ぶれない!
2007年6月14日シーガイヤ手前のコテージ前のバス亭。
山モモがたわわ。
これ全国にあるんだろうか。樹種葉っぱからして南洋形。
パチンコ玉より少し大きめ熟れると赤黒くなり、こたえられない美味さ。
(ちなみのこのコテージの一角にあのプロゴルファー横峰さくらが居住してるところ。)
懐かしい味がした。
食物に事欠き、腹が収まらぬゆえ山に飛び込み、かって知ったるとこにある副食を目指す。。
宮崎駅前の中央公園、国民年金会館や科学技術館の隣。
ここには三本ぐらいに実がなっている。
これが不思議で誰も取って食べない。
ドロボーらしい。
バカな!自然物じゃん!
鳥さも食ってないようだ。(お行儀イイ!)
ヤマモモの木自体はもっとあるが果実をつける雌株、つけない雄株があるのを一寸忘れていた。
学びの場は社会全体にあった。
社会人基本に盗む無かれ!は道徳律の第一義である。
あの毛沢東の長征の軍隊は盗む無かれ!犯すなかれ!のみの軍律で国家変革の軍隊を維持した。
山全体にある食材の宝庫に分け入ると他人様の山であることはわかっていても
袋とかに詰め替え持ち帰りみんなに配る自然の恵みの収穫物は咎めは無かったものだ。
もちろん人工的なミカン林椎茸林はダメで一線を引いていた。
おかしな話だが、ドロボーと自然物のドロボーながらドロボーではドロボーでないとの倫理観を子供の頃から区別していた。
基準は自分の倫理観、正義感。
邪悪は幼くとも区別でき同じドロボーでもお天道様が見ている。
子供心に区別してた学びの場。
雑木林は年中誰も手をかけてる訳ではない。
しょつちゅう手入れしているミカン林は自主的進入禁止。ドロボーでしょうモン!
ところで世の中の変遷は法の番人の警察官の考えさえ変えたようだ。
深夜12時泣く子も黙る丑三つ時の先方の指定の時間に東京にTEL。
あろうことか公衆電話ボックスから出るとすぐ職務質問、身分証明の提示。
ズーッとみてたパトカーの二人である。
自転車での傘さし運転違反。
「ここ個人の駐車場!警察の区域外!」
公道でさしてここにきたのを見ていた。
「なぜそのとき止めない。」
・・・
・・・
いつもの不思議現象を思い出した、
雨が降ってるのに自転車かごには傘があるのにずぶ濡れの学生たち??なんで!傘ささんとか。!
帰りならともかく学校に行くときも同じ。どうするん??
傘さし運転は違反なんである。知らなかった。
カッパを着ての運転らしい。
生真面目な学生たち。
田舎町の深夜は車一台いやしない。
駐車場で夜更かしする人の防止らしい。
個人敷地までやってるアホ。
暇ゆえ私は狙い撃ち。
このままでは派出所に来い!これもイヤだが面倒になるといやでヤメた。
基軸がずいぶん世相としてぶれている。
平常心を保ってる人がおかしいと異常なるブレ方だ。
公務員は難関突破後に誓約せねばならぬことがある。
「憲法を守り、各種法規を守ることを誓います。」
文脈はともかく憲法遵守が公務員の絶対条件である。
そのトップにある一国の総理が「改憲」を唱えてては国は乱れれる。(文字が乱れてる「れ」よけい!)
