人を増やさにゃ〜。
2007年3月25日稲作農業でも三期作米作りさえやってたころさえある宮崎。
さては遅きと県下一斉に昨日の恵み雨天候を機に、田植えが始まった。
太陰暦の旧暦で生きてる人は気象庁の人よりよっぽど偉い。
今日の暑さはなんだ!
上着も汗がにじみカッタ−シャツ一枚の人々が日曜日の街を闊歩している。
やさしき澄み渡る青さの先には何があるのか。
幼きころの疑問はいまも矜持している。
昨夜は相手の方の都合も気にせず、今朝方5時近くまで
この不思議・地球、その未来をお話した。
世界中を釣りで回った開高健。
アラスカの川でのサーモン釣りについて新聞が描いていた。
体長1メートルにもなる大物が掛かると、釣り人は糸を切られないよう必死の格闘を強いられる。腰まで流れに漬かり、魚の動きに合わせて左へ右へ。こけつ、まろびつ、ときに引き倒されて溺(おぼ)れそうになる。「どっちが釣られているんだか、分からない」。
この方とのお話がそうであった。
一気に時間が過ぎた。
こと方は偉い。
ジョイフルにノ−ト・パソのミニからDVD、等
近代事務兵器をすべて持ち合わせておられる。
地球儀に、星座儀立体的解説書。
そのまんんま取材の方だ!の直感で宮崎を売り込もうとするも
驚きや!宮崎在住の人であった。
われらの世代は時場所時間を気にすることなく
しょうちゅう徹夜議論はお手の物。
いやぁ〜よかったよかった
子々孫々に地球環境をつなげ切れる楽しみが出てきた。
「近頃のワカイもんわ・・」初老の愚痴は禁句である。
それ以前駅でバス路線でお探しのお花を抱かれてる紳士の方。
観光県の足たるバス路線がえきに集中していない不便さを議論。
えきの東から大塚台団地に向かわれようとしていた。
ここからはイオンだけにしかいけない。
同じ方向のシ−ガイヤは西から。
西もおかしい
平和台、宮崎神宮には一度、山形屋までいってから、乗り換え、
県外も鹿児島は駅から離れた違うところが発着。
自動券売機を置くとかの改善は急務。
福岡方面のみ人を配置したキップ売りの暇なこと。
ここで取り扱えばいい。
九州で唯一バスセンタ−機能が駅とリンクしてないミス・マッチ。
これも百年続くのであろう。宮崎ダモン!
「人口が少なしな」
「首長の経営能力です。富山の舟橋村は人口増加率が全国2位人口・世帯数ともに大幅に増加しています。」
「 金森勝雄舟橋村長の偉さは歴史を含めた村を知り尽くすことから興隆する施作を実践できえたから。」
立山連峰を望む優れた景観
それを生かした宅地開発で人口が増加し、活気のある村に改革した。
農民一揆「ばんどり騒動」集結の地 と普通隠される歴史を表に出している。
明治2年(1896)舟橋村竹内にある無量寺に5万人の農民が終結
宮崎忠次郎を中心に一揆を起こした。
冷夏の夏で米が不作、年貢を収めると飯米がなくなる。
滑川で村役人と衝突首謀者は死刑と悲劇の結末。
先人の生きる勇気の素晴らしさを村政に生かしこの山村の人口を増やした。 」
舟橋村は、富山県のほぼ中央に位置する唯一の「村」
全国1,800余りの自治体の中で一番面積の小さい自治体
面積は3.47km2。
村の人口増に伴い住民ニーズは多様化し、かつ、高度情報化社会の進展による行政サービスの質の変化など、行政全般にわたり抜本的な改革を進め、住民の立場に立った開かれた行政システムの構築が望まれています。
本村においては、「生活快適田園都市の実現」、「人が元気なコミュニティづくり」を目指すとともに、
行政改革を進め、よりよき古里づくりに専心努力いたす所存であります。皆様の今後より一層のご理解とご協力をお願いいたします。舟橋村長 金森勝雄
年次 総人口 男性 女性 世帯数
