田昇(64)は1943年2・11宮崎県佐土原町に生まれた。
中世日向の支配者伊東家はここ佐土原町に実際の権力者伊東義祐が住み、息子を本城たる西に7KMの都於郡に本家を置いた。
山口・大内家の公家好みを真似たのか、佐土原にそれを実現した。
金粕寺は金閣寺を模し梵鐘には三州のの大守とわが世の春を書いた。
町並みも商家造りの続いた家々は都於郡同様道路工事で改築され日南飫肥の如き旧きを留めていない。
伊東家は島津に滅ぼされ佐土原は島津藩に引き継がれた
山田昇はその城下町に生まれた。当然考え方に投影する。
惣太郎・ケサギクの三男として両親は信心深い創価学会の会員であった。
少年期はまじめでおとなしい。ただ、負けづ嫌いの話が同級生から伝わる。
途中宮崎市内に引っ越す。家業が思わしくいかないためである。
千代田テレビ学校でも学ぶ技術者であった。
1963年(昭和38年)ビクター前橋に入社
昭和48年恵美子婦人と結婚。独立。
電化製品の購入は訪問販売が常識だった当時
訪問販売は邪道と気付く。
群馬で5年後6億を売上系列化を図る。
量販店
選択の道がない
82年高崎進出。
一宮忠男姉の長男浩二9月入社。株式化を図る。
1983年(昭和58年)に株式会社
85年埼玉
92年7、18宮崎市
1300平米の店舗は県内一。
100店舗目は92年地元宮崎出展であった。
せきやんはこのとき突撃で社長と会話している。
店長が取り合ってくれないのでアタックした。
きわめて気さくで提案を企画書を出してみてはどうですかと答えていただいた。
91年バブル崩壊
茨城ケーズ電気、カトーでんき吸収。
「価格がすべて」を掲げ
デオデオ広島に出展立地。
97年2月中京
日本中をヤマダ色に染め上げる壮大な野望
「いよいよ勝負に出るんじゃないか」
ヤマダ電機がベスト電器の発行済み株式の5.24%を取得した
その日ベストは急騰、前日比69円高の724円。ヤマダも前日比110円高の1万1470円。
ヤマダはベスト株の大量保有を「純投資」としているが、誰も額面通りには受け止めていない。
ベストの社長は、
「ヤマダと組むつもりはない」と、不快感を示したという。
「提携の誘いをかけても軍門に下らないため、実力行使に出たということでしょう。」
業界の異端児といわれるヤマダですから、
「敵対的TOBもあるのではないか」
07年3月期の売上高が1兆4436億円。
家電業界でダントツ1位はもちろんのこと、
ダイエーを抜いて国内の流通3位に躍り出たヤマダ。
「2兆円は通過点」と豪語し、長期で3兆円の目標を掲げる。
東京・池袋でビックカメラの2軒隣で首都圏へ進出、
一方で、中堅チェーンのM&Aも旺盛。
今年6月には、大阪のマツヤデンキや東京のサトームセンなど3社の持ち
株会社「ぷれっそホールディングス」を子会社化した。
「次の再編は、ベストと関西地盤の『上新電機』。
M&Aで拡大を続ける業界2位のエディオンと業界4位のケーズホールディングスをみすえてのこと。
エディオンはビックカメラとの統合に失敗。
「ヤマダは昨年12月に、地上波中心にテレビショッピングの全国放送も開始した。
『ジャパネットたかた』さえも食っていこうとしている」 日本中が“ヤマダ一色”になってしまう!
