シ−ズン到来

2007年3月5日
低気圧の力か強風が吹き荒れている。
凄いエネルギ−で対地に吹き付ける。

思考力も気力も尽きすっかり生命力さえ萎え萎んでいる
かすかに研ぎ澄まされたもののみで生命を維持している
凛としたるもの。どこに潜んでいるのであろう。
ただ、もう精神的にそう猶予はない。

金満家の跡取りなら良いがそうは行かぬ。
道楽息子の落ちぶれ者を改心させようと、人が寄り集まってあれこれと意見するが、相手は聞かない。

いよいよの奥の手は糧道を断つことである。
遊ぶ金がなければ道楽もできない
「ないが意見の総仕舞」というわけだ。
食うがせいぜいの、金の「ない」境涯に突き落とすことが千言万語にまさる究極の説教であるのは、
古今を問わぬ人の世の知恵だろう

古川柳に、「一寸の無心にも五分の騙しあり」。
一寸の虫にも五分の魂のもじりナンだろうがそんなもんジャァない。

雑踏に踏みとどまっていると春風とともに旅行者に出くわす。
食料さえ頂いた。

どう見ても70歳がいいとこのご夫婦
妻は小林市堤(75)ご本人さんは大泉さん(80)
若い!

鉄の塊がそら飛ぶわけはない道理で23:45分発の小倉行き夜行。。
お住まいは北海道。
上川郡上川町
15兆歩の農家。

道北の中心は旭川
上川郡は稚内の下っかわ
ネットでみると気温が−2度から−15度
こっちは今日は25度を記録した。
ヒェッ!とても住めない。日向人。

「孫を歌ってた大泉さんは山形でしたネ?」
「親戚に当たるんだ!」
「山形??上川町??」
「親の代の入植者、本家は山形」
「じゃぁ〜天童市??将棋の駒・日本一」
「オウッ!してるかそこの前川」
「茂吉館がありますよネ?」
「そんなもんしらん!」

「年金はお陰で国民年金より公務員の方ががいいようだ。」
「全林野って・・・しってます?」
「やったものよ!団結ガンバロウ!」」
[ジャンプの原田は上川町・家ははちかくだ」
「日の丸ジャンプの原田!あの笑顔は実にいい!」

大体お話の中身が繋がる方がわかってきた。
作物の差、ミカンにびっくりされたこと。
カンショ、焼酎水田・・緑茶
イヤァ
元気を頂いた。

もう一組は娘さんとお母さん。
埼玉は所沢。
所沢市下富??

「あの〜」
「二つ三ッつ、埼玉と宮崎・・・繋がりがあるんですよ」
恐る々お話しかける

「若山牧水って宮崎の人なんですよ」

「そうでしたか・・近辺に牧水のこといろいろありますよ」
お話だしの糸口の共通項を見いだした。

北海道の隅々まで全国くまなく歩いたゆえ牧水は切り出しにいい。

くだんの北海道の方、若かりしころ営林署勤めの方には通じ無かったのが使える。

牧水弟子の大悟法利雄は若山牧水記念館の初代館長
福沢 諭吉の里・大分県中津市のご出身
ちなみに、第2代館長は牧水長男若山旅人、現在 旅人のご長女、牧水のお孫さんにあたる榎本篁子(むらこ)さんが第3代館長。

この高弟のご努力で牧水の足跡はすべて明らかにされている。
大正五年九〜十二月若山牧水は
、函館、札幌、岩見沢、旭川、増毛、深川、名寄、北見、紋別、網走、池田、帯広、夕張、小樽、函館など
揮毫会で訪れる。

「若山牧水のお爺ちゃん=健海は所沢なんですよ」
「長崎で医学を修め大阪洪庵の滴塾でも修行を積み豪放なる生活や希望もあり、宮崎の僻地に来たわけです。」
「その孫が国民的歌人・若山牧水・・・」

「武者小路実篤・房子知ってます?新しき村・・」
「入間のことかね?」
「そうです!宮崎の木城の僻地でしたが、ダムで没したり房子婦人の杉山との不倫もあり第二の新しき村たる
埼玉県入間に引っ越した・・」
「はぁ・・そうだった、田舎よ!入間!」
「所沢は西武。きなさいよ!」
「キャンプは宮崎でやってるんですよ!」
「大リ−グ松坂も着てたんですよ宮崎キャンプ!」
宮崎・綾のお雛様飾りにビックリしておられた。
この人・・野球はどうにも・・・

パイレーツの桑田はレッズ戦でメジャー初登板。
1回を打者3人。
遊ゴロ、空振り三振、見逃し三振14球。
「マウンドに立てただけで幸せ。とりあえずいい結果でよかった」と桑田。
次回は8日か9日になる。

祖父健海医師は宮崎市内の医師・福島邦成とともに牛痘接種(天然痘の予防)を行なっている
それも最初の種痘だから驚きだ。
嘉永二年(1849年()安政の前の七年間)(徳川の将軍は14代15代のとき))

1849年にオランダより伝わったということが一般的には知られているが、
実際には25年も前にロシアに拉致されたことで有名な中川五郎治が、帰国後にこれを実践している。
牧水記念館の日記資料で解き明かされてる医学史上の常識を覆す大ニュ−スである。

おもうにこのようなるうんちくのガイドブックがあってよい。
旅行ガイドを参考に旅をするのは欧州では古い。

ガイドブックは「ベデカ−旅行ガイド」を嚆矢とする。
1830年欧州で誕生が通説
ドイツの印刷業者・カ−ル・ベデイカ−の編んだものである。
英国は
ジョン・マレ−三世
「マレ−のガイドブック」
私的旅行記から脱して

それぞれ交通機関や宿泊施設名所旧跡を書き
近代的旅行ガイドの先駆をなしている。

英国人ト−マス・クックは
パック旅行に似た提案をしてる。
自身グランドツア−を提唱して馬車しかないゆえ一年かけフランスヤイタリアを旅した。

蒸気船鉄道の発達で特権階級から市民階級に広がる

フランスの
「ミシュラン・ガイド」はこのようにして生まれた。

1900年地方やホテル情報をタイヤ・メ−カ−のミシュランが創刊した
旅行者が増え自動車旅行が進めばタイヤ需要が増えるとのみこしからだ。
無料で20年配った。

30年ひとつ☆から三っ星の格付け
権威ある旅行ガイドの誕生である。

39年版は対ヒットラ−・ドイツ戦に活躍した。
ノルマンディ作戦で米国で大量に複製をつくり指揮官に配布した。
国境の越え方さえ描いてあるゆえ学術書扱い

今は「ミシュラン・ガイド」に搭載されるのは名誉。
インタ−ネットでも見れる。

日本では79年のダイヤモンド・ビッグ社
「地球の歩き方」
当初二冊が二百タイトルにも成っている。
挫折でヨ−ロッパ旅行をしたときのバイブル。

ほかに実業の日本社の「ブル−バ-ブックス」も役に立った。

なお列車時刻表を欧州人は殆ど知らない。
専門の人が利用するだけ。
旅立つ前に仕入れて持っていったものだ、
英文ゆえ困ってはいたが、時刻と地名ゆえなんとか利用できた。
論語読みの論語知らず
時刻表片手の日本人は実にえらいものだ。
シ−ズン到来。なんの?
どうにかして生きている

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