昭和10年 1,103 530 573 212
昭和22年 1,497 713 784 275
昭和40年 1,344 653 691 258
昭和60年 1,419 666 753 334
平成7年 1,658 797 861 450
平成12年 2,153 1,056 1,097 627
平成17年 2,673 1,308 1,365 804
単位:人
(資料:国勢調査より)
土地利用の変化
年次 総面積 田 畑 宅地 雑種地 公有地等
平成
4年 347 224 3 36 5 79
9年 347 200 3 41 18 85
14年 347 188 3 46 19 91
単位:ha
東京から 高速道路(関越・北陸)[東京〜立山IC]
[立山IC〜舟橋村] 5時間40分
東京から 上越新幹線[東京〜越後湯沢]
ほくほく線北陸本線(特急はくたか)[越後湯沢〜富山]
富山地方鉄道本線[電鉄富山駅〜越中舟橋駅] 3時間30分
村内中央には富山地方鉄道が走り(前に紹介した一部区間タイヤ鉄道)国道8号および北陸自動車道立山ICへはそれぞれ車で5分
富山市の中心部から電車で約13分、車で20分と、恵まれた地理的条件
ベッドタウン化が進み、
また、富山地方鉄道「越中舟橋駅」駅舎と一体となった「舟橋村立図書館」
住民一人当たりの貸出し冊数は日本一。
『舟橋会館』
大ホール、大広間、浴室、トレーニングルーム、研修室
など多彩な施設を備えた、学びの場を提供する生涯学習の拠点
憩いのひとときをもたらす福祉センターとして、さらに、体力づくりを推進するトレーニング施設として幅広い年代の方が様々な
目的で利用できる施設。
別に舟橋村デイサービスセンターもあり、高齢者対策も充実している。
整備された田園と雄大な立山連峰を望む景観は四季おりおり趣のある風情を醸し出し、
「すばらしい」のひと言。
連峰に源を発する豊かな水と、肥沃な土地から生まれるコシヒカリは、
「アルプス米」としてブランド化
少子化、高齢者対策魅力がある合併しない唯一の村。
富山人の知恵・・、
富山売薬の起源を立山信仰にも求める。
「越中富山の反魂丹、ハナクソ丸めて万金丹」
揶揄して注目してもらい景品をねだった。
子供ゆえこうだもの。
越中魂は全国を制覇した。
おまけ商法の走りたる小さい頃ねだってた紙風船の異国の文化の香り。
北原照久著『「おまけ」の博物誌』(PHP新書)
懐かしいのは「喰合せ表」
スイカとウナギを同時に食べるとお腹を壊す
思い出して病気になるんじゃないかと震えたのも共通体験。
大人向け・家庭向け 盃、銚子、湯呑、急須(九谷焼など)、輪島塗の器、箸(若狭塗)、箸袋、コースター、しゃもじ、缶切、栓抜、糸、糸巻、縫針(氷見産)、風呂敷、手拭い、状差し、暦、喰合せ表、扇子
子ども向け 紙風船、紙飛行機、折紙、トンガリ帽子(紙製)、雑記帳、豆本
その他 種籾(もみ)や牛耕などの農業技術
小さい頃、最も不思議だったのは回収していった使わなかった薬を本当に捨てているのだろうか?ということだった。
なにも不二家がこんなことになるとは予想だにしなかったころ。
玉川しんめい『反魂丹の文化史』(晶文社)に詳しい。
なお、売薬業は富山だけではない。
富山、奈良(大和)、近江(滋賀)、田代(たじろ=佐賀県鳥栖市と基山町にまたがる地域)が「四大売薬」
赤や黄色の箱に描いてあった記憶がよみがえる
三つ子未とこの魂百までである・
奈良売薬は大和売薬といって一番歴史が古い。
ドラマ『水戸黄門』に出てくる風車の弥七という忍びの者は薬売りである。これは甲賀忍者と近江の薬との関係を匂わせる。
富山の売薬は宮崎・鹿児島、北海道から樺太の端まで行っているところが他と違う。戦前は海外にまで進出していた。