憲法について極右の安倍政権と保守政治家の軋轢が生じている。
基軸をふれない!が政治家である。
改憲の自民党案は森前首相が2005年にまとめた。
船田元が審議会議長、古屋圭司もいた。
前文から全て新しき案中曽根案を中心にして作った。
森前総理
「投票法がもう成立したのでご意見申し上げてよろしかろう。」
「上からの改憲提案、議員発議になってしまう。」
「ことはあの憲法なんです。」
「憲法と法案は違う。」
「法案は議員の代議制決議でいい」
「憲法は違う。」
「自民党案を作るときに自分も責任ある立場にいて良くぞそういうことがいえたな。言語道断だ」
「自民党は中曽根や古屋のものではない。」
「新憲法制定議員連盟超党派であり、自分も自らまとめたもの
自民党案を変えようと人たちの勢力にどうして私が入れるのか。
公明党や民主党の合議が難しくなる。」
ブログからの引用
「新憲法制定議員同盟」は中曽根が会長である。
この「新憲法制定議員連盟」は、超党派であり、その会員数は、本年3月27日の発足時では、
190名(現職147名、前・元43名)。
5月3日の「新しい憲法をつくる国民大会」では、中曽根氏が作成した新憲法の前文を
発表した。
『日本国民は、悠久の歴史の中で、天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び、独自の文化を作り伝え、多くの試練を乗
り越えて発展してきた。』
小泉総裁時代の2005年11月22日の自由民主党の結党50周年党大会で発表された「新憲法草案」
自由民主党新憲法起草委員会の前文委員長として中曽根氏が前文の考え方を発表していたものを書き直された
経緯がある。
また、中曽根氏は、5月3日開催の大会では、
『安倍首相の言う「美しい国」の憲法は美しい前文を持たなければいけない。
自民党案は大急ぎで作ったので非常にずさんだ。直さなくといけない』と述べた。
2005年7月7日に第一次素案として発表された、前文の考え方の冒頭を引用する。
中曽根案
『日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び、多様な思想や生活心
情をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた』。
自由民主党新憲法草案の冒頭、
『日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。象徴天皇制は、これを維持する。また、
国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する』とされ
た。
同じく5月3日に「新憲法制定促進委員会準備会」(座長:古屋圭司衆議院議員、超党派の25名の国会議員で構成)が発表した
「新憲法大綱案」では、以下の主旨を明らかにしている。
『前文は、日本国の歴史や、日本国民が大切に守り伝えてきた伝統的な価値観など、日本国の特性すなわち国柄を明らかにすると
ともに、未来に向けてこれを継承発展させてゆく決意を宣言するものでなければならない』
2004年6月10日に発表された、自由民主党憲法改正プロジェクトチームの「論点整理(案)」では、前文に
『わが国の歴史、伝統、文化等を踏まえた「国柄」を盛り込むべきである。』
としている。
『今日我が国民の思想の相克、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の
本義を体得することによってのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於て
その打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。』
これは、1937(昭和11)年5月31日に発行された「国体の本義」の緒言の部分である。
日本の歴史、伝統、文化をあらわす根幹が天皇制であるならば、その国体はこの「国体の本義」が復活
なのかと、心配になって来る。
万世一系・天壌無窮の国家神道は、もうその本質や内容を体験的に語れる人が少ない。
言葉や資料のみの理解では、その本質とは異なることが多いのである。
「国柄」の言葉の表現だけでなく、国民による日本の歴史、伝統、文化を含めた徹底した
自由な論議が必要だ。60年前に国体を護持することで制定された日本国憲法の改正に当っては、
それこそが、日本国民が、開闢以来初めて論議できることなのである。
機軸はぶれないこと。
教育について法案は決議されたので現場に強要されてこよう。
道徳愛国心教育である。
かつて江藤 淳 安岡正篤、山崎正和ら保守の論者を批判してみたものだ。
改憲再軍備の道を歩かされるとのおもいだが、それが今読んでみると基軸はぶれてない。
中教審会長山崎正和の文芸春秋7月号のわたしの道徳教育反対論。
8ページの論文はどこをどう読んでえも完璧な論文。
家庭のしつけ教育が愛郷心となり社会的仕事を果たすことで愛国心が矜持出来る。
中教審や教育再生会議が決めるものではない。
もともと政策決定の機関ではない。
小泉内閣で竹中平蔵氏が率いた経済財政諮問会議のあたりから、
あたかも政策を実行させる権限を持ってるかのような誤解が生じました。
あくまで国民によって選挙で選ばれた政治家が決めることに他ならないのです。
集団的自衛権についてもそうだ。
阿部内閣は14名の初めに結論ありきで審議会を形成。
先日早速米軍艦に攻撃があったら自衛隊は攻撃していいと第2回の会議でもう報告をマスコミに流し決めようとしている。
今基軸がぶれてるゆえあんなに批判した山崎正和の字面がうれしくて仕方ない。
そんな時代が来ているのである。
憲法改正が選挙の争点。生きてる楽しみもないが見届けて出しか逝くことはできぬ。
ドロ臭い武士で竹光ででも刃向かって見せる気概だ。
江藤 淳はわかるが安岡テェ誰よ?
