河川は誰のもの

2007年6月18日
現代世界で最大の課題はなにか。
ドイツでのサミットでも議題になった地球環境であろう。

地球環境はテーマが大きすぎ、われら庶民にしてみれば生活の積み上げが、それを招いてるわけで生活の見直しである。
それでも絞りにくいので自然環境から見てみたい。

四季のある国はそう多くはない。
日本は地政学的にも大陸と太平洋とにはさまれた特異性からしばしば、神の恵みとして自然への畏怖不思議を尊ぶ。

6月は春と夏の境の準備たる梅雨。
一年の降水量がこの一週間で降った一昨年のこともあり、この時期に通常は集中的に降る。
土砂災害の時期でもある。

それがさっぱり降らない。
この2〜3日曇ってるので降ってる気配がするが降雨量は少ないハズだ。

立ち止まって見渡すと宮崎を包む自然環境が激変している。
土地利用通りに土地が利用されてないからだ。

イオンは田んぼが潰され建設後二年を迎えるがドームの4倍の九州一の広さ。
宮崎平野の一等地の当然農業振興地域の土地利用を変更して作られた。

神前で祝詞をあげるときに、「橘の小戸の阿波岐ヶ原・・」と神官さんが言われるその歴史的にも由緒ある地域である。
梅原猛教授が来宮され現地踏査されての著書もある区域だ。

一大ショッピング街は人が絶えず、旧市街地橘通りは閑古鳥でのシャッター店の街となりつつある。
それが、こともあろうに、先週から橘通りはポイ捨て禁止区域となり、
元警察官がパトロールで巡っている、駐輪禁止巡視委員もいる。
通行料を調べるがいい。これら公務員ばかりで誰も歩いてないはず。
通行料を増やすのが先で普段でも美しかったのにゴミポイ捨て禁止2000円罰金は本末転倒。

旧市街にイオンの10分の一でも人がいるというのか。
近隣市町村の反対を押し切って津村市長がした活性化策がイオン誘致である。

次はお金がないのでとの理由で全国初のコミュニティー税金の徴収。なんかくるっている。

イオンはアスファルトで覆われてるわけだ。
建設以前の今頃は稲穂の田園が開け旧市街のヒートランド現象を田んぼが吸収していたはずだ。

宮崎市街地の大淀川の西の向こうは川端康成も絶賛した宮崎市街地の山であり、その向こうに九州山地があった。
その山は数次の開発で数箇所の団地が生まれ、南の国特有の低くたれる雨雲がかからなくなり市街地に雨が降らなくなった。

この田舎の宮崎でさえ大局的に見て自然の人為的変化は著しく降雨に影響を与えている。
夏場のスコール的ほんの暫時の雨がなくなった。
低くたれる雲が山にかからず、通り過ぎて雨にならない。

大都市圏のコンクリートの街づくりからくる自然の変化はどうなってるのであろう。

国土保全の視点から見てみると日向灘に面している海岸線の変化は目にあまる。
白砂青松の日向灘の海岸、とりわけ観光スポット青島。
県内一の青島海水浴場の砂浜はまったく砂が流出し砂浜がない。
海岸線の砂地の流出は目を覆うばかりだ。

この齢にしての記憶でさえ恐ろしき環境の変化である。
国体時期に完成した日向灘沿いの有料道路にいたっては道路の、のり尻まで抉られ、矢板、土のうで補強工事をすれど追いつけず崩壊寸前である。

山川海の自然のバランスが崩れてるからだ。
小学生の地理で河口に土砂が堆積して街ができた
六大都市や地方都市のほとんどが河口にあるのはそれです。と学んだ。
世界の大都市の歴史もおおよそそのようである。

山川海がダムで断ち切られている。
長良川河口堰で問題が表面化して河川法の改正となった。
10年前の1997年で環境と河川住民の声が盛り込まれた。

熊本の記事が昨日の新聞のニュースで二件取り上げられている。
熊本太郎たる球磨川にかかることである。
川辺川ダム計画とダムをはじめて壊す荒瀬ダムのことである。

治水利水の「多目的」は旧河川法まででの文言で1997年新河川法で抹消され住民参加の「環境」を考慮したか河川管理に改善されたはずだが生かされようとしていない。
長良川の河堰がこれほどまでに自然破壊であるかに気付いてから施工された新河川法がこれである。

熊本・川辺川ダムでは利水としての農地開発がメドがたたず、治水のみでのダムとなった機能の新聞だ。
治水利水の多目的で計画された訳でそれでは計画を変えねばならないはずなのに計画の変更はない。

熊本知事が国と喧々囂々の協議をしたが、あくまでダムは建設するという。
治水ダムというが堆砂を考慮して穴あきダムと新聞に書かれている。
なんと矛盾したことか。
治水でもない穴あきダムである。
こうまでしてダムを造る理由がどこにあるのか。

山川海は途中をダムで分断することで流砂が無くなり国土保全ができなくなってる現状が全国津々浦々にある。
自分のふるさとを地球の歴史からたったの十数年で眺めるがいい。

海岸線のナント侵食されtることにきずかれることであろう。
山の土砂がダムでさえぎられ流れないからである。
ダムは堆砂でその機能を失い、ダムが逆さでムダになってる笑えない現象である。

それでも強行するのはナゼか。
公共投資ができなくなるからだ。役所の都合である。

長野・田中知事の脱ダム宣言はこの構造に斬りこんだ。
小泉が改革というが脱ダムには踏み込めなかった。

政界は田中派型が一貫牛耳ってきた。
森が反田中の最初で小泉政治が郵政をはじめすべてをぶち壊した。
橋本竜太郎、野中務には検察を使い逮捕で辞任を迫り、自派閥に有利に仕向けた。竹下登の置き土産の経世会最後の大物参議院のドン・青木幹雄に捜査の手を伸ばしている。自派閥の伸張の為である。
その証左に任期中に赤字国債は160兆円近く増えてるではないか。

公共性という未来に対する投資でないと公共投資を子々孫々にツケを残すことになる。
国土保全と水資源の確保がキーワードとなるはずである。

それにしても楽天田中に負けず劣らず、斉藤は本物である。
政治の世界にも救世主は出てこないものであろうか。
国土全般に危機が蔓延している。

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