有元正雄著 『真宗の宗教社会史』(吉川弘文館)は「全国的に真宗地帯には売薬行商が多い」と指摘。
〈1〉勤勉、正直、節倹、忍耐など真宗門徒の高い徳性が職業倫理を生んだ。
〈2〉真宗地帯では堕胎、間引きの風習がなく、人口増加が労働力を生んだ。
〈3〉加持祈祷を排し、医薬で治療を図るという合理的精神を育てた。
富山の売薬が立山信仰から起こったとするのは無理があることになる。また、同じく「真宗王国」である福井や石川では売薬が生まれてない。
富山藩は北海道から北前船で昆布を仕入れ、そのまま薩摩、琉球、そして中国へと密貿易をしていた。
中国からは日本で手に入りにくい薬の原料を手に入れた。
富山と沖縄で昆布消費量が多いのもこの事情から生まれている。また、薩摩には「薩摩組」という特別な組織を作って密貿易に対応していた。
「明治維新は富山藩が作った」といわれるゆえんである。
井上ひさし著『紙屋町さくらホテル』では宿がなくて困っていた長谷川(海軍大将で海軍大臣候補)が富山の薬売りのふりをして、尾行している針生とがにわか劇団員になってさくらホテルに泊まることになる。薬売りだと怪しまれなかったのだ。
三大配置薬は「六神丸」「赤玉はら薬」「熊胆(ゆうたん=「くまのい」と昔はゆうたんぜ)」である。大正時代には解熱鎮痛剤「ケロリン」が誕生。戦後は明快な命名と斬新な包装で発売された鎮痛剤「ズバリ(頭歯利)」なども登場した。パッケージのデザインは富山市立図書館でオンラインで公開している。
内田康夫『蜃気楼』ではこの懸場帳が盗まれるという殺人事件を扱ったサスペンスで、懸場帳というものの本質が分かってくるようになっている。そこに書かれた家族のようすが事件を解く鍵となるのである。
懸場帳は不動産と同様に売買される(約3%の手数料)。
その懸場帳の過去の売上金額から年間平均売上を算出し配置されている薬代を加え、 一年以上の不廻り(ふまわり:長期間得意先を訪問しない事、その期間は薬売りによって差がある) を除き、集金金額の割り出す、
その金額に「文」(もん)と呼ばれる暖簾価値(のれんかち:商売から生じる無形の経済的利益・財産価値を示す) として
2・3割の金額を加算するのが一般的だった。
さらに、古くからの得意先を抱えている・帳主が顧客から深い信用を得ている・売上高が高額で地域の将来性が高いといった、 懸場帳には5割までの暖簾価値がついたのである。
懸場帳は今はやりの名簿流出とは違う。お客さんの方に需要があって、その需要を引き継いでいくのである。
三霊山というのはもともと富山から生まれた言葉ではなくて、富士山と白山で「二禅定」(“に・ぜんじょう”二つの山を登ること)だったのが、三河の人々が立山信仰をするようになり、「三禅定」を唱えてからだという
富山売薬の起源を立山信仰と結びつけ、立山衆徒が配札檀那廻りを行い、護符や経衣を予托して、あとからその代金をいただいたという点が、売薬の先用後利に似ているという
・・・・・
「先義後利」、賢い人がこれを変形して使うようになったと考えられる。
、荀子の栄辱編の中にある
「義を先にして利を後にする者は栄える」にある。
大丸が元文元年(1736年)、業祖・下村彦右衛門によって
「先義而後利者栄」を事業の根本理念として定めている。
総じて越中人は頭がいい。
富山の人・志の輔落語を聴けばよくわかる。
・・・・
高速道、高速鉄道の基本インフラ整備が無い県下の交通網。
比較し学ぶとこ大である。
官古鳥のないてる赤字垂れ流しの宮崎の施設郡。
、科学技術館、蓮ヶ池の古里館、水の池辺館、県の武道館
市の図書館、公会堂
あんな住宅外の端っこまで住民のダレが行きます?