山田昇(64)「価格が総て」
1兆5000億円の売上。本社前橋。
ダイイチ=デオデオ広島と闘う中
06.3.10大阪難波
9F地下1F6000坪駐車場「ラビワン」
POSでの在庫管理で売れ筋80万点
ラビ池袋店
ラビワン大阪日本橋まで生かせない位置。土日がお客が多い。
無料駐車場で囲みこい商法である。
ヨドハシ1200億円ヤマダ300億円ビッグ250億円
丸誠電器は宮崎延岡の同業で社長は節賀誠。
二店舗の売上は16億円そのときのヤマダ5600億売上の160店舗
その1/500に真正面から闘う仕打ちを仕掛けた。
価格競争には丸誠電器はバッタ商品とやり、提訴となり、損害賠償をした。
02年26歳の娘が交通事故死に7億7200万提訴
6700億円で裁判の決着はついた。株式会社なのだが、同属支配がありあり。
何故拡大を繰り返すのか。
銀行融資が受けられずスイスフラン建転換社債で資金調達。
6割が外国人投資家。
止まることも休むことも許されない。
創業者の持ち株比率は2パーセント以下である。
「生き残るにはせいぜい3社が限界。」「地域1番店をめざす」
イオン鹿児島10月6日開業
鉄骨造り5階建て。1−3階が店舗で4−5階、屋上は駐車場になる。収容台数は3500台。
商業施設面積は山形屋約3万3000平方メートルを抜き、
約6万6000平方メートル。
イオン、ヤマダなくして夜も日も明けない。??
田舎の町は消えていく。
台風?・台風銀座は快晴ダイ!
チェツ!大都市は台風までとりあげた?(笑)
県都宮崎市に「吸収」されてしまった。
県下44市町村は一挙に31になった。
合併は地域の核としての機能の、商店、理髪店、食堂など無くなっていくのが定番。
唯一の大企業たる役場が支所に変更され権力不在、経済の中心が消失するからである。
伊東家の支配した日向の中心地都於郡。
400年前と同じ四つの大字が今も変わらずある。鹿野田、荒武、岩爪、山田。
昭和20〜30年代都於郡村山田は5集落でその一つ川原は30戸ぐらいの民家集落であった。、
お店2軒、豆腐店、ラジオ店、パチンコ貸し本店、理髪店、製材所があった。
都於郡村が西都市に合併吸収されてからの推移は激しかった。
消費者たる地域住民はいい加減なもの。
モータリゼーション化ともあいまって、西都市の中心、妻の町に買い物に出かけた。
いまはお店一軒。ガソリンスタンドがあるのみ。
清武町は合併推進派の町長を生み出し国富町は独自に検討中である。
先端技術の誘致企業で栄える清武町の財政はまだいいだろうがが、
目立つ輸出産業もなく窮屈なる財政の農業中心の国富町は良くぞ独立自立を選択したものである。
三位一体改革なる美辞麗句の元、地方の仕事は増やされ補助金は減らされ
独自に収益源を求めさせらる田舎自治体はひとたまりもなかった。
道路など公共事業をしようにも地元負担金が無い。
公共事業の多くが同じような状況である。
勢い予算化した国の金は地元負担金持ち出しが耐えうる大都市のみに投下される。
更なる地域間格差現象が生じている。
小泉竹中政治の5年間で地方は疲弊してどこも夕張町状態。
田舎の生活の場は高校、映画館パチンコなどの娯楽の店舗が無かっただけでの不便であったが
小泉改革が加わり、山村の中核町村は高校だけでなく医者が無い商店が無い郵便業務がなくなると
基幹施設が廃墟寸前、村町は寂びれる一方。
車の免許を手放す世代に公共の足バスは間引きさらに運行しなくなる。
独立の町村運営の苦悩は理解するが合併は全国の歴史の経過からしても
中心部商店街は寂れていこう。
あくなき利益追求の資本はモタリゼーションの発達さえ見逃さず
どんな田舎の住まい地域さえ資本の本性を剥き出しにして資本の目指す利益を貫徹させ
セッセと吸い上げた利益は本社の東京に送られ新たに投資される。
二十四時間開店の便利なコンビニは地元店を確実に潰すが採算割れになると店舗を閉鎖セル。
たちまち唯一の買い物店がなくなりお年寄りの多い地域は困ってしまう。
より人口を維持してる田舎町は、郊外に大型店舗で旧街はシャッター街を作っていく。
資本の思惑とおり、いとも簡単に日本の場合は進んでいくのであろうか。
