裸の島

2007年5月30日
神武の森の日本一の藤棚の所の池に昨日の雨で水かさが増え鯉が生き延びた。
昨日来のお情け程度の雨量であったが、自然の生態は旨く言ってるものだ。

水問題は表面化しつつある。
わが国唯一の資源である水問題は無縁と思っていたのにこれだ。、

温暖多雨が地政学的有利さに甘え、問題点を惹起させ、怠惰の日常が明らかになった。
日本は島国であり、急峻な山で3割の土地に1億2千万もが住んでる過密都市である。
島は水の保全、土地の保水性、保湿力も含めて水の維持環境の条件は悪い。

日本列島には海岸線の長さが100m以上の島が、現在6,852存在する。
オット!主の4っ自体が島であった。
いちばん多いのは長崎県で971、
大阪府は海に面しているのに島がひとつもない。
 
面積の広い島は新潟県の佐渡島で854平方メートル。
一番多い人口は兵庫県の淡路島で16万2,000人、
人が住んでいる島は現在400ほどで、そのほかは無人島。

水と土地を描いた名画がある。
広島三原町の無人島であった宿禰島を描いた。
ストリーは単純。水のない島に隣島から水を運び作付けして生きる農民夫婦ただそれだけ。

ちょうど今日の月末で最終回の日経紙の私の履歴書。
新藤 兼人監督が1ヶ月楽しませてくれた。

「裸の島」は
無声映画ではないが、台詞ナシでの95分間。
飽きさせないのは殿山泰司と乙羽信子の演技力
その魅力のシーンは限りない。

水のない島ゆえ
手漕ぎ船を漕ぎ運ぶ、それを二人をフイルムは確りととっている。
棚田に天秤棒で両端に桶に満杯の水を運びあげる
しなる天秤棒。
乾いた土に水を注ぐ。
すいこむ。果てしなく注ぐ。

乾いた土とはわたしの心である。
心に水をかける。
・・・・
   ・・・・
山田分校の約20m北山上には学校田の畑があった。
恐怖の「二階山」
細い山道を小学生が前、後に天秤棒を担ぎ真ん中には肥桶。

便所で自らが満杯にした見事なる臭さのものを運ぶ。
先達はまだ匂いから避けられる。
揺さぶりながらの後ろゆえ後は大変。
公平にジャンケンで決めてたもんだ。

おかげでせきやんは特権で前ばかり。
大将にさせられない。
それが幼い集団が決めた民主主義。
前だってさほど匂いは変わらない。
それをいっちゃぁオシマイヨ

雨上がりの急角度の山道は粘土の岩質の地層もあり裸足でも滑る。
足の親指小指を土にかませないからだ。

相撲取りが外国勢に地位を譲ってるのはこの土にかませるのが足りないからだ。
国技とは生活から生まれ出たもの。
テレビゲームなぞ稽古の合間にやっテル奴が
幼児のころおそらくその環境になかったモンゴル勢に勝てるはずがない。
遊びは馬に乗って駆け回ることしかない国。
ただ、稲作の国ではない。
われらの環境があれば、強い奴は出てくる。

ある日事件は起こった。
道男君は後ろを担当しててものの見事に桶ごと被った。
後は名誉のために記述できない。

五穀豊穣の作物を作る。
米麦粟きび豆
きびは思い出すが粟がわからない。
作ってたはずだが。
米は地形状無理で作付けしなかった。
今もこの分校は存在し田植えはテレビで季節の定番で放映されている。
二階山は壊され存在していない?はず?一部残ってる??

同窓会ではタブーゆえ・・・。
集中攻撃がきてしまうので避けることにしている。
・・・・ 
   ・・・・・

、瀬戸内の照りつける太陽や波立つ海に繰り返される旋律。
小学生の歌声。
メロディーは・・・
  千の風にのっての死者からのメッセージ。

興行は失敗で日本初、自主制作映画会社「近代映画協会」は、
解散寸前。
ところが神風が吹いた。
モスクワ国際映画グランプリ受賞が「起死回生」。

「耕して天に至る。是、貧なり。」

オープニング
禿げ山の島の俯瞰に「林光」の主旋律、そしてこの中国故事が
棚田=農耕民族の美しい原風景。ナンテ思ってたら・・
とんでもないしっぺ返し。

麦踏のシーンもでてくるが、何故踏みつけるのか現代人の誰が理解できようか。暖冬で霜柱も立たない。
脱穀する作業シーンの刈り取った麦をムシロの上に並べて棒でたたく作業もそうである。
島国の農業史の歴史を伝える貴重なる映像は映画好きのライブラリーを飾るべき作品。

瀬戸内海の外周が0.1Km以上の島の数は727。
そんなもんじゃ〜ない。大分から四国に渡るのは明け方。
黒い影が左右を通過していくおびただしい数。。
瀬戸の花嫁を歌ったものだ。
大きな島
 1 佐渡島 854.07 平方粁
 2 奄美大島712.21 平方粁
 3 対馬島 696.10 平方粁
 4 淡路島 592.00 平方粁
 5 天草下島573.95 平方粁
高さ 
 1 屋久島 1,935 メートル
 2 利尻島 1,721 メートル
 3 佐渡島 1,172 メートル
 4 中之島  979 メートル
 5 南硫黄島 916 メートル
多く住んでる島
 1 淡路島  161,992 人
 2 天草下島  90,790 人
 3 佐渡島   74,949 人
 4 奄美大島  73,643 人
 5 宮古島   46,154 人
島の多い県
 1 長崎県   971 島
 2 鹿児島県  605 島
 3 北海道   508 島(北方領土178島を含む)
 4 島根県   369 島
 5 沖縄県   362 島

