能登半島
2007年3月26日地理を覚ゆるとき、身近な地形を似たところに照らして覚えてた不謹慎を告白しなければならない。
ニュ-ジ−ランドは四国のない日本列島に酷似、
能登半島は、鹿児島湾を囲む薩摩半島を反転した形。
対峙する大隅半島は能登の先にある佐渡ヶ島
薩摩半島西岸は東シナ海に面する外海の仙台に仙台原発
能登半島の真ん中ぐらいの口能登の志賀に原発。
実に似たところに原発を作ってるもんだ。
54ヶ所をチックすると存外似てる部分があるのでは、、
E/Tなる映画の指をあわせるポスタ−を見て二ヶ所の地形を惹起させた記憶がある。
「平成19年 (2007年) 能登半島地震」25日9時42分
マグニチュード(M)6.9
それも直下型。
口能登(くちのと)志賀原発の20KM先の海底。
ひぇ〜、ヒェ〜肝を冷やしてる人がどれほどいることか。
宮崎えびの地震で体験しているが直下型は始末が悪い。
志賀原子力発電所を擁している能登半島
荒海や佐渡を指差す能登半島
山湾に面した海岸を内浦(うちうら)、日本海に面した海岸を外浦(そとうら)と呼ぶ。
また、半島の先端から根元に向け、順に奥能登(おくのと)、中能登(なかのと)、
口能登(くちのと)と呼ぶ。
行政区域で分類すると、下記のようになる。
口能登
羽咋市,羽咋郡(宝達志水町・志賀町)
中能登
七尾市,鹿島郡(中能登町)
奥能登
輪島市,珠洲市,鳳珠郡(穴水町・能登町)
能登半島は、大地震が起きる可能性が低い地域とされてきた。
「30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率」はほぼゼロ、と
「全国を概観した地震動予測地図」での判定。
2005年の福岡県西方沖地震も、今回と同様、この確率がほぼゼロの地域だった。
阿部勝征・東京大教授(地震学)
「日本海沿岸は太平洋側に比べ、大地震が起こる確率は低い。だが、プレート内部の傷がどこにあるかは事前に予測できず、起きてみなければ分からない」と指摘する。
こういったらヒンシュクをかうんだろうな。
原発反対に政治首長を選ぶのにその政策を打ち出せない知事郡への神の反逆!
北陸電力の2基の原発は1基がタービン損傷で、もう1基が今月発覚した臨界事故隠しでいずれも停止していた。
観測された揺れは原子炉の緊急停止相当であった。
で!神の試練!というわけで、災難を楽しんでるわけではない。
地震多発国との自然環境と原発立地を言ってるだけで
被災地の皆々様のひたすらな安寧を祈っている。
毎日新聞 26日刊
05年8月の宮城県沖地震では、女川原発の地下で251・2ガルを観測し自動停止した。
想定していた最大加速度は375ガルだったが、
解析の結果、最大加速度以外の一部周期帯では設計の想定を超えていたことが分かり、耐震指針の見直しにも影響を与えた。
今回は、226ガルという比較的大きな加速度を記録しており、女川同様、想定を超えた可能性がある。
原発の耐震性に詳しい石橋克彦・神戸大都市安全研究センター教授(地震学)
「原子炉の圧力容器や建屋にひびが入るようなことはないはずだが、配管や機器などに損傷が生じて重大事故につながる恐れはある。もっと原発に近い場所で起きることも考えられ、警鐘とすべきだ」と訴える。
志賀原発2号機差し止め訴訟の原告団代表で石川県志賀町議、堂下健一(52)
「1、2号機とも運転停止中に地震が起きたことは不幸中の幸い。原発と防災の視点をどう盛り込むのか、注視しなけ
れば」と語った。
新潟県中越地震の長岡市の県道が一昨日、復旧開通、
5歳の皆川優太の保育園に通う元気な姿をニュースで流していた矢先である。
土砂崩れで埋まった車の中から当時2歳の皆川優太が救出された
絶望と一縷の希望がせめぎ合うなかで、呼吸も忘れてテレビの中継に見入った5年前。
皇后陛下の詠まれたお歌がある。
「天狼(てんらう)の眼も守りしか土なかに生きゆくりなく幼児還る」。
夜空のシリウス(天狼)も見守ってくれたか、
「ゆくりなく」(思いがけなくも)は国民の実感
逃げ、泣き、耐え、直し、生きる…。人間の懸命の営みをあざ笑
うかのように、
「地震国」日本の非情な現実は新しい厄災を突きつけ
輪島市で1人が死亡、全半壊した家屋は183棟できかな
いという。負傷者は石川、富山両県で187人
被災地では救援活動と復旧作業がフル回転でつづいているが、不気味な余震もまだ収まっていない。
原子力発電所近くで発生した今回の地震は、「原発震災」に対する警鐘。
ユ−ラシアプレートと呼ばれる西日本を載せている岩板の内部で発生した。
日本列島は、地球表面を覆うプレート(岩板)の境界が集まった場所にある。
地下深部へ沈み込む太平洋側のプレートに
押され、常に東西方向に圧縮されている。
圧縮のひずみが極限に達すると、大陸側のプレート内部に出来た傷(断層)の比較的弱い部分がずれ地震が起こる。
石川県と言えば団塊の世代は松井秀喜ではない。
第54代横綱・輪島大士( ひろし、1948年1月11日 - )、
中能登では和倉温泉がある七尾市の出身
異色の職歴、レスラー、元タレント。
「日大相撲部、輪島」と書いておけば合格になったという伝説がある。
2年連続で学生横綱に輝くなど14個のタイトルを獲得。
学生横綱を決めた一番の相手は、同志社大学の逸見憲治(逸見政孝の実弟)。
日大卒業後の1970年、花籠部屋(師匠は元幕内・大ノ海)に入門し、同年1月場所に幕下付出で初土俵。
東農大出身の元小結・豊山(現・湊親方)は大学時代からのライバル
身長 186cm(現役時)
体重 132kg(現役時)
横綱になっても本名を四股名にしていたのは大相撲の歴史上でも輪島のみ
右手の引きが強いこともあって左の下手投げを得意とし、「黄金の左」と言われ一世を風靡した
輪湖時代(りんこ)を築いた(北の湖との通算成績は23勝21敗で、ほぼ互角)。
1973年11月場所では一場所15日制になった以降で唯一の、休場しながらの優勝(12勝2敗1休)という珍記録を持つ
大鵬に次ぎ双葉山と並ぶ史上第2位の12回優勝を記録した頃が、輪島の絶頂期
1985年2月に、年寄名跡「花籠」を借金の担保
妻・五月(師匠・大ノ海の長女、その後離婚)は自殺未遂を図り、自身も1985年12月に廃業(部屋は消滅)
若乃花や輪島らの横綱を影で支えた、おかみさんの中島トミさんは、この輪島の不祥事により、貧乏部屋から辛酸を舐めながら苦労を重ねて隆盛させた花籠部屋が消滅したことを苦に、
1986年5月23日の夕刻、老後のために購入した八王子市横川町の別荘の物置で、かもいに電気コードをかけ、首を吊った。65歳。
プロレス入り「裸で初めて裸で出直します」
そのプロレスも大相撲のクセが抜けずに「倒した相手を寝技に持ち込むことをせずに待ってしまう」という致命的な欠点
1986年に全日本プロレス大相撲出身の前頭筆頭天龍源一郎との真剣試合は前田日明をして感動させた。
キューバの相撲ナショナルチーム監督のほか、能登観光協会大使、石川県観光親善大使を務める他、地元の鮮魚販売会社スギヨのCMにスギヨふるさとの味大使として登場している。
ボクシングのカエル跳び輪島 功一は北海道士別市出身・能登にはまったく関係ない
世界ジュニアミドル級(現・スーパーウェルター級)王座を3度獲得(1度目と2度目はWBA、WBC統一王座。3度目はWBAのみ)。"
相撲の横綱・輪島大士と従兄弟というのはまったくのウソ。営業ト−ク。
横綱・輪島の強気生への執念がある限り震災からの復興は可能であろう。
そして、この地は日本一の祈りの町。
飛行機事故でなくなった作家・向田邦子の実家は石川県七尾市能登島向田町。
『ごちそうさま』「いただきます」、
食事の時のあいさつの言葉が日本語にあって、英語にないのはどうしてだろう。
作家 向田邦子も気にかかっていた。
水上勉との対談で、合掌のしぐさとあわせて念仏なのだと教えられて
、「とっても気が楽になります」と語った。
他者の命を戴き、自分の命を活きながらせる他者の生命の上の自分の生命、人間の業
信仰の毎日に生きてる一番強き地方が石川県との認識
約500年前、浄土真宗を信仰するこの地の農民たちは、近隣の勢力と呼応して一向一揆を起こし、加賀に100年近くの間、自分たちの国を打ち立てた。
門徒間の強い連帯感が起こした日本の唯一の輝ける歴史は
まさに「奇跡」。
先祖の残した伝統が地域に根づいているはずの、助け合いの精神を今こそ見せつけてほしい。
被災者の皆さんの力強い明日を目指した生き方で困難を乗り越えてほしいものだ。
ニュ-ジ−ランドは四国のない日本列島に酷似、
能登半島は、鹿児島湾を囲む薩摩半島を反転した形。
対峙する大隅半島は能登の先にある佐渡ヶ島
薩摩半島西岸は東シナ海に面する外海の仙台に仙台原発
能登半島の真ん中ぐらいの口能登の志賀に原発。
実に似たところに原発を作ってるもんだ。
54ヶ所をチックすると存外似てる部分があるのでは、、
E/Tなる映画の指をあわせるポスタ−を見て二ヶ所の地形を惹起させた記憶がある。
「平成19年 (2007年) 能登半島地震」25日9時42分
マグニチュード(M)6.9
それも直下型。
口能登(くちのと)志賀原発の20KM先の海底。
ひぇ〜、ヒェ〜肝を冷やしてる人がどれほどいることか。
宮崎えびの地震で体験しているが直下型は始末が悪い。
志賀原子力発電所を擁している能登半島
荒海や佐渡を指差す能登半島
山湾に面した海岸を内浦(うちうら)、日本海に面した海岸を外浦(そとうら)と呼ぶ。
また、半島の先端から根元に向け、順に奥能登(おくのと)、中能登(なかのと)、
口能登(くちのと)と呼ぶ。
行政区域で分類すると、下記のようになる。
口能登
羽咋市,羽咋郡(宝達志水町・志賀町)
中能登
七尾市,鹿島郡(中能登町)
奥能登
輪島市,珠洲市,鳳珠郡(穴水町・能登町)
能登半島は、大地震が起きる可能性が低い地域とされてきた。
「30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率」はほぼゼロ、と
「全国を概観した地震動予測地図」での判定。
2005年の福岡県西方沖地震も、今回と同様、この確率がほぼゼロの地域だった。
阿部勝征・東京大教授(地震学)
「日本海沿岸は太平洋側に比べ、大地震が起こる確率は低い。だが、プレート内部の傷がどこにあるかは事前に予測できず、起きてみなければ分からない」と指摘する。
こういったらヒンシュクをかうんだろうな。
原発反対に政治首長を選ぶのにその政策を打ち出せない知事郡への神の反逆!
北陸電力の2基の原発は1基がタービン損傷で、もう1基が今月発覚した臨界事故隠しでいずれも停止していた。
観測された揺れは原子炉の緊急停止相当であった。
で!神の試練!というわけで、災難を楽しんでるわけではない。
地震多発国との自然環境と原発立地を言ってるだけで
被災地の皆々様のひたすらな安寧を祈っている。
毎日新聞 26日刊
05年8月の宮城県沖地震では、女川原発の地下で251・2ガルを観測し自動停止した。
想定していた最大加速度は375ガルだったが、
解析の結果、最大加速度以外の一部周期帯では設計の想定を超えていたことが分かり、耐震指針の見直しにも影響を与えた。
今回は、226ガルという比較的大きな加速度を記録しており、女川同様、想定を超えた可能性がある。
原発の耐震性に詳しい石橋克彦・神戸大都市安全研究センター教授(地震学)
「原子炉の圧力容器や建屋にひびが入るようなことはないはずだが、配管や機器などに損傷が生じて重大事故につながる恐れはある。もっと原発に近い場所で起きることも考えられ、警鐘とすべきだ」と訴える。
志賀原発2号機差し止め訴訟の原告団代表で石川県志賀町議、堂下健一(52)
「1、2号機とも運転停止中に地震が起きたことは不幸中の幸い。原発と防災の視点をどう盛り込むのか、注視しなけ
れば」と語った。
新潟県中越地震の長岡市の県道が一昨日、復旧開通、
5歳の皆川優太の保育園に通う元気な姿をニュースで流していた矢先である。
土砂崩れで埋まった車の中から当時2歳の皆川優太が救出された
絶望と一縷の希望がせめぎ合うなかで、呼吸も忘れてテレビの中継に見入った5年前。
皇后陛下の詠まれたお歌がある。
「天狼(てんらう)の眼も守りしか土なかに生きゆくりなく幼児還る」。
夜空のシリウス(天狼)も見守ってくれたか、
「ゆくりなく」(思いがけなくも)は国民の実感
逃げ、泣き、耐え、直し、生きる…。人間の懸命の営みをあざ笑
うかのように、
「地震国」日本の非情な現実は新しい厄災を突きつけ
輪島市で1人が死亡、全半壊した家屋は183棟できかな
いという。負傷者は石川、富山両県で187人
被災地では救援活動と復旧作業がフル回転でつづいているが、不気味な余震もまだ収まっていない。
原子力発電所近くで発生した今回の地震は、「原発震災」に対する警鐘。
ユ−ラシアプレートと呼ばれる西日本を載せている岩板の内部で発生した。
日本列島は、地球表面を覆うプレート(岩板)の境界が集まった場所にある。
地下深部へ沈み込む太平洋側のプレートに
押され、常に東西方向に圧縮されている。
圧縮のひずみが極限に達すると、大陸側のプレート内部に出来た傷(断層)の比較的弱い部分がずれ地震が起こる。
石川県と言えば団塊の世代は松井秀喜ではない。
第54代横綱・輪島大士( ひろし、1948年1月11日 - )、
中能登では和倉温泉がある七尾市の出身
異色の職歴、レスラー、元タレント。
「日大相撲部、輪島」と書いておけば合格になったという伝説がある。
2年連続で学生横綱に輝くなど14個のタイトルを獲得。
学生横綱を決めた一番の相手は、同志社大学の逸見憲治(逸見政孝の実弟)。
日大卒業後の1970年、花籠部屋(師匠は元幕内・大ノ海)に入門し、同年1月場所に幕下付出で初土俵。
東農大出身の元小結・豊山(現・湊親方)は大学時代からのライバル
身長 186cm(現役時)
体重 132kg(現役時)
横綱になっても本名を四股名にしていたのは大相撲の歴史上でも輪島のみ
右手の引きが強いこともあって左の下手投げを得意とし、「黄金の左」と言われ一世を風靡した
輪湖時代(りんこ)を築いた(北の湖との通算成績は23勝21敗で、ほぼ互角)。
1973年11月場所では一場所15日制になった以降で唯一の、休場しながらの優勝(12勝2敗1休)という珍記録を持つ
大鵬に次ぎ双葉山と並ぶ史上第2位の12回優勝を記録した頃が、輪島の絶頂期
1985年2月に、年寄名跡「花籠」を借金の担保
妻・五月(師匠・大ノ海の長女、その後離婚)は自殺未遂を図り、自身も1985年12月に廃業(部屋は消滅)
若乃花や輪島らの横綱を影で支えた、おかみさんの中島トミさんは、この輪島の不祥事により、貧乏部屋から辛酸を舐めながら苦労を重ねて隆盛させた花籠部屋が消滅したことを苦に、
1986年5月23日の夕刻、老後のために購入した八王子市横川町の別荘の物置で、かもいに電気コードをかけ、首を吊った。65歳。
プロレス入り「裸で初めて裸で出直します」
そのプロレスも大相撲のクセが抜けずに「倒した相手を寝技に持ち込むことをせずに待ってしまう」という致命的な欠点
1986年に全日本プロレス大相撲出身の前頭筆頭天龍源一郎との真剣試合は前田日明をして感動させた。
キューバの相撲ナショナルチーム監督のほか、能登観光協会大使、石川県観光親善大使を務める他、地元の鮮魚販売会社スギヨのCMにスギヨふるさとの味大使として登場している。
ボクシングのカエル跳び輪島 功一は北海道士別市出身・能登にはまったく関係ない
世界ジュニアミドル級(現・スーパーウェルター級)王座を3度獲得(1度目と2度目はWBA、WBC統一王座。3度目はWBAのみ)。"
相撲の横綱・輪島大士と従兄弟というのはまったくのウソ。営業ト−ク。
横綱・輪島の強気生への執念がある限り震災からの復興は可能であろう。
そして、この地は日本一の祈りの町。
飛行機事故でなくなった作家・向田邦子の実家は石川県七尾市能登島向田町。
『ごちそうさま』「いただきます」、
食事の時のあいさつの言葉が日本語にあって、英語にないのはどうしてだろう。
作家 向田邦子も気にかかっていた。
水上勉との対談で、合掌のしぐさとあわせて念仏なのだと教えられて
、「とっても気が楽になります」と語った。
他者の命を戴き、自分の命を活きながらせる他者の生命の上の自分の生命、人間の業
信仰の毎日に生きてる一番強き地方が石川県との認識
約500年前、浄土真宗を信仰するこの地の農民たちは、近隣の勢力と呼応して一向一揆を起こし、加賀に100年近くの間、自分たちの国を打ち立てた。
門徒間の強い連帯感が起こした日本の唯一の輝ける歴史は
まさに「奇跡」。
先祖の残した伝統が地域に根づいているはずの、助け合いの精神を今こそ見せつけてほしい。
被災者の皆さんの力強い明日を目指した生き方で困難を乗り越えてほしいものだ。
コメント