・・葬儀委員長に岸信介。
まだ?
「平成」を考え小渕に託した人。
安岡を師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳・・。
じやァこれ!
1983年、安岡は当時銀座のバーのマダムであった細木数子と再婚の約束を交わした、
当時85歳で、認知症の症状が疑われ40歳近く歳の離れた再婚。
実際の結婚生活がなかったことから安岡家の親族が猛反対
細木が安岡と交わしたとされる「結婚誓約書」なるものを元に、婚姻届を提出し、受理された、
安岡家は東京地裁に「細木との婚姻の無効」を求める調停を申し立てた。その翌月安岡は他界。
調停は婚姻はなかったこととして、細木が初七日で戸籍を抜く事(結婚生活は、事実上無し)で決着。
テレビによると日本一二の占い師らしい細木数子がのし上がって行く過程に虎の意を借りられた脇の甘さもあった
国家公安委員会委員長が朝鮮総連とのからみで自宅操作とはナン?
安部総理やりすぎ。
石原伸晃運輸大臣のときの道路公団民営化の下敷きは自らイタリアの担当官をあげて憚からなかった。
その方、北の将軍様と深い親交、絶対的信頼を受けてるらしいがどうなるというの。
その関係は暴かなくていいの。安部総理。
山モモがたわわ。
これ全国にあるんだろうか。樹種葉っぱからして南洋形。
パチンコ玉より少し大きめ熟れると赤黒くなり、こたえられない美味さ。
(ちなみのこのコテージの一角にあのプロゴルファー横峰さくらが居住してるところ。)
懐かしい味がした。
食物に事欠き、腹が収まらぬゆえ山に飛び込み、かって知ったるとこにある副食を目指す。。
宮崎駅前の中央公園、国民年金会館や科学技術館の隣。
ここには三本ぐらいに実がなっている。
これが不思議で誰も取って食べない。
ドロボーらしい。
バカな!自然物じゃん!
鳥さも食ってないようだ。(お行儀イイ!)
ヤマモモの木自体はもっとあるが果実をつける雌株、つけない雄株があるのを一寸忘れていた。
学びの場は社会全体にあった。
社会人基本に盗む無かれ!は道徳律の第一義である。
あの毛沢東の長征の軍隊は盗む無かれ!犯すなかれ!のみの軍律で国家変革の軍隊を維持した。
山全体にある食材の宝庫に分け入ると他人様の山であることはわかっていても
袋とかに詰め替え持ち帰りみんなに配る自然の恵みの収穫物は咎めは無かったものだ。
もちろん人工的なミカン林椎茸林はダメで一線を引いていた。
おかしな話だが、ドロボーと自然物のドロボーながらドロボーではドロボーでないとの倫理観を子供の頃から区別していた。
基準は自分の倫理観、正義感。
邪悪は幼くとも区別でき同じドロボーでもお天道様が見ている。
子供心に区別してた学びの場。
雑木林は年中誰も手をかけてる訳ではない。
しょつちゅう手入れしているミカン林は自主的進入禁止。ドロボーでしょうモン!
