ポルトガル3

2007年6月21日
宮崎に青空が戻ってきた。
降雨はないが梅雨空の曇りが続いたのでお洗濯日和。

ただこの時期に道路のガケ崩れなどのニュースが一件もない。
不謹慎なお話だが、喜んでいいのやら考えが対処できず、兎に角こんな年は初めてではないのか。

さすがにここまで降雨がないと気持ちが悪い。
水不足がどう影響を与えるか。
神のみぞ知る。

季刊「マンショ」に投稿すべく神にこだわっている。
全ての道はローマに通ズ。

聴きなれた言葉だ。これには続きがある。
そのローマの中では全ての道はサンピエトロ広場に通ズ。

その権威をもってしても、ルターの宗教改革に準じたローマ。
255名が議事録に署名する。
対抗宗教改革を掲げて対峙してローマ法王庁は復権、権威の維持を目指した。

ウィーン会議(ナポレオン)ブェルサイユ会議(第一次大戦)に匹敵するトリエント会議(ルターに対する)である。

ただ改革に当たっては、改革実行者が必要であった。
そこに格好の忠誠を誓う組織があった。イエズス会である。

1540年に認可されたばかりのイエズス会は6年前にパリで結成されたばかり。
バスク人の健康な強靭な肉体、勇気ある行動を兼ね備えた組織。
イグナデイウス・ロヨラと6人の仲間達であった。

プロテスタントからの奪回を掲げた。
フランシスコ・ザビエルもそのひとりであった。

ドミニコ会、フランシスコ会,の嫉妬をかうほどの信念と行動力をもっていた。

1552年ザビエル、1556年ロヨラが亡くなるときイエズス会の会員は1000名、100支部を数える隆盛を極めた。

法王の庇護の下、大航海以前にアジアアフリカに
布教に乗り出した。
ポルトガル・エンリケ航海王の助力があっての事。

1505年初代インド総督府アルメイダが任命された。
功績を挙げたのは二代、アルプケルケ。
1511年マラッカ海峡を支配し1515年地中海ペルシャ湾のホルムズ島を支配した、

その後のスペイン、ポルトガルを同時支配者フェリッペ二世も支えた。
イエズス会の日本での布教は信長、秀吉の為政者の機嫌を伺いながらで、困難を極めた。

ザビエル、ブアリニアーノなどのイエヅス会の寺社仏閣と共存、布教も為政者を信奉し貢物をしながら畏れながらなどの配慮で進められたゆえ100万の信者、教会200を数えるまでになった。

日本の布教はイエズス会に限ったローマ法王グレゴリオ13世の封建国家における布教の仕方の先見性でもあった。

その後スペイン人でポルトガルに恨みを持つサンフランシスコ会・ペドロ・バプティスタが秀吉に取り入り、イエスヅ会の告げ口をした。

直ちに寺沢志摩守広高に命じイエズス会の教会などが壊された。それに耐え忍び、セミナリヨ等で布教は続いた。

日本での記録には肥前・加津佐に活版印刷所を設置したとある。出版はローマ字で「とちりなキリシタン」等が出された。

ハーブ、バイオリンなどの音楽、絵画が教えられた。
このときの絵画については元総理細川護煕理事長の永青文庫に屏風が残っている。

奏楽図にはハーブを奏で赤いマントを着た人々が楽しくしながら演奏している。
また、香雪美術館にはレバント沖1戦闘図が残っている。
像と弓のオスマントルコ軍に挑む姿が書いてある。
ともに一代絵巻の屏風。岩波・日本通史第11巻にカラーで見れる。
背景の自然の山々は日本調でなく異邦の地,ロマンチックさを感じる。

ペドロ・ラマンが何故伊東マンショを訪欧の正使に反対したかについては資料に至っていない。
どうにも布教に当たっての内紛がそうさせたのかもしれないと考察する程度。
私見の備忘録のブログなら何とでもできるがそういうわけにもいかない。

人名辞典等でもペドロ・ラマンが出てこない。
田舎の県立図書館、大学図書館には資料が少なく明治6年の岩倉具視のローマでの日記さえ見れず、困っている。

信長がローマ法王に送った安土城の天守閣の描かれた屏風の居所は推察してみた。

シクストゥス5世(1585~1590)がドメンコ/フォンタナトに作らせたスカナサンクス(聖なる階段)を28階段,
そこを膝のみで上りきったところにあるサン.ロンツオ礼拝堂の倉庫にあると推察した。・?
おまえ井沢元彦か!??
イイジャン!せきやんブログだモ〜〜ン

強がりで汗が出たようだが、冷や汗は風呂で流そう。
日本人の風呂好きは欧州のホテルひとつ比べても分かる。

あの発掘王・シュリーマンが幕末に訪日したときに書き残した。

「日本人が世界一清潔であることに異論がない。どんなに貧しい人でも日に一度は町のいたるところにある公衆浴場に通っている。」シュリーマン旅行記、講談社文庫

集団入浴を見て道徳の低さを口にした人がいるというが歴史知らずだ。

有名な古代ローマの公衆浴場はいつ頃の歴史か。風呂の文明のルーツを知らぬことからきている。

ベルギーでは「スパ」という。
「スパ」ラテンゴの「水による癒し」という語句を頭文字から取ったという。「すぱ」は温泉保養地や施設全般を指す日本人の癒しの場所。
すべての「スパ」はローマに通ズ。

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