天変地異。地震雷火事親父。
新聞では最期・オヤジを除いてすべてが起こっている。
台風はおまけ。・・イリマセン!

ただ、岩手県矢巾町では「ちゃぶ台返し」大会が寺内貫太郎一家あるいは巨人の星・飛雄馬の父星一徹の如きを演じる大会があったとか。

風鈴や風の高さによもすがら

風鈴の消夏法は上流階級だけのものであったらしい。
ガラス製品が江戸木は高価であったからであろう。

せきやんの幼き頃も続きそうであった。
コップもラムネサイダー瓶も。苦々しい記憶がある。

この年になっても一歩も進歩してなく人生終わっていくのかと情けない。
結構の好事家の好奇心、旺盛のつもりだが、あんがい幼児未成長。

わたしの知能は地動説の未だ地球は平面である。
ひょんなきっかけでポルトガル・エンリケ王大航海時代を漁っている。

肉麦食の西欧人の食へのあくなき探求がアジアでの香料を見つけ出し、交易拠点ベネチアは興隆期があった。

ポルトガルは自国の地政学上から喜望峰ルートを見出しベネチアのその交易を一手に移し替え握った。
あわせて大西洋を途中、喜望峰と反対に向いブラジルを見つけた。

旧弊の宗教改革が社会を閉塞状況にしていたからだ。
宗教改革は起こりうる状況で起きたものだ。
「それでも地球はまわっている。」に象徴される。

それに守旧派は対抗宗教改革で鉄の規律騎士団たる日本の武士道戒律に似たイエズス会を見出した。

ザビエルであり、ヴェリアーノの神父らである。
日本は群雄割拠から織田信長の統一の権力に収れんされて行く時期。

この時期に独立国たる豊後・有馬・大村の3カ国の王はローマに使節を派遣した。エネルギーは風頼みの帆船のころである。
当時の世界の覇権国はポルトガルとスペイン。

初めて触れる石の文化。その建造物。
30代後半ロンドンニ降り立ったせきやん。
市内観光の2階建てロンドンバス。
ただ、ひたすら唖然。
日本語ヘッドホーンの解説なんぞどうでもよい。
視覚に入ってくる異様なる石の文化にただ々圧倒された感動経験を持つ。

15歳前後の遣欧少年使節の多感な年齢のころゆえ感動がよくわかる。

江平子安観音夏祭り。
よみうり紙に書いておられる山畑洋一体験と同じ経験を持つ。
ラムネビンの謎は解決していない。

炭酸がビー玉状の蓋を押し上げてるだけ。

あ〜〜ん?・・単純ジャ〜〜ン!

幼き頃からの永き悩みがいとも簡単に解決したんじゃぁ
蓋開け下手で・・ラムネ爆発で全部こぼれ・・・身も蓋もない。

長き悩みは何も正解をすぐに探してるわけではない。
まずこの瓶ノ変な形。
必ずほんの少しでもこぼれる。
ベチャベチャの手。
この開栓音!

ビー玉が中でこちらの思惑以外の動きをしてうまく飲めない。
飲み口のゴワゴワ感。初めてのキッスより辛い。

自宅で飲むもんでなく、祭の露天に限る。
それも氷水で冷やした奴。

「どうやって栓をするのか。」
ラムネ球を引っかけ持ち上げ、あるいは吸い上げ・・・

答えは
「でんぐり返る。」

大阪都島区ハタ鉱泉秦秦啓員ヒロカズ
「瓶ををくるりとする。炭酸の圧力で勝手にポチッ!としまる。」

こやつ!いつからあるのか。
1890年寛永6年7月ペリー来航。積載説が有力。
鉄砲水と呼ばれた。

厚手の瓶が軽い使い捨て瓶に変わっている
区わけ。
ラムネ=レモネード
サイダー=シードル(リンゴ酒)
今はビ−玉が王冠かで分ける

サイダ神戸有馬温泉・てっぽうすい330MI250円。

ビー玉1個2〜3円
瓶一本20〜30円そのころである。
そんなビー玉1個のためにとても割れないビンを苦労して割った。なんてェ〜ことを!
頑丈であった。瓶!
スミマセンデシタ。
ビー玉ほしかったも〜〜ん

コメント

うどん
うどん
2007年7月17日20:39

私もビー玉、欲しかったです

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索