ところで世の中の変遷は法の番人の警察官の考えさえ変えたようだ。
深夜12時泣く子も黙る丑三つ時の先方の指定の時間に東京にTEL。
あろうことか公衆電話ボックスから出るとすぐ職務質問、身分証明の提示。
ズーッとみてたパトカーの二人である。
自転車での傘さし運転違反。
「ここ個人の駐車場!警察の区域外!」
公道でさしてここにきたのを見ていた。
「なぜそのとき止めない。」
・・・
・・・
いつもの不思議現象を思い出した、
雨が降ってるのに自転車かごには傘があるのにずぶ濡れの学生たち??なんで!傘ささんとか。!
帰りならともかく学校に行くときも同じ。どうするん??
傘さし運転は違反なんである。知らなかった。
カッパを着ての運転らしい。
生真面目な学生たち。
田舎町の深夜は車一台いやしない。
駐車場で夜更かしする人の防止らしい。
個人敷地までやってるアホ。
暇ゆえ私は狙い撃ち。
このままでは派出所に来い!これもイヤだが面倒になるといやでヤメた。
基軸がずいぶん世相としてぶれている。
平常心を保ってる人がおかしいと異常なるブレ方だ。
公務員は難関突破後に誓約せねばならぬことがある。
「憲法を守り、各種法規を守ることを誓います。」
文脈はともかく憲法遵守が公務員の絶対条件である。
そのトップにある一国の総理が「改憲」を唱えてては国は乱れれる。(文字が乱れてる「れ」よけい!)
憲法について極右の安倍政権と保守政治家の軋轢が生じている。
基軸をふれない!が政治家である。
改憲の自民党案は森前首相が2005年にまとめた。
船田元が審議会議長、古屋圭司もいた。
前文から全て新しき案中曽根案を中心にして作った。
森前総理
「投票法がもう成立したのでご意見申し上げてよろしかろう。」
「上からの改憲提案、議員発議になってしまう。」
「ことはあの憲法なんです。」
「憲法と法案は違う。」
「法案は議員の代議制決議でいい」
「憲法は違う。」
「自民党案を作るときに自分も責任ある立場にいて良くぞそういうことがいえたな。言語道断だ」
「自民党は中曽根や古屋のものではない。」
「新憲法制定議員連盟超党派であり、自分も自らまとめたもの
自民党案を変えようと人たちの勢力にどうして私が入れるのか。
公明党や民主党の合議が難しくなる。」
ブログからの引用
「新憲法制定議員同盟」は中曽根が会長である。
この「新憲法制定議員連盟」は、超党派であり、その会員数は、本年3月27日の発足時では、
190名(現職147名、前・元43名)。
5月3日の「新しい憲法をつくる国民大会」では、中曽根氏が作成した新憲法の前文を
発表した。
『日本国民は、悠久の歴史の中で、天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び、独自の文化を作り伝え、多くの試練を乗
り越えて発展してきた。』
小泉総裁時代の2005年11月22日の自由民主党の結党50周年党大会で発表された「新憲法草案」
自由民主党新憲法起草委員会の前文委員長として中曽根氏が前文の考え方を発表していたものを書き直された
経緯がある。
また、中曽根氏は、5月3日開催の大会では、
『安倍首相の言う「美しい国」の憲法は美しい前文を持たなければいけない。
自民党案は大急ぎで作ったので非常にずさんだ。直さなくといけない』と述べた。
2005年7月7日に第一次素案として発表された、前文の考え方の冒頭を引用する。
中曽根案
『日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び、多様な思想や生活心
情をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた』。
自由民主党新憲法草案の冒頭、
『日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。象徴天皇制は、これを維持する。また、
国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する』とされ
た。
同じく5月3日に「新憲法制定促進委員会準備会」(座長:古屋圭司衆議院議員、超党派の25名の国会議員で構成)が発表した
「新憲法大綱案」では、以下の主旨を明らかにしている。