他の県へ議員さん視察に行かれたハズだが、ナゼこんな形に収まるのか。
将来の経営を考えていない親方日の丸。
山陰一揆は出るが高鍋、三財川に結集した都於郡一揆
お上に逆らった事件として恥で表に出さないようにする。
「義民」のねずみ小僧などが理解できてない。
浄瑠璃、浪曲講談など文化が根付いてないため〜来る思考的貧困。
ミスマッチのこれくらいは御優しいことで
国家的レベルになるとシャレにはならない
「われ自衛隊を愛す故に憲法9条を守る。」
かもがわ出版・著者はそれぞれ自衛隊幹部
小池清彦教育訓練局長
湾岸戦で実証された。平和憲法が国を守った。
竹岡勝美官房長
中国ロシヤ韓国のいずれかが日本を攻めてくるとの想定
それは虚構
改憲は自衛隊のためにあるのでなく米国に追従した海外派遣が目的。
国際貢献の名の下に海外派遣をしなければ避難されるはうそ
日本は平和国家として世界の尊敬を経ている。
自衛隊員も専守防衛を誇りに思っている。
国防と名誉の観点から改憲は阻止。
衆議院議員8期の防衛官僚自民党の箕輪登
「自衛隊イラク派遣差し止め訴訟」
海外派兵は憲法違反で国民を戦争に巻き込む重大な問題
改憲の準備手続きたる国民投票法案の審議は公聴会のひもきまり、
今国会で成立は見えてきだした。
風前のともし火・平和憲法。
ほんわりで横綱らしからぬ相撲をとるゆえの
品位の無い優勝決定戦。
出稼ぎモン同士には相撲道、相撲愛のかけらも見られない。
これでは錦絵にはならない。
世界フィギュア女子は美しすぎる。
ホント日本人の肢体。
、優勝安藤美姫 2位浅田真央
本当にオメデトウ!
神業のすばらしき演技に乾杯!
さては遅きと県下一斉に昨日の恵み雨天候を機に、田植えが始まった。
太陰暦の旧暦で生きてる人は気象庁の人よりよっぽど偉い。
今日の暑さはなんだ!
上着も汗がにじみカッタ−シャツ一枚の人々が日曜日の街を闊歩している。
やさしき澄み渡る青さの先には何があるのか。
幼きころの疑問はいまも矜持している。
昨夜は相手の方の都合も気にせず、今朝方5時近くまで
この不思議・地球、その未来をお話した。
世界中を釣りで回った開高健。
アラスカの川でのサーモン釣りについて新聞が描いていた。
体長1メートルにもなる大物が掛かると、釣り人は糸を切られないよう必死の格闘を強いられる。腰まで流れに漬かり、魚の動きに合わせて左へ右へ。こけつ、まろびつ、ときに引き倒されて溺(おぼ)れそうになる。「どっちが釣られているんだか、分からない」。
この方とのお話がそうであった。
一気に時間が過ぎた。
こと方は偉い。
ジョイフルにノ−ト・パソのミニからDVD、等
近代事務兵器をすべて持ち合わせておられる。
地球儀に、星座儀立体的解説書。
そのまんんま取材の方だ!の直感で宮崎を売り込もうとするも
驚きや!宮崎在住の人であった。
われらの世代は時場所時間を気にすることなく
しょうちゅう徹夜議論はお手の物。
いやぁ〜よかったよかった
子々孫々に地球環境をつなげ切れる楽しみが出てきた。
「近頃のワカイもんわ・・」初老の愚痴は禁句である。
それ以前駅でバス路線でお探しのお花を抱かれてる紳士の方。
観光県の足たるバス路線がえきに集中していない不便さを議論。
えきの東から大塚台団地に向かわれようとしていた。
ここからはイオンだけにしかいけない。
同じ方向のシ−ガイヤは西から。
西もおかしい
平和台、宮崎神宮には一度、山形屋までいってから、乗り換え、
県外も鹿児島は駅から離れた違うところが発着。
自動券売機を置くとかの改善は急務。
福岡方面のみ人を配置したキップ売りの暇なこと。
ここで取り扱えばいい。
九州で唯一バスセンタ−機能が駅とリンクしてないミス・マッチ。
これも百年続くのであろう。宮崎ダモン!
