夏は落語に限る
2007年7月10日地域の中心には川がある。
島国多雨の稲穂の国は川が豊穣、肥沃な土壌を川口に沖積させ、人々はこぞってそこにすみ地域の中心の街をなした。
関東江戸は隅田川。浅草より北、東は向島。
その川には13橋。世情を映し出し思い出を呼び込んでいる。
そこで詳細を記憶しておきたい。
両国の花火は昭和36年まで。白髭橋が不明。
羽田から浜松町でモノレールを降りると山手線に乗らず桟橋まで歩く。日の出桟橋までは15分ぐらいであろうか。
それから隅田川を浅草まで旅情タップリのぼるとこの橋が楽しめる。
江戸って川の街。パリじゃん!断然、船です。
橋名 形式 全長m 幅員m 完成年
言問橋 鋼鈑桁 236.8 22 昭和3年
吾妻橋 鋼アーチ桁 150.3 20 昭和6年
駒形橋 鋼アーチ桁 146.3 22 昭和2年
厩橋 鋼アーチ桁 151.4 21.8 昭和4年
蔵前橋 鋼アーチ桁 173.4 22 昭和2年
両国橋 鋼鈑桁 257.7 24 昭和7年
新大橋 鋼斜張橋 170.0 24 昭和51年
清洲橋 鋼吊橋 186.2 22 昭和3年
隅田川大橋 鋼箱桁 391.7 29.5 昭和54年
永代橋 鋼アーチ桁 184.7 22 大正15年
中央大橋 鋼斜張橋 210.7 25 平成5年
佃大橋 鋼箱桁 476.3 25.2 昭和39年
勝鬨橋 鋼鈑桁 246.0 22 昭和15年
桜橋 鋼箱桁 169.5 12 昭和60年
浅草寺は今日の7月9〜10日は四万六千日。この日の参拝はかかせない。
ほおずき市でも賑わう。
江戸噺は落語を楽しむに丁度いい。
いかにも落語の世界はこれ!
柳家のお家芸。「青菜」
梅雨明けの昼下がり。
植木屋が作業をしていると主人にふるまわれるところから噺は始まる。
「大阪の友人が届けてくれた柳陰だ、おあがり」
植木屋一人飲んだ
「旦那こりゃぁ直しじゃぁござんせんか」
「こちらでは直し、関西では柳陰と呼んでるようですな」
「さいでござんすか。また、よく冷えてござんすな」
ガラスの猪口を珍しがりながら旨そうにそれをのみさらに肴が出るという。
肴に鯉の洗い、青葉のお浸し
ところがおひたしは家人が食べてしまってる。
「鞍馬から牛若丸が、いでまして、その名を九郎判官」
・・その名を九郎判官=菜っ葉は食べてない。
そのまねをしようとするのが大筋。
ところでこの「柳陰」やってみたくありません?
製法的には味醂(ミリン)の一種。
昔夏場の疲労回復、暑気はらいに重宝された。
江戸から昭和40年代まで利用されたが今は幻の酒の仲間。
ところがあるんですヨ!これが。
岐阜・白扇酒造TEL0574−43−3835
もともと米麹、米麹酒。
製法を守り続けるところがえらい!。
トロリとコクのある甘味。はかなり強いが舌に味わえる。
米のリキュールにふさわしく醸成させまろやかさを増した直し1575円、オンザロックが楽しめる。
柳陰1260円
どちらもアルコール20度、750CC
今夏一夕、オツに酒席を作ってみては。
船徳
船宿に居候の坊ちゃんが立っての希望でにわか船頭に
生誕の三財川は多くのプレゼントをくれた。
舟遊びもその一つ。浅瀬故、竿でも船は操れたが櫓はもっと簡単。渡しは両方使ってるはずだ。
竿は三年、櫓は三月
聞くなら桂文楽師匠だろうなこの噺。
岸柳島
船でタバコをキセルで吸っているお侍。
その雁首が川に「ポチャン!」
同乗の屑屋が残りを買い取ろうと相談すると
「無礼者!そこに直れ!」
老武士が岸に着け侍のみ残し、出ていく。
御厩川岸を駒形の渡しと演ずる志ん生が一番!
