6・6

2007年6月7日
1944・6・6=D・DAY=地上最大の作戦=ノルマンヂィー上陸作戦の日であった。
もののみごとにアップ・ロードに失敗。項を起こす気力もない。

フランス西北海岸は日向の国の海岸段丘の地形に似ている。
中央部は砂浜の海岸で南北に油津細島の港がある

フランス海岸は北のパ・ド・カレー(カレー港)と南のコタンタン半島のノルマンディー・シェルブールとがある。

今はイングランドに最短の地勢状のカレーとドーバーはユーロトンネルで結ばれてるご時勢のようだ。
もちろん日本の海底トンネル掘削の技術があっ足ればこその難工事であった。
かって列車ごとフェリーで3時間ぐらいでドーバーを渡ったものだ。

フランス最北からはドイツ領内でリューベックと、ロストックのバルト沿岸3都市がある。
この3都市がハンザ同盟条約の起源とされ200の加盟都市の中心地。

リューベックの史跡ホルステン門にはラテン語で「内には結束を、外には平和を」と書かれている。
海上交易で繁栄したハンザの精神を今に伝える言葉という

ビスマルとロストックの間の白砂の海岸にハイリゲンダムというドイツ初の海水浴場がある。
その保養地ハイリゲンダムでのサミット参加のため安部信三総理がいる。

環境に見向きもしない米国が動かざる得ないようになった。
中国やインドも動かすことになろう。
環境はドイツが世界に先駆している。
会場は完全に自然エネルギーで運営されてきた都市である。

東欧へのミサイル防衛配備計画にロシアが多弾頭型ミサイルの実験でこたえるという冷戦時代を思わせる物騒な応酬がサミット会場に影を落としている。
プーチンもブッシュもリューベックの史跡ホルステン門を見るはずだ。
 新たな冷戦が始まろうとしているがメルケルドイツ首相の手綱さばき次第だ。
本来は憲法9条をたてに日本の出番のハズなのにそれができない安部。

本題に戻そう。レーとノルマンヂィーこの二地点に絞り込まれた上陸作戦。
最短のカレーはドイツも見越して防御が厳しい。

諜報線ではわざわざカレー上陸に決定として架空軍団の指揮官にパットン将軍をあてた。
、連合軍はフォーティテュード作戦という大規模な欺瞞作戦を展開した。
この作戦はフォーティチュード・ノース(ノルウェー侵攻作戦)とフォーティチュード・サウス(パ・ド・カレー侵攻作戦)
の二つからなっており、架空のアメリカ軍師団が偽の建物と装備と共に作られた。
また、イギリス各地に偽のラジオメッセージが送信された。いずれもナチススパイ諜報作戦のためである。

実際は1943年12月にヨーロッパ方面連合軍最高司令官としてアイゼンハワー将軍が任命され1944年1月にはモントゴメリー将軍が本作戦の地上軍総指揮官に任命されていた。
ドゴールをはじめフランス軍はロンドンにあった。

かってフランスVSイギリスの100年戦争でエドワード3世がノルマンディーに上陸した歴史の皮肉がある。
ロダンの彫刻『カレーの市民』に描かれたそれ以前のイギリス軍がカレーに上陸したこともある。
100年戦争ゆえジャンヌ・ダルクの戦いさえ出てくる西欧史である。

映画「地上最大の作戦」が大スペクルタルで理解しやすい。
これ以上の戦闘映画はないほどの規模で作られている。空撮がすごい
テレビ劇が「ルート66」や「逃亡者」などあったが、男の子はナンタッテ「コンバット」

第一回がノルマンディ−の戦いで確か二回に分けて放映された。
テレビがないゆえ他の家でのテレビを眠気と疲れてみた思い出がある。
夜8時から9時は遅い時間で迷惑時間に入る時間帯であった。
登場人物はサンダース軍曹・・ビッグモローと暗誦できてたし、
軍内の地位をおしえてもらい、農業村落にない日本社会にある係長や課長部長に置き換え社会勉強になった。

1944年6月4日未明セーヌ河のドイツ西部軍B師団司令部で、司令官ロンメル元帥は妻の誕生日と指揮権を全面的にヒトラーから承認をもらうためドイツへ帰ろうとしていた。
ここ数週間は悪天候だし防御は完璧。

同じ南部イングランドで300万近い連合軍を指揮するアイゼンハワー最高司令官は上陸作戦の決定をした。

遅い月の出と夜明け直後の干潮という絶対条件の揃うのは6月5〜7日の3日間だが、英仏海峡は大しけ。
5日は取り消され延期するとなれば19日か7月まで待たねばならない。
フランスのレジスタンス向けの暗号放送は盗聴されたがヴェルレーヌの“秋の歌"が上陸作戦の開始を告げるもの符牒とした。