何故にお決まりのケースが防げないのか。
そこに住む人の生活が基本ではない。資本進出が先にある。
だが、利益が上がらなくなるとミス越せばたちまち引き上げ地域での買い物は不便となる。
小藩分立の日向の国は県都宮崎市街は存在してなかった。
今の中心地は大淀川の氾濫任せの葦野ヶ原であった。
大淀川右岸赤江は荷物の集積地として栄えたが飫肥藩領。
宮崎近郊で唯一栄えていたのは本庄の街であった。
太平洋戦争前の下本庄は畑と桑畑のみで農業高校のみがポツンとあった。
国富町・本庄は六日町、十日町で町が形成されていた。
その二つに挟まれた稲荷町は神社の社務所のみで藪が茂り、民家は無かった。
神社前は稲荷馬場と呼ばれる流鏑馬の場所であった。
稲荷町は六日町の豪商和泉屋の援助を受けていた稲荷神社の鳥居前町として発達した。
遊里色町は天領の地として江戸期からと思っていたが、そうではなかったようだ。
県立図書館に6枚の稲荷町変遷の大地図がある。
貴重なるセピア色の写真が繁栄振りを示している。
数々の付属展示物が涼秋を誘う。
偶然にもこのブログでは義門寺を先日記述しているのでタイムリーな企画である。
地元の国富町を語る会の地道な努力熱意地元愛である。
天領の地の気概と町を愛するこの人たちが存在することが
合併の先に起こる町の衰退を食い止めた。
病院旅館銭湯タクシー写真館、そして日の出、花月の茶屋(置屋まねきや)
展示してある貴重なる資料
あくがきは現在の前月の売上付きの花街パンフレット。
芸者別売上番付が出ている。売れっ子芸者がすぐ解かる。
店と芸者数も書いてある。
ニ葉3、花月6、湖月楼7、一二三亭1、一利喜6、
稲荷町約60軒のうち26軒が茶屋関係の家々であり、隆盛ぶりが偲べる。
大正10年「本荘町治要綱」
今で言う町政基本計画みたいなもの。
教育の項を抜き出してみる。
ニ・教育
1、校地
イ、位置
森永校は大字・・・・略・・・
本庄校は大字本庄学区域の中央にあり土地高燥にして衛生上に害なく又児童の通学にも便利なり。
然れども近年学校に接近せる稲荷町の料理飲食店の発展は児童教養上適当なりと云うべからず。
「児童教養上適当ナリト云ウベカラズ。」
もっともこれを書いてる役場職員が一番利用したはずとの予測が立つことは言うまでも無い。
役場内には商業振興課もあるはずで今は役場職員にこのような認識は無いであろうが凋落を親身に受け止め
地域再生の道をどう求め孤高の独立行政をどう進めるのか。課題は大きい。
財政合理化のみの論理に軽々しい合併促進を危ぶみ
住民の地域への帰属意識の喪失をなくすのを懸念する。
国際化だのグローバル化だのの掛け声で大店法の改正が行われ大型量販店やコンビニが地方進出を可能にした。
どこの町も金太郎飴の如き画一化した町。
その結果地方商店街が閉店を含む再編閉店町の縮小が進行している。
かっての稲荷町の活気を知っている人。
それだけに現状への深い思いがある。
六日町の本六座の映画館に対抗しての稲荷町。
映画館の建設は稲荷の人を対象に株を発行して昭和28年に建設した。
一株1000円8000株実質は2000株発行。
2000000円で「中央館を建設j。
亀井芳太郎社長は地域の生活に映画の潤いを与えた。。
昭和38年9月テレビに席巻され閉館。
平成18年度に昭和62年鉄筋二階建てで建設された「国富会館」が閉鎖となった
稲荷町の象徴の「日の出」の宴会場、の跡に改称伝統を引きついでいた。
日野、いちい、正八、日の出、経営者が変わるごと改称されつづけてこられた。。
今年1月篤志家たちの努力で真っ暗な建物に明かりが着いた。
「稲荷会館」として経営のメドを建てた。
町を愛する人々がいる。
鉄道が道路に負けた「AERA」NO39P70にある。
一面の真理ではあるが、資本の性格が真に理解されてない。
文系の記者でも経済学をサボり教養程度の資本論にさえ取り組んでない履修不足を露呈している。
ただ、せっかくのレポでもアリこれに従ってみてみたい。
「若桜街道通り」1kmはJR鳥取駅の駅前一直線。
地価の全国一の下落率はここである。
1平米21万5千円、15年前から73万も下がっている。(坪72万いい値ジャン!)