「人口が少なしな」
「首長の経営能力です。富山の舟橋村は人口増加率が全国2位人口・世帯数ともに大幅に増加しています。」
「 金森勝雄舟橋村長の偉さは歴史を含めた村を知り尽くすことから興隆する施作を実践できえたから。」
立山連峰を望む優れた景観
それを生かした宅地開発で人口が増加し、活気のある村に改革した。
農民一揆「ばんどり騒動」集結の地 と普通隠される歴史を表に出している。
明治2年(1896)舟橋村竹内にある無量寺に5万人の農民が終結
宮崎忠次郎を中心に一揆を起こした。
冷夏の夏で米が不作、年貢を収めると飯米がなくなる。
滑川で村役人と衝突首謀者は死刑と悲劇の結末。
先人の生きる勇気の素晴らしさを村政に生かしこの山村の人口を増やした。 」
舟橋村は、富山県のほぼ中央に位置する唯一の「村」
全国1,800余りの自治体の中で一番面積の小さい自治体
面積は3.47km2。
村の人口増に伴い住民ニーズは多様化し、かつ、高度情報化社会の進展による行政サービスの質の変化など、行政全般にわたり抜本的な改革を進め、住民の立場に立った開かれた行政システムの構築が望まれています。
本村においては、「生活快適田園都市の実現」、「人が元気なコミュニティづくり」を目指すとともに、
行政改革を進め、よりよき古里づくりに専心努力いたす所存であります。皆様の今後より一層のご理解とご協力をお願いいたします。舟橋村長 金森勝雄
年次 総人口 男性 女性 世帯数
昭和10年 1,103 530 573 212
昭和22年 1,497 713 784 275
昭和40年 1,344 653 691 258
昭和60年 1,419 666 753 334
平成7年 1,658 797 861 450
平成12年 2,153 1,056 1,097 627
平成17年 2,673 1,308 1,365 804
単位:人
(資料:国勢調査より)
土地利用の変化
年次 総面積 田 畑 宅地 雑種地 公有地等
平成
4年 347 224 3 36 5 79
9年 347 200 3 41 18 85
14年 347 188 3 46 19 91
単位:ha
東京から 高速道路(関越・北陸)[東京〜立山IC]
[立山IC〜舟橋村] 5時間40分
東京から 上越新幹線[東京〜越後湯沢]
ほくほく線北陸本線(特急はくたか)[越後湯沢〜富山]
富山地方鉄道本線[電鉄富山駅〜越中舟橋駅] 3時間30分
村内中央には富山地方鉄道が走り(前に紹介した一部区間タイヤ鉄道)国道8号および北陸自動車道立山ICへはそれぞれ車で5分
富山市の中心部から電車で約13分、車で20分と、恵まれた地理的条件
ベッドタウン化が進み、
また、富山地方鉄道「越中舟橋駅」駅舎と一体となった「舟橋村立図書館」
住民一人当たりの貸出し冊数は日本一。
『舟橋会館』
大ホール、大広間、浴室、トレーニングルーム、研修室
など多彩な施設を備えた、学びの場を提供する生涯学習の拠点
憩いのひとときをもたらす福祉センターとして、さらに、体力づくりを推進するトレーニング施設として幅広い年代の方が様々な
目的で利用できる施設。
別に舟橋村デイサービスセンターもあり、高齢者対策も充実している。
整備された田園と雄大な立山連峰を望む景観は四季おりおり趣のある風情を醸し出し、
「すばらしい」のひと言。
連峰に源を発する豊かな水と、肥沃な土地から生まれるコシヒカリは、
「アルプス米」としてブランド化
少子化、高齢者対策魅力がある合併しない唯一の村。
富山人の知恵・・、