『前文は、日本国の歴史や、日本国民が大切に守り伝えてきた伝統的な価値観など、日本国の特性すなわち国柄を明らかにすると
ともに、未来に向けてこれを継承発展させてゆく決意を宣言するものでなければならない』
2004年6月10日に発表された、自由民主党憲法改正プロジェクトチームの「論点整理(案)」では、前文に
『わが国の歴史、伝統、文化等を踏まえた「国柄」を盛り込むべきである。』
としている。
『今日我が国民の思想の相克、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の
本義を体得することによってのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於て
その打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。』
これは、1937(昭和11)年5月31日に発行された「国体の本義」の緒言の部分である。
日本の歴史、伝統、文化をあらわす根幹が天皇制であるならば、その国体はこの「国体の本義」が復活
なのかと、心配になって来る。
万世一系・天壌無窮の国家神道は、もうその本質や内容を体験的に語れる人が少ない。
言葉や資料のみの理解では、その本質とは異なることが多いのである。
「国柄」の言葉の表現だけでなく、国民による日本の歴史、伝統、文化を含めた徹底した
自由な論議が必要だ。60年前に国体を護持することで制定された日本国憲法の改正に当っては、
それこそが、日本国民が、開闢以来初めて論議できることなのである。
機軸はぶれないこと。
教育について法案は決議されたので現場に強要されてこよう。
道徳愛国心教育である。
かつて江藤 淳 安岡正篤、山崎正和ら保守の論者を批判してみたものだ。
改憲再軍備の道を歩かされるとのおもいだが、それが今読んでみると基軸はぶれてない。
中教審会長山崎正和の文芸春秋7月号のわたしの道徳教育反対論。
8ページの論文はどこをどう読んでえも完璧な論文。
家庭のしつけ教育が愛郷心となり社会的仕事を果たすことで愛国心が矜持出来る。
中教審や教育再生会議が決めるものではない。
もともと政策決定の機関ではない。
小泉内閣で竹中平蔵氏が率いた経済財政諮問会議のあたりから、
あたかも政策を実行させる権限を持ってるかのような誤解が生じました。
あくまで国民によって選挙で選ばれた政治家が決めることに他ならないのです。
集団的自衛権についてもそうだ。
阿部内閣は14名の初めに結論ありきで審議会を形成。
先日早速米軍艦に攻撃があったら自衛隊は攻撃していいと第2回の会議でもう報告をマスコミに流し決めようとしている。
今基軸がぶれてるゆえあんなに批判した山崎正和の字面がうれしくて仕方ない。
そんな時代が来ているのである。
憲法改正が選挙の争点。生きてる楽しみもないが見届けて出しか逝くことはできぬ。
ドロ臭い武士で竹光ででも刃向かって見せる気概だ。
江藤 淳はわかるが安岡テェ誰よ?
・・葬儀委員長に岸信介。
まだ?
「平成」を考え小渕に託した人。
安岡を師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳・・。
じやァこれ!
1983年、安岡は当時銀座のバーのマダムであった細木数子と再婚の約束を交わした、
当時85歳で、認知症の症状が疑われ40歳近く歳の離れた再婚。
実際の結婚生活がなかったことから安岡家の親族が猛反対
細木が安岡と交わしたとされる「結婚誓約書」なるものを元に、婚姻届を提出し、受理された、
安岡家は東京地裁に「細木との婚姻の無効」を求める調停を申し立てた。その翌月安岡は他界。
調停は婚姻はなかったこととして、細木が初七日で戸籍を抜く事(結婚生活は、事実上無し)で決着。
テレビによると日本一二の占い師らしい細木数子がのし上がって行く過程に虎の意を借りられた脇の甘さもあった
国家公安委員会委員長が朝鮮総連とのからみで自宅操作とはナン?
安部総理やりすぎ。
石原伸晃運輸大臣のときの道路公団民営化の下敷きは自らイタリアの担当官をあげて憚からなかった。
その方、北の将軍様と深い親交、絶対的信頼を受けてるらしいがどうなるというの。
その関係は暴かなくていいの。安部総理。
コメント