日曜日人影が無い。シャッター通り。
さらに拍車をかけることがおこった
。
ジャスコ鳥取店。リニューアルオープン。ご存知のとおり資本的にはジャスコ=イオン
北西3km「南隈メガモール」
国道9号と29号の要衝にスパー、ホームセンター、飲食店。
KY、大ショッピング街だ
中核がジャスコ3万2800平方を拡大、山陰最大の4万9500平方を誇る。
専門店55→111に成る。
社会はすっかりマイカー時代になった。
対立のひずみだ。
三浦展「下流社会」
「社会の変化は至るところのファースト風土化」
交通の変遷で商売が廃れる。
「苦しいがそれは必然だ、だから商売人は苦しい努力をしないと保護行政を求めるようではダメだ。」
誰もいない。歩く人がいないのだ。瀕死の町JR鳥取駅の駅前「若桜街道通り」1
そこで市街地活性化を目指す商業施設「パレットとっとり」を建設。
10億円を市が負担。
必死に活性化策を探っている。
「ぱれっとたうん」似た名だ、こちらは前橋。
県庁所在地下落率トップは北関東前橋市。
現在の縮図を象徴している
68,3パーセントの免許取得率は日本一らしい。
とくに女性の取得率の高さ。
商都の高崎・行政都市の前橋。
前橋は政治力は弱い。
福田中曽根はいずれも高崎。
よって高崎は新幹線も止まり、市役所は100mもある。
他方佐田JR前橋は1時間1本〜2本
かっては北関東で一番のアーケード街。
生糸の栄えた都市
赤城山ろくの養蚕農家がマユを現金に換え買い物をした。
85年以降デパートは5店舗が撤退、地元資本1店舗のみ。
映画館も全滅。
コンビに探しさえ苦労する。更地は駐車場。
馬場川とおり
高校も郊外に移転・前橋」
9万4000平米。、映画も9スクリーン
300万人がこの3ヶ月で記録。
これでは予測の年間800万を上回る。
郊外の賑わいと〜〜ンと静まる中心街。
バス停留所のベンチはだれも座ってない中心街。
ヤマダ電機本社は前橋。1兆5000億円の売上を誇る。。
ヤマダ電機社長・山田昇(64)は1943年2・11宮崎県佐土原町に生まれた。
中世日向の支配者伊東家はここ佐土原町に実際の権力者伊東義祐が住み、息子を本城たる西に7KMの都於郡に本家を置いた。
山口・大内家の公家好みを真似たのか、佐土原にそれを実現した。
金粕寺は金閣寺を模し梵鐘には三州のの大守とわが世の春を書いた。
町並みも商家造りの続いた家々は都於郡同様道路工事で改築され日南飫肥の如き旧きを留めていない。
伊東家は島津に滅ぼされ佐土原は島津藩に引き継がれた
山田昇はその城下町に生まれた。当然考え方に投影する。
惣太郎・ケサギクの三男として両親は信心深い創価学会の会員であった。
少年期はまじめでおとなしい。ただ、負けづ嫌いの話が同級生から伝わる。
途中宮崎市内に引っ越す。家業が思わしくいかないためである。
千代田テレビ学校でも学ぶ技術者であった。
1963年(昭和38年)ビクター前橋に入社
昭和48年恵美子婦人と結婚。独立。
電化製品の購入は訪問販売が常識だった当時
訪問販売は邪道と気付く。
群馬で5年後6億を売上系列化を図る。
量販店
選択の道がない
82年高崎進出。
一宮忠男姉の長男浩二9月入社。株式化を図る。
1983年(昭和58年)に株式会社
85年埼玉
92年7、18宮崎市
1300平米の店舗は県内一。
100店舗目は92年地元宮崎出展であった。
せきやんはこのとき突撃で社長と会話している。
店長が取り合ってくれないのでアタックした。