その曲がフランスにも流れた・・・
午前零時15分、米軍空挺部隊の降下から上陸作戦の火蓋は切られた。
激浪に苦しめられ連合軍は海辺に釘づけ。
しかし物量を誇る連合軍は上陸舟艇でノルマンディの海を覆った。

「上陸作戦の最初の24時間は決定的なものになるだろう・・この日こそ連合軍にとっても我々にとっても一番長い日になるだろう
」とロンメルに言わせた6月6日
パリは燃えてるかと叫びヒトラーが去るまでは制空権を失いつつあった日独伊の同盟国・独・もがんばっていた。

『史上最大の作戦(The longest day)』コーネリアス・ライアンの原作。1962年作品
ケナン・アキン、アンドリュー・マートン、ベルンハルト・ヴィッキ監督、

『プライベート・ライアン』(1998年、アメリカ映画)『戦場にかける橋』を観て映画監督を志したスティーブン・スピルバーグ監督。トム・ハンクス主演。
行方不明になったライアン二等兵を救助すべく派遣された8人の兵士を描いている。
わざと旧式の機材を用い画質を落とすなどドイツ兵をスキンヘッドにするなど事実の意図的な歪曲もあるが、武器を捨て降伏したドイツ兵を米兵が射殺する冷たいリアリズムなどもある。、
MG42機関銃の銃声を実際に録音して使ったり、2cm機関砲の破壊力を直接描写したり、ティーガーIやケッテンクラートなど、
ドイツ軍の装備に関するスピルバーグならではのこだわりが軍事マニアを狂喜させた。
作品の冒頭20分間では、オマハ・ビーチでのリアルなシーン。

『鉄路の闘い』(1945年、フランス映画):
ルネ・クレマン監督の下、実際にレジスタンスとして戦った人々をキャストに迎え、ノルマンディー上陸を援護する
フランスレジスタンスの鉄道線妨害活動を描いた。上映の翌年カンヌ映画祭第1回グランプリを受賞

アメリカのノンフィクション作家スティーヴン・アンブローズが書いた『Dデイ』によると上陸し内陸に進撃したアメリカ軍」
朝鮮人の部隊を捕虜にしたらしい。
彼らは日本軍に所属していた朝鮮出身の兵士達だったのだが日本がソ連と戦った時にソ連軍の捕虜となって赤軍に編入され、バルバロッサ作戦時に今度はドイツ軍の捕虜となってしまい、フランスに送られ『大西洋の壁』の守備につかされたのだと言う。

戦争は慰安婦問題も起こるし、他民族抑圧もあちこちに起こしてることの証左である。

6/5日はミッドウエー開戦日であった。ガダルカナルと凋落していく日本軍。
小倉日記の天皇への報告は海軍の全滅どころかアメリカ軍の被害のみが報告されている。

ドイツ、イタリアが降伏したときの1年〜半年前に降伏しとけば国内都市空爆、焼け野ヶ原の苦難はなかった。

安部総理にほんのチョット距離移動してもらい、このノルマンディー、カレー、シェルブールと同胞が敗北していった欧州戦線をみて平和意識を持ってもらい、9条問題を考えてほしいものだ。

帰国後にはまたもや漏洩事件の自衛隊。
昨日六日、自衛隊の「情報保全隊」による大規模な国民監視活動が共産党により暴かれた。

自衛隊イラク派兵反対運動に限らず、医療費負担増、年金改悪、消費税増税に反対する運動や「国民春闘」といった運動まで詳細に記録されてるとのこと。

まぁ戦争に反対する人はホトンド。
イラク戦争に反対と衆議院議員でさえも名簿にある。
寅さんの山田洋二監督も名を連ねている。
 「
 こうした活動は「日本国憲法を蹂躙した違憲の活動であり、自衛隊法にも根拠をもたない違法な活動」でもある。

 軍隊である自衛隊による国民監視は、「戦前・戦中に、憲兵組織が弾圧機関となった暗黒の歴史を今日に復活させようとする
許しがたい行為」と糾弾する。

「闇の部隊の活動を隠ぺい・継続することは許されない。国会で追及していく」との記事。

情報保全隊とは 陸海空の三自衛隊ごとに設置された防衛大臣直轄の情報部隊。
主な任務は防衛秘密の保護と漏えい防止。
二〇〇三年三月に、それまでの「調査隊」を再編・強化して発足。調査隊では別個だった中央と地方の指揮系統を三自衛隊ごとに統合し、より中央で状況把握、運用が可能になるようにした。
隊員数は陸上自衛隊を主力とし、陸海空の三自衛隊で約九百人

自衛隊による国民監視は憲法二一条が保障する集会、結社および言論、出版などの表現の自由を根底から脅かし、
個人名の記載や集会参加者の写真撮影は憲法一三条が保障するプライバシーの権利の侵害である。

そこも考慮して憲法改正しますんで・・ヨロシク!
居直りは専門!
年金記載漏れは総理小泉でなく前の大臣・官直人が悪いんだと・・・

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