文七元結
吾妻橋まできて娘を売り渡しての懐の50両を確認。
若者がまさに飛び込み自殺を図らんとしている。
50両の借金苦である。若者に預ける。左官長米兵衛。
娘と添い遂げる
63歳で逝った歯切れのいい江戸弁・志ん朝。
たがや
花火が恋しくなったらこの噺。
幼き頃は顔を洗うも、水をくむも桶、樽。木でできている。
その周りには上と下に「たが」がしてあった。
普通は青竹を割ってロープ状態にして樽。桶がゆるみなきように巻いた。ハリ金の番線に途中で変わった変遷もある。
集落に一人は必ずたが職人がいた。
「橋のうえ、たがや、たがやのこえばかり、
なぜにかぎやと言わぬ情なし。
う〜〜んもう一席志ん朝。円楽・談志師匠ゴメンね。
秋刀魚は目黒だろうが夏は落語に限る。
島国多雨の稲穂の国は川が豊穣、肥沃な土壌を川口に沖積させ、人々はこぞってそこにすみ地域の中心の街をなした。
関東江戸は隅田川。浅草より北、東は向島。
その川には13橋。世情を映し出し思い出を呼び込んでいる。
そこで詳細を記憶しておきたい。
両国の花火は昭和36年まで。白髭橋が不明。
羽田から浜松町でモノレールを降りると山手線に乗らず桟橋まで歩く。日の出桟橋までは15分ぐらいであろうか。
それから隅田川を浅草まで旅情タップリのぼるとこの橋が楽しめる。
江戸って川の街。パリじゃん!断然、船です。
橋名 形式 全長m 幅員m 完成年
言問橋 鋼鈑桁 236.8 22 昭和3年
吾妻橋 鋼アーチ桁 150.3 20 昭和6年
駒形橋 鋼アーチ桁 146.3 22 昭和2年
厩橋 鋼アーチ桁 151.4 21.8 昭和4年
蔵前橋 鋼アーチ桁 173.4 22 昭和2年
両国橋 鋼鈑桁 257.7 24 昭和7年
新大橋 鋼斜張橋 170.0 24 昭和51年
清洲橋 鋼吊橋 186.2 22 昭和3年
隅田川大橋 鋼箱桁 391.7 29.5 昭和54年
永代橋 鋼アーチ桁 184.7 22 大正15年
中央大橋 鋼斜張橋 210.7 25 平成5年
佃大橋 鋼箱桁 476.3 25.2 昭和39年
勝鬨橋 鋼鈑桁 246.0 22 昭和15年
桜橋 鋼箱桁 169.5 12 昭和60年
浅草寺は今日の7月9〜10日は四万六千日。この日の参拝はかかせない。
ほおずき市でも賑わう。
江戸噺は落語を楽しむに丁度いい。
いかにも落語の世界はこれ!
柳家のお家芸。「青菜」
梅雨明けの昼下がり。
植木屋が作業をしていると主人にふるまわれるところから噺は始まる。
「大阪の友人が届けてくれた柳陰だ、おあがり」
植木屋一人飲んだ
「旦那こりゃぁ直しじゃぁござんせんか」
「こちらでは直し、関西では柳陰と呼んでるようですな」
「さいでござんすか。また、よく冷えてござんすな」
ガラスの猪口を珍しがりながら旨そうにそれをのみさらに肴が出るという。
肴に鯉の洗い、青葉のお浸し
ところがおひたしは家人が食べてしまってる。
「鞍馬から牛若丸が、いでまして、その名を九郎判官」
・・その名を九郎判官=菜っ葉は食べてない。
そのまねをしようとするのが大筋。
ところでこの「柳陰」やってみたくありません?
製法的には味醂(ミリン)の一種。
昔夏場の疲労回復、暑気はらいに重宝された。
江戸から昭和40年代まで利用されたが今は幻の酒の仲間。
ところがあるんですヨ!これが。
岐阜・白扇酒造TEL0574−43−3835
もともと米麹、米麹酒。
製法を守り続けるところがえらい!。
トロリとコクのある甘味。はかなり強いが舌に味わえる。
米のリキュールにふさわしく醸成させまろやかさを増した直し1575円、オンザロックが楽しめる。
柳陰1260円
どちらもアルコール20度、750CC
今夏一夕、オツに酒席を作ってみては。
船徳
船宿に居候の坊ちゃんが立っての希望でにわか船頭に
生誕の三財川は多くのプレゼントをくれた。
舟遊びもその一つ。浅瀬故、竿でも船は操れたが櫓はもっと簡単。渡しは両方使ってるはずだ。
竿は三年、櫓は三月
聞くなら桂文楽師匠だろうなこの噺。
岸柳島
船でタバコをキセルで吸っているお侍。
その雁首が川に「ポチャン!」
同乗の屑屋が残りを買い取ろうと相談すると
「無礼者!そこに直れ!」
老武士が岸に着け侍のみ残し、出ていく。
御厩川岸を駒形の渡しと演ずる志ん生が一番!
文七元結
吾妻橋まできて娘を売り渡しての懐の50両を確認。
若者がまさに飛び込み自殺を図らんとしている。
50両の借金苦である。若者に預ける。左官長米兵衛。
娘と添い遂げる
63歳で逝った歯切れのいい江戸弁・志ん朝。
たがや
花火が恋しくなったらこの噺。
幼き頃は顔を洗うも、水をくむも桶、樽。木でできている。
その周りには上と下に「たが」がしてあった。
普通は青竹を割ってロープ状態にして樽。桶がゆるみなきように巻いた。ハリ金の番線に途中で変わった変遷もある。
集落に一人は必ずたが職人がいた。
「橋のうえ、たがや、たがやのこえばかり、
なぜにかぎやと言わぬ情なし。
う〜〜んもう一席志ん朝。円楽・談志師匠ゴメンね。
秋刀魚は目黒だろうが夏は落語に限る。
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