日向の国は南と北を除いて単調なる海岸線延長397kmが日向灘に対置する。
海への窓口は限られている。
玄界灘そして遠州灘、日向灘をあわせ日本の三大灘と恐れ崇める。

県北部日向細島の急斜面に「馬が背」がある。
柱状摂理の岸壁が直に立っている。
そこに十字に開削した海岸がある。クルスの海と呼ぶ。
空中写真でなくともクルスが現地確認できる不思議さ。
祭り上げられた権力者の三代実朝だったか。 

大海の磯もとどろに寄する浪
 われて砕けて裂けて散るかも

ところで中央公論6月号に禁断の島尖閣列島への空中写真がある。
上陸原則禁止ゆえの件の写真となったわけである。
古賀辰四郎の造った掘削の船着場跡。クルスでなく「一」である。

西牟田靖ノンフィクションライターは日本領土に日本人が上陸できないのに疑問を持ち挑戦した。
不思議と個人所有である。

魚釣、南小島、北小島は埼玉県の栗原国起
久場島は栗原和子、大正は国有地

地目は原野
地主・栗原国起へは3島だけで2256万円総務省から借り上げ料金が支払われている。

1895年日本領土とし翌年福岡の実業家古賀辰四郎の開拓願いに30年の無償貸付

鰹節の生産海鳥の羽毛糞の採取サンゴ漁などが行われていた。
集落は古賀村末期に99戸248人が島々に住んでいた。

大正島以外は死後息子の善次へ国から有償で払い下げられた。

1940年燃料配給のため渡島が困難になる。
事業を断念。

70年代に譲渡する。
それが埼玉県の実業家であった。
両家はもともと知り合い。
「島を永久に自然のままに残す。」が条件。

久場島が米軍の演習に貸し出され、
他は中国への配慮から所有者と国は賃貸借契約
日本人の上陸を禁止した。

保釣運動がある。
中国香港台湾で続いてる運動である。
「中国固有の領土である釣魚台を守れ」
70年代海外在住の中華系の人間で始まった運動である。

10年前を覚えておいでであろうか。
香港保釣行動委員会が現地の上陸を目指し大きく報道された
船が接岸できずそれでも若さに任せて無謀にも飛び込んだが、島近くで溺死した。

HPのいかめしさ。
獏子傑は役員だが、団体の専従者もない。
組織はボランテアで運営されている。
陳多偉(63年生まれ)がトップの責任者。

渡航は自粛されている。
当局からも止められてるのは、日本の領海内にいる侵犯の案件のことだからである。

石垣市市会議員仲間均は毎年1回は30万円の罰金を覚悟して渡航している。
97年の西村真悟衆議員渡航にも同行した。

小泉の5年半のアジア外交の空白は大きかった。
財政再建にしても160兆円近く赤字国債を増やし何を改革したという。
田中的政治を排除したというが水清きに魚すまず。

初めてのことになる現職大臣の自殺さえ生み出している中身は
なんら田中的政治を脱していない証左である。

国益の喪失は大きすぎる。
遠くのイラクどころではない。

そうのこうのしているうちに中国はガス試掘どころか大陸棚の本格的採掘にいろうとしている。
北方領土4島どころか、島ひとつが東の鳥島にしろ大きな国益を担っている。

竹島・・韓国との小泉政治の空白があちこちで綻びとして出てきている。

国とはないか。
生活するエネルギーの確保。

時代の要請は変化しつつある。
裸に島とはどこの国のことであろうや。

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東京に電話するとナント宮崎にいるとの事。
「ええっ!」
冗談を言い合う年齢でもない。

ここんところキリスト史にこだわってる者。
神の福音なんであろうか。

文明の衝突。
キリスト文化と日本文化の違い。

読み解くキーワードは「無償の贈与」
今の日本は一千年前のヨーロッパだと喝破される。

日本で見知らぬ同士団体を組んだ場合監事を決める。
決め方はクジ引きかジャンケンである。

ヨーロッパではそうならず、必ず誰かが自発的に手を上げる。

「キリスト教が西欧を変えた根源の解説について」著書からである。

日本人はあらゆる日常生活で神の意思にたよるが
何故こうなるのか。解き明かす。

聖と俗、大宇宙と小宇宙、死後と現世、
境界があいまい。と説明する。

ヨーロッパで境界を明確にしたのがキリスト教であった。

無償の贈与が根づいてない日本
「タダより高いものはない。」
互報性の論理が生きている。

ヨーロッパにおいては相互贈与の慣習の中にキリスト教によって
大きな転換力は「無償の贈与」であった。

個人という概念が根ずいてない日本。

ヨーロッパも物で返さねばならなかった。
それをキリスト教が壊した。

教会は現世では返さない。
習慣を現世から天国に拡張した。一元化した。

このことは二つの宇宙
家という小宇宙をその外に広がる大宇宙に広げた。

天国との概念を持ち込むことで
現世の世界と死後の世界を分離した。

死後の幸福は生前の善行を積むことで天国への切符になる。

個人の概念は罪の意識の問題。
キリスト教で罪の告解が強制された。

告解制度により、神判の関与をやめた。日本の罪の意識は

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