きわめて気さくで提案を企画書を出してみてはどうですかと答えていただいた。
91年バブル崩壊
茨城ケーズ電気、カトーでんき吸収。
「価格がすべて」を掲げ
デオデオ広島に出展立地。
97年2月中京
日本中をヤマダ色に染め上げる壮大な野望
「いよいよ勝負に出るんじゃないか」
ヤマダ電機がベスト電器の発行済み株式の5.24%を取得した
その日ベストは急騰、前日比69円高の724円。ヤマダも前日比110円高の1万1470円。
ヤマダはベスト株の大量保有を「純投資」としているが、誰も額面通りには受け止めていない。
ベストの社長は、
「ヤマダと組むつもりはない」と、不快感を示したという。
「提携の誘いをかけても軍門に下らないため、実力行使に出たということでしょう。」
業界の異端児といわれるヤマダですから、
「敵対的TOBもあるのではないか」
07年3月期の売上高が1兆4436億円。
家電業界でダントツ1位はもちろんのこと、
ダイエーを抜いて国内の流通3位に躍り出たヤマダ。
「2兆円は通過点」と豪語し、長期で3兆円の目標を掲げる。
東京・池袋でビックカメラの2軒隣で首都圏へ進出、
一方で、中堅チェーンのM&Aも旺盛。
今年6月には、大阪のマツヤデンキや東京のサトームセンなど3社の持ち
株会社「ぷれっそホールディングス」を子会社化した。
「次の再編は、ベストと関西地盤の『上新電機』。
M&Aで拡大を続ける業界2位のエディオンと業界4位のケーズホールディングスをみすえてのこと。
エディオンはビックカメラとの統合に失敗。
「ヤマダは昨年12月に、地上波中心にテレビショッピングの全国放送も開始した。
『ジャパネットたかた』さえも食っていこうとしている」 日本中が“ヤマダ一色”になってしまう!
山田昇(64)「価格が総て」
1兆5000億円の売上。本社前橋。
ダイイチ=デオデオ広島と闘う中
06.3.10大阪難波
9F地下1F6000坪駐車場「ラビワン」
POSでの在庫管理で売れ筋80万点
ラビ池袋店
ラビワン大阪日本橋まで生かせない位置。土日がお客が多い。
無料駐車場で囲みこい商法である。
ヨドハシ1200億円ヤマダ300億円ビッグ250億円
丸誠電器は宮崎延岡の同業で社長は節賀誠。
二店舗の売上は16億円そのときのヤマダ5600億売上の160店舗
その1/500に真正面から闘う仕打ちを仕掛けた。
価格競争には丸誠電器はバッタ商品とやり、提訴となり、損害賠償をした。
02年26歳の娘が交通事故死に7億7200万提訴
6700億円で裁判の決着はついた。株式会社なのだが、同属支配がありあり。
何故拡大を繰り返すのか。
銀行融資が受けられずスイスフラン建転換社債で資金調達。
6割が外国人投資家。
止まることも休むことも許されない。
創業者の持ち株比率は2パーセント以下である。
「生き残るにはせいぜい3社が限界。」「地域1番店をめざす」
イオン鹿児島10月6日開業
鉄骨造り5階建て。1−3階が店舗で4−5階、屋上は駐車場になる。収容台数は3500台。
商業施設面積は山形屋約3万3000平方メートルを抜き、
約6万6000平方メートル。
イオン、ヤマダなくして夜も日も明けない。??
田舎の町は消えていく。
台風?・台風銀座は快晴ダイ!
チェツ!大都市は台風までとりあげた?(笑)
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