富山売薬の起源を立山信仰にも求める。
「越中富山の反魂丹、ハナクソ丸めて万金丹」
揶揄して注目してもらい景品をねだった。
子供ゆえこうだもの。
越中魂は全国を制覇した。
おまけ商法の走りたる小さい頃ねだってた紙風船の異国の文化の香り。
北原照久著『「おまけ」の博物誌』(PHP新書)
懐かしいのは「喰合せ表」
スイカとウナギを同時に食べるとお腹を壊す
思い出して病気になるんじゃないかと震えたのも共通体験。
大人向け・家庭向け 盃、銚子、湯呑、急須(九谷焼など)、輪島塗の器、箸(若狭塗)、箸袋、コースター、しゃもじ、缶切、栓抜、糸、糸巻、縫針(氷見産)、風呂敷、手拭い、状差し、暦、喰合せ表、扇子
子ども向け 紙風船、紙飛行機、折紙、トンガリ帽子(紙製)、雑記帳、豆本
その他 種籾(もみ)や牛耕などの農業技術
小さい頃、最も不思議だったのは回収していった使わなかった薬を本当に捨てているのだろうか?ということだった。
なにも不二家がこんなことになるとは予想だにしなかったころ。
玉川しんめい『反魂丹の文化史』(晶文社)に詳しい。
なお、売薬業は富山だけではない。
富山、奈良(大和)、近江(滋賀)、田代(たじろ=佐賀県鳥栖市と基山町にまたがる地域)が「四大売薬」
赤や黄色の箱に描いてあった記憶がよみがえる
三つ子未とこの魂百までである・
奈良売薬は大和売薬といって一番歴史が古い。
ドラマ『水戸黄門』に出てくる風車の弥七という忍びの者は薬売りである。これは甲賀忍者と近江の薬との関係を匂わせる。
富山の売薬は宮崎・鹿児島、北海道から樺太の端まで行っているところが他と違う。戦前は海外にまで進出していた。
有元正雄著 『真宗の宗教社会史』(吉川弘文館)は「全国的に真宗地帯には売薬行商が多い」と指摘。
〈1〉勤勉、正直、節倹、忍耐など真宗門徒の高い徳性が職業倫理を生んだ。
〈2〉真宗地帯では堕胎、間引きの風習がなく、人口増加が労働力を生んだ。
〈3〉加持祈祷を排し、医薬で治療を図るという合理的精神を育てた。
富山の売薬が立山信仰から起こったとするのは無理があることになる。また、同じく「真宗王国」である福井や石川では売薬が生まれてない。
富山藩は北海道から北前船で昆布を仕入れ、そのまま薩摩、琉球、そして中国へと密貿易をしていた。
中国からは日本で手に入りにくい薬の原料を手に入れた。
富山と沖縄で昆布消費量が多いのもこの事情から生まれている。また、薩摩には「薩摩組」という特別な組織を作って密貿易に対応していた。
「明治維新は富山藩が作った」といわれるゆえんである。
井上ひさし著『紙屋町さくらホテル』では宿がなくて困っていた長谷川(海軍大将で海軍大臣候補)が富山の薬売りのふりをして、尾行している針生とがにわか劇団員になってさくらホテルに泊まることになる。薬売りだと怪しまれなかったのだ。
三大配置薬は「六神丸」「赤玉はら薬」「熊胆(ゆうたん=「くまのい」と昔はゆうたんぜ)」である。大正時代には解熱鎮痛剤「ケロリン」が誕生。戦後は明快な命名と斬新な包装で発売された鎮痛剤「ズバリ(頭歯利)」なども登場した。パッケージのデザインは富山市立図書館でオンラインで公開している。
内田康夫『蜃気楼』ではこの懸場帳が盗まれるという殺人事件を扱ったサスペンスで、懸場帳というものの本質が分かってくるようになっている。そこに書かれた家族のようすが事件を解く鍵となるのである。
懸場帳は不動産と同様に売買される(約3%の手数料)。
その懸場帳の過去の売上金額から年間平均売上を算出し配置されている薬代を加え、 一年以上の不廻り(ふまわり:長期間得意先を訪問しない事、その期間は薬売りによって差がある) を除き、集金金額の割り出す、
その金額に「文」(もん)と呼ばれる暖簾価値(のれんかち:商売から生じる無形の経済的利益・財産価値を示す) として
2・3割の金額を加算するのが一般的だった。
さらに、古くからの得意先を抱えている・帳主が顧客から深い信用を得ている・売上高が高額で地域の将来性が高いといった、 懸場帳には5割までの暖簾価値がついたのである。
懸場帳は今はやりの名簿流出とは違う。お客さんの方に需要があって、その需要を引き継いでいくのである。
三霊山というのはもともと富山から生まれた言葉ではなくて、富士山と白山で「二禅定」(“に・ぜんじょう”二つの山を登ること)だったのが、三河の人々が立山信仰をするようになり、「三禅定」を唱えてからだという
富山売薬の起源を立山信仰と結びつけ、立山衆徒が配札檀那廻りを行い、護符や経衣を予托して、あとからその代金をいただいたという点が、売薬の先用後利に似ているという
・・・・・
「先義後利」、賢い人がこれを変形して使うようになったと考えられる。
、荀子の栄辱編の中にある
「義を先にして利を後にする者は栄える」にある。
大丸が元文元年(1736年)、業祖・下村彦右衛門によって
「先義而後利者栄」を事業の根本理念として定めている。
総じて越中人は頭がいい。
富山の人・志の輔落語を聴けばよくわかる。
・・・・
高速道、高速鉄道の基本インフラ整備が無い県下の交通網。
比較し学ぶとこ大である。
官古鳥のないてる赤字垂れ流しの宮崎の施設郡。
、科学技術館、蓮ヶ池の古里館、水の池辺館、県の武道館
市の図書館、公会堂
あんな住宅外の端っこまで住民のダレが行きます?
他の県へ議員さん視察に行かれたハズだが、ナゼこんな形に収まるのか。
将来の経営を考えていない親方日の丸。
山陰一揆は出るが高鍋、三財川に結集した都於郡一揆
お上に逆らった事件として恥で表に出さないようにする。
「義民」のねずみ小僧などが理解できてない。
浄瑠璃、浪曲講談など文化が根付いてないため〜来る思考的貧困。
ミスマッチのこれくらいは御優しいことで
国家的レベルになるとシャレにはならない
「われ自衛隊を愛す故に憲法9条を守る。」
かもがわ出版・著者はそれぞれ自衛隊幹部
小池清彦教育訓練局長
湾岸戦で実証された。平和憲法が国を守った。
竹岡勝美官房長
中国ロシヤ韓国のいずれかが日本を攻めてくるとの想定
それは虚構
改憲は自衛隊のためにあるのでなく米国に追従した海外派遣が目的。
国際貢献の名の下に海外派遣をしなければ避難されるはうそ
日本は平和国家として世界の尊敬を経ている。
自衛隊員も専守防衛を誇りに思っている。
国防と名誉の観点から改憲は阻止。
衆議院議員8期の防衛官僚自民党の箕輪登
「自衛隊イラク派遣差し止め訴訟」
海外派兵は憲法違反で国民を戦争に巻き込む重大な問題
改憲の準備手続きたる国民投票法案の審議は公聴会のひもきまり、
今国会で成立は見えてきだした。
風前のともし火・平和憲法。
ほんわりで横綱らしからぬ相撲をとるゆえの
品位の無い優勝決定戦。
出稼ぎモン同士には相撲道、相撲愛のかけらも見られない。
これでは錦絵にはならない。
世界フィギュア女子は美しすぎる。
ホント日本人の肢体。
、優勝安藤美姫 2位浅田真央
本当にオメデトウ!
神業のすばらしき演